2007年9月28日

No.13 子どもの好奇心には楽しんでつきあう

今週の火曜日の食事の時間(この日はカレーライスでした)に、Mちゃんがスプーンを持って「おもしろいことを発見した!」と教えに来てくれました。何を発見したのか聞いてみると、「スプーンのくぼんだ方に顔を映すと上下さかさまに映る」とのこと。とてもキラキラした目でこの"不思議"な現象の発見を話してくれたので、このことを他の子にも伝えてあげようと思いランチルームに行ってみると、既にこの話題で盛り上がっていました。

いい機会なのでこの現象の理由を説明しようと思い絵を描き始めたのですが、子どもたちが「わー、おもしろい!」「顔がひっくり返ったー!」と言っては興味深くスプーンを眺めている様子や、それを一緒に楽しんでいる保育士の様子を見ていて、今こんなややこしいことを説明しなくてもいいだろうと思い、その場を離れました。

3~5歳くらいの子どもは特に「これなあに?」「なぜ?どうして?」とよく聞いてきます。これは物の名前や見ている物の因果関係に強い関心を抱くためです。そして不思議に感じた現象に対して好奇心をもって向き合うことが「科学する心」を育てていきます。「なぜ?どうして?」と感じた子どもに対しては、まず、不思議だと感じたことを"一緒になって楽しんで不思議がる"ことが大切で、そのことが「科学する心」や好奇心をさらに育むことにつながっていきます。

そして、この「これなあに?」「なぜ?どうして?」は言葉の獲得も促していきます。2歳では300前後の言葉を持っていて、3歳では1日平均2語半の新しい言葉を獲得すると言われているように、幼児期には著しく言葉が増えていきます。ものを考え、それをまとめ、人に伝えるといったコミュニケーションに必要な言葉への関心は、幼児期からすでに始まっています。こうした言葉の獲得が、不思議に思う気持ちや好奇心から促されると考えると、子どもの毎日の生活の中で好奇心を刺激することは、これから少しずつ関わる社会を広げていく子どもたちにとって大切なことだとあらためて思います。子どもの好奇心には、こちらも楽しむ気持ちをもって丁寧につきあおうと思わせてもらえた出来事でした。

2007年9月21日

No.12 鏡を設置しました

運動会が無事に終わりました。そのことについては園便りに書かせてもらうので、ここでは一言だけ。「子どものことを大切に思う気持ちがあれだけたくさん集まる環境というのは、やっぱり気持ちがいい!」ということです。理屈っぽい性格のためかシンプルに気持ちを表現するのが苦手なのですが、運動会に関しては単純にそんな風に感じました。これ以上書くと、既に書いてしまった園便りの内容(大したものではありませんが…)と重なってしまうので、このくらいにしておきます。

さて、保育所の生活の話に戻ります。今週の水曜日に、子どもたちの生活に少し変化をつけるため、4ヶ所に子どもの姿がしっかり映る鏡を設置しました。ぱんだ・うさぎ・りす組の部屋に1枚ずつ、そしてぞう・きりん・くま組のおしたくコーナーのそばに1枚です。"テント型の鏡"や"顔がたくさん映る鏡"など春からあったものを合わせると、随分とそろえることができました。この鏡を設置したのには大きく2つの考えがあります。

まず1つは「自分を知る」ということです。子どもだけでなく私たちも、何かに姿を映さなければ自分の姿が分かりません。食事の後や遊んだ後の汚れ具合、着替えた後などの衣服が整っているかどうか、もっと言えば感情によって変化する自分の表情など。これらを知ることは、自分の今の状態がわかり、次に何をすべきかを知ることにもつながります。汚れたところをきれいにしたり、ボタンの掛け違いに気づいて直したりといったことも、より促しやすくなると思います。もう1つは「立体や空間を理解する」ということです。子どもの世界は、まず平面からスタートします。そこに前後左右や上下が加わってくることで、立体や空間の理解が始まってきます。自分では前後を同時に見ることができませんが、鏡があればそれができます。見える空間が広がります。そういったことなどを感じるきっかけになればという期待をもっています。

しかし、そんな思惑を超えた楽しさが鏡にはありました。鏡に映っている自分の姿は自分?それとも他人?おそらくそんな風に悩んでいるんだろうという子どもの姿も見られます。そんな楽しい悩みを生み出したことだけでも、鏡を設置した価値はあったと思っています。

2007年9月14日

No.11 挑戦する姿を見ることも大切な関わり

運動会の予行練習も無事終わり、いよいよ明日の本番を待つのみとなりました。明日の天気に多少の不安はありますが、子どもたちの運動会に向けた気持ちの盛り上がりには変わりはないようです。

以前、運動会の目的として「普段の保育をより深める」ということを書きました。その後の保育を豊かにしていくためのもの、ということです。そのことに関しては、子どもたちが主体的で積極的に、そして何よりやる気に満ちた表情で取り組んでいる姿を見ていると、様々な形で今後につながっていくだろうと想像できます。そしてその見方とは別に、普段の保育がこの運動会の取り組みに確実につながっていると感じることがあります。

運動会の取り組みを何度か見ていて、他の子がしている活動を「見る」ことの意味が随分深くなってきているように感じます。それはおそらく「子ども集団」が充実してきたことによるものだろうと思っています。普段の保育の中で、子どもたちは遊びを発展させながらお互いに関わったり、当番活動のように場面ごとに役割を変えながら友だちと関わったりしています。その繰り返しから少しずつ集団が豊かになり充実してきています。だからこそ、日頃一緒に活動をしている友だちががんばっている姿を見ると、親近感を持って見つめたり声援を送ったりする姿があちこちで見られました。普段の集団での生活が充実していれば、他の子の挑戦する姿を見たり、自分の挑戦する姿を見せたりすることも、意味のある大切な関わりになると思いました。

当たり前のことですが、「見る」は「まねる」につながっていきます。人のすることを「まねる」ことから「まねぶ」になり、それが「まなぶ」になったと言われるように、見てまねることは学ぶことにもなります。見ることから真似をし、そこから学ぶ。挑戦をすることからも、その挑戦を応援されることからも学ぶ。運動会の取り組みにはいろんな学びがあったように思います。このような体験をした子どもたちが明日どんな姿を見せてくれるか、皆さんと一緒に楽しみにしたいと思います。