2011年11月25日

No.221 発表会についていろいろと

手段と目的の難しさって、いろんなところに存在しています。手段であることを目的と捉えてしまうと本来の目的が果たせなくなってしまう、ということってよくありますよね。この手段と目的について、保護者講演会に来ていただいた藤森平司氏はこんなことを言っておられます。

『わたしたちは、みんながはさみを使って製作をしているときに、まだうまくはさみを使えない子どもがいれば、その子のところへ行って使い方を教えます。それは、その子がはさみを上手に使えるようになることが目的だからではなく、製作すること自体をもっと楽しんだり、より思ったものが製作できるようにするためです。みんなと同じようにはさみが使えるようになるまでは、はさみの練習だけをさせていれば、その子の創作意欲はなくなってしまいます。はさみを自在に使うということは、単なる「手段」であって、そのこと自体が「目的」ではありません。』

明日はいよいよ発表会。発表会の目的には普段の保育を深めるということがあります。言葉や表現が発表会という行事を通して更に深まっていってほしいという思いです。発表会自体が一番の目的というよりも、この行事を通して言葉を使ったやりとりや自分の思いを表現することの楽しさを感じてもらいたいと思っています。大勢の方に見られるという特殊な場でもあるので一人ひとりがいろんな感情を抱くことになるとは思いますが、それでもトータルとしては「楽しさ」を感じることができ、そしてその「楽しさ」が今後の生活につながっていけばと思っています。発表会後の子どもたちの姿を楽しみにしています。

楽しみと言えば、今年も役員さんによる出し物が行われます。明日の本番に向けて重ねてきた練習が昨日で終わりました。うれしいのは、保育所のテーマを踏まえてどんな内容にするか考えてくれていることです。今年は夏祭りでもそうですが、「つながり」ということをテーマにも掲げています。そのテーマを、ことあるごとに確認してくれていたんです。「テーマはつながりだから…」とか、「こういう演出にすればよりつながりが意識できるんじゃないか」とか、役員さんの会話のなかに「つながり」という言葉が本当にたくさん出てきていました。子どもたちに「つながり」の大切さを伝えたい、そのために大人がまずそれを示していきたいという思いでスタートしたわけですが、それをこんな形で「つないで」くれています。そんな役員さんの出し物もお楽しみに。

2011年11月21日

制約

社会福祉法人花の村あさり保育所は
島根県江津市浅利町336-4にあります。
ちょっと隣の町へ移動したいと思っても、
もちろんすぐにそんなことはできません。

対象としている子どもは6歳まで。
しかも直接関わることができるのは
あさり保育所を選んでくれて、
そして市役所で入所を認められた子どもだけ。

これ以外にもまだまだたくさんあるけれど、
こんな風にいろんな制約があるわけです。
制約があることであきらめないといけないことがあったり、
悔しい思いをしたことも少なくはありません。

じゃあその制約を取り払えばいいじゃないか
その様な意味のことを言われたこともありました。
確かに制約を少なくしていけば
悔しい思いをしなくても済むのかもしれません。
でも、それではうまくいかないだろうなあと思っています。

制約のせいでうまくいかないと思っているうちは
多分どんなことをしてもうまくいかないでしょう。
悔しい思いをしたり、あきらめたりしないといけないのは、
だいだいが制約が原因ではないんですよねえ。

そもそも制約がない状態なんてあるはずがないんです。
だとすれば、
制約がある中でやるべきことをどう進めていくか、
制約がある中で自分の思いをどう表現していくか、
結局はそれしかないんだと思います。

うまくいかないことを制約のせいにするか、
それともまだまだすべきことができていないからと考えるか。
どちらの姿勢でいくべきか、よくわかってるんですけどねえ。
わかってるんだけど、つい何かのせいにしてしまいたくなります。
だから、自分の思いを整理するために、
こんなことを書いています。

あさり保育所にはすべきことがまだまだたくさんあります。
それらをひとつひとつ、確実に、です。

2011年11月18日

No.220 つながりについて(できるだけシンプルに)

突然ですが、「つながり」について改めて考えてみました。と、こんな書き方から始まるときは大体話がややこしく、わかりにくくなっていくんですよね。ここで文章を書いて保護者のみなさんに届けているのは、みなさんにあさり保育所の思いを伝えたいからです。伝えて理解してもらおうと思えば、やはり内容はシンプルでわかりやすくないといけないはずです。ということで、今回はわかりやすいかどうかはちょっと置いといて、できるだけシンプルに書いてみることにします。テーマは「つながり」について。

8ヶ月ほど前に大きな地震とともに大きな津波が東北地方を襲い、大変な被害が出ました。私の生活に直接の被害があったわけではないのですが、とても無関係とは思えない出来事でした。それまでは自分とは特別に関係もなく、特に想像することもなかった東北の方々に対して、その気持ちを想像してみるということが明らかに増えてきたんです。

今まで「つながり」というと、何となく直接的な関わり、例えば1つのことを協力しておこなったり一緒に遊んだりといったものを思い浮かべていました。決してそれだけではなかったのですが、それが中心でした。でも、自分とは全く違う方向を向いて全く違うことをしている、しかもその姿を見ることができないような人とも実は私たちは影響し合ってるんじゃないか、それが「つながり」なんだろうと思うようになりました。

子どもたちも同じだったりするんですよね。一緒に遊んだり作業したりすることだけが関わりなんじゃなくて、友だちの行動を見ているだけとか話しているのを何となく聞いているだけとか、もっと言うと同じ場にいるだけでもお互いに影響し合ってるんですよね。友だちの行動に刺激を受けて意欲が湧いてきたり、話している言葉を聞くことで言葉を増やしていったり、自分だけではコントロールの難しい感情が場の雰囲気のおかげでコントロールできたり。そんな関わり・つながりも子どもたちの成長には欠かせないように思います。そんな日々の生活の中でのつながりや、つながりによって成長した姿を、発表会という行事を通して感じてもらいたいと思っています。様々なつながりによって子どもたちがどんな風に成長しているか、来週を楽しみにしていてください。

ほら、やっぱりややこしく、わかりにくい話になってしまいました。

2011年11月11日

No.219 頼んだり、頼まれたり

あさり保育所で大切にしていることの1つに「子ども同士の関わり」があります。家庭や地域に子ども集団が少なくなった今の時代だからこそ、子ども集団を持っている保育所ではその関わりを大事にし、できるだけ多く生まれるようにしなければという思いです。子ども同士の関わりというと一緒に何かをして遊んでいることが浮かんできますが、当然それ以外にも関わりはたくさんあるわけです。そのたくさんの中で大事にしていきたいと思っている関わりに、「誰かにものを頼む」関わりがあります。頼む相手は保育者だったり子どもだったりいろいろですが、保育者が頼まれたときでもできるだけ子ども同士で助け合えるように促しています。

この関わりは0、1歳児にも当然あります。例えば食事のとき、自分の席にはエプロンが置いてあってテーブルに来たらそれを自分でつけていくのですが、当然自分ではまだできない子もいます。しばらくは自分でつけようとするのですが、なかなか上手くいかず、保育者に「やって!」と差し出してきます。そうすると保育者はそれをできる子がやってくれるような関わりへと促すわけです。そのために、その関わりがスムーズに行われるように、自分でできる子とできない子が同じテーブルに座るような組み合わせになっています。

不得意なことは誰にでもあります。当たり前ですよね。だからこそ、その子が得意な子に頼むことで関わりを広げていくことが大事なんです。そしてそれは自分や友だちのことを理解することにつながっていくわけです。もう少し具体的に言うと、得意な人に頼むには「誰が何を得意なのか」を知らないといけないし、頼み方も知らないといけません。人間関係もそれなりに良好にしておかないといけないし、その前に自分がどこまでできて、どこからできないかといった自分の能力を知らないといけません。

そして保育者も個人の能力や人間関係などをふまえて「ごめんね、先生も分からないんだ。誰か得意な子に頼んでみて」「誰か得意な子いないかなぁ?」「これはあの子が得意だよ」「あ〜、ダメだったかぁ。じゃあ一緒にやろうか」など、どこまで関わるかのレベルを調整し、言葉がけを工夫することを大事にしています。そして同じように、助けてくれた子に対して「ありがとう。○○くん喜んでたよ」「○○ちゃんがいてくれてよかったぁ」など感謝されていることを伝えたり、頼んできた子に対しては「いい友だちがいてよかったね」「今度は○○くんが助けてあげるんだよ」など、今後につなげるための言葉がけも大切にしています。大人の意識次第で子ども同士の関わりはまだまだ増えそうです。

2011年11月6日

cafeの話

いきなりですが、保育園にcafeを作りたいなあと考えてます。そのcafeのコンセプトは「縁側」。縁側って内側でもあり外側でもあり、内と外を有機的に結びつける場所。地域と触れ合う場所。昔はどこにでもあったんだよなあ。地域の人とか保護者とか、みんなで運営していく『えんがわ』。少しずつイメージが固まってきています。

場所はだいたいあの辺りで、ふらっと立ち寄ってもらいやすくするために屋根を設置して、テーブルは割と大きめのやつを置く。毎日cafeをオープンすることは難しいけど、縁側としての場所は常にオープンで。飲み物は運営者によっていろいろ変わる。食べ物なんかも持ち寄ったりして。

課題もいろいろあるだろうけど、保育園って地域にとってそんな役割も必要だと思います。単に地域の人を招くだけじゃなくて。それは子どもたちにとってもプラスになる。以前は親と一緒にとか子ども同士とかで、地域の人と触れ合ってそこからたくさんのことを学んでいたはず。

危険な時代だからとか、プライバシーは確保しないといけないとか、そんな観点に縛られすぎた状態で保育園のあり方を考えるよりも、本当に子どもたちのことを思うならみんなで子どもを見守るという、日本社会特有の地域のあり方、家族、住居のあり方を見直すことの方が大事ではないかと思うわけです。

それが結果として子どもたちの安全を確保することにつながり、ごくごく普通のプライバシーの意識を子どもたちにも示していくことにつながると、私は思っています。とにかく特別に大げさなことではなくて、いろんな人が気軽に集まってくれて、その輪の中に子どもたちもまざってる、そんな感じです。

いろんな人が誘い合って集まったり、ふらっと立ち寄ってみたり、そんな「えんがわ」をいつか作りたいと思います。思ってるだけでは多分何も進まないので、まずはここでかるーく宣言しておきます。完成したらみなさんぜひ遊びに来てね。

2011年11月3日

No.218 いろんなアイデアが浮かんできます

2日(水)にぞう組さんとさくら保育所の年長児との交流で三瓶のサヒメルへ出かけてきました。この時期の三瓶の自然は見所満載で、サヒメルの指導員の方と一緒に秋の三瓶を楽しむことができました。面白い形の種子を見つけて飛ばしてみたり、赤や紫のきれいな実を夢中で集めたり、いろんな色や形の葉っぱを拾ってみたりと、子どもたちはほんとに夢中になって過ごしていました。

そんな様子を見ながら感じたことは、目についたものに次から次へババーッと飛びつかずに周りをじっくり見渡してからの方が楽しめるのになあとか、手の中いっぱいに実を入れてしまうと次に見つけた実は持てなくなるからもっと考えて効率よく集めたらいいのになあとか、大人が考える効率とかって子ども決して選択しないし、それはむしろ必要ないんじゃないかということです。一見非効率的に見える行動は子どもにとって全て必要なことで、その瞬間瞬間で感じて動くことの中から子どもたちはたくさんのことを学んでいるんじゃないかと改めて思った訳です。

で、よく子どもたちを見ていると「わー、この葉っぱ赤くなってる!」「こっちにもっと大きな松ぼっくりがあるよ」「こっちの木の方がたくさん実がついてるよ」「この葉っぱはとがってるけどこっちの葉っぱは丸いね」など、楽しそうな会話があちこちから聞こえてきます。こうした会話の中には、色・形・数・科学がちゃんと含まれているんですよね。このような体験の中で色の変化や違い、形の違い、そして大きさの違いや数などを知っていくのがこの時期の子どもの「学び」だと、改めて思わされました。この経験を十分に積むことによって後に取り組む学習での理解が深まることを、もう一度丁寧に捉え直してみようと思いました。

既に様々なことを体験し理解できるようになった大人が考える「効率」を子どもの学びに当てはめるんじゃなく、子どもが自然に行う行動こそ「効率的」であって、それをきちんと保障していくこととか、その学びが更に楽しく豊かになるような環境を用意することが大人の役割ではないかと。生活の中にあること一つ一つの意味を子どもの行動から理解し整理することで、子どもの学びをもっと深めることができるんじゃないかと。そんな風に考えると、いろんなアイデアが浮かんできます。まだまだできることはたくさんある、そう思うだけで楽しくなってきます。「非効率的なこと」を楽しもうと思います。