2009年12月25日

No.124 役割を見つけるということ

今年最後の「ひとりごと」です。突然ですが、俳優のトム・クルーズはLD(学習障害)で読字障害をもっているそうです。台本が手渡されるとスタッフにそれを読んでもらい、自分のセリフだけではなく、全部のセリフを暗記して撮影にのぞんでいるようです。字は読めないけれど、彼には豊かな演技力があり、それを活かすことで多くの人に感動を与えています。また発明家のエジソンは非常に好奇心が旺盛で、「なぜ物は燃えるのか」を知りたくてワラを燃やしていたら納屋に延焼してしまったという逸話もあります。これは彼がLD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)であったからではないかといわれています。でもそんな彼をよく理解し徹底的に好奇心を満たしてくれた母親がいたからこそ、自分の好奇心が科学の根本であることに気づくことができ、人類にとって貴重な発明(電球など)につながっていきます。

エジソンのことをもう少し書くと、彼の伝記の中で有名なのが小学校を退学させられたことです。入学してからわずか3カ月で放校処分になるほど先生の手を煩わせたようです。たとえば、「1+1=2」を教師が粘土を例にして教えていた時、エジソンが「1個の粘土と1個の粘土を合わせても、大きな1個の粘土になるだけなのになぜ2個になるのか」と聞いて、教師がエジソンを「腐れ脳ミソ」と罵倒したというエピソードが残っています。母親がエジソンの得意なところを伸ばそうとしていなかったらどうなっていただろうと思います。

私たちは普段子どもたちと接していて、子どもたちは様々だということをいつも感じます。子どもだけでなく大人も含めて、人はそれぞれ違っていて、社会に対してそれぞれの役割を持っています。一人ひとりの良いところや得意なところを見つけ、それを伸ばしていくことが、その子自身が自分の役割を見つけていくことにつながると思うからです。私たちは保育の中でそんな考え方を大切にしています。人はそれぞれ違っていて様々だということを認め、その上で社会を作っていくために自分の役割を見つけ、それをどう発揮していくかを考えることの大切さに気づける人になってもらいたい、そんな願いを子どもたちに対して持っています。そのためには、まず私たちもそんな思いを強くもたなければいけません。大きなテーマですが、「共生」と「貢献」ということについて、まだまだ深めていきたいと思います。

今年も1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

2009年12月18日

No.123 地域の文化の伝承

先週の土曜日は、祖父母の皆さんをお招きして「もちつき会」を行いました。あさり保育所では、それぞれの行事の目的を、意味を整理して取り組んでいます。今回の「もちつき」という行事は、行事の4つの目的「保育を深める」「子どもの発達や保育内容を保護者に伝える」「親子の触れ合いと遊びの提案」「地域の文化の伝承・地域理解」の内の1つである、「地域の文化の伝承」です。

当日はそのねらい通り、もちつきを通して文化を感じることができました。ついた餅が固まらないように部屋の温度を気遣うところから始まり、臼に入れたもち米をまず杵でしっかりこねるところ。いよいよつく段階になると、つき手と手返しの絶妙なタイミングでの動きなど。いろんな技や知恵を間近で見ながら子どもたちはどんなことを感じているんだろうと、子どもたちの表情を見ながら考えていました。また、子どもたちは実際に餅をついてみて、大人の力強さを感じたでしょうし、杵にくっつく餅の粘っこさも体感したと思います。祖父母を中心に進んでいく作業の一つ一つが、子どもたちにとって賑やかで楽しい体験になったと思います。

私は、地域の文化を含めたいろいろなことを、子どもたちに伝承することができているだろうかと思うことがあります。同時に、自分自身が子どもたちに伝えるべきことを理解しているだろうかと思うことがあります。欧米から新しい文化が入ってきて、それが素晴らしい世界かのように見えていたこともありました。その文化に浸り、その文化を取り入れることが、時代の先端を行くかのように思っていたこともありました。残すことよりも、壊すこと、変えることに価値を感じていたこともあります。もちろん、古くからの悪い慣習は変える必要があります。新しい時代を作っていかなければなりません。しかしその前に、過去からの文化を検証し、その意味を考えなければいけないと思います。

21年度は「自然」をテーマにし、様々な活動に取り組んでいます(今日行われた「なかよし会」はリサイクルに焦点をあて、身近なものを使った遊びをいろいろと考えました)。22年度のテーマの候補の1つは「地域を知る」です。あさり保育所のある浅利町や江津市は、どんな歴史があり、どんな特徴があり、どんな文化があるのか。そんなことを体験を通して子どもたちと一緒に考える、そんな22年度になるかもしれません。

2009年12月11日

No.122 少し早いですが移行の話をします

ちょっと気が早いかもしれませんが、来年度に向けた移行のことについて書いてみようと思います。本格的に動き出すのは1月以降になりますが、話し合いは既に始まっています。例年は年明けにこの話題を取り上げるのですが、どのように進んでいくかをつかんだ上で今後の様子を見ていただきたい、という思いで書かせてもらいます。

子どもの発達は言うまでもなく連続性の中にあります。4月になったら急に次の段階へ、というわけではありません。しかし一般的には制度上、4月1日には年齢別のクラスを設けて一気に進級が行われます。月齢差や個人差があるのに一気に進級というのはどうなの?どうにかできないの?ということで、少しずつ移行していく方法を取り入れることにしています。

特徴的なのはぱんだ組(2歳児)です。2歳児クラスから3歳児クラスに変わる時は大きな変化があります。子どもたちに対しての保育士の人数も変わりますし、4歳・5歳と一緒の空間で生活をするようにもなります。そのために必要になる基本的生活習慣や社会性の基礎をしっかりと身につけることを、ぱんだ組では特に意識して保育を行っています。そして移行期に入ると、食事も3~5歳のランチルームで食べたり、3~5歳と活動する時間が少しずつ増えていきます。このように少しずつ移行していき、4月を迎えます。

そして、ぱんだ組の生活が3~5歳の空間に移ってくると、今度はぱんだ組の部屋がぞう組(5歳児)の主な活動スペースになります。「4月から小学生になる」という課題をもったぞう組は、その課題に向けた活動にも取り組み始めます。といっても小学校の勉強を先取りするわけではありません。先週取り上げたような、実体験(遊び)が中心の、後で伸びる力をつけることを目的としたものです。

このような徐々に移行していく中で、子どもたちは次の年度への見通しがつくようになります。その見通しは情緒の安定につながります。情緒の安定は子どもたちの自発的に活動につながります。自発的な活動は子どもたちにたくさんの学びをもたらします。そうした流れを保障するためにも、これから始まっていく移行を丁寧に行っていくわけですが、保護者のみなさんもこうした変化に注目していただきたいと思います。

2009年12月4日

No.121 就学前の幼児期にどんな体験が必要か①

今年の3月の話ですが、ある自治体が小学校教育を引き下げて、5歳の幼児に行うと発表したという報道がありました。例として出ていたのは、算数の前倒しとして「数字を幾つまで数えられるか」や、足し算・引き算を教えるといった内容です。こんなおかしなことを誰が考えるんだろうと思っていたのですが、小学校へ進んでいく子どもたちにとって、就学前の幼児期にどんな体験が必要なのかをきちんとおさえておく必要があるので、ここで取り上げてみます。

例えば算数。算数では足し算や引き算などの計算を行いますが、早くから数字を言えるようになったり計算に取り組めばいいのではなく、「集合」や「量」が数の背後にあることの感覚や知識を、子ども自らが経験することがまずはとても大切です。例えば、赤い色のブロックをしまうということを保育所では行っていますが、これは片づけのためだけではなく、集まりを感じさせる、集合の概念をつけるという意味もあります。ブロックの中の赤いブロックを選ぶ、「同質の仲間を選別して選びだす」ということが集合を知ることになります。これが数の背景にあることを知るのが大事で、これが欠けると計算が難しくなります。例えば「チューリップが3本、バラが3本あります。合わせて何本ですか?」という問題があるとします。チューリップとバラを一緒にして数えるという概念は、花という総合的な集合概念がなければできません。「庭には花が何本ありますか?」という問題は、花という概念がなければ分かりません。数を数えるとき、この集合の概念はすごく大切です。

そうした集合を知ることの次の段階には、集めた2つの仲間はどちらが多いか、あるいは同じか、と比べることが出てきます。保育所の生活の中でもそんな状況がよくあります。例えば子どもに画用紙を配ると、「足りない」「ちょうど足りた」「余った」の3様の結果が生じます。ぞう組さんとくま組さんが並んで手をつないだら、くま組さんが余ってしまいます。そんなことを数多く体験することが大切です。食事のときに「もっと」「多い」「少ない」と食べたい量を考えて伝える体験も大切です。こうしたことが、数の概念を理解するために幼児期に必要なことです。就学前の数学教育があるとしたら、こんなことを日常の中で体験することだと言ってもいいくらいです。

就学前に必要な体験について、私たちもまだまだ議論不足ではありますが、整理する意味も含めて、機会をみつけて続きを書いていく予定です。

2009年11月20日

No.120 保護者とともに

先週の木曜日と今週の水曜日の夜に、発表会で行う役員さんの出し物の練習が行われました。来週の木曜日に最後の練習を行い、当日を迎えます。この取り組みは今年で5年目になります。子どもたちの発表会ではあるけれど、その中で子どもたちが見て楽しむものが何かできないだろうかと、保護者会の役員さんが中心になって考えられた活動です。それぞれに忙しい中、時間を作って積極的に取り組んでいる姿を見るたびに、本当にありがたいことだと感じています。この取り組みが子どもにとって意味があると感じているのは、発表会後に役員さんが踊ったダンスなどを、子どもたちが生き生きと取り組んでいるところを見ることができるからです。私たちは、子どもたちの活動は自らやってみようと思って主体的に行われるべきと考えています。一方的にやらせるのではなく、子どもたちがやりたいと感じるような“仕掛け”をいかに作るか、ということに力を入れています。そのことから考えると役員さんの出し物は、子どもたちの自発的な活動を促すとてもいい“仕掛け”になっていると思います。

別の角度からも考えてみます。保育のあり方に対して同じ課題を持って議論しあえる仲間が全国各地にいるのですが、その仲間の一人がドイツの幼児教育施設を視察に行った際にこんな話を聞いたと教えてくれました。ドイツの中でも非常に進んだ取り組みを行っているミュンヘン市の幼児教育統括責任者の話によると、保育所や幼稚園で大事にしなければいけないと考えていることの1つに「保育所と保護者がともに子どもを育てる環境づくり」を挙げられたそうです。その意味は、5月に行った保護者講演会の講師・藤森先生もいつも言っておられますが、「保育所と保護者が一緒になって子どもを育てたとき、その子どもは著しく発達する」ということにあるそうです。

今回の発表会だけでなく、夏祭りや運動会、そしてそうした行事以外の様々な面でも、役員さんを中心に保護者の皆さんには積極的にいろんな協力をしてもらっています。そのことが子どもたちの成長の支える保育所にとっても大きな支えになっていると感じ、本当にありがたく思っています。来週の発表会では、「保育所と保護者がともに子どもを育てる環境づくり」の取り組みの1つを、あたたかく見ていただきたいと思います。

2009年11月13日

No.119 鮭の解体ショーの取り組みから

今週の月曜日の朝、ランチルームで鮭の解体ショーが行われました。この取り組みは今年で3年目、食材を元の姿から調理するところを見せるという目的で行っています。以前、アジは開きのままで泳いでいると思っている子どもがいるというびっくりするような話を聞いたことがあります。そこまではいかなくても、世の中が便利になればなるほど食材の元の姿を知らないといったことは増えていくかもしれないと思っています。そんなこともあってこの解体ショーが開催され、子どもたちは興味を持ってその様子を眺めていましたし、食事に出てきた鮭を食べるときもショーの話をしながら嬉しそうな表情を見せていました。

そんな解体ショーですが、保育士の個性や特技を生かす場の1つとも考えています。このショーは2年前からM保育士が担当していて、M保育士の特技?を披露する場としても定着してきたと思っています。他にもいろんな保育士が特技を発揮してくれていて、ほんの一部だけ紹介すると、例えば運動会や発表会でぞう組さんが行う和太鼓演奏の指導はS保育士が担当していて、和太鼓だけでなく様々な打楽器の豊富な演奏経験を生かし、指導に関しても子どもたちの力をしっかり引き出してくれています。また以前も書きましたが、染物や紙すきに関してのB保育士の技術や知識は年々向上しています。子どもたちが意欲的に関わるためにまず自分が楽しむという姿勢も見事です。これ以外にもいろいろありますが、これらの特技を全員が身につける必要はありません。それぞれが得意な分野でチカラを発揮してくれればいいと思っています。

あさり保育所は大人と子ども合わせて約90人の、小さいけれど立派な社会です。社会にはいろんな性格や特技をもった人がいます。多様な人が集まって成り立っているのが社会で、保育所は子どもたちにとって大事な社会体験ができる場でなければいけないと思っています。様々な人がいて、様々な役割を持っていて、それを互いに認め合えることが大切なんだと感じられなければいけません。一人ひとりが万能である必要はなく、それぞれの持ち味を発揮して足りないところは補い合えば、全体として素晴らしい活動ができます。そのことを子どもたちには感じてもらいたいと思っています。そのためにもまず職員が個性を発揮し、その結果として集団がより輝きを増すんだということを、子どもたちに見せていくことのできる保育所でありたいと思っています。

2009年11月6日

No.118 あさり保育所のヒミツ③

しばらくお休みしていた「あさり保育所のヒミツ(環境設定や活動の意味・目的)」を再開します。今回は、ぱんだ組の部屋にある「円形で、周りにアルファベットや絵がかかれたカーペット」についてです。4月の保護者会総会の際にぱんだ組の保護者に配ったプリントには、こんなことを書いています。『平行遊びから一緒に遊ぶことを楽しめるようになって来るように、集団を意識し始め、集団から学び始めます。そのことを踏まえ、お集まりを丸い形のカーペットの上で行ったりします。』この丸いカーペットの上で子どもたちは円形になってお集まりを行っているのですが、この円形になって集まるということがポイントです。

まず、学校の教室のスタイルをイメージしてください。子どもが25人、先生は1人いるとします。学校のようなスクール形式で集まったとすると、1人の子どもに注がれる視線は先生からの1/25の視線ということになります。それに対して円形で集まれば、注がれる視線は先生を含めて自分を除いた25/26ということになります。2つを比べると、全く質の違う集まり方だということが分かると思います。円形だと全員の顔をお互いに見ることができます。一斉に何かを伝えようとするときスクール形式は有効でしょうが、自分の思いを言ったり人の意見を聞いたりといった関わりが目的であれば、円形の方が効果的です。これも大事な子ども同士の関わりの形です。

また、アルファベットや絵がかいてあることで、子どもたちは自然と文字や絵の上に座ります。どこに座ればいいか、特にあれこれ言わなくてもわかりやすい作りになっています。何故アルファベットかというと、これは欧米の学校などは1クラス25人(+先生1人)であることが多く、アルファベット26文字の上に座るとぴったりになるからです。その人数に合わせたサイズで作られているため、ぱんだ組さんには少し大きいですが、円のサイズを調整しながら上手に集まっています。円形以外の集まり方では、3,4,5歳児のお集まりなどは1日の流れを全員に伝えるなどの目的があるため、スクール形式に近い形をとっています。どんな集団の大きさ、どんな形で集まるかも大事ですが、何を目的とするかが集まりの形を考える際には重要になります。「集まり」にもいろいろと工夫が必要です。

2009年10月30日

No.117 科学する心

11月の園便りで書かせてもらいましたが、「科学する心」についてここでも少し書いてみます。私は「科学する」ということと「他人の気持ちを理解する」ことはつながっていると考えています。「科学する心」とはどういうことかを考えていると、「他人の気持ちを理解する」ことと非常によく似ているなぁと感じるからです。

「科学」とは、研究者が研究室で何か難しいことをやっていることだけを指すのではなく、生き物の生態を見たり自然の変化を感じたりする中で「なぜだろう?」「どうなっているんだろう?」と考えてみることも「科学」の1つです。例えば道路でも見かけたりするカマキリ、そのカマキリの赤ちゃんはとても小さい体です。大きくなったカマキリは何でも捕まえて食べるでしょうが、赤ちゃんはあの小さな体で何を食べて大きくなっているんでしょうか?自分をカマキリの赤ちゃんに置き換えたとき、周りのものがどれだけ多く見えるんだろうかとか、自分に合った大きさの食べ物は何があるんだろうと興味が沸いてきませんか?例えば大雨で増水して流れが強くなった川の中で、魚たちはどうしているんでしょうか?抵抗するけど流されて下流までいくのか、それともどこか流れの弱い場所を探してじっとしているのか。またまた自分を魚に置き換えたとき、何時間も続く激流の中で果たして無事にいられるだろうかと不安になりませんか?

自分を「自分と違うあり方で存在している他者」へ置き換えてその立場を想像することで、それまでは自分とは無関係だった世界が自分の世界として目の前に広がってきます。虫なんて関係ない、魚なんて関係ない、もっと言えば他人のことなんか自分とは関係ないと思っていたことが、その瞬間に自分のこととして感情を大きく揺さぶられる、そんな感覚を味わうことになると思います。この「他者への想像力」は、まさに「他者の気持ちを理解する」ということに通じます。そんな風に考えていると、科学離れが進んでいることと、他人とのつながりが希薄になってきたことや、人との関わりの苦手な子が増えてきていることは、決して無関係ではないような気がしてきます。子どもが本来持っている好奇心を刺激し「科学する心」が育まれ、「他者の気持ちを思いやる心」も豊かになってほしいと思っています。そのためにも「なぜ?」と問いかける子どもの姿を大切にしたいと思います。

2009年10月23日

No.116 あさりレストランが開店しました

21日(水)に、ぞう・きりん・くま組さんがレストランスタイルの食事を体験しました。内容は、子どもたちの代表がレストランのスタッフになって席に着いた子どもにお茶を運び、注文(量の多い少ない)を聞き、料理を席まで運んであげるというものです。「あさりレストラン」の開店時間は11:30~12:30で、その間なら好きな時に食べに来ていいというルールです。食べるものや場所はいつもと変わりませんが、雰囲気はいつもと全く違いました。スタッフになった子どもたちは、休みなくやってくるお客さんの対応で大忙しでしたが、その表情はとても生き生きとしていたのが印象的でした。レストランのスタッフという役割に対しての責任感が伝わってきましたし、何よりその役割を持ったことを喜んでいるように感じました。

ぞう・きりん・くま組さんのお便りには、『「少しください」というお客さんに対して「少しだと、ごはんもお汁も全部少なくなるけどいい?」と確認したりするやり取りも見られた』と紹介されていました。子どもたちは短い時間の中で、何をどう伝えればいいのか、自分たちでいろいろ考えていたようです。とても貴重な時間になったと思います。そうしたやり取り以外にも、素敵な言葉も聞かれました。一生懸命働くスタッフは、当然自分たちがごはんを食べるのは最後になってしまいます。そのことにスタッフ以外の子が気づいたようで、「あの子たちはごはんがなかなか食べられないね」と気遣う発言がありました。こんな言葉が自然と生まれてきたことには、本当に嬉しくなりました。

今回子どもたちは「スタッフ」と「お客さん」という役割に分かれました。この場で何度も何度も書いていることですが、あさり保育所では子どもたちが役割を持って活動することを大切にしています。役割は、他人との関係の中で生まれてくるものです。集団がなければ役割は生まれてきません。様々な人がいて、様々な役割があって、そうやって集団や社会が作られていくという言い方もできます。さらに、自分の役割・立場を超えて他人の立場にまで思いをやることができるのも、集団の持っている大切な点だと考えています。様々な違いを認め合うという意味でも、他人の立場に思いをやることは大切で、そうした姿を見ることのできたレストランスタイルの取り組みは、意味の大きな活動だと感じました。不定期ではありますが、今後も続けていく予定です。

2009年10月16日

No.115 B保育士の草木染め

11月28日(土)は発表会、そこに向けての取り組みが本格的に始まってきました。とはいってもこの時期に「よーいどん!」と始まるのではなく、発表会につながる取り組みはずいぶん前から行われています。発表会の目的の1つ「普段の保育を厚くする」ために、発表会に向けての取り組みをどう保育の中で実践していくかということも大事な点です。年に1回の行事ですが、そのとき限りの経験ではなく、日々の経験、年々の経験がつながっていかなければいけません。これは子どもだけではなく職員も同じです。というわけで、今回は「B保育士の草木染め」を取り上げてみます。

今年も自分たちで作った衣装を身にまとって登場する「ファッションショー」がありますが、そこで使う素材集めはずいぶん前から始まっています。その素材の1つは「草木染めで作った布」で、子どもたちと活動の中で準備してきました。この活動はB保育士が中心になって行っているのですが、ここには昨年の発表会との深いつながりがあります。実はB保育士は去年の「ファッションショー」でも草木染めで作った布を使おうとしていたのですが、あきらめなければいけなかったという経験がありました。

どういうことかというと、昨年草木染の布を使おうと計画したのが10月の終わり頃で、その時期には染めるのに適した植物がなく、あきらめるしかなかったというわけです。そのことを悔しく思ったB保育士は「来年こそは!」と決意し、草木染についての研究を始め、春からコツコツと素材集め、染の作業を行ってきました。失敗も多くありましたが、研究の成果もあり予想していた以上のきれいな色に染めることができたようです。

子どもたちも関わって作った素敵な作品なので、ショーの衣装を作り始めるまでの短い期間ではありますが、園舎内に飾ることにしました。何で染めたかは布に記してあります。植物の不思議な力を感じることもできると思うので、ぜひ染まり具合を見てください。繰り返しますが、発表会の取り組みは日々の経験のつながり、年々の経験のつながりが大切だと思っています。子どもたちだけでなく職員もこうしたつながりの視点を大切にし、今年の取り組みの経験が発表会以降の保育につながり、さらに来年へつながっていく連続性を楽しんでいきたと思います。

2009年10月9日

No.114 みんな違ってみんないい

台風18号の被害がこのあたりはそれほど大きくなく、昨日の親子遠足は予定通り行うことができました。他県ではかなりの被害が出ているところがあるようで、自然の怖さをあらためて思い知らされました。保育所の行事もこうした自然の力に逆らうことはできないので難しさはありますが、基本的には中止したくないというスタンスで、それでも決して無理をすることのない判断を今後もしていきたいと考えています。

自然の話でスタートしたので、自然から考えさせられた話を紹介します。保育所にもメダカが住んでいる小さな「ビオトープ」が園庭の隅にありますが、このビオトープは別名「トンボ池(トンボが卵を産むための池)」とも呼ばれます。トンボは飛行距離があまり長くないので、ある限られた区域の中だけで生活することになります。その中で遺伝子を残すために繁殖を繰り返すわけですが、そうすると持っている遺伝子の種類が限られてきて、同じ種類の遺伝子になっていきます。そこに何か病気がパッと入ってくると、その集団は一斉に病気にかかり全滅してしまうそうです。同一の遺伝子のみの集団は病気や環境の変化に弱いため、いろんな遺伝子があることも必要だということです。

私たち人間も生き物である以上、遺伝子を残していくという本能の働きがあります。もし人間が1つの遺伝子、1つの役割や価値観しか持たなかったとしたら、どこかで人類は滅びていたであろうとも言われています。だからいろんな遺伝子や役割、価値観を持った人が存在していると考えられています。男と女で役割が違っているのもそうでしょうし、様々な性格や能力を持った人がいるからこそ、人類が繁栄してきたとも言えると思います。そして、誰かが「○○じゃないかな」という意見に対し「いや、私は△△だと思うよ」と言うように、様々な考え方があることもとても大切なことです。そうした個々の違いを認められること、全ての人がそれぞれ違う役割や価値観を持ち、それを生かしながら集団を作っていくことは、人が生きていく上で重要なことだと思っています。

金子みすずさんの「みんな違ってみんないい」ではありませんが、違いがあることには大事な意味があり、その違いを互いに尊重しあうことに生きる意味感じることのできる、そんな人になってもらいたいなぁと、子どもたちを見ながら思います。

2009年10月2日

No.113 ぞう組さんの当番活動

ぞう組さんの仕事の1つに「食後のランチルームの掃除」があります。みんなの食事が終わった後、ランチルームのテーブルとイスをテラスへ運び、床を雑巾で拭いてきれいにしていきます。2人で行う仕事なのでなかなか大変だと思いますが、様子を見ているとやらされているという感じはなく、子どもたちの主体的な取り組みになっていると感じます。そんな様子を見かけたとき、「きれいにしてくれてありがとう。みんなが喜ぶね。」と声をかけると、とてもいい表情を見せてくれます。ぞう組さんの役割はそれだけではなく、布団敷き、うさぎ組とりす組の手伝い、ぱんだ組と一時保育の手伝いなどがあり、毎日活躍してくれています。

子どもたちは保育所での生活の中で、自分の役割をもち、どう行動するかも毎日学んでいるわけですが、当番活動はみんなのためという意味合いもある活動です。脳科学者の茂木健一郎さんは、「脳の成長には、どんな小さなことでもいいので喜びを感じることが大切」と言っておられます。ごはんを食べて美味しいと感じたり、何かができるようになって嬉しいと感じたりすることも、脳の成長のためには大切なことです。そして同じ喜びでも「他人のために何かすることを自分の喜びと感じられる」、そんな喜びの体験はもっと重要だとも言っておられます。この「他人のために何かすることを自分の喜びと感じられる」のは、人間の特徴だそうです。

そんなことから考えると、もともと人間は他人と社会を築いて(共生)、他人のため、社会のために何ができるかを考えて生きていく(貢献)ことで進化してきた存在だとも言える気がします。この「共生」と「貢献」は、あさり保育所で今後もっと大切にしていきたい概念です。これらは関わりの中で育っていく力です。でも少子時代になり、家庭や地域の中に子ども集団ができにくく、関わる場が生まれにくいのが現状です。そんな時代だからこそ、大きな子ども集団を持っている保育所の役割はますます大きくなっていくと思っています。社会の中で自分の役割をみつけ、そして他人のために社会のために何ができるかを考えることのできる、子どもたちにはそんな人になってもらいたいというのが私たちの願いです。保育所での当番活動にはそんな力をつけていく意味もあると、少し大げさかもしれませんが、そんな風にも考えています。

2009年9月25日

No.112 季節感も大切にします

運動会が終わりました。保護者の皆さんにも競技に参加していただき、子どもたちはとても楽しい体験ができたと思います。ありがとうございました。運動会が終わったあと、ある役員さんから「テーマがあることはよかったと思う」という感想をいただきました。しつこいようですが、今年度あさり保育所では「自然」をテーマとしています。こうしたテーマをもとに1年から数年通して行う保育を、プロジェクト保育といいます。子どもたちの発達を、テーマによる興味や関心の切り口から促していこうというものであり、行事もその中の取り組みの1つという位置づけになります。

行事は日常の保育に厚みを持たせてくれますし、リズムも生まれます。毎日同じことの繰り返しで1年間過ごすのではなく、行事を起点にして変化をつけることは大切です。何よりも子どもたちがとても喜びます。行事を日常から作り上げ、さらに日常に生かすことのできるような、そんな行事のあり方をあさり保育所では大切にしていきたいと考えています。

運動会のような行事の他にも、今月末に行う「お月見会」のように、その季節ならではの行事もあります。厚生労働省より出されている、保育所で行う保育内容について定めた「保育所保育指針」の中には、『季節により自然や人間の生活に変化のあることに気付く』環境を用意することと書かれた部分があります。昨日は子どもたちが食べる栗の皮むきをテラスでしました。食事のときには梨が、そしておやつにはおはぎが登場しました。園内のあちこちには栗が飾ってあり、額に飾ってある手ぬぐいは月とうさぎの柄に変わりました。そして今日は焼いたサンマと栗ごはん食べました(頭と内臓を取り除いたサンマが届くという手違いがあったため、後日もう一度サンマを焼くことになりました)。

これらのことは、その季節ならではの植物・食べ物・体験などを子どもたちの環境として用意し、季節による自然や生活の変化に気づくことをねらいとしています。このようなこと一つ一つは子どもたちの育ちにとって大切なことですし、自然を大切にする気持ちを持つためには、季節の移ろいのような自然の不思議さに気づくことが大切です。これからいろんな季節の行事や活動が続きますが、その中で子どもたちがどんなことを感じ、どんなことを体験しているか、子どもたちの気づきを深めるためにも是非いろいろ聞いてみてください。

2009年9月18日

No.111 食事のことと運動会のこと

今回は「食事のこと」と「運動会のこと」を書きます。

まずは食事について。
今月の献立表にも書かせてもらっていますが、今月から2週間サイクルメニューに変更しました。月に2度同じメニューが出るようになっています。その目的の1つに「味付けなどの調理方法の改善などを試みて工夫すること」があります。子どもたちの食べ具合を観察し、その結果を受けて次回の味付けや盛り付け、そして調理方法の改善などを試みて工夫していくためです。食事に関してのこだわりは他にもあります。噛むことが自然と増え、使う油を減らすこともできる「ごはんと味噌汁」を中心としたメニューもそうです。「子どもたちが自分の食べる適量をきちんと理解すること」を目的としたバイキング方式もそうです。保育所の食事は、1日3回の食事の中の“たった1回”ではありますが、子どもたちが食事を楽しめることを大切にし、思いを深めてまだまだこだわっていきます。

次に運動会について。
今日までの運動会の取り組みの中で、子どもたちの成長した姿をたくさん見せてもらいました。例えば、保護者と一緒に行う競技の“保護者役”を積極的に行ってくれる姿。みんなで協力して取り組むことを楽しんでいる表情。取り組みの中で友達の新たな一面を発見し、それを素直に評価できる心。他にもたくさんありますが、何よりみんなが意欲的に取り組んでいる姿は、見ていて本当に嬉しくなります。運動会の目的の1つが「保育を厚くする」ですが、運動会の取り組みの経験が、運動会後の保育も子ども同士の関係も、今まで以上に「厚く」してくれると思います。

いよいよ明日は運動会。園便りでもお伝えしているように、前半は「子どもの運動能力の発達を保護者に伝える」ことを目的とし、後半は「親子のふれあい」を楽しんでもらうことを目的として構成しています。そんな視点で子どもたちの姿を見て、そして一緒に楽しんでください。
(プログラムには、6月の保育参加で作った“たたき染め”の布を使っています。今年度のテーマである「自然」への意識を高める取り組みの1つです。)

2009年9月11日

No.110 “なぜ?なぜ?”と問う時間

先週の金曜日、ぞう組さんと一緒に科学実験をしました。その内容は、水の入ったコップに油を入れ、そこに青いインクを垂らすとどうなるか?というものです。どのようになるか少しだけ説明すると、水の上に油の層ができ、そこに垂らされたインクは水と油の境目でしばらく留まり、ある瞬間に油の膜から…といった感じです。

この実験では子どもたちにいろんなことを問いかけました。「水の中に油を入れるとどうなる思う?」と聞くと「混ざって黄色くなる!」とか「黒くなる!」といった意見、「青いインクを入れるとどうなると思う?」と聞くと「青くなる!」「白くなる!」意見など、子どもたちのいろんな意見が飛び交いました。「水と油が混ざると黒くなる」という意見や「青いインクが混ざると白くなる」という意見は全く予想していないものでしたが、もちろんそんな意見も否定はしません。いろいろ考えを聞いたうえで「さあ、どうなるかな?」と実験を進め、真剣にコップを眺めていた子どもたちは、想像していなかったインクの不思議な動きに大歓声をあげていました。

この科学実験の目的は、水より軽い油が上に層を作って…といった理屈が分かることではありません。科学という言葉はなんだか高尚な感じがして、ついつい難しく考えてしまいますが、あくまでも『科学遊び』としてシンプルに捉えています。科学という英語は「science」で、その語はラテン語の「scire」を語源としていますが、それは「知ること」という意味です。子どもが本来持っている、いろいろなものを知りたがる気持ち=好奇心を、更に刺激することが科学といってもいいかもしれません。

「なんだかおもしろそう」と感じること、「どうなるんだろう」と考えること、「目的意識を持って」見たり関わったりすること、そして結果がどうなったかを「言葉で表現する」こと。そんなことを大切にしながら、この『科学遊び』を定期的に行っていく予定です。様々な出来事に対して「なぜ?なぜ?」と問い続けながら日々成長していく子どもたちに、少しだけ変化をつけた、一味違う「なぜ?」をぶつけていきたいと思っています。

2009年9月4日

No.109 ゴミについて考える

今月の19日には運動会が行われます。以前からお伝えしているように、今年度の保育のテーマは「自然」なので、運動会の取り組みのテーマも「自然」です。全ての種目とはいきませんが、自然を大きく捉え「環境」について関心をもてるよう取り組みを計画しています。その1つにきりん・くま組の親子競技の『ゴミの分別ゲーム』があります。これはゴミについてみんなで考えてみようというものですが、何故ゴミのことや環境のことを考えるのかというと、人が生きていくことに関係があるからです。

動物学者リチャード・ドーキンス氏の『利己的な遺伝子』という本には、「どの生き物の遺伝子も、自分の種を残しつづけることを使命とする利己的なものであるが、そのためには他の遺伝子を排除するのではなく、共生することを選ばなければ自分自身も滅んでしまう」という意味のことが書かれています。具体的に言えば、私たち人間が子孫を残すことや豊かな生活を維持するために資源を自分勝手に使い続けたりすると、結局は自分たちも生き続けることが難しい環境になってしまうということです。人間を取り巻く全てのものと共生していくことを選ばなければ、生きていくことが困難になります。利己的・自己中心的であればあるほど、他のものに対してやさしくなければいけません。先週のひとりごとで「本当の意味で自己中心的であればあるほど、他人との関係を上手く保つことが必要になってくる」と書きましたが、同じような意味です。

ゴミについて考えることは環境について考えることであり、私たち自身の生活のあり方を考えることでもあり、それが生きることにもつながっていくのだと思います。『ゴミの分別ゲーム』を通して、子どもと一緒にゴミや環境について楽しみながら向き合うことができればと思っています。入り口は、子どもが興味を持てるものであればなんでもいいと思います。普段からよく手にするものについているリサイクルのための識別マークについても、親子で話をしてみるのもいいかもしれませんね。


スチール缶製品




アルミ缶製品




プラスチック製容器包装



ペットボトル




紙製容器包装

2009年8月28日

No.108 子どもたちのリレーの取り組みから

来月には運動会が行われます。そのための取り組みが始まっているのですが、その取り組みを見るたびに子どもたちの成長を感じることができます。例えば先週のことですが、リレーをすることになり2つのグループに分かれてくじを引いて順番を決めました。そこまでは何でもないのですが、すごいのはその後です。保育者は何も声掛けをしていないのに、ぞう組さんを中心に「○○くんは1番だからここ。次は△△ちゃんがここに並んで。」といった感じに自分たちだけで並んで、後はスタートを待つだけという状態になっていました。簡単なことのようにも思えますが、次は何をすればいいのかが分かっているということでもありますし、みんなをまとめる力を子どもたちがつけてきているということでもあります。

また、リレーにはかなり興味をもっているようで、夕方などに子どもたちだけでリレーをしている姿も見かけます。ある日のことですが、スタートと同時にぞう組のCちゃんがコースを間違えて走ってしまいました。みんなはあわててCちゃんを止め、もう一度やり直すことになりました。今度は順調に進んでいたのですが、勝負が盛り上がってきた頃に今度はぞう組のYちゃんがコースを間違えました。「また止めるかな」と思って見ていたのですが、子どもたちは「あっ」と声を出しましたが、今度は誰も止めずにそのまま続行しました。私の勝手な推測ですが、「途中で止めてやり直しをすると、せっかくの盛り上がりが半減してしまう」といったことを考えたのではないかと思っています。本当のところは分かりませんが、子どもたちなりに「どうすればリレーを楽しめるか」を考えながら取り組んでいるのが伝わってくるシーンでした。

人間というものは基本的には自己中心的だと思うのですが、本当の意味で自己中心的であればあるほど、他人との関係を上手く保つことが必要になってくると思っています。自分が今よりもっと楽しみたい(自己中心)と思ったとき、1人で遊ぶより複数で遊んだ方が楽しみはより増していきます(他人との関係)。リレーという競技に興味を持ち、それがみんなで取り組まなければ楽しめないことが分かるからこそ、自分たちで順番どおりに並んで待ったり、自分が、そしてみんながより楽しめるように、ルールを柔軟に変更したりできるんだと思います。子ども集団がなければできない貴重な経験です。とてもいい姿を見せてもらいました。

2009年8月21日

No.107 ペット相談もなかなかおもしろい

先日の朝日新聞の「どらく」に、あるペットの相談が載っていました。興味深い内容だったのでここに載せてみます。「我が家に愛想のいい利口な柴犬がいます。この子に姉妹をつくろうと、1週間前に赤ちゃんの柴犬を迎え入れ、2、3日たったころで先住犬と子犬を一緒にしました。すると先住犬の様子がおかしくなってしまいました。部屋の端に寝転び、子犬に近づきません。私が仕事に行っている間に胃液を十数カ所にも吐き、その後食事もとりません。いつもはまったく吠えないのに、子犬に近づきわざわざ吠えることもあります。もう一度子犬と別にしたら以前のように戻りました。どうしたらよいでしょうか?」というものです。

回答としては、「赤ちゃんが家に来てまだ1週間。先住犬は今までの生活がガラっと変わってしまったことに、心と体がついていけていないのでしょう。飼い主が留守の間は、別にして、飼い主が一緒にいる時に、一緒にして、赤ちゃんをサークルに入れたままで、先住犬をなでてあげたり、抱っこしてあげたりして、たくさん「いい思い」をさせてあげてください。「赤ちゃんが来ても嫌なことは何もなかった」と思わせると同時に、「ママは赤ちゃんがいても、ちゃんと私をなでてくれたり抱っこしてくれたり今までどおりに接してくれるんだ」と安心させてあげることができます。一番に思うことは「愛犬同士の関係を左右するのは、ほとんどが飼い主さんの行動や心持ちである」ということです。」

そして、心構えとしてこう提案します。一つは「飼い主さんが『より頼れるリーダー』になる」こと、二つ目は「心配し過ぎない、あえて干渉しすぎないことも愛情」ということで、飼い主が心配して過度に声を掛けたり、気にしてしまったりすると「ああ、ママも心配なのね。私ってやっぱりかわいそうなんだ…」と余計状態が悪化したり、「こうやってご飯を食べないと、ママが声をかけてくれたり、構ってくれたりする」と勘違いして、余計ごはんを食べなくなって困らせたりと、先住犬が「赤ちゃん帰り」をしてしまうこともあります。群れのメンバーが増えたことは、決してかわいそうなことではなく、とても楽しいこと。いま、その楽しくなるまでのハードルを柴ちゃんは頑張って越えようとしている状態です。「赤ちゃんが来て楽しいね。ママもいろいろ頑張るから、一緒に協力してね」という気持ちで接してあげてください。赤ちゃんを意識して吠えてみたり、嫌がる素振りを見せたりすることもあるかもしれませんが「そんなことしてもしょうがないよ、これから赤ちゃんはずっとおうちにいるんだからね」くらいの気持ちであまり干渉せず、柴ちゃんのペースに合わせて接しさせてください。」 犬にも人間と同じようなところがあるんですね。

2009年8月11日

No.106 自然の力には抗えないけれど

全国各地で大雨、地震、そして台風と、自然の力をまざまざと見せつけられることが続いています。被害にあわれた方は大変な思いをしておられると思います。こうした知らせを聞くたびに、自然の力の前では人間はなんて無力なんだろうと、当たり前のことをあらためて気づかされます。

8月6日は広島、9日は長崎、それぞれの原爆の日が終わりました。15日は終戦記念日です。世界に目を向けると今でも戦争は行われていますが、現在の日本で戦争を自分のこととして考えることができるのは、もしかすると8月のこうした日だけになってしまっているのかもしれません。言うまでもなく、戦争は人が起こすものです。自然の力には抗えないけれど、人の力に対しては人の力で向き合い、動かし、変えていくことができるはずです。6日、9日、15日のそれぞれの日にどんな姿勢で向き合うのか。それを考えることが、私たち大人の大切な役割ではないかと思っています。

今年も保育所では広島の原爆の日に合わせて“ひろしまのピカ”という絵本を読みました。内容は皆さんもよく知っていると思いますが、7歳になるみいちゃんとその家族が広島で原爆の被害にあった話です。一瞬にして街を壊し、大勢の人の命を奪う破壊力、何気ない幸せを奪い、その後何十年も後遺症に苦しめられる恐怖…。原爆の作り出す罪深さを切々と描いている絵本です。「戦争」や「原爆」の意味を理解することは、子どもたちにはまだまだ難しいかもしれません。それでも子どもたちと一緒に戦争というテーマに触れ、戦争に対する考えや、そこで生じる感情を伝えていかなければいけないと思っています。

テレビでは戦争の悲惨さを伝えるドキュメント番組などがあります。そうしたもので事実をきちんと伝えることも大切です。それだけでなく“ひろしまのピカ”や“はだしのゲン”などのように、物語として伝えることも大切です。平和をテーマにした歌を聞くこともいいでしょうし、広島の原爆ドームを訪れるのもいいかもしれません。それぞれが訴えるものを持っていますし、響き方も違います。私自身戦争体験はありませんが、それでも、戦争のもたらす大きな悲しみを次の世代に途切れることなく伝えていかなければいけないと、強く思っています。

2009年7月31日

No.105 お手伝いクッキングが始まりました

今週から「お手伝いクッキング」が始まりました。その日みんなが食べる昼ごはんの味噌汁作りを当番さんがお手伝いするというものです。ダシをとるところから始まり、野菜を切ったり味噌を入れたりと、その日の味噌汁の味は当番さんが決めていきます。今回の当番はぞう組のKくんとSちゃん、きりん組のRくんとMちゃんで、とてもおいしい味噌汁を作ってくれました。今回の担当は4人でしたが、興味を持ったきりん組のSちゃんとKちゃんは、真剣な表情でお手伝いの様子を見ていました。月に数回程度の予定ですが、ぞう・きりん組は全員体験できるよう計画しています。子どもが興味を持って食に関わる、よい体験になると思っています。

幼児教育の目的の一つに「生きる力」をつけるというものがあります。その「生きる力」とは一体何なのかを考えたとき、人生に立ち向かい、人生の難題を解いていく力、これからのサバイバル時代を生き抜く力、最終的にはそういうことになるでしょう。では「生きる力」をつけるために今何をすべきかというと、何も特別なことではなく、例えばお手伝いクッキングでするように「自分で包丁を上手に扱う」ことや、「自分で片付けや着替えができるようになる」ことや、ケンカをしたときに「自分たちで仲直りする」ことなど、生活する上で必要な一つ一つのスキルを失敗を繰り返しながらでも確実につけていくことや、他人と関わることで起こる問題を自分自身でクリアしていくことなんだろうと思っています。

大人としては子どもたちに自分で味噌汁を作らせるのは、見方を変えればリスクかもしれません。野菜を切るときに指を切ってしまったり、火を使うので火傷してしまったり、味付けもうまくいかなかったりする可能性が高いからです。でも、自立して生きていく為には、何事も失敗しながらでも自分たちでこなしていく必要があります。だから、どんどん子どもたちが自分でやる機会を用意していきます。多少ロスもあります。ハラハラもします。でも子どもはちゃんと学んで、どんどん上手になっていきます。毎日の生活の所作を通して、子どもの「生きる力」を育んでいきたいと思います。そして、そのために私たちがすべきことは「禁止」や「抑制」ではなく、子どもたちの持っている力を信じ、「許可」し「励ます」ことだと思っています。

2009年7月24日

No.104 子どもの『好き』は様々です

22日(水)の日食、皆さんはどんなことを感じられましたか?あいにく雲の多い天気でしたが、あさり保育所付近では10時過ぎに少しだけ太陽が顔を出してくれ、欠け始めた太陽をなんとか見ることができました。一瞬のことだったので全員が見ることができたわけではありませんでしたが、太陽の姿以外の様々な変化を子どもたちは感じてくれたと思っています。

欠けている太陽を見て「すごい!」と歓声をあげる子、約4℃下がった気温を感じて「ちょっと寒くなってきた」と言う子、冷たい風を感じて「ひんやりしてきた」と言う子、暗くなってきたことに気づき「なんか夕方になったみたい」と言う子、いろんな反応を見させてもらいました。おそらく子どもたちは、日食の原理なんかは分からないでしょう。でも、分からなくても、こうしたことを体験し感じることに意味があると思っています。宇宙飛行士の毛利衛さんは『皆既日食を見たこの体験が、私の今の原点になっています。もっと自然を知りたいという強い思いが芽生え、科学者になろうと決めました。そして、宇宙飛行士への道に広がっていったわけです。』と言っておられます。子どもたちにとってこの日の体験が、何かのきっかけになるかもしれません。

また、ある程度予想はしていましたが、「見えたー!」と興奮している子どもたちの横で、それが気にはなりながらも目の前の砂遊びに夢中になっていた子もいました。子どもたちの興味関心は様々だということを、あらためて教わりました。以前も似たようなことを書きましたが、子どもの「好き」は様々です。その「好き」をどのように伸ばし、どのように生かしていくかも様々です。私たちが子どもたちにすべきことは、一人ひとりの「好き」を見つけるお手伝い、それを伸ばしていくお手伝いでもあると言ってもいいと思います。全員が天文好きであったり、全員が宇宙飛行士になったりする必要はありません。それぞれの「好き」が見つかることが大事だと思っています。

明日はいよいよ夏祭りです。自然をテーマにして、「いかに自然に対して興味を抱かせるか」を考え、活動してきました。シロップ作りなど、保護者の皆さんのありがたい協力もありました。梅雨明け前の夏祭りになってしまいましたが、できることなら園舎内ではなく園庭で行いたいと思っています。今夜も天気予報から目が離せません。

2009年7月17日

No.103 2009年7月22日の日食

来週水曜日、7月22日には日本全国で日食が観測できます。残念ながら島根県で見られるのは部分日食ですが、奄美大島北部や屋久島、種子島南部などでは皆既日食も見ることができるようです。部分日食では、太陽のまわりのコロナや太陽表面から吹き出ている赤いプロミネンスなどは見ることができませんが、部分日食も十分おもしろいようです。部分日食には部分日食の楽しみ方があるようで、その一部を紹介したいと思います。

当然のことながら、日食の日は、何を置いても晴れることを期待しましょう(現在の週間天気予報では、残念ながら曇りですが・・・)。

その① トゲトゲ木漏れ日
部分日食を楽しむには、まず木漏れ日が見える所で部分日食の時の影を見ましょう。その影の中の木漏れ日が皆、三日月になるトゲトゲしさを味わう事が大切です。

その② 天変地異
ほんの少しだけ西の空に雲があると、空を動く月の影を見る事ができます。この影がぐんぐん近寄ってくる不気味さと、同時に巻き起こる大風が、ますます天変地異をかもし出してくれてワクワクしてきます。

太陽という絶対的なものがこのような状態になることを、昔の人は不思議に思ったことでしょう。また、不安にもなったでしょう。ですから当然、この日食に関しての民話や神話が残っています。日本でも有名なものにアマテラスが天岩戸に隠れて世の中が闇になるという話があり、これは日食を表したものだという解釈があります。神秘的な宇宙の出来事を、こんな話をしながら楽しみに待つというのも、子どもたちにとって素敵な経験になると思います。

22日は至る所で日食の観測が行われるようですが、保育所でもちょっとした日食観察をひそかに計画しています。午前9時40分頃から始まり、最も欠けるのが10時59分、ということです。皆さんも部分日食を楽しんでみられてはいかがですか。

2009年7月10日

No.102 天気のことから考えてみる

プールの活動が始まりました。夏祭りも近づいてきました。この時期は、いつも以上に天気が気になり、毎日何度も天気予報を見てしまいます。天気予報といえば気象予報士という職業を思い浮かべますが、この資格をとった人の話で興味深いものがありました。

まず今年の1月に13歳7か月(中学1年)で最年少気象予報士となった山崎一哉君。山崎君は、幼稚園の頃に買ってもらったお天気の漫画をきっかけにテレビの天気予報が大好きになり、最初は雲の写真や図鑑などをよく見ていたといいます。小学生の頃、家族でハワイ旅行に行く途中の飛行機の中で見ていた「雲の本」に夢中になったのが受験のきっかけで、小5の時から試験に挑戦していたそうです。彼の将来の夢は、「化学者」だそうです。気象予報士は直接職業には結びつかないようです。

そしてRAG FAIR(ラグフェア)のボーカルパーカッションとして活躍していること奥村政佳さん。10年前の高校2年生のころ最年少気象予報士として合格しています。その後、筑波大学(第一学群自然学類地球科学専攻)に入学しますが、アカペラサークルに入り、「ボーカルパーカッション」というものを世に知らしめました。このときをきっかけにして、気象予報士の道ではなく、音楽の道を歩んでいます。しかし、今でも天気図を眺めるのが好きなようです。彼のある日のブログを読むと、「ただいま新幹線。空は青空、山は緑。天気図チェック合間にブログの更新でもいたしましょう」ではじまり、その日のブログの最後は「さ、そろそろ天気図に戻りますか。」で終わっています。

人はいろいろな経験をする中で、何が好きか、何をしているときが楽しいか、それぞれ違います。また職業としてどんなことをやるのかもそれぞれ違います。好きなことが趣味になるのか職業になるのか、成長していくうえでの通過点であるのかもそれぞれ違います。今、保育所にいる様々な子どもたちを見ていると、これから先どんな職業について、どんな人生を送るのだろうかと考えてしまいます。そして、そのために今をどのように過ごさせればよいかということを考えないといけないとも思います。子どもが現在を最も良く生きることを保障するのは、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うためであり、言い換えれば、保育理念の「人生の基礎づくりのおてつだい」ということになります。

2009年7月3日

No.101 あさり保育所の保育の方向は

突然ですが、世界では今、保育・教育界は揺れ動いています。以前触れたことのある、OECD(経済協力開発機構)が行ったPISAの学力調査の結果についての対策のためです。幼児教育には2つの捉え方、学校準備型としての「就学前教育」、社会教育の出発点としての「社会教育前教育」があり、OECDは両者を検討した結果、「社会教育前教育」がこれからの子どもたちには必要だと言っています。あさり保育所でも同じ考えで保育を行っています。

あさり保育所には「人生の基礎づくりのおてつだい」という保育理念があります。そして、その理念をどのように保育の中で具体的に実践していくか、その指針となるべきものとして「保育課程」というものがあります。今後社会に出て行く子どもたちに、どんな力をつけてあげるよう保育を行えばいいか。どんな力をつけることが、生き生きと生きていくことの基礎となるのか。そんなことを書いている「保育課程」の一部をここにも書いてみます。一部ではありますが、あさり保育所の保育の方向を知ってもらうことができると思うので、ぜひ読んでみてください。

最近の大きな変化に、子どもに求められる力が変わってきたことがあります。いわゆる「学力観」の変化です。かつて、物を覚えることが学習の優先課題であり、どれだけものを覚えているかがその子の頭のよしあしを測る基準であり、覚えていることを試すのが試験でした。学力が高いということは、多くのものを覚えさせ、多くのことができるようになるということでした。しかし、機械が発達しコンピューターが出現してからは、ただ多くの知識を覚えることだけでは意味がなくなってきました。そのように、ある知識を子どもに覚えこませることから、きちんとした発達を保障することに変わってきたとき、新しい教育の創造・これから目指す保育のキーワードは、「一斉で画一的な保育・教育からの脱却」です。知識を伝達する上で、より効果的な集団、統制のとりやすい集団を、保育士が主導的に引っ張っていくというような保育から変わらなければなりません。そして今後は、子どもの主体的な活動を促す環境、子どもの自発的な活動としての遊びを保障する環境、子ども一人ひとりの特性に応じた環境をどのように創造していくのか、人との関わりをどのように作っていくのか、子ども集団で行われる「協同的な学び」をどのように意図していくかが、保育の目標になります。

2009年6月26日

No.100 まずは雨水の利用から

園庭の隅に雨水を貯める樽を設置しました。保育所の広い屋根に集まる雨はかなりの量になります。であればこれを利用しない手はないと、雨水樽の設置をたくらんだわけです。雨水は海水が蒸発して大気中にのぼり、それが冷やされて雨になって降ってきます。言わば蒸留水と同じです。そんなきれいな雨水ですが、屋根のゴミを樽に入れてしまうとさすがに汚れてしまいます。ですからトイにはフィルターを取り付け、きれいな水だけが集まるようになっています。当然飲用ではありませんが、花壇の水やりや、ちょっとした水遊びなどで活躍しそうです。

子どもたちには、いろんな形で自然に触れる環境を用意しようと思っています。以前「もったいないデー」で水の大切さについて感じてもらう取り組みを行いました。ペットボトルの約300mlの水で1日生活する、というものです。水も限られた資源ということを体験するのが目的でしたが、その意味では雨水樽も分かりやすい体験になると思います。雨がたくさん降った次の日は樽に水はたくさんあるので蛇口から勢いよく水が出てきます。でも使っていくうちに勢いは弱まり、最後には全く出なくなってしまいます。晴れの日が続いた場合も当然水は出てきません。大人にとっては当たり前のことも、子どもには当たり前ことではありません。体験を通してひとつひとつ気づいていきます。ひとつひとつが大切な学びです。

少し話は変わりますが、ドイツには「ドイツ連邦自然保護法」というものがあります。「これからの子どもたちのためにも、生き物と共存する社会を作ろう!」ということをポイントにしたものです。生活は豊かにはなったけれど、時間のゆとりがなくなり、以前なら身近に当たり前にあった自然もない暮らしが果たして人間らしい生活といえるだろうか?という疑問が起こり、この疑問が子どもたちや親たち、教師たちへ、そして連鎖反応のようにさまざまな市民層に広がり、今までの社会とは違う社会にしようというエネルギーになって生まれた法律です。私たちの今回の取り組みは“水”だけですが、そこから“土”、そして“虫や草”と広がっていき、ドイツの取り組みのような、子どもたちが今後「自然や生き物との共生」を考えるきっかけとなるような活動をしていかなければいけないと思っています。

2009年6月19日

No.99 先を見通すことと本質を見抜くこと

こんな話を聞いたことがあります。

智者が空に輝く美しい月を指した時、愚者は月を見ないで智者の指ばかりをしげしげと見つめました。そこで智者に「君、指を見るのではなく、指のさし示す方を見るのだ。ほら、あんなに美しい月が見えるじゃないか。」と言われ、愚者はやっと気がついて、その月を見ることができたという話です。

つい私たちは、先を見ないで目の前のものを見ようとします。しかし、見なければいけないのは、その先にあるものです。保育や教育は、いま目の前にいる子どもに対して将来のあるべき姿を見通して、現在をいきいきと生きるために援助しなければなりません。

私たちは子どもたちの“今”に向き合いながら、同時に子どもたちが社会に出たときのことを考えます。子どもたちが社会に出たとき、自分の力で力強く歩いていけるように、ひとつひとつ確実に段階を踏んで育っていけるようにと常に考えています。今だけを見て無理をさせたり、あれもこれも早期に成果を求めたりせず、将来の見通しをもって、発達に応じたふさわしいタイミングや方法で、子どもたちと関わっていきたいと思っています。

また、こんな例もあります。

円柱の形を人に説明をするとき、上から見ると円に見えます。真横から見ると長方形に見えます。また、斜めに切った切り口を見ると楕円に見えます。どこをどのように見たかで形が違ってしまいます。人によって、見る角度や見える部分によって判断が違ってしまいます。自分では分かったと思っても、実はほんの一部分だけの解釈であり、全体を正しく理解することはなかなか難しいものです。しかし保育や教育は、その先にあるものを見るだけでなく、本質を見抜く力も必要になってきます。

本質を見るためには一つの側面だけで判断するのではなく、また単純にそれらを合わせて判断するのではなく、それぞれは真実であるけれど、本質は全体を見て初めて分かるものだということを、常におさえておかなければいけないと思っています。子どもの全体を見て本質を捉えていくためにも、まず「子どもの存在を丸ごと信じる」ことを大切にしていきます。

2009年6月12日

No.98 0,1歳児クラスの話

あさり保育所では、0,1歳児、2歳児、3,4,5歳児の3つの大きなグループに分けて保育を行っています。2歳児、3,4,5歳児については別の機会で触れるとして、今回は0,1歳児(りす、うさぎ)について書いてみます。

4月にりす・うさぎ組の保護者には次のような説明をさせてもらっています。

『座る、這う、立つ、つたい歩き、歩行、走る、跳ぶなどの運動機能が目覚しく発達する時期です。それに伴い人や物との関わりが強まるようになってきます。りす組、うさぎ組では、そういったことを踏まえ、安定した心地良い環境作りをしていきます。同じ年に生まれた子であっても成長の過程がひとりひとり違い、個人差が大きいのがこの0,1歳児の特徴でもあります。そうした個人差が遊びや生活の場面のそれぞれで増えてきます。個々にあった生活のリズムや発達を大切にしながら、遊びや生活場面に応じて同じ活動グループにしようと、0,1歳児の連携を心がけています。』

アメリカの保育園では「インファントクラス(しゃべり始めた頃)」と「トドラークラス(歩き始めた頃)」というように、成長に応じたクラス名になっています。またドイツなどは、年齢によるクラス分けはほとんどなく、0歳から6歳までの異年齢のクラス編成が主流です。年齢によってクラスを決めるのではなく、必要な体験を必要な時期にきちんと保障することを大切にしているようです。世界の保育と日本の保育、子どもが学び育つことに対しての考え方には、ずいぶん大きな違いがあることを感じます。

個人差が特に大きいこの時期に、0歳児はこっちで1歳児はこっちと分けてしまうことは難しいことです。眠ることの多い段階では落ち着いた睡眠を、ハイハイができるようになった子にはしっかりとハイハイを、歩き回れる子にはしっかりと歩き回る活動を保障してあげるために、個々の身体的発達に合わせた環境が必要です。年齢ではなく個人差への対応を大切にすることが、先の成長には重要になってきます。年齢が上がったら、年度が変わったら次のクラスで次の活動をと捉えると、子どもたちにどこか無理をさせてしまいます。そうは言っても年度が変わることでクラスが変わるという現状はありますが、そうした中でも、一人ひとりの成長を支えていくこと、そのためのりす組とうさぎ組のつながりを大切にしていきます。

2009年6月5日

No.97 あさり保育所のヒミツ②

今回は乳児室の障子と飾りについて書きます。乳児室の窓は夕方になるとどうしても西日がきつくなり、それを防ぐためにカーテンを使っていたのですが、昨年度その窓に障子を設置しました。障子を使うことが日本では少なくなってきているようですが、外国では逆にそれがブームになっているようです。和紙も同じです。特に障子や和紙を通した光が注目されています。蛍光灯や電球のあかりや太陽の光も、障子や和紙を通すことで柔らかくなり、癒しを感じる効果があります。









また、日本の文化を見直すという意味もあります。どの国でもそうですが、長い年月をかけて、その土地の風土に合わせてつくられてきた文化があります。その文化を大切にするということは、自分がその国の、その土地の一員であることを意識することができます。その意識を所属感とも言いますが、自分は日本人で島根県に住んでいてあさり保育所の一員といったように所属感を感じることは、子どもたちの情緒の安定には欠かせないことです。自分の足元をきちんと固めることは、自発的な活動の支えになります。手ぬぐい・すだれ・反物などを環境に取り入れているのも同じ理由です。

次は飾りです。乳児室には天井からの装飾がいくつもあります。赤ちゃんが目で追えるのは風で動くくらいの速度だと言われているので、人の動きや風によってかすかに動くような装飾はこの部屋にぴったりです。そよ風、小川のせせらぎ、ろうそくの炎などの様々な自然現象の中でみられる、ランダムでも単調でもない動きのパターンは、人に快適感や癒しを与えると考えられています。人の心拍の間隔なども同じパターンだということが発見されています。このように人の気持ちに沿う速さで動く装飾は園舎全体に取り入れるようにしています。ゆったりと時が流れていくような、見ていて心が癒されるような、そんな要素を持った環境も大切にしたいと考えています。


2009年5月29日

No.96 子育て前支援のお知らせ

今週の月曜日の午前中は小学生8名が保育所に来てくれました(前日が玉江大会だったため、学校が休みだったようです)。全員が子どもたちとよく遊んでくれ、特に6年生たちはりす・うさぎ組のお手伝いを積極的にしてくれていました。何度も来てくれていることもあってか関わり方はとても慣れていて、オムツがえなどを積極的にやってくれ、そうした動きにはいつも感心させられます。このような関わりは、保育所の子どもたちだけでなく、小学生にも意味の大きなことだと考えています。

あさり保育所の子育て支援センターでは、今年度から高校生を対象に「子育て前支援」を行うことにしました。夏休みなどを利用して乳幼児との触れ合いやスタッフのお手伝いをしてもらおうというものです。この活動の趣旨を高校の先生方に理解していただくための案内に書いた内容をのせておきます。保護者の皆さんにもご理解いただき、活動の紹介をしていただけたらと思っています。

『近年、若年層の妊娠・出産が増え、初めての育児に悩んだり、子育てに対する想像と現実とのギャップに耐えることができず、育児放棄や虐待という悲しい事件が起こっています。・・・そこで近い将来、妊娠や出産を控えた高校生を対象に「育児」や「命」について一緒に考えたり、実際に育児体験をしてもらったりすることで、少しでも赤ちゃん(人間)を産み、育てることが容易なことではないことに気付いたり、反面小さい子どもといる幸せや(楽しさ)を実感してもらったり、自分自身が家族(両親)に愛され大切に育てられてきたことを感じたりしてもらえることを期待して、このような活動を考えました。』

<目的>
・将来の「出産」「育児」を想定し悩んだり困ったりした時に子育て支援センターまたは保育所など周囲に相談する場があることを知ってもらう。
・自分自身の理想とする父親像や母親像を考えたり、小さい子どもとふれあったりすることで父性や母性を高める。
・小さい子どもが自分より弱者であることに気付き、守るべき存在だということを実感してもらう。
・自分を含め一人ひとりが親に愛され、守られながら成長している尊い存在だということに気付き、一人ひとりの「命」の重さを感じてもらう。

2009年5月21日

No.95 あさり保育所のヒミツ①

あさり保育所では毎日たくさんの子どもたちが、子ども同士での生活を通して様々なことを学んでいます。それを促すのが保育所の目的でもあるので、当然環境設定や様々な活動には意味や目的があります。そのことについて、職員同士で日々議論をし、必要な部分は改善してきています。でも、その意味や目的を保護者の皆さんに十分に伝えることができているかというと、まだまだ十分ではないと思っています。そんなわけで、この場でもっと環境設定や活動の意味や目的を書いていこうと思います。今回は0,1歳児の部屋にある食事用の半円のテーブルについて、です。

このテーブルは下図のように、外側に子どもが3人、内側に大人が1人座るようになっています。離乳食が始まった頃からこのテーブルで食事をするわけですが、職員はまず子どもAに食べさせます(①)。次は子どもB(②)、子どもC(③)と移り、最後に職員が食べます(④)。それを繰り返していると、子どもAは自分が食べた後は、3人が食べるまで順番が回ってきません。食べさせてもらおうと思っても、目の前で職員が常に忙しくしているのが分かっているので、待ちきれなくなって思わず自分から手づかみで食べようと手が出ます。また、常に目の前に職員がいるため、職員の食べる様子を見て、どのように食べるのかを真似することができます。
















このように「子どもが自発的・意欲的に食べ物を手にして口に運ぶこと」を促すのを目的としたのが、この半円のテーブルです。ポイントは職員が忙しそうにしていること。「食べさせて欲しいけど、忙しそうにしている」ことを察して自分で食べようとするのが、子どもの持っている力のすごいところです。そして、自分である程度食べることができるようになれば、今度は食事の場所が変わり、もう少し大人の関わりも少なくなります。

2009年5月15日

No.94 子どものころにやっていた遊び

13日(水)にはぞう・きりん・くま組の親子遠足がありました。行きのバスの中では「保護者の皆さんは子どもの頃どんな遊びをしていましたか?」という質問に答えてもらったところ、「ゴムとび」「カンけり」「リカちゃん人形」といった懐かしい遊びもいろいろ出てきて盛り上がりました。その話を聞きながら考えたことがあるので、今回は遊びについて書いてみます。

昔の遊びには工夫がいっぱいあったように思います。学校の帰りにはよく草野球をしていたのですが、あれはまさに工夫の宝庫でした。まずどこをベースにするか?ということを、人数やレベルから調整することから始まります。さらに、人数が足りない場合は「三角ベース」になったり「透明ランナー」が登場したりします(皆さん知ってますよね?)。塁上に人を立たせると打つ人がいなくなるので、そんなときは「透明ランナー2塁!」と宣言してランナーがいることとするルールです。その他にも、小さい子がメンバーにいる場合はストライク4つでアウトになるルールにしたり、ワンバウンドで取ってもアウトにするルールにしたり、状況に応じてルールを工夫していました。そうしなければゲームが成り立たないし、面白くならなかったからです。

脳科学者の茂木健一郎さんは、草野球のような遊びとテレビゲームの違いをこんな風に言っておられます。
「テレビゲームは、ゲームのルールをコンピューターが決め、人間はそれに合わせるだけ。草野球のような遊びは、ルールを自分たちで決めなければ成り立たない。ありとあらゆる工夫が必要で、それが一番大きな違い。」

また、先週土曜日の保護者講演会でお話をしてもらった藤森平司先生は、テレビゲームについてこんな風に言っておられます。
「テレビゲーム自体が子どもに良くないのではなく、それをすることで人と人とのコミュニケーションが不足することが問題なのです。」

この2つの意見はとても大事なことを言っていると思います。今後ますます求められるようになる『問題解決能力』や『コミュニケーション能力』をどうつけていくか考える上でも、非常に重要です。最近の子どもたちの遊びを、こうした観点から考えてみることも必要だと思っています。

2009年5月1日

No.93 4月が終わりました

4月が終わりました。4月1ヶ月間の子どもたちの平日の出席率は95%でした。保育所でいろんな体験をするためには、まず元気に登所してこなければいけません。ですから保育所では子どもの健康のために食事や体力づくりも課題の1つです。様々な体験を支える子どもたちの体づくりを、皆さんと一緒に取り組んでいきたいと思っています。

ちょっと話は変わりますが、子どもの体について、滝井宏新著「教育七五三の現場から」の本の中にこんなことが紹介されています。日本の小児医療の司令塔ともいえる国立成育医療センターが2000年に医学部の学生を対象に実施したアトピー素因の調査結果です。その結果、95人の学生中85人、90%がアレルギー体質を持っているという結果が出ました。1960年代の調査ではわずか数%だったのが、70年代で25%、90年代で40%、そして、2000年にはこの結果です。この本の中では、このような状況を「最近の乳幼児でアレルギー体質でない子どもを見つけるほうが難しい。」とまで言っています。

なぜこんなにもアレルギー体質が増えたかということを成育医療センター部長はこんなことを言っています。「清潔すぎる環境や抗生物質の過剰投与によって、乳幼児期に細菌やウイルスに感染することが少なくなってしまった。その結果、アレルゲンに反応するアレルギー抗体(IgE抗体)の生産を抑えるⅠ型の発達を妨げ、アレルギー抗体の生産を促進するⅡ型が優位になってしまったというのです。抗生物質の投与などによって日本の乳幼児死亡率は世界一低くなりましたが、その代償として、子どもたちの9割がアレルギー体質になった。」

これはあくまでもまだ仮説の段階ではありますが、要するに、菌対策というあまりに清潔主義に陥り、また熱などが出た時に自らそれを下げる努力をする前に薬で下げてしまう事、ただ子どもに感染症をうつさないように神経質になることなどが、子どもの体に変調をきたしているようです。

また2月のニュースでは、「花粉症にならないための9か条」がアレルギー科学総合研究センターから発表され、その中には「小児期にはなるべく抗生物質を使わない」「適度に不衛生な環境を維持する」という項目がありました。体によくない病原菌との共生は避けたいですが、『菌との共生』は子どもにとっても大人にとっても今後大きな課題になってくると思っています。

2009年4月24日

No.92 絵本からいろいろ考えてみる

保育所にはいろんな絵本があり、それぞれの絵本が子どもにとっていろんな意味をもっています。例えば有名な『はらぺこあおむし』は、「変化に富んだ物語にハラハラドキドキできる」「希望と期待を持てる」「困難を克服する大切さを知る」「いろいろな食べ物の名前を覚える」「自然に数を覚える」「色彩が心をイキイキさせる」「1週間の曜日や1日の日のめぐりなど、社会のしくみを知ることができる」「しかけは、まだ話をよく理解できないごく幼い子どもたちでも楽しめる」といった特徴を持っているといわれています。また、絵本は子どもだけでなく大人にとっても学びの種が詰まっていると思っています。

例えば、保育所にある月刊誌の5月号「カーフェリーのたび」にはこんなことが書かれていました。
『ふねが よるも あんぜんに はしるためには みはりが たいせつです。
よるの ブリッジ(船を運転する所)は そとの けしきがよくみえるように くらくしてあります。』

一般的には灯りは周囲を照らすもの、よく見るために必要なものであるはずですが、暗いところで行く手をよく見るために灯りを消している点が非常に印象的でした。

子育てには悩みがつきものです。子育てには「これが正解」というものがない場合が多いので、どうしていいのかわからない大きな悩みにぶち当たることもあると思います。まさに“暗闇”です。そんなときに大切なことは、目先の解決を焦って、灯りをあちらこちらとかかげて見るのではなく、一度それを消して、闇の中で落ち着いて目を凝らしてみることなのかもしれません。そうすると暗闇と思っていた中に、ぼうーと光が見えてくるように、自分の心の深いところから、自分の子どもが本当に望んでいるのは何か、また、子どもを愛するとか子どもを信じるということはどういうことなのかが、だんだん見えてくるんだろうと思います。そこから少しずつ、悩みを解決していく方向が見えてくるのではないでしょうか。この絵本からそんなことを考えさせられました。

絵本から感じたことを少し大げさに書いてみましたが、たまにはこんな風に絵本を通して考えてみるのもいいかもしれません。ぜひいろんな絵本に触れてみてください。

2009年4月17日

No.91 子どもたちに人気のこま回し

3,4,5歳児が夢中になっている遊びの1つに「こま回し」があります。昨年の卒園式で頂いた記念品の1つです。こま回しはお正月の遊びと勝手に考えていたのですが、あまりにも子どもたちに受け入れられ、楽しんでいる様子に驚かされています。これが、長い年月を消え去ることなく伝承されてきた遊びという、誰もが否定できない「よさ」をもっている遊びの凄さなのでしょうか。こまが回るところを見れば、それを自分もやってみたいと思わない子どもはいないのでしょうね。

この「こま回し」、最初はこまが床に対して水平になりません。腕の出し方にコツがあります。でも何度も繰り返しているうちに「できた」という声が上がりだします。その嬉しそうな顔といったら、もう表現のしようがありません。でも、まだ回せない子たちはちょっと悔しそうです。それでも、上手に回せるようになった他の子どもたちの存在感なのか、子どもたちはできなくてもあきらめません。やればきっとできる、ということを信じているようです。こま回しをしている子どもたちの心は、回せるようになるという方向へ見事に向かっています。

こま回しを見ていて感じるのは、遊びには練習がいらないということです。遊びはいつも本番であって、こまが回るという目的に向かってヒモの巻き方とか腕の出し方とかを前もって練習したりはしません。でも、必要なことはしっかりとわかり、覚え、できるようになっていきます。学校の勉強も、こまが回ることを分かるように、本番(社会に出たとき)でどう生かされるのかを実感しながら、自発的にせっせとヒモを巻いて投げては失敗、でもまた投げてという自分の行動の修正を自分で学びとり、なぜできないのかわからなくなったらできる人から学ぶという形ができれば、子どもにとって大きな学びになるんだろうと思います。こまが回るイメージを持てないまま、こまを回せるようになりたいという意欲を持てないまま、ヒモの巻き方とか腕の出し方などの手続きを必死に覚えて、それができるようになっても活用の仕方が分からない。そんなことが、大人の世界にも子どもの世界にも意外と多い気がします。話が「こま回し」からずいぶん離れてしまいましたが、伝承遊びは子どもだけでなく社会にとっても、大切なことを教えてくれている存在なのかもしれません。

2009年4月10日

No.90 大人がモデルを示すことも大事な関わり

少し前のことですが、小中学生の自然体験や生活経験の乏しさについてのデータが新聞に掲載されていました。

『都市部、郡部あわせて三千人を超える子ども達の結果のいくつかは、次の通りです。
「日の出、日の入りを見たことがない 約50%」
「自分の身長より高い木に登ったことがない 約41%」
「わき水を飲んだことがない 約52%」
「生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない 約50%」
「自分の服を洗濯したり干したことがない 約44%」
「包丁やナイフで果実の皮をむいたことがない 約22%」
この結果から、家の中にこもり体を動かさない子どもの姿が見えてきます。自然の雄大さにも、ちょろちょろ出ている湧き水にも、そしてまた、しわしわの洗濯物が叩くことできれいになっていくことにも幼児は感動します。体験や経験から学ぶことはとても多いです。そして、体験したことを親子で話すというのが、シングルエイジ教育の基本のように思います。』

子どもたちの自然体験や生活体験の大切さは言うまでもありません。保育所でも生活体験を大事にしようと、お当番さんの活動に掃除を取り入れています。昼食後のランチルームの掃除で、イスを運んだり雑巾で床をふいたりします。雑巾を使う際の雑巾絞りは、剣道で竹刀を握るときや野球でバットを握るときと同じ握り方で、この手の動きは決して雑巾を絞るときだけに必要なのではなく、力学的に意味があることです。生活の中には子どもの発達上意味のあるものが多くあります。そして子どもの様々な体験は、決してそれ自体だけに意味があるのではなく、さまざまな生きる知恵に関係してきます。

ただ、乳幼児期では子どもにその体験をさせるというより、まず大人がモデルを示す必要があると思っています。掃除なども、子どもたちがいないところで済ませてしまうことがよくありますが、見ている前で掃除をし、キレイになっていく過程を見せることにも意味があります。そうした「見る」体験は、学校に行くようになったときに自分たちで教室を掃除するようになるためにも必要でしょう。今の時代は、『子どもと関わる』ということは、してあげたり、一緒にしたりすることだけでなく、大人がモデルを示すことも含まれると思います。

2009年4月3日

No.89 21年度がスタートしました

4月1日に新しく13名の園児を迎え、63名で新年度がスタートしました。まだ4月は始まったばかりですが、3月までの保育所の様子とは違っています。大きな子ども集団であることに変わりはありませんが、昨年度とはまた違う集団の姿を見せてくれると思います。意味の深い関わりあいを多く生み出してくれることを期待しています。

新しいスタートということで、私たちも原点に立ち返って保育を見直してみます。あさり保育所が掲げている理念は「人生の基礎づくりのおてつだい」、目標は3つ「『ひとり』を大切にする保育」「自然に生かされる保育」「保護者とともに成長する保育」です。

『ひとり』を大切にする
園便りにも書きましたが、子どもたちが保育所に通っているときから、これから先の人生に向けて力強く歩んでいくための力を確実につけていける、そんな場でなければいけないという思いを強く持っています。そのために私たちが一番にすべきことは、子ども一人ひとりの発達をきちんと保障することです。改めて言うまでもありませんが、一人ひとりはみんな違います。同じ親から生まれた子どもでも、原石の質は一人ひとり違っています。違いを認め、一人ひとりを丁寧に見て、その子に必要なことは何かをしっかり掴んで保育に当たることを、私たちの原点として再確認します。一人ひとりを大切にすることで、子どもたち一人ひとりが他と関係を持ち、他と共生していく生き方を目指せる基礎をつくっていきたいと思います。

自然に生かされる
子どもは自然から多くのことを学びます。自然環境には、子どもが思わず興味を持ち思わず遊びたくなる要素がたくさんあります。その自然と関わっていくだけでなく、どのように自然と共生していくかを考えていかなければいけません。これは大きなテーマですが、子どもたちとともに考えていきます。

保護者とともに
子育てや保育は決して楽しいことばかりではありません。悩みは尽きません。でもその中に幸せもあります。子どもの成長を感じたときなどは、涙が出そうになるくらい感動します。そんなことを感じながら、子どもだけでなく大人も成長していくんだろうと思います。大変だけど幸せなこと。そんなことを保護者の皆さんと共有できるつながりを深めていきたいと思っています。

2009年3月19日

No.87 明後日は卒園式

心理学者の河合隼雄さんの「こころの処方箋」という本に、こんな話が書かれていました。

『幼稚園の子どもで言葉がよく話せないということで、母親がその子を連れて相談に来られた。知能が別に劣っているわけでもないのに、言葉が極端におくれている。よく話を聞いてみると、その母親は、子どもを「自立」させることが大切だと思い、できる限り自分から離すようにして子どもを育てたとのことである。夜寝るときもできるだけ添寝をしないようにして、一人で寝かせるようにすると、はじめのうちは泣いていたが、だんだん泣かなくなり、一人でさっと寝にゆくようになったので、親戚の人たちからも感心されていた、というのである。

このようなとき、その子の「自立」は見せかけだけのものである。親の強さに押されて、辛抱して一人で行動しているだけで、それは本来的な自立ではなく、そのために言葉の障害などが生じてきている。このときは、そのことをよく説明して、母親が子どもの接近を許すと、今までの分を取り返すほどに甘えてきて、それを経過するなかで、言葉も急激に進歩して、普通の子たちに追いついてきたのである。』

私たちは「子どもたちをいかに自立させるか」というテーマを持って保育を行っています。保護者の皆さんも、おそらく同じような思いで子育てをしておられるのではないでしょうか。では何をもって自立したと考えるかというと、辞書では「他の助けや支配なしに自分一人の力で物事を行うこと。」

とありますが、それだけではないように思います。というのも、私たち人間は誰かに依存せずに一人で生きていくことはできないからです。自分の力で生きていくスキルを身につけるのは当然大事なことですが、依存を完全に排除するのではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し感謝することが、真の意味での「自立」といえるのではないでしょうか。

明後日21日は卒園式です。一緒に過ごした子どもたちが、これから先それぞれの生き方をしていく中で、他の人と関わることを大切にした「自立」を目指して欲しいと思います。そして、どの子も自分らしさを発揮し、自分がもっているものを他の人に貢献する力に育てていって欲しいと思います。

2009年3月13日

No.86 ぞう組と小学生の交流

今週の火曜日に、ぞう組さんが江津東小学校へ歩いて行きました。目的は2つ。1つは通学路での注意点を駐在さんから教えてもらうこと、もう1つは5年生との交流です。4月から6年生になる小学生たちが、ぞう組さんに遊びを通じていろいろなことを教えてくれました。この交流の経験が持つ意味について考えてみました。

5~6歳のぞう組さんは、保育所では0~3歳の子どもたちと触れ合うお手伝い保育を体験してきました。ところが5年生との交流では立場が逆転して、倍くらいも歳上のお兄さんやお姉さんに相手をしてもらうことになります。この立場が逆転する経験というのは、この一年間、最年長として過ごしてきたぞう組の子どもたちにとって特別でした。体育館に集まり6つのグループに分かれて自己紹介をした後、手つなぎオニやボールを使った遊びをしました。子どもたちに楽しんでもらおうと小学生がいろいろと考えてくれたようで、その思いが伝わってきました。園児への接し方をみていると、小学生たちはとても優しくていねいに対応していました。不安にさせないように、声のかけ方にも気を配っていました。園児たちも初めは緊張気味でしたが、あっという間に遊びに夢中になっていて、そんな園児たちの姿をみて、小学生たちも満足げでした。

これから小学校生活が待っている園児たちにとって、この経験は、小学校は楽しいところで、やさしいお兄さんやお姉さんがたくさんいる所だという安心感をもったことでしょう。こうした楽しかった、おもしろかったという気持ちや小学校という場所に明るいイメージをもてたことは、子どもたちを一歩前へ進めるための大前提になります。小学校の楽しい雰囲気を肌で経験することは大切です。これが小学校での生活や学びへの意欲に育つはずだからです。また小学生にとっても、最初は園児がどんなことができて、どのくらいの理解があるのか、手探り状態のスタートでしたが、触れ合っていくうちに小学生が関わり方をうまく工夫したりしていました。どうすれば相手を理解でき伝わるようになるのかという試行錯誤は、子どものうちに十分にやっておく必要があります。他人の内面を想像する共感の力を基礎として、試行錯誤を繰り返してほしいと思います。5年後には今のぞう組さんが、5年後のぞう組さんを迎えてくれるはずです。どんな姿を見せてくれるか、今から楽しみです。

2009年3月6日

No.85 木村まさ子さんの子育て

医師の鎌田實さんが著書「いいかげんがいい」の中で、SMAPの木村拓哉さんの母・木村まさ子さんの子育てについて、対談の中で感じたことを書いておられます。舞台裏ですれ違ったときの木村拓哉さんのまっとうな身のこなしやきちんとした礼儀作法に感心し、それがどのように身についていったか、鎌田さんはその子育てについて興味を持ち、まさ子さんとの対談が実現したようです。そこには「体験」することの大切さについて書かれていたので、その一部を紹介します。

『三歳でナイフを持たせてリンゴを切らせた。小学校にあがる前から、火は危ないものときちんと伝えたうえで、ガスコンロの点火の仕方を教えている。コンロが使えるようになると、一人でホットケーキをつくるようになった。ハンバーグをつくるとき、こねるのは拓哉君の仕事。餃子も彼に包ませたという。できそこないの餃子を、つくった本人の拓哉君が食べようとすると、「それ、お母さんが食べたい」と言って食べ、「おいしいね」とほめてあげる。そうか。そのときすでに、幼い拓哉君には自分が失敗した餃子を自分で責任をとって食べようとする心が育っていたんだ。その心にちゃんと気づきながら、お母さんは自分が食べたいと言って引き受ける。これって、なにげないようでじつはすごいんじゃないか。』

『お米も子どもたちにといでもらった。さりげなく、「水少ないかもね」などとアドバイスはするが、最終判断はいつも子どもたちにまかせたという。自身の経験から「いい加減」を知ることが必要だと思ったから。炊きあがったご飯に結果は出る。なんでも自分でさせる。自分ですることによって細かな感覚を覚えていく。ご飯がおいしく炊けたときの感動も、二人の息子は味わったのだろう。そうか、お米の水加減もお風呂の湯加減も、言葉では教えられない。いい加減な感覚なのだ。本では学べない大切な感覚。』

子どもたちは、自分のしたことに責任を持つことを体験から学んでいきます。生活していく力(大げさな言い方をすれば生きていく力)も、やはり体験から学んでいきます。本で学ぶのでも、大人が言って聞かせることで身につけるのでもないと思います。人や環境との主体的な関わりの中で身につける力、様々な体験を通して身につける力を、大切に育んでいきたいと思います。

2009年2月27日

No.84 お集まりでの言葉遊びの意味

朝夕のお集まりのときに、しりとりや言葉遊びをすることがあります。例えば、その日に誕生日を迎えた子の名前を書いて、そこに使われている文字を使って子どもたちが違う言葉を作ったりします(「あいやまめぐみ」なら、「あめ」とか「あみ」とか)。これは、言葉がひとつひとつの音節から成っていることを、遊びの中で気づいていくという目的があります。「いぬ」は、「い」という音節と「ぬ」という音節が合わさった2音節の言葉、といった感じです。しりとりも、終わりの音節とはじめの音節を意識するのには格好な遊びです。このような遊びを生活の中に取り入れているのは、言葉を音節に分解してそれを文字に結び付けていくことが、文字を書くようになる前にできるようにならなければいけないからです。

江津東小学校の校長先生とお話をすることがよくあり、そのたびに保育所での保育のことを話したり小学校の考え方を聞かせてもらったりしています。その中でいつも校長先生が言われるのが「後伸びする力の重要性」についてです。早くできるようになることより、後で確実に身につくようになるための基礎の力が大事だということで、これは私も同じ考えです。例えば上に書いたように、文字を書く前に言葉の音節を分解できることが必要です。また、文字を書くためには自分の思い通りに鉛筆を動かさなければいけません。そのためには十分に絵を描いたり線遊びをしたりしておくことが大切です。そして、「あ」という字を見てそれと同じ形の字を書くためには、図形を見分ける力も必要です。そのためには間違い探しをしたり、「ミッケ」や「ウォーリーを探せ」のようなイメージしたものと同じ形を探したりする絵本での体験も意味があります。算数では、「同質の仲間を識別して選び出すこと」がスタートとしてとても大事です。おもちゃを片付ける場所には「○○の場所」「△△の場所」と分けて片付けるようにしてあり、子どもたちは毎日のように仲間を選び出す体験しています。また、「大きい小さい」「多い少ない」などの様々な大小の比較も算数では大切です。食事の際に「いっぱい、すこし」「おおい、すくない」と選ぶ体験や、砂場に穴を掘って「どっちが深い?」と比べることも、そこにつながります。

長々と書いてしまいましたが、保育所では当然個人差も大事にしながら、このような「後伸びする力」をつけるための体験を大事にします。1つずつ確実に、遊びや生活の中で楽しみながら体験することを、丁寧に支えていきます。

2009年2月20日

No.83 個人差を認める、相手と自分の違いを認める

今週の水曜日と木曜日の2日間でお会いした4人の方が、偶然にも同じことを話題に出されました。それは私が最近抱えているテーマにつながることだったので、ここで書いてみます(多分まとめきれませんが)。4人が話されたことは『男の脳と女の脳の違いについて』です。以前NHKスペシャル「シリーズ女と男」で女の脳と男の脳の違いについて取り上げているのを観られた方もいると思います。女の脳と男の脳はこんなに違う!というのを実験・研究したもので、その中でこんなおもしろいものがありました。

最近アメリカでは男の子のクラスと女の子のクラスに分けて授業するという学校が増えてきたそうです。日本も昔は分かれた授業を行っていました。例えば技術家庭などは、男の子は大工、女の子は料理や裁縫といった感じに「習うこと」を分けていました。でも今アメリカが行っているのは少し違っていて、「習うこと」ではなく「習うための手段」を分けているようです。どうやったらより授業の内容が身につくかということを調査して、男の子の学び方と女の子の学び方が違うということが分かってきたからです。じっと座って話を聞いていて身につくのは女の子だそうです。男の子は床に寝転がったりゴロゴロしたりと行儀が悪い方が身につくそうです。おもしろい結果ですね。その結果から考えると、「姿勢を正して話を聞きなさい」というのは女の子の理論で、男の子の理論でいくと「そんなきちんと座らないでゴロゴロして聞きなさい」と言った方がいいのかもしれません。

かなり極端な話になりましたが、当然ゴロゴロして人に迷惑をかけるのはいけません。何が言いたいかというと、こんな風に"違う"ということは知っておかなければいけないということです。そして、男と女が必ずそんな風に違うというわけではなく、最終的には個人差です。この『個人差』が今の私のテーマです。どんな個人差があるのか、またそれに対応するにはどうすればいいか。とても大きなテーマです。74人のあさりの子どもたちは、全員違っています。その全員の"違い"をどう理解して、どう関わっていけばいいか。まずは、子ども一人ひとりを自分とは違う存在と認めて、よく見ることから始まると思っています。自分の基準で見ないことが大切です。簡単そうに思えて実は難しい「相手を自分とは違う存在と認める」ことが、保育でも大人の社会でも、とても重要なことだと思っています。

2009年2月6日

No.81 様々な立場を体験する

先週書いた移行の件ですが、今その移行が順調に進んできています。順調とはいっても課題はいろいろあるわけですが、それでも子どもたちは新しい生活の中で今までとは違った姿を見せてくれています。きりん・くま・ぱんだ組の子どもたちはこれから少しずつ新しい関係を作っていくのですが、この関係性を違う国の小学校などの取り組みから考えてみたいと思います。

オランダには「イエナプラン教育」という教育の1つのスタイルがあり、この実践が日本でも注目され、研究が行われたりもしています。このイエナプラン教育の実践からはいろいろと学ぶところも多く、機会があれば取り上げてみたいのですが、ここでは学級編成の特徴に触れてみます。オランダのイエナプラン校の学級編成は、マルチエイジグループが基本です。通常3つの年齢のグループ(4-6歳児グループ、6-9歳児グループ、9-12歳児グループ)から構成されます。子どもたちは、3年間を同じ教室の同じグループリーダーの下で年少・年中・年長の三つの立場を経験しながらすごし、それを繰り返しながら小学校を卒業するわけです。つまり、一人の子どもは、低学年グループの年少・年中・年長を経て、中学年グループの年少・年中・年長を経て、再び高学年グループの年少・年中・年長を経験することができます。こうすることによって年齢差による立場の違いを体験できます。様々な立場を経験することで自分を見つめるようになります。これをイエナプラン教育では、将来社会に出たときに相手の立場を理解して行動するための準備、と考えています。

子どもだけでなく私たち大人も、自分の立場があります。この立場を超えて相手を理解するのは実に難しいことだと感じています。日常の中で起こるトラブルは、立場の違いによる考え方のぶつかり合いによるものがほとんどといってもいいのではないかと思っています。お互いの立場を理解するためには共感する力が必要です。そして、愛したり、反省したり、感謝したりすることは共感する力がないとできません。またそれが相手のよさを見出す力の源泉であり、相手を信頼する力になっていきます。今の世の中、この共感する力が薄れてきているのではないかと、私は感じています。話が大きくなりましたが、きりん・くま・ぱんだ組の新しい関係を通しての様々な立場の体験が、相手の立場を理解する大切な力の基礎になって欲しい、そんなことを思いながら子どもたちの関わりを見ています。

2009年1月30日

No.80 りす組とうさぎ組の話から『移行』について考える

2月の園便りで「移行」のことについて書きました。例としてぱんだ組とぞう組を挙げたのですが、ここではりす組とうさぎ組を取り上げてみます。あさり保育所の0歳児と1歳児は、それぞれの子どもの発達の連続性を保障した空間で生活するようにしています。どういうことかと言うと、りす組はこっちの部屋、うさぎ組はこっちの部屋と分けるのではなく、例えば「寝返りから伝い歩き・歩き出してからの静的遊び」はりす組の部屋、「歩き出してからの動的遊び」はうさぎ組の部屋、といった感じです。何ヶ月になったからこうと月齢によって判断するのではなく、一人ひとりの発達段階で判断するということです。これも「移行」と考えています。

りす組とうさぎ組の連携(移行)は、毎年工夫しなければいけないところです。月齢が大きくなってきたりす組の子どもたちは、だんだんとうさぎ組の子どもたちと一緒に生活した方が発達段階に合っているという場面が増えていきます。それだけ著しく成長する時期でもあり、成長の個人差も大きい時期でもあります。そんな特徴のあるりす組とうさぎ組ですから、1年を通して子どもの活動スペースを変えていく(移行していく)話し合いが行われています。

最近K保育士からおもしろい話を聞きました。こんな内容です。
「私が『絵本を読むから見たい人はうさぎ組の部屋に集まってね~』とうさぎ組の子どもたちに声をかけると、活動が活発になってきたりす組の子どもも一緒に集まってくるようになりました。今までは『りす組の○○ちゃんはこれができるようになったから、そろそろうさぎ組さんと一緒に活動するようにしよう』と保育士が決めていたけど、子どもたちは自分で次の段階に移る時期を判断しているのかもしれません。だとすると、私たちはそれを待って対応してあげればいいのかもしれないですね。」

年度替わりに向けた移行のように、どちらかというと大人が主導で時期を決めていくものもあれば、この話のように子どもが自ら次の段階に動き出して移行の時期を知らせてくれることもあると知らされました。子どもは大人に依存しないと何もできない白紙のような存在ではなく、自ら「育つ力」を持って生まれてきていると私は思っています。子どもが持っている力を信じて向き合うことは、どの年齢でも大切なことだとあらためて教わった気がします。

2009年1月23日

No.79 後で伸びる力を大切にしたい

室内環境のことですが、遊びのゾーンを示す表示板に漢字を使うことにしました。「積み木ゾーン」「製作ゾーン」「絵本ゾーン」などです。ふりがなは当然ついています。これは子どもたちに漢字を覚えてもらおうというものではありません。漢字の持つ特徴を考えたとき、室内の表示の1つとして、漢字と触れ合うことがあってもいいのではないかという考えです。

漢字は象形文字の1つで、ものの形をかたどって描かれた文字です。ついでに言えば、カタカナはその漢字の一部を抜き出したもの、ひらがなは漢字の草書体から作ったものです。覚えていく順序は別として、字として何を表しているかは、もしかすると漢字の方が分かりやすいこともあるかもしれません。



  ⇒ 木 

 ⇒ 羊  

 ⇒ 鳥



話は少し変わって、保育所や幼稚園は幼児教育の場とされていますが、私たちは「早期教育」や「就学後教育の先取り」ではなく、『就学前教育』を大切にしています。例えば文字を書くということを考えると、その入り口は「線遊び」です。まっすぐな線、ゆらゆら線、ぐるぐる巻き、点々。自分の手を動かし思った通りに線をひけることが、文字を書くためには必要です。文字が書けるようになることより、遊びや生活の中でこうした力を確実につけていくことが、まずは大切です。

昨年の卒園式で卒園児にこんなことを話しました。
「小学校に行くと、いろいろな勉強が始まります。でも心配はいりません。たとえば国語という授業では字を習います。しかし、皆さんはいっぱい絵を描いたり、線を書いたりして遊んだと思います。ぐるぐると線を描くと、それが「の」という字になったり、「し」という字になったりします。それが字を書くということです。また、算数という勉強があります。みんなは毎日ごはんを食べるときに「いっぱい、すこし」とか「おおい、すくない」とか「1個、2個」とか、そんなことを言って、ごはんやおかずを盛り付けてもらっていました。それが算数です。保育所でやっていたことが、学校ではとても役に立ちます。」

学校で習うことを先にやることが役に立つのではなく、後で伸びる力をつけてあげることのほうが重要ですね。

2009年1月16日

No.78 『もったいないデー』の意味

来週の話ですが、ぞう・きりん・くま組を対象に、「もったいないデー」という日を設けて環境について考えることになりました。どのようなことをするかというと、生活の中で使える水の量を制限して水の大切さを考えようというものです。生活に使うすべての水というわけにはいかないので、ペットボトルに約300mlの水を一人ずつに用意し、その水でその日のうがいと歯磨きをしてもらいます。

今の生活の中では、水はあって当たり前のものとして存在しています。でも水も貴重な資源の1つで、いつでもどこでも好きなだけ使えるものではありません。そんな水の存在を考えるために、無限にある(と思われている)ものを一時的に有限にすることで、大切さを感じてもらおうというのがねらいです。これは、毎年1年間のテーマを決めて話し合いを行っているプロジェクト活動(社会福祉法人花の村全体の取り組みです)の1つ、「子どもと自然の関わり方プロジェクト」からの提案によるものです。

以前も書きましたが、環境を守るとか、ごみを捨てないといった道徳や倫理観は、決して言われたり罰せられたりするからやるものでもなく、覚えこまされるものでもなく、そのものへの愛着とか、そのものが自分にとってどういう意味があるかという認識とか、それらと楽しく過ごした経験などから生まれてくるものだと思います。知識としてではなく、『体験』することが必要です。たった一日の体験だとしても、日常のどこかでふと思い返すことがきっとあるでしょう。「水を大事に使わなければ」と、そのときの記憶が行動に変わっていくことを願います。

私たち大人も体験から多くのことを学んできました。手を切るような冬の水の冷たさの体験から、蛇口からお湯が出て来ることのありがたさを感じてきました。凍えるような寒さの体験から、暖房のある生活のありがたさを感じてきました。そうした体験が、環境を大切にしようという思いにもつながります。私たちはそんな大切な体験を、今度は子どもたちに受け継いでいかなければなりません。子どもの持つ「体験から学ぶ力」を信じ、様々な葛藤の体験を生活や遊びの中に用意することも、私たち大人の大切な役目です。

2009年1月9日

No.77 お正月遊びの意味を考える

2009年最初の「ひとりごと」です。今回はお正月の遊び(伝承遊び)の話です。今子どもたちは保育所で様々なお正月遊びを楽しんでいます。お正月遊び・伝承遊びといわれるものには、カルタ・すごろく・こま・凧あげ・羽根つきなど、いろんなものがありますが、これらの遊びの持つ意味を自分勝手に解釈して書いてみます。

まずはカルタについて。カルタは少なくとも読み手1人と取り手が最低2人、みんなで3人以上がいないと遊べません。遊びながら他の子どもとの関わることによって、他者への理解、社会的ルールなどが身についていき、社会性が養われていく、そんな遊びです。またカルタの取り札は、読み札の文章の一番頭の音が絵とともに書かれています。日本のひらがなは一音に一文字を当てはめるので、まず単語を音節に分解することが必要になります。カルタは、文章の最初の音節が書かれている札を取る遊びです。この遊びはこの先子どもたちが文字を習い始めたときの基本の練習になります。「しりとり」も同じですね。

次にすごろくについて。全体の進行は、ふりだしから上がりまでが一つのストーリーになっているものが多く、途中で一休みがあったり、戻ったり、いくつも進んだり、抜きつ抜かれつのシーソーゲームの要素があり、その経過から人生を学べるようになっていると言ってもいいかもしれません。また、すごろくで使うさいころは、「ドット」(黒い●)の数で数の量を表わしています。それを1対1対応(ここではさいころの●の数とこまの進むマスの数を対応させること)で数えて、こまを進めていきます。数を理解する上でこの1対1対応を数多く体験することは、とても大切なことです。

全部は書けなくなりましたが、その他の遊びもとてもシンプルな物が多く、しかも遊びの技術が次第に高度に発展していくものが多いので、同じ遊びを長く続けていても飽きることなくチャレンジする楽しみがあります。さらに、伝承遊びは長いあいだ子どもの世界で受け入れられて来たために、子どもの興味関心や発達にマッチしたものであり、また危険性などについても長い間の実証があるので安心です。子どもたちが熱中できるこれらの遊びを、お正月遊びとしてだけでなく伝承遊びとして取り入れ、大切にしていきたいと思っています。