2009年6月26日

No.100 まずは雨水の利用から

園庭の隅に雨水を貯める樽を設置しました。保育所の広い屋根に集まる雨はかなりの量になります。であればこれを利用しない手はないと、雨水樽の設置をたくらんだわけです。雨水は海水が蒸発して大気中にのぼり、それが冷やされて雨になって降ってきます。言わば蒸留水と同じです。そんなきれいな雨水ですが、屋根のゴミを樽に入れてしまうとさすがに汚れてしまいます。ですからトイにはフィルターを取り付け、きれいな水だけが集まるようになっています。当然飲用ではありませんが、花壇の水やりや、ちょっとした水遊びなどで活躍しそうです。

子どもたちには、いろんな形で自然に触れる環境を用意しようと思っています。以前「もったいないデー」で水の大切さについて感じてもらう取り組みを行いました。ペットボトルの約300mlの水で1日生活する、というものです。水も限られた資源ということを体験するのが目的でしたが、その意味では雨水樽も分かりやすい体験になると思います。雨がたくさん降った次の日は樽に水はたくさんあるので蛇口から勢いよく水が出てきます。でも使っていくうちに勢いは弱まり、最後には全く出なくなってしまいます。晴れの日が続いた場合も当然水は出てきません。大人にとっては当たり前のことも、子どもには当たり前ことではありません。体験を通してひとつひとつ気づいていきます。ひとつひとつが大切な学びです。

少し話は変わりますが、ドイツには「ドイツ連邦自然保護法」というものがあります。「これからの子どもたちのためにも、生き物と共存する社会を作ろう!」ということをポイントにしたものです。生活は豊かにはなったけれど、時間のゆとりがなくなり、以前なら身近に当たり前にあった自然もない暮らしが果たして人間らしい生活といえるだろうか?という疑問が起こり、この疑問が子どもたちや親たち、教師たちへ、そして連鎖反応のようにさまざまな市民層に広がり、今までの社会とは違う社会にしようというエネルギーになって生まれた法律です。私たちの今回の取り組みは“水”だけですが、そこから“土”、そして“虫や草”と広がっていき、ドイツの取り組みのような、子どもたちが今後「自然や生き物との共生」を考えるきっかけとなるような活動をしていかなければいけないと思っています。

2009年6月19日

No.99 先を見通すことと本質を見抜くこと

こんな話を聞いたことがあります。

智者が空に輝く美しい月を指した時、愚者は月を見ないで智者の指ばかりをしげしげと見つめました。そこで智者に「君、指を見るのではなく、指のさし示す方を見るのだ。ほら、あんなに美しい月が見えるじゃないか。」と言われ、愚者はやっと気がついて、その月を見ることができたという話です。

つい私たちは、先を見ないで目の前のものを見ようとします。しかし、見なければいけないのは、その先にあるものです。保育や教育は、いま目の前にいる子どもに対して将来のあるべき姿を見通して、現在をいきいきと生きるために援助しなければなりません。

私たちは子どもたちの“今”に向き合いながら、同時に子どもたちが社会に出たときのことを考えます。子どもたちが社会に出たとき、自分の力で力強く歩いていけるように、ひとつひとつ確実に段階を踏んで育っていけるようにと常に考えています。今だけを見て無理をさせたり、あれもこれも早期に成果を求めたりせず、将来の見通しをもって、発達に応じたふさわしいタイミングや方法で、子どもたちと関わっていきたいと思っています。

また、こんな例もあります。

円柱の形を人に説明をするとき、上から見ると円に見えます。真横から見ると長方形に見えます。また、斜めに切った切り口を見ると楕円に見えます。どこをどのように見たかで形が違ってしまいます。人によって、見る角度や見える部分によって判断が違ってしまいます。自分では分かったと思っても、実はほんの一部分だけの解釈であり、全体を正しく理解することはなかなか難しいものです。しかし保育や教育は、その先にあるものを見るだけでなく、本質を見抜く力も必要になってきます。

本質を見るためには一つの側面だけで判断するのではなく、また単純にそれらを合わせて判断するのではなく、それぞれは真実であるけれど、本質は全体を見て初めて分かるものだということを、常におさえておかなければいけないと思っています。子どもの全体を見て本質を捉えていくためにも、まず「子どもの存在を丸ごと信じる」ことを大切にしていきます。

2009年6月12日

No.98 0,1歳児クラスの話

あさり保育所では、0,1歳児、2歳児、3,4,5歳児の3つの大きなグループに分けて保育を行っています。2歳児、3,4,5歳児については別の機会で触れるとして、今回は0,1歳児(りす、うさぎ)について書いてみます。

4月にりす・うさぎ組の保護者には次のような説明をさせてもらっています。

『座る、這う、立つ、つたい歩き、歩行、走る、跳ぶなどの運動機能が目覚しく発達する時期です。それに伴い人や物との関わりが強まるようになってきます。りす組、うさぎ組では、そういったことを踏まえ、安定した心地良い環境作りをしていきます。同じ年に生まれた子であっても成長の過程がひとりひとり違い、個人差が大きいのがこの0,1歳児の特徴でもあります。そうした個人差が遊びや生活の場面のそれぞれで増えてきます。個々にあった生活のリズムや発達を大切にしながら、遊びや生活場面に応じて同じ活動グループにしようと、0,1歳児の連携を心がけています。』

アメリカの保育園では「インファントクラス(しゃべり始めた頃)」と「トドラークラス(歩き始めた頃)」というように、成長に応じたクラス名になっています。またドイツなどは、年齢によるクラス分けはほとんどなく、0歳から6歳までの異年齢のクラス編成が主流です。年齢によってクラスを決めるのではなく、必要な体験を必要な時期にきちんと保障することを大切にしているようです。世界の保育と日本の保育、子どもが学び育つことに対しての考え方には、ずいぶん大きな違いがあることを感じます。

個人差が特に大きいこの時期に、0歳児はこっちで1歳児はこっちと分けてしまうことは難しいことです。眠ることの多い段階では落ち着いた睡眠を、ハイハイができるようになった子にはしっかりとハイハイを、歩き回れる子にはしっかりと歩き回る活動を保障してあげるために、個々の身体的発達に合わせた環境が必要です。年齢ではなく個人差への対応を大切にすることが、先の成長には重要になってきます。年齢が上がったら、年度が変わったら次のクラスで次の活動をと捉えると、子どもたちにどこか無理をさせてしまいます。そうは言っても年度が変わることでクラスが変わるという現状はありますが、そうした中でも、一人ひとりの成長を支えていくこと、そのためのりす組とうさぎ組のつながりを大切にしていきます。

2009年6月5日

No.97 あさり保育所のヒミツ②

今回は乳児室の障子と飾りについて書きます。乳児室の窓は夕方になるとどうしても西日がきつくなり、それを防ぐためにカーテンを使っていたのですが、昨年度その窓に障子を設置しました。障子を使うことが日本では少なくなってきているようですが、外国では逆にそれがブームになっているようです。和紙も同じです。特に障子や和紙を通した光が注目されています。蛍光灯や電球のあかりや太陽の光も、障子や和紙を通すことで柔らかくなり、癒しを感じる効果があります。









また、日本の文化を見直すという意味もあります。どの国でもそうですが、長い年月をかけて、その土地の風土に合わせてつくられてきた文化があります。その文化を大切にするということは、自分がその国の、その土地の一員であることを意識することができます。その意識を所属感とも言いますが、自分は日本人で島根県に住んでいてあさり保育所の一員といったように所属感を感じることは、子どもたちの情緒の安定には欠かせないことです。自分の足元をきちんと固めることは、自発的な活動の支えになります。手ぬぐい・すだれ・反物などを環境に取り入れているのも同じ理由です。

次は飾りです。乳児室には天井からの装飾がいくつもあります。赤ちゃんが目で追えるのは風で動くくらいの速度だと言われているので、人の動きや風によってかすかに動くような装飾はこの部屋にぴったりです。そよ風、小川のせせらぎ、ろうそくの炎などの様々な自然現象の中でみられる、ランダムでも単調でもない動きのパターンは、人に快適感や癒しを与えると考えられています。人の心拍の間隔なども同じパターンだということが発見されています。このように人の気持ちに沿う速さで動く装飾は園舎全体に取り入れるようにしています。ゆったりと時が流れていくような、見ていて心が癒されるような、そんな要素を持った環境も大切にしたいと考えています。