2011年12月31日

ありがとうございました

今年最後の日になりました。
今年もいろんな人に力を貸してもらいながらやってこれた1年でした。
多分来年はもっといろんな人に助けてもらうことになるでしょうね。
決して楽をしようと考えているわけではなく、
保育というものがそうやって成り立つものだと思うからです。
世の中の仕組みも同じで
他者と助け合いながら進んでいくシステムなんでしょう。

さて、
来年もあさり保育所ではいろんな取り組みを行っていきます。
実現できるかどうかは今の段階ではまだわかりませんが、
水を使った遊び場とか、石の遊び場とか、
cafeとか、情報収集&発信の場作りとか、
とにかくいろんな場づくりを考えています。
子どもたちが関わり合う場はもちろん、
保護者や地域の方、それ以外のいろんな立場の人が
関わることのできる場です。
子どもたちにとっての大事な社会として、
もっと多くの人が自発的に関わることのできる場になるように、
思い描いているものを少しずつ形にしていきます。

というわけで、
来年もいろいろと変化し続けることになると思います。
子どもたち一人ひとりが確実に力をつけていく
そのために必要なことは迷わず実行していきます。
それを“関わる人全て”と楽しむことができればいいなあ。

今年1年、ありがとうございました。

2011年12月23日

子どもの食事のあり方③

おむすび通信に食事に対しての思いを書かせてもらっている3回目の文章、これが最後です。ほんとにくどくどとわかりにくい文章だなあと思いますが、どうやらこれが限界のようです。今回も修正が入ると思いますが、せっかくなのでここに全文を。


保育所の仕事に関わるようになって不思議に思っていることの1つに、子どもたちが集団で食事をとることの意味についてあまり語られないことがあります。保育所の食事について、栄養指導、料理活動、栽培活動などが取り上げられることは多いのですが、どんな環境で誰と食べるかについては意外と少なかったりします。「子どもの食事のあり方」ということで書かせてもらっていますが、そのことについて考えるとき、やはりどんな環境で誰と食べるかについても大事にしたいと思っています。

人間は昔から集団で食物を分け合いながら食べていました。もちろん旅先とか単身で生活している場合は1人で食べるケースもありますが、他者とともに食事をとる「共食」というスタイルが基本です。まず他者がいること、つまり自分とは違う嗜好の人の食事の様子も見ながら食べること、そして楽しく食べること、嫌々食べるのではなく会話を交わしながら食べたり、気の合う友だちと一緒に食べるといったことは、食を考えるうえで大事にしたいことです。

保育所にはいろんな発達段階の子どもがいます。そのいろんな発達段階の子どもが様々にかかわり合いながら食事をしています。0歳児が保育者に食べさせてもらっているところを5歳児がじーっと見ていたり、0,1歳児同士でもスプーンで上手に食べることができるようになった子を見ながら自分もスプーンで食べることに挑戦してみたり、5歳児が食べる様子を見ながら2歳児が食事のルールを覚えていったり、自分の苦手なものを美味しそうに食べる子の様子を見て食べてみようという気持ちが起こったり。子どもたちは食事において「他者を見る」という関わりから様々なことを学びます。そして食事のルールだけでなく、他者理解や社会的ルールを学ぶ機会があふれていると思っています。特に食の基本が形成される乳児期に、いろんな発達過程が見える関係の中で食事をすることによって、食の自立、スプーンなどの道具の使用の発達、社会認知的発達においてとても重要だと考えています。

また、言うまでもないですが、現在問題視されている好きな時間に一人で食べる「孤食」、一緒にいてもみんな別々のものを食べる「個食」、決まったものしか食べない「固食」というようなことは、集団で食事をとる性格上、よほどのことがなければありません。これもすごく重要な点だと思っています。

子どもたちが保育所でとる食事は1日3食のうちの1食です。「その1食の食事がどうあるべきかを考えることも大事だけど、家庭で食べる2/3の方がはるかに大事なんじゃないか?」という意見を聞くことがあります。確かに食べる回数を考えても、ましてや家族と食べる意味を考えても、そこを軽視することはできません。でも、例え1日のうちの1/3であっても、そこには私たちの思いを目一杯込めることができます。もちろん食事については家族の方と一緒に考えたいことですが、保育所で食事をとることの良さを十分に考え、その良さをしっかりと生かせるようにしたいと思っています。

幕内先生と出会えたことで、子どもの食事において何を軸にすべきかを考えるきっかけをいただきました。ごはんを中心とした食事を大事にし、保育所ならではの環境を生かしながら、子どもたちを支えていきたいと思います。

2011年12月22日

No.225 2011年の終わりに

来週になるとお休みに入られる方が増えると思いますので、今年のひとりごとは今週で最後にします。毎年のことですが、年末になるとなんとなく1年を振り返ってみたくなります。そんなことを勝手に考えてしまう時期があることはいいことだなあとあらためて思います。

今年はいろんなことがありました。今までなんとなくしか考えてこなかったことを、真剣に見つめ直す年でした。例えば震災を機に「つながり」の大切さについて考え、一つのテーマとしていろんな活動を行ってきたわけですが、これがどのように子どもたちの中に消化されたのかは、正直わかりません。「子どもたちが何を得たかはちゃんとわかってます!」と言った方がいいのかもしれませんが、そんな簡単にわかってしまうものじゃあないだろうというのが本音です。ただ、「つながり」について考え、「つながり」について話し、「つながり」に触れる1年であったことは、そんな1年であったことは意味があったと「信じて」います。もちろんこれで終わりではありません。人にとって「つながる」とか「むすぶ」といったことがどれだけ大事なことか、あさり保育所の生活の中にそれを自然と感じられる場を当たり前のように取り入れていきたいと思っています。

そして、何度も何度も書いていますが、夏には「もくもくの日」がスタートしました。今までとは少し違う形で浅利町の自然の中に身を置き、その中で子どもたちの力をどう引き出すかを考えるいいきっかけになった活動です。保育所内ではなかなか見ることのできない子ども同士の関わりが生まれています。この活動はまだ始まったばかり。保育者は「子どもたちにとって少しでも学びの多い活動にするためにはどうすればいいか?」話し合いを続けています。子どもたちの学びがもっと深くなる活動になっていくだろうと思います。この活動に関心をもち、意義を理解し、協力していただいていることに感謝します。

それ以外にも新しい課題がたくさん生まれています。先週も書いた「文字・数・科学」について。「0歳から始まる子ども同士の関わり」について。そんなことがテーマとして出てきています。テーマとして掲げているだけでなく、少しずつでも保護者のみなさんと共有できるようにしていきます。そんなことで今年は最後にしておきます。来年もよろしくお願いします。

2011年12月21日

「食ってすごい力を持ってるんやと思う」

こんなことも全部ひっくるめて食。
栄養だけじゃない。


「食ってすごい力を持ってるんやと思う」




よしととひうた

今日のお昼のできごと。
益田でライブを終えたよしととひうたが遊びに来てくれました。
突然の訪問だったのでみんな大喜びです。














なんと新しくできた絵本「あらいけのしょくたく」をプレゼントしてくれました。


















ザンパンダーが登場する、あのお話です。


















素敵なポストカードもいただきました。



















11月に放送された「キズナのチカラ」という番組で
取り上げられたよしととひうた。
放送後は全国各地からたくさんの講演依頼が来ているらしいです。
また来年もよしととひうたのライブを計画しようかな。






2011年12月18日

父の想い

2006年度の公共広告機構の作品。
久しぶりに見ました。
久しぶりだったけど、いろいろ考えさせられますね。

父親はいるが、お父さんはいない時代と言われている。
私たちは、父親からお父さんに戻れと訴える。
父親になると、なぜ話をしなくなるのだろうか。
最初からそうだったわけではない。
この世に生まれておいでと、
10か月間心の中で子供に話しかけながら待ったのがお父さんだ。
子供の最初の一言を待った。最初の一歩を待った。
そのお父さんが、いつからか話をしなくなった。
子供には、無口な父親より対話をしてくれるお父さんが必要だ。
私たちは言う。
子供があなたの言葉を待っていると。あなたの一言を。



くにびきマラソン

来年の2月11日、出雲で行われるくにびきマラソンにエントリーしました。
出場者は園長とB保育士、そしてさくら保育所のM保育士です。
種目はハーフマラソン、それぞれの目標タイムは
園長:1時間50分
B保育士:1時間54分
M保育士:1時間55分

どんな結果になるか、お楽しみに。

2011年12月16日

No.224 数や文字について

以前から少し書いていることですが、数とか文字についてあらためて整理してみようと考えています。数とか文字というと、どうしても就学前教育とか早期教育と捉えてしまいがちなのですが、そうではなくて、乳幼児がどのように数を習得しているかとか、それぞれの発達の過程においてどのようなモデル(生活の中で数を使っているモデル)が必要なのかとか、そのためにどんな環境を用意すればよいかといったことを考えていきたいわけです。

何故こんなことを考えているかというと、これも以前書いたことですが、例えば子どもたちは散歩の中で「この葉っぱ赤くなってる!」「こっちにもっと大きな松ぼっくりがあるよ」「こっちの木の方がたくさん実がついてるよ」「黄色い葉っぱは上が二つに分かれているけど、赤い葉っぱはいっぱい分かれていて、手みたいだ!」など、楽しそうに会話をしながら歩いています。子どもたちは、色や形の違いを知り、多い少ない、切れ込みの数を知っていきます。この会話の中には、色、形、数などが当然含まれています。

世界で最初に幼稚園を創ったフレーベルという人は「子どもは自分で感じたことや内面的なものを、外に表現しようとする力をもっている」と言っています。子どもたちは見たことや感じたことを自由に表現したいという欲求をもっているというわけです。では自由に表現するためには何が必要かというと、まずは遊びの中で興味をもったものを正しく理解することです。身のまわりのものの色や形に興味を持ち、それらの違いがあることに気づくことが大切になってきます。それと同じように、数や文字にも興味を持ち、違いに気づく大切です。そして色・形・数・文字などを理解できるようになることで、分けたり集めたりと、それを生かした体験ができるようになります。そうやって生活の中で様々に生かされていくというわけなんですね。そしてそれが結果的にその先の「さんすう」や「こくご」に結びついていくのです。

色や形だとそうは思わないけど、数や文字となるとどうも私たちは早期教育と思ってしまいがちです。でもそうではなく、遊びの中で葉っぱの形の違いを知っていくように、また、町の中やテレビ、様々な情報から文字の違いを知っていくように、子どもにとって数や文字は生活の中の一部だということです。と、ここまで書いていて本当にややこしくてわかりにくい話だとつくづく思いますが、とにかくじっくり整理していこうと思います。

2011年12月8日

No.223 楽しいと感じること、楽しむこと

お知らせしていたように、6日(火)には50名近くの方があさり保育所を見学に来られました。お集まりの様子や遊びの様子、そして食事の様子など、子どもたちが活動している姿をじっくりと見ていただきました。見学者からは「子どもたちが生き生きと活動している」「子ども同士が関わりながら楽しそうに積極的に活動している」といった、うれしい言葉をたくさん聞かせてもらいました。そして、手前味噌ではありますが、「保育者がとても楽しそうに保育をしている」という言葉もいただきました。前回も書きましたが、この楽しさは意欲的な活動の原点でもありますし、子どもたちが保育所で楽しく生活するためには、子どもたちに関わる保育者も楽しく保育を行うべきだと思っているので、この言葉もうれしかったですね。

保護者講演会に来られた藤森平司氏はよくこんなことを言われます。
『子どもたちは日常の園での生活と遊びのなかから自ら発達していくもので、大人が「させよう」「教え込もう」ということからは発達というものはしていかないのです。また、自ら発達していくためには、生活や遊びに対して興味・関心を持ち、自ら働きかけていかなければ始まりません。子どもたちが興味・関心を持つのは、もちろんそのことが楽しいからです。楽しいと感じるからこそそのことに取り組もうとしますし、いろいろな働きかけをしようとするのです。』

私たちが最も大切にしなければいけないことは、子ども一人ひとりの発達をきちんと保障することです。そのためには子どもたちが「楽しい」と感じられる活動や環境を用意する必要があります。子どもが様々なものに楽しさを感じて自発的に環境に働きかけることができるように、保育者は楽しみながら保育の活動や環境を考える。そしてそれだけではなく、保護者の皆さんも子どもの成長を感じながら楽しく子育てをしていく。そんな風に、子どもと子どもを取り巻く大人が楽しさを感じることができればいいなあというのが私の思いです。

保育には絶対の正解なんてありません。いろんな取り組みを考えては実践し、そして子どもの姿を見て改善する。その繰り返しだと思っています。なので、今後もいろいろ新しい取り組みが登場すると思います。どんな保育が展開されていくか、楽しみにしておいてください。

2011年12月2日

No.222 笑顔ってやっぱりいいなあ

発表会が終わりました。それぞれの子がそれぞれの場面で自分を表現している姿を見ていて、「この場でこんなことも披露できるようになったんだ」とか「友だちとこんなやりとりもできるようになってすごい!」といった、うれしい発見もたくさんありました。発表会のことを全部挙げるわけにはいかないので、ここでは最後の3,4,5歳児の歌のことについて書いてみます。

「手のひらを太陽に」「こどもがいっぱいわらってる」の2曲を歌ったわけですが、特に印象に残ったのは後者の歌です。「ワッハッハ イッヒッヒ エッヘッヘホ」と大きな声で笑いを表現する歌なんですが、みんながみんな違った笑顔を見せてくれていたんですよね。歌に合わせて笑っているのか本当に笑ってるのかわからないくらい楽しそうな笑顔を見せてくれていた子。歌っているうちに楽しくなったのか、隣の子と笑い合っていた子。周りにいる友だちの表情を、笑顔のままでぐるーっと見まわしていた子。様々な笑顔がありました。そんな子どもたちの様子を見ていて、ありきたりの感想ではあるけど、笑顔ってやっぱりいいなあと思わされました。

どんな時でも笑顔でいた方がいい、なんて言うつもりはありません。怒ったり悲しんだりといった感情も当然大事で、それを表現するいろんな表情もそれぞれに大事です。でも、やっぱり笑顔はいいと思うんですよね。皆さんも同じ思いだったんじゃないかなあと思っています。笑うことや楽しむこと、そうしたことを控えるべきではないかという空気が何となく漂っていた時期を経験したからこそ、余計に大事にしたいと今強く感じています。子どもたちだけでなく私たちも、目の前のことに精一杯取り組むとき、原動力になるのは笑顔だったり楽しさだったりします。一人ひとりが笑顔や楽しさを大事にして目の前のことに取り組むことが、結果的に大きなつながりになっていくんじゃないでしょうか。そんなことを考えながら、子どもたちの歌を聞かせてもらいました。

話は変わって、火曜日には保護者のTさんが畑でとれた野菜だけで美味しいスープを作ってくれました。いろんな職業があり、いろんな特技をもった人がいることを子どもたちに感じてもらう活動でもあります。子どもたちに仕事や特技を見せてくれる方、まだまだ募集しています。例えばコマとかけん玉などの伝統的な遊びが得意な方とか…。子どもたちと一緒に楽しんでみませんか?

2011年11月25日

No.221 発表会についていろいろと

手段と目的の難しさって、いろんなところに存在しています。手段であることを目的と捉えてしまうと本来の目的が果たせなくなってしまう、ということってよくありますよね。この手段と目的について、保護者講演会に来ていただいた藤森平司氏はこんなことを言っておられます。

『わたしたちは、みんながはさみを使って製作をしているときに、まだうまくはさみを使えない子どもがいれば、その子のところへ行って使い方を教えます。それは、その子がはさみを上手に使えるようになることが目的だからではなく、製作すること自体をもっと楽しんだり、より思ったものが製作できるようにするためです。みんなと同じようにはさみが使えるようになるまでは、はさみの練習だけをさせていれば、その子の創作意欲はなくなってしまいます。はさみを自在に使うということは、単なる「手段」であって、そのこと自体が「目的」ではありません。』

明日はいよいよ発表会。発表会の目的には普段の保育を深めるということがあります。言葉や表現が発表会という行事を通して更に深まっていってほしいという思いです。発表会自体が一番の目的というよりも、この行事を通して言葉を使ったやりとりや自分の思いを表現することの楽しさを感じてもらいたいと思っています。大勢の方に見られるという特殊な場でもあるので一人ひとりがいろんな感情を抱くことになるとは思いますが、それでもトータルとしては「楽しさ」を感じることができ、そしてその「楽しさ」が今後の生活につながっていけばと思っています。発表会後の子どもたちの姿を楽しみにしています。

楽しみと言えば、今年も役員さんによる出し物が行われます。明日の本番に向けて重ねてきた練習が昨日で終わりました。うれしいのは、保育所のテーマを踏まえてどんな内容にするか考えてくれていることです。今年は夏祭りでもそうですが、「つながり」ということをテーマにも掲げています。そのテーマを、ことあるごとに確認してくれていたんです。「テーマはつながりだから…」とか、「こういう演出にすればよりつながりが意識できるんじゃないか」とか、役員さんの会話のなかに「つながり」という言葉が本当にたくさん出てきていました。子どもたちに「つながり」の大切さを伝えたい、そのために大人がまずそれを示していきたいという思いでスタートしたわけですが、それをこんな形で「つないで」くれています。そんな役員さんの出し物もお楽しみに。

2011年11月21日

制約

社会福祉法人花の村あさり保育所は
島根県江津市浅利町336-4にあります。
ちょっと隣の町へ移動したいと思っても、
もちろんすぐにそんなことはできません。

対象としている子どもは6歳まで。
しかも直接関わることができるのは
あさり保育所を選んでくれて、
そして市役所で入所を認められた子どもだけ。

これ以外にもまだまだたくさんあるけれど、
こんな風にいろんな制約があるわけです。
制約があることであきらめないといけないことがあったり、
悔しい思いをしたことも少なくはありません。

じゃあその制約を取り払えばいいじゃないか
その様な意味のことを言われたこともありました。
確かに制約を少なくしていけば
悔しい思いをしなくても済むのかもしれません。
でも、それではうまくいかないだろうなあと思っています。

制約のせいでうまくいかないと思っているうちは
多分どんなことをしてもうまくいかないでしょう。
悔しい思いをしたり、あきらめたりしないといけないのは、
だいだいが制約が原因ではないんですよねえ。

そもそも制約がない状態なんてあるはずがないんです。
だとすれば、
制約がある中でやるべきことをどう進めていくか、
制約がある中で自分の思いをどう表現していくか、
結局はそれしかないんだと思います。

うまくいかないことを制約のせいにするか、
それともまだまだすべきことができていないからと考えるか。
どちらの姿勢でいくべきか、よくわかってるんですけどねえ。
わかってるんだけど、つい何かのせいにしてしまいたくなります。
だから、自分の思いを整理するために、
こんなことを書いています。

あさり保育所にはすべきことがまだまだたくさんあります。
それらをひとつひとつ、確実に、です。

2011年11月18日

No.220 つながりについて(できるだけシンプルに)

突然ですが、「つながり」について改めて考えてみました。と、こんな書き方から始まるときは大体話がややこしく、わかりにくくなっていくんですよね。ここで文章を書いて保護者のみなさんに届けているのは、みなさんにあさり保育所の思いを伝えたいからです。伝えて理解してもらおうと思えば、やはり内容はシンプルでわかりやすくないといけないはずです。ということで、今回はわかりやすいかどうかはちょっと置いといて、できるだけシンプルに書いてみることにします。テーマは「つながり」について。

8ヶ月ほど前に大きな地震とともに大きな津波が東北地方を襲い、大変な被害が出ました。私の生活に直接の被害があったわけではないのですが、とても無関係とは思えない出来事でした。それまでは自分とは特別に関係もなく、特に想像することもなかった東北の方々に対して、その気持ちを想像してみるということが明らかに増えてきたんです。

今まで「つながり」というと、何となく直接的な関わり、例えば1つのことを協力しておこなったり一緒に遊んだりといったものを思い浮かべていました。決してそれだけではなかったのですが、それが中心でした。でも、自分とは全く違う方向を向いて全く違うことをしている、しかもその姿を見ることができないような人とも実は私たちは影響し合ってるんじゃないか、それが「つながり」なんだろうと思うようになりました。

子どもたちも同じだったりするんですよね。一緒に遊んだり作業したりすることだけが関わりなんじゃなくて、友だちの行動を見ているだけとか話しているのを何となく聞いているだけとか、もっと言うと同じ場にいるだけでもお互いに影響し合ってるんですよね。友だちの行動に刺激を受けて意欲が湧いてきたり、話している言葉を聞くことで言葉を増やしていったり、自分だけではコントロールの難しい感情が場の雰囲気のおかげでコントロールできたり。そんな関わり・つながりも子どもたちの成長には欠かせないように思います。そんな日々の生活の中でのつながりや、つながりによって成長した姿を、発表会という行事を通して感じてもらいたいと思っています。様々なつながりによって子どもたちがどんな風に成長しているか、来週を楽しみにしていてください。

ほら、やっぱりややこしく、わかりにくい話になってしまいました。

2011年11月11日

No.219 頼んだり、頼まれたり

あさり保育所で大切にしていることの1つに「子ども同士の関わり」があります。家庭や地域に子ども集団が少なくなった今の時代だからこそ、子ども集団を持っている保育所ではその関わりを大事にし、できるだけ多く生まれるようにしなければという思いです。子ども同士の関わりというと一緒に何かをして遊んでいることが浮かんできますが、当然それ以外にも関わりはたくさんあるわけです。そのたくさんの中で大事にしていきたいと思っている関わりに、「誰かにものを頼む」関わりがあります。頼む相手は保育者だったり子どもだったりいろいろですが、保育者が頼まれたときでもできるだけ子ども同士で助け合えるように促しています。

この関わりは0、1歳児にも当然あります。例えば食事のとき、自分の席にはエプロンが置いてあってテーブルに来たらそれを自分でつけていくのですが、当然自分ではまだできない子もいます。しばらくは自分でつけようとするのですが、なかなか上手くいかず、保育者に「やって!」と差し出してきます。そうすると保育者はそれをできる子がやってくれるような関わりへと促すわけです。そのために、その関わりがスムーズに行われるように、自分でできる子とできない子が同じテーブルに座るような組み合わせになっています。

不得意なことは誰にでもあります。当たり前ですよね。だからこそ、その子が得意な子に頼むことで関わりを広げていくことが大事なんです。そしてそれは自分や友だちのことを理解することにつながっていくわけです。もう少し具体的に言うと、得意な人に頼むには「誰が何を得意なのか」を知らないといけないし、頼み方も知らないといけません。人間関係もそれなりに良好にしておかないといけないし、その前に自分がどこまでできて、どこからできないかといった自分の能力を知らないといけません。

そして保育者も個人の能力や人間関係などをふまえて「ごめんね、先生も分からないんだ。誰か得意な子に頼んでみて」「誰か得意な子いないかなぁ?」「これはあの子が得意だよ」「あ〜、ダメだったかぁ。じゃあ一緒にやろうか」など、どこまで関わるかのレベルを調整し、言葉がけを工夫することを大事にしています。そして同じように、助けてくれた子に対して「ありがとう。○○くん喜んでたよ」「○○ちゃんがいてくれてよかったぁ」など感謝されていることを伝えたり、頼んできた子に対しては「いい友だちがいてよかったね」「今度は○○くんが助けてあげるんだよ」など、今後につなげるための言葉がけも大切にしています。大人の意識次第で子ども同士の関わりはまだまだ増えそうです。

2011年11月6日

cafeの話

いきなりですが、保育園にcafeを作りたいなあと考えてます。そのcafeのコンセプトは「縁側」。縁側って内側でもあり外側でもあり、内と外を有機的に結びつける場所。地域と触れ合う場所。昔はどこにでもあったんだよなあ。地域の人とか保護者とか、みんなで運営していく『えんがわ』。少しずつイメージが固まってきています。

場所はだいたいあの辺りで、ふらっと立ち寄ってもらいやすくするために屋根を設置して、テーブルは割と大きめのやつを置く。毎日cafeをオープンすることは難しいけど、縁側としての場所は常にオープンで。飲み物は運営者によっていろいろ変わる。食べ物なんかも持ち寄ったりして。

課題もいろいろあるだろうけど、保育園って地域にとってそんな役割も必要だと思います。単に地域の人を招くだけじゃなくて。それは子どもたちにとってもプラスになる。以前は親と一緒にとか子ども同士とかで、地域の人と触れ合ってそこからたくさんのことを学んでいたはず。

危険な時代だからとか、プライバシーは確保しないといけないとか、そんな観点に縛られすぎた状態で保育園のあり方を考えるよりも、本当に子どもたちのことを思うならみんなで子どもを見守るという、日本社会特有の地域のあり方、家族、住居のあり方を見直すことの方が大事ではないかと思うわけです。

それが結果として子どもたちの安全を確保することにつながり、ごくごく普通のプライバシーの意識を子どもたちにも示していくことにつながると、私は思っています。とにかく特別に大げさなことではなくて、いろんな人が気軽に集まってくれて、その輪の中に子どもたちもまざってる、そんな感じです。

いろんな人が誘い合って集まったり、ふらっと立ち寄ってみたり、そんな「えんがわ」をいつか作りたいと思います。思ってるだけでは多分何も進まないので、まずはここでかるーく宣言しておきます。完成したらみなさんぜひ遊びに来てね。

2011年11月3日

No.218 いろんなアイデアが浮かんできます

2日(水)にぞう組さんとさくら保育所の年長児との交流で三瓶のサヒメルへ出かけてきました。この時期の三瓶の自然は見所満載で、サヒメルの指導員の方と一緒に秋の三瓶を楽しむことができました。面白い形の種子を見つけて飛ばしてみたり、赤や紫のきれいな実を夢中で集めたり、いろんな色や形の葉っぱを拾ってみたりと、子どもたちはほんとに夢中になって過ごしていました。

そんな様子を見ながら感じたことは、目についたものに次から次へババーッと飛びつかずに周りをじっくり見渡してからの方が楽しめるのになあとか、手の中いっぱいに実を入れてしまうと次に見つけた実は持てなくなるからもっと考えて効率よく集めたらいいのになあとか、大人が考える効率とかって子ども決して選択しないし、それはむしろ必要ないんじゃないかということです。一見非効率的に見える行動は子どもにとって全て必要なことで、その瞬間瞬間で感じて動くことの中から子どもたちはたくさんのことを学んでいるんじゃないかと改めて思った訳です。

で、よく子どもたちを見ていると「わー、この葉っぱ赤くなってる!」「こっちにもっと大きな松ぼっくりがあるよ」「こっちの木の方がたくさん実がついてるよ」「この葉っぱはとがってるけどこっちの葉っぱは丸いね」など、楽しそうな会話があちこちから聞こえてきます。こうした会話の中には、色・形・数・科学がちゃんと含まれているんですよね。このような体験の中で色の変化や違い、形の違い、そして大きさの違いや数などを知っていくのがこの時期の子どもの「学び」だと、改めて思わされました。この経験を十分に積むことによって後に取り組む学習での理解が深まることを、もう一度丁寧に捉え直してみようと思いました。

既に様々なことを体験し理解できるようになった大人が考える「効率」を子どもの学びに当てはめるんじゃなく、子どもが自然に行う行動こそ「効率的」であって、それをきちんと保障していくこととか、その学びが更に楽しく豊かになるような環境を用意することが大人の役割ではないかと。生活の中にあること一つ一つの意味を子どもの行動から理解し整理することで、子どもの学びをもっと深めることができるんじゃないかと。そんな風に考えると、いろんなアイデアが浮かんできます。まだまだできることはたくさんある、そう思うだけで楽しくなってきます。「非効率的なこと」を楽しもうと思います。

2011年10月30日

公開保育、研修会のお知らせ

「あさり・さくら保育所公開保育、研修会開催のお知らせ」

子ども一人ひとりの発達に応じた保育を考えていく
「語ろう会」を立ち上げてから1年が経ちました。
現在の参加園は江津市2園、益田市2園、邑南町6園の計10園。
このあたりで一度研修会を行ってみようということになり、
今回の研修会を計画しました。
いろんなところに声をかけたところ、
全国各地から集まってくれることに。
子ども一人ひとりを大切にすること、
子どもの自発的な活動を生み出す環境、
子ども同士の関わりの重要性、
これからの社会を考えたときのリーダーのあり方、
そんなことをみんなで熱く語り合いましょう。
興味のある方はぜひどうぞ。

◎日程
●12月6日(火)
09:00~12:00 あさり・さくら保育所見学
12:30~13:00 昼食(地場産センター2階)
13:30~16:00 研修会(地場産センター2階)
       ・各地の意見交換会
       ・藤森平司氏によるまとめ
18:00~20:00 懇親会
●12月7日(水)
09:30~12:00 研修会(地場産センター2階)
       ・藤森平司氏講演「リーダーのあり方」

◎会費
研修参加費 5,000円(初日のみ、2日目のみの方は3,000円)

◎現在の申し込み状況
県内:江津市、益田市、川本町、邑南町の保育園・幼稚園関係者
県外:秋田、東京、茨城、埼玉、神奈川、福岡、長崎、熊本の保育園・幼稚園関係者

◎申し込み・問い合わせ先
あさり保育所(島根県江津市浅利町336-4)
Mail:m-aiyama@hana-mura.net
TEL:0855-55-1024 FAX:0855-55-1084

2011年10月28日

No.217 保育参観がありました

25日、26日と保育参観が行われました。今回の保育参観は「子どもたちの普段の活動を一緒に体験してもらい、どのようなことを大切にしているかを感じてもらう」という思いがありました。風も少し強く、肌寒い天気でありましたが、そんな中でもいろんなことを感じてもらえたのではないかと思っています。連絡帳にうれしい感想が書かれていたので、その一部をここで紹介させてもらいます。

「自然の木によじ登る姿を見てたくましく思いました。普段見られない姿だったので、とてもよい保育参観になりました。」
「ウォークラリーは私が夢中になってしまうほど楽しかったです。子どもともゆっくり過ごせて楽しい時間になりました。」
「『もくもくの場所に行かせてもらってすごくよい場所だった。こんなところで遊ばせてもらってたなんて!!』とお父さんはとっても感動していました。」


活動は児童公園でのネイチャーゲームと、「もくもくの日」で活動している場所でのウォークラリーでした。普段の散歩でも「もくもくの日」でも、五感を使って自然の中で活動することを大事にしています。そのことを保護者のみなさんと一緒により楽しく体験できないか、F保育士が中心になって考えた内容です。ゲーム形式にすることで私たちもいつもとは違う視点で自然に目を向けることができ、新しい発見もありました。子どもたちだけではなく、保護者のみなさんにも楽しんでもらえたのではと思っています。

そしてなんと言っても活動の拠点である浅利町を、みなさんと一緒にあらためて体験したいという思いがありました。「地域を知る」というテーマを持ち、浅利町にはどんな場所があるかを子どもたちと一緒に遊びながら調べてきました。そこで見つけた場所が散歩の目的地になったり、「もくもくの日」の活動場所になったりしています。自分は江津市の○○で育ったという風に所属感を感じることが、子どもたちの情緒の安定には欠かせません。その所属感は自発的な活動の支えになります。この地域で楽しく遊ぶ体験が所属感につながっていき、そしてこの地域を大切にしようという思いが生まれることにもつながります。浅利町にはどんな楽しい場所があるかを知るために探検したり、もっと楽しく遊ぶことはできないか工夫したり、そんなことをこれからも子どもたちと一緒に続けていきたいと思っています。

2011年10月21日

No.216 人の興味はいろいろです

先日、釣りが大好きな知り合いからびっくりするような話を聞いたのですが、立派な釣り竿ってパソコン1台分くらいの金額のものがあるみたいですね。さらにはパソコン3台分くらいの金額の鮎釣り用の竿もあるとかで。釣りをしている方からすると「そんなの常識だよ」という話かもしれませんが、釣りをしない私にとっては驚きの事実だったわけです。私はパソコンとかに強い興味を持っているため、話を聞きながら釣り竿をパソコンと比較して考えてしまったのですが、旅行が大好きという方だったら、海外旅行に何回行けるかな?なんて考えてしまうのかもしれません。

釣りは面白くないとか立派な釣り竿なんて意味がないとか、そんなことを言ってるわけではないんです。人それぞれ興味を持つ対象は違っていて、考え方もいろいろあって、だから全体としていい感じにバランスがとれているんだと思います。自分の興味を基準にして「何故そんなものに興味を持つの?」と理解を示さないとしたら、他者との関係は少し難しくなってしまうんじゃないか、そんなことを改めて考えされられたわけです。人はどうしても自分の興味に従って行動しますし、自分の基準でモノの価値を捉えてしまいます。そのことを理解した上で、他者の興味や基準に向き合うことは大事なことなんですよね。

なんだか変な話になってしまいました。何が言いたいかというと、この話を子どもに置き換えて考えてみたいのです。子どもは「何故?」と思うようなものに興味を示すことはみなさんもよくご存じだと思います。その辺に落ちている小石や木の棒を宝物のように大事に持って帰ってきたり、虫を見つけると飽きることなく追い回してみたり。子どもには子どもの興味・関心があり、それは大人にはなかなか理解できないことかもしれません。いや、理解できるんだけど、それ以上に優先すべき(と思っている)ことが大人にはあって、子どもの興味を全て受け入れることはできないのかもしれません。でも、それがどんなに大人からするとくだらないと思えてしまうことであったとしても、その「くだらなさ」に付き合ってあげることも大人の役目だと思うんです。

人の興味・関心は様々です。特に子どもは自分の興味のあるものから少しずつ世界を広げていきますし、その興味に没頭する体験を経てユニークな「自分」を作り上げていく大事な時期でもあります。子どもの興味・関心には大切が意味があることを理解し、時には少し腰を据えて付き合ってあげる余裕を持っていたいものです。「くだらなさ」が「おもしろさ」に思えてくるかもしれませんよ。

子どもの食事のあり方②

おむすび通信に食事に対しての思いを書かせてもらっています。3回連続で、これが2回目の文章です。修正が入るかもしれないですし全く別の文章に書き直すこともあるかもしれませんが、せっかく書いたのでここにも載せておくことにします。


前回はあさり保育所の食事がどのように変わっていったかについて書きました。今回は少し違う視点から食事についての思いを書いてみようと思います。

子どもの食事を考えるとき、子どもに限ったことではないのかもしれませんが、細かなこと(例えば○○の栄養素が△△グラムは必要といったこと)を真面目に考えようとすればするほど、食事は難しくなってしまうんだろうと感じています。食事の本質を考えてみると、本来は生きていくための活動をするためにあるものだと思います。子どもたちにとっての主な活動は“遊び”ですが、全身を十分に使って夢中になって遊び、その結果「おなかすいたー!」と感じる感覚こそ食事には欠かせない要素だと思うのです。

そのときに子どもが求めるものは、幕内先生がよく言われているようにピーマンやほうれん草ではなく、やはりごはんなんですよね。遠足に出かけていつも以上に動き回った子どもたちがとても満足そうにおにぎりを頬張っている姿を見たりすると、やはりこれが自然な姿なんだろうなとつくづく感じます。子どもが空腹を感じているときに求めるものが子どもにとって必要なものと捉えること、つまり、子どもは自分に必要な食べ物を選ぶ力を持っていると大人が信じることが、子どもの食事をシンプルに考えるための入り口なのではないかと思っています。

話は変わりますが、あさり保育所の食事はバイキング形式で行っています。それぞれが自分で食べきれる量を伝えて当番さんに盛り付けてもらうというやり方です。自分で食べられる量を見通すことが目的なので、盛りつけてもらう量は一人ひとり違ってきます。おなかがすいている子は多めに盛ってもらったり、苦手な食べ物がある場合は少しだけにしておいたりと、子どもたちが自分自身に問いかける場でもあります。よく苦手なものは少しでもいいというやり方だといつまでたってもしっかりと食べられるようにならないのでは?という質問があったりしますが、苦手なものを無理に食べさせることよりも隣でそれを美味しそうに食べる他の子どもや大人の姿を見せることを大事にすべきだと、子どもたちの姿を見ていて教わりました。

子ども集団にはすごい力があって、例えば友だちが食べているから自分も食べてみようとか、友だちに負けたくないからと競うようにして食べてみたりとか、無理に食べさせようとしなくても自分から食べ始めるといったことはよく見かける光景です。そして、自分が苦手なものを大人が美味しそうに食べている姿は記憶に残っていたりするものですよね。それが大きくなったときに自分が食べることにつながったり、ということは多くの人が経験していることではないでしょうか。そして何より、無理に…となってしまうと大切にすべき「楽しさ」が失われてしまいます。

食事の美味しさは、味が美味しいことはもちろんありますが、「楽しさ」も大きな要素だと思っています。気の合う友だちと会話をしながら食べる楽しさとか、自分が収穫したり調理したりしたものを食べる楽しさとか、様々な楽しさが大事だということは私たち大人も体験を通して学んでいます。この楽しさを食事の場にどう取り入れるかということも、子どもの食事を考える上で欠かせないことだと考えています。もしも好き嫌いなく何でも食べてもらおうと考えるのであれば、尚更そのことにとらわれ過ぎずに食事のあり方を広く捉えてみることも必要ではないかと思っています。「木を見て森を見ず」にならないよう、森(食事全体)を豊かにする視点をもっと磨いていきたいと考えているところです。

2011年10月19日

子どもの食事のあり方①

私は2002年から保育の仕事に関わるようになったのですが、その時から「子どもにとって必要な食事とはどんなものなんだろう?」ということを、漠然とではありますが考えていました。食べ方、食べさせ方、野菜の栽培活動からクッキングなど、そんな情報はたくさんあったのですが、“何を食べるか”の情報が以外と少なく、また、あったとしてもまるでレストランのメニューのような内容だったりで、これだ!というものになかなか出会えずにいました。

そんな悩みを抱えていたある日、保健所の方が監査に来られ、保育所の献立等のチェックが行われました。その時の担当者が言われたことに軽い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。「カルシウムが少し足りないですね。そんな時は牛乳をいろんな料理に入れてみるといいですよ。例えば酢の物に牛乳を入れるとか…。」牛乳を入れるとより美味しくなるとか、より食べやすくなるとかならまだ分かるのですが、カルシウムが足りないから牛乳を…といった考えで作り上げていった食事が果たして本来の食事のあり方なのかと、その言葉を聞いた後、何度も何度も考えました。

栄養素について考えることが無駄だとは思っていません。でも栄養素から献立を考えることって、極端な話ですが、行き着く先は『必要な栄養素を確保できるだけのサプリメントの摂取で十分』なんてことになってしまうと思うんです。食事ってそんなものじゃないですよね。その時期にとれるもの、その土地でとれるものをいかに美味しく食べていくかという知恵を、私たちはたくさん受け継いできています。その時期にとれるものにはその時期に必要なものが、その土地でとれるものにはその土地で暮らす人にとって必要なものがたくさん詰まってる、そんな大きな視点で食を考えることが今は欠けてきているのかなあと思ったりもします。そんな大きな視点の中に、子どもたちの食を考える上での大きなヒントがあると、あらためて考えたわけです。

その意味では、幕内先生と出会い、食事について更に考えを深めるきっかけをもらえたことはありがたかったと思っています。まず保育所での食事の主食は全てごはんとし、当然おかずもごはんに合うものへと変えました。おやつも大事な第4の食事と捉え、おにぎりに変えました。そのように変えたことで「子どもたちは美味しく食べてくれるだろうか」とか「おやつがおにぎりばかりでは子どもたちが不満を言うのではないか」といった心配も多少はありました。でもそんなことは杞憂にすぎませんでした。子どもたちは食事内容を変更したことで、今まで以上に意欲的に食べるようになったんです。ごはん、味噌汁、おかずという至ってシンプルな食事ですが、始めた当初と1年後を比べると米の消費量が約3割も増え、そして残食は減りました。また、当たり前のことではあるのですが、ごはんに合うおかずを作っていくことで油の使用量が大幅に減ったことも、調理担当者とともに驚いたことです。さらに、おやつをおにぎりにしたことで夕方までしっかりと遊ぶ子が増えるという変化も見られました。胃袋がまだ小さい子どもが一日通して元気に活動するためには、おやつに何を食べるかがとても重要だと確認することができました。

このように食事内容の見直しによっての子どもたちの変化はうれしいことが多くありました。やはりどのような食事内容にするかは重要なわけですが、それ以外の“食にどこまで関わるか”や“どんな食事の場を用意するか”ということも、子どもの食を考える上では非常に重要だと思っています。次回はそんなことにも触れてみたいと思います。

おむすび通信vol.68(2011年10月)に掲載されたものです。

2011年10月14日

No.215 過去の体験が結びついて

毎月第2第4水曜日には地域の方が絵本や紙芝居の読み聞かせに来てくれています。毎回2名の方が来られ、ぞう・きりん・くま組とぱんだ・うさぎ・りす組の2グループに分かれて読んでもらっています。子どもたちは絵本のおもしろさを十分に楽しんでいますし、何より地域の方の人柄などにじっくり触れることができ、そして地域の方にあさり保育所の子どもたちのことを知ってもらえる、本当に貴重な機会と捉えています。

そんな読み聞かせですが、今週のぱんだ・うさぎ・りす組の読み聞かせはいつもと少し違っていました。いつもは部屋の中で読んでもらうのですが、今回は園庭です。どんな様子か気になったので見に行ってみると、穏やかないい雰囲気でした。外なので決してしーんとした静かな環境ではないですが、写真のこの様子、結構いい雰囲気だと思いませんか?

子どもたちの生活や遊びの環境をどう作っていくかということに関しては未だに試行錯誤を続けています。遊びのスペースをどこにどのくらいの広さで用意するかとか、この活動はどこでどの時間に行うかとか、いろんなことを試しながら子どもたちにとって意味のあるものを探し続けていきたいという思いです。そんなときに役に立つのは様々な過去の体験です。過去に行った体験が今行っていることと結びついたらもっと楽しいことができるんじゃないかとか、そのように「どんな体験をどう結びつけるか」を考えることは大事だと思っています。今回の園庭での読み聞かせも、過去の別の体験が読み聞かせと結びついたもので、こんなことは他にもたくさんあります。

それと同じように、子どもの遊びも過去の体験が大きく影響してきます。例えば家での食事の準備や掃除の様子を見たことがごっこ遊びで生かされ遊びが発展したり、例えば大きな船に乗ったりした体験が積木遊びで生かされ船を作る子が出てきたり。そんなの当たり前と思われるかもしれませんが、当たり前のことが当たり前に行われることが子どもの育ちには大事なことなんですよね。「もくもくの日」では子どもたちは自然を目一杯感じながら活動しています。そこでの体験が別の遊びで生かされるはずです。その他の体験も同じです。子どもたちの様々な体験、豊かな体験を大事にしていきたいですね。


2011年10月13日

唐突ですが、価値観のことについて

全く唐突ですが、
価値観のことについて書いてみたくなりました。

もし価値観が多様でない場合、
例えば「テストで何点とるか」という
たったひとつのものさしの中での競争が長く続いていると、
本来ならその先にあるはずの目的を
いつの間にか忘れてしまうと思うんですよね。

「いかにテストで高得点をとるか」という技術のみが向上して
さらにはその技術の習得にうまく適応できた人だけが残って
本来の目的なんてどこかに消えてしまっている
そんなことが起こってしまいそうです。
いや、すでにそんな状況はあちこちにあるような気もします。

ほんとに唐突に思いついたのでまとめはありませんが、
もしも価値観が多様であるなら状況は全く変わってくるでしょうね。
本来の目的も消えることなく、
むしろもっともっと大きなものに育つんじゃないでしょうか。

2011年10月7日

No.214 おもてなしの心

毎月行っているカレークッキングですが、9月から新たな取り組みを開始しています。もうご存じだと思いますが、お世話になっている地域の方をお招きして一緒にカレーを食べていただくという取り組みです。今月は5日(水)に行われ、まだまだこれからあり方を点検する必要もあると思うのですが、子どもたちのとても素敵な姿が見られたので紹介します。

今回のお客さんは2人で、11時30分頃に来られる予定でした。そのことをお集まりで聞いて楽しみにしていたんでしょう。11時になるとぞう組のYくんは玄関にスリッパを出してくれていました。そしてお客さんが来られて、食事の準備が整うまでの間は不思議ゾーンでお茶を飲んで待ってもらうことにしていました。そこへお茶を運んでくれたのはぞう組のTくんです。食事の準備ができると、ぞう組のHちゃんがお客さんを呼びに来てくれました。ランチルームでは、きりん組のNちゃんがお客さんの席を用意し笑顔で招いてくれました。席に着かれたお客さんのところへカレーライスを運んでくれたのは、ぞう組のSちゃんときりん組のIくんでした。

これらのことは、全て子どもたちが自分たちで考えて行動してくれたことです。これはまさに「おもてなしの心」の実践で、子どもたちには大事に育ててもらいたいと思っている心です。この「おもてなしの心」は日本人が昔から大事にしてきたことで、日本人の道徳心の基礎ともいえる武士道では「礼」という言葉で表現されています。礼とは「他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現すること」です。自分のことだけでなく他人に対してどれだけ思いを向けられるか、そんなおもてなしの心を子どもたちが実践してくれていたことをうれしく思いました。

日本人として大事に育んでいきたい心は、この「おもてなし」以外にもいろいろとあるんですよね。まず私自身がその心について改めて学び直してみようと思っています。例えば「もったいない」。エコという言葉がずいぶん定着しましたが、本来の「もったいない」は物を無駄にしないということだけではなく、『物や相手の気持ちを思いやり、無駄にしないこと』であると思います。また、『人と人との結びつきを離れがたくつなぎとめること』を表す「むすぶ(きづな)」という心もあります。こうした心の意味を理解するだけでなく、どう行動するかを考えることも大切にしていきたいと思っています。

2011年10月2日

能の世界の奥深さ

昨日、生まれて初めての能を見に行ってきました。
いやー、楽しかったです。
見るまでは「能のことも何にも知らないし、楽しめないかも…」
なんて考えていたんですが、
何にも知らなくても見ているだけで心が動いてしまう
そんな体験をさせてもらいました。

能が始まる前に内田樹さんのとても興味深いお話がありました。
「能って、『自分が自分が!』って動くんじゃなくて、
舞台とか周りの大鼓や小鼓や笛の人、さらには見所の人(お客さん)
それらが作り出す場の力を感じて、それに引っ張られるように動くんです。
一流と言われる人たちは場が作り出す濃密な空気を全身で感じ、それに反応して、
「自分の力で」ではなく場の力によって動かされるといった感じで。」

正確ではないですが、だいたいそんな感じだったと思います。

これって人と人とのあり方もこんなことが大事なんじゃないか、
お話を聞いていてそんなことを考えていました。
一人ひとりが超人のような能力を身につけて
自分の能力を活用してバリバリ活躍する、
そんなことが理想とされたときも確かにあったと思います。
でも今の社会を見ていると、それだけじゃあいけないんじゃないかと。

いろんな人がいろんな特徴を持っていて
そんな人たちが集まって様々な集団をつくっているのが社会。
それぞれの役割を尊重しながら、それぞれの役割を生かしながら、
その中で自分をどう表現するか、自分の役割をどう果たしていくか。
社会のいろんな人とつながっているという感覚をもって
その人たちとの関係の中で自分というものを模索してみるとか。

自分が自分が!といった完全に他から独立した強さを求めるよりも
いろんな人との関係性、つながりをもとにした個の確立や自立が大事だと
能の舞台を見ていて感じました。
個性を抑制するわけではなく、逆に個性が共に支え合っている。
昨日の能はまさにそんな感じでした。
そんな関係性ができてきた先には、手を貸すとか守るとか、
そんなことが自然にできるようになると思うんですよね。
能って思っていたよりはるかに奥が深かったです。


2011年9月30日

No.213 子ども同士の関わり調査

今手元に「子ども同士の関わり調査表」というものがあります。私たちも所属している全国の研究会で調査しようとしているものなのですが、この調査の趣旨にはこのように書かれています。『「幼稚園における2歳児受け入れに関する調査研究」で、「幼児同士が関わり合って遊ぶ姿は見られない」と断言されていますが、果たしてこれは本当でしょうか?この疑問を保育現場から提案していきたいと考えています。』

これ、今話題になっている「幼稚園と保育園をどう一体化していくか」という議論の中で必ずと言っていいほど出てきている話です。子ども同士が関わり合うのは3歳児からで、それまでは家庭で過ごすことが大事という内容です。ここで言う「家庭」とは、ほとんどが家庭=母親という意味で使われています。子どもにとっての母親の存在はとても大切で、そのことを否定するわけではありませんが、「家庭=母親」ということで3歳までは家庭で過ごすことが大事だと言われると、ずいぶん乱暴な意見だなあと思ってしまいます。

以前の家庭とは決して母親に限定したものではなく、多くの兄弟がいて、祖父母がいて、隣近所の人がいて、といった感じで、「家庭」には社会の機能が十分にあり、様々な人との関わりの場がありました。子どもたちはそんな様々な関わりの中で育つ、それが「家庭で育つ」ということの本来の意味のはずです。でも今はそんな状況が圧倒的に少なくなっています。親との愛着関係だけでなく、それを基礎としていろんな発達段階の子と関わったり、いろんな大人や社会と関わったりすることが子どもの育ちには重要だという意見を、もっと多くの人に理解してもらいたいと思っています。

上で書いた調査表には例えばこんな項目があります。「他児を意識してみたり、指さしをする」「他児のおもちゃに興味を示し、取ろうとする」といった姿は、保育所では0歳児同士でも見られる姿です。自分が育つために無駄なことなんてするはずのない0歳児が、そのように他者との関わりを見せるということは、それがどれだけ必要なことかは簡単に想像がつきます。保護者のみなさんも同じように感じておられると思います。例に挙げた項目の内容も、シンプルですが大事な関わりです。このような関わりを生み出すことのできる保育園の役割は、もっと整理してアピールすべきなんでしょうね。

2011年9月22日

「復興の狼煙」ポスタープロジェクトチームのみなさまへ③

第3弾。


「復興の狼煙」ポスタープロジェクトチームのみなさまへ


散らばったパズルをひとつひとつ拾い集めるように、少しずつ少しずつ大切な日常を取り戻してきました。

壊れたピースもたくさんあります。失ったピースもたくさんあります。

でも、その空虚を埋めるように優しく包み込んでくれる「思い」がたくさん届きました。

行き先の霞む未来に、希望を持つ勇気、前を向く勇気を与えてくれたのは、そんな東北に向けられた強く温かな「こころ」でした。

いただいたご恩に報いるまでには、まだまだ多くの時間が必要です。

この狼煙が篝火とかわり、そして美しく煌めく灯火となってこの町を燦々と照らしてくれるその日まで。

どうか、見守っていてください。

ポスターと向き合っていただいた愛に、心から感謝と敬意を表します。



平成23年9月
「復興の狼煙」ポスタープロジェクト
制作者

「復興の狼煙」ポスタープロジェクトチームのみなさまへ②

続いて第2弾。


「復興の狼煙」ポスタープロジェクトチームのみなさまへ


手を携えられる仲間が、たくさんいることを知りました。

今日よりも明日を、輝かせることができるのだと知りました。

それでも、日々迫りくる現実に時折のみ込まれそうになるけれど、歯を食いしばって前を向き、ゆっくりと一歩ずつ歩き出すことを決めました。

この地に立ちこの風にふれながら創りだす未来が、この海のように美しく煌めくことを願い、「復興の狼煙」を上げます。

みなさま、少しだけ力を分けてください。

この小さな狼煙を、大きく、大きく空へ掲げる力を。

ポスターと向き合っていただいた勇気に、心から感謝と敬意を表します。



平成23年6月
「復興の狼煙」ポスタープロジェクト
制作者

「復興の狼煙」ポスタープロジェクトチームのみなさまへ①

「復興の狼煙」のポスターを取り寄せたら
こんな手紙が一緒に入っていました。
穏やかだけど、とても力強い言葉です。
せっかくなのでこの文章もここに載せておきます。

まずは第1弾。


「復興の狼煙」ポスタープロジェクトチームのみなさまへ


釜石人として、岩手人として、東北人として、日本人として。

己の意地と誇りをかけた長く険しい戦いが、幕をあけました。

今はまだ劣勢です。未来はまだ見えません。

でもいつの日か、必ず、新しい三陸を創ります。

取り戻すのではなく、創るのです。

この、鋼鐵の意志を届けたくて、釜石から「復興の狼煙」を上げました。

ポスターを手にしてくれたみなさま。

貼る場所も、渡す相手も、見つめる時間も、すべてみなさまに委ねます。

どうか、力を貸してください。どうか、狼煙を伝えてください。


まずは、受けとっていただいた勇気に、心から感謝と敬意を表します。



平成23年5月
「復興の狼煙」ポスタープロジェクト
制作者

No.212 共生、自尊心、つながりなど

運動会が無事に終わりました。夏祭りに続いて運動会でも「つながり」をテーマの1つにし、東北地方へ心を向けることを意識して取り組んできたわけです。3月からこのことばかり書いている気もしますが、繰り返し書いているのは何よりも震災のことを優先して考えなければいけないとか、そんな風に考えているわけではありません。ただ、今回の震災は私たちにとても大切なことを訴えかけていて、そのことには静かに丁寧に耳を傾けなければいけない、そう受け止めているからです。

例えば、自然を人間の都合のいいように利用するのではなく、私たちも自然の一部であり、自然と共生していくことを目指すべきだということを改めて教わりました。そのためにも、自然に対して深く関心をもち、その自然と共に楽しく遊ぶ体験は欠かせないとも思いますし、その体験から子どもたちが得るものは非常に大きいと思っています。「もくもくの日」の取り組みにはそんな思いも込められています。

また、この震災後に「リジリエンシー」という言葉を学びました。これは立ち直る力、回復力という意味で、船が傾いたりしたときにふっと戻ろうとする力のことを言ったりもします。このリジリエンシーという力について、子どもの行動からの研究も進んでいることを知りました。そこでわかってきたことの中には、くよくよしないなどの性格もあったりしますが、注目したいのは「自尊心が高いと立ち直りに結びつきやすい」「立ち直りには、家族、教師やきょうだいといった社会のサポートがどの程度得られるかにも影響される」ということです。子どもが困難な状況にありストレスがかかっているとき、自分の価値を信じることできる自尊感情、子どもの決断や上手くいかなくてもなんとか自分をコントロールしようとしている姿を評価してあげることが大切なようです。

震災は、自然との『共生』、困難から立ち直るために大切な『自尊心』、そして他者や社会との『つながり』など、大切な課題を与えてくれています。子どもたちがこれからの社会を力強く生きていくことを考えたとき、これらはもっと大切にされるべきことのはずです。次世代を担う子どもたちのために、私たち大人がそんな思いや姿勢を見せてあげたいと思っています。今、小さな小さな展示会を計画していますが、これもその取り組みの1つです。保護者のみなさんにぜひ見ていただきたい展示会です。

2011年9月16日

No.211 他の子がいるから楽しいとか

明日はいよいよ運動会。水曜日には予行練習が行われましたが、子どもたちの表情を見ている限り、それぞれに楽しさを感じながら運動会の活動に取り組んでいるように思います。一人ひとりが今どんなことができるようになったかを、保護者のみなさんと一緒に楽しみたいと思います。

予行練習の様子を見ていて感じたことを少し書いてみます。子どもたちはそれぞれにいろんな運動に挑戦するわけですが、これって一人だとなかなかここまではできないんじゃないか、そんな風に思うことがホントにたくさんあるんですよね。

例えば築山にかけてある橋を渡ることにしても、高い木に上って下りてくることにしても、一人ではちょっと怖いけど、友だちも挑戦してるからやってみようという気持ちになったり、リレーの最中、隣の子と顔を見合わせてニコニコ笑いながら走っていたり、他の子が走っている姿を夢中になって目で追ってみたり。そんな姿がたくさん見られた予行練習でした。

他の子ががんばっているからそれに刺激されて、というのも集団の持つ大事な力です。でももっと大事にしたいと思うのは、他の子と共に取り組んでいることに対して楽しさを感じることです。ここで何度も書いていることですが、他人と協力することの大切さは子どもたちに伝えたい大事なことと考えています。

そのためにも、他の子と一緒に過ごす経験や、一緒に何かに取り組むことを楽しんだ経験が欠かせないと思っています。いろんな人がいるから楽しいと自然に思えたり、いろんな人が力を合わせることで一人ではできないことができたり、またそれを楽しいと感じたり、そんな体験が協力とか共生につながる大事な基礎となっていきます。そうした体験の場が多く生まれる運動会になればうれしいですね。

そして最後にもうひとつだけ。そんなことわかってると言われてしまうかもしれませんが、「自分を信じて見ていてくれる」という保護者のみなさんの存在は子どもたちにとって安心感となり、それが子どもたちの生き生きとした活動を支えてくれます。「信じて見ているからやってごらん」という思いをみんなで子どもたちに伝えることのできる、そんな運動会になることを期待しています。
(天気予報では不安なマークがチラチラ見られるようになりました。ドキドキしながら待とうと思います。)

2011年9月15日

第三者評価の結果が公表されています

第三者評価の結果が公表されています。
この第三者評価を受審する前は、
運営面ばかりで保育の中身まで見てもらえないんじゃないか、
そんな風に思っていました。

でも、何事もやってみないとわからないものですね。
評価者にもよるのかもしれませんが、
保育に対する思いをかなり重点的に取り上げてもらえました。
その点をすごくうれしく思っています。

細かいことは評価結果に書かれているので省略しますが、
「事業者のコメント」に書かせてもらったことは
ちょっと長いですが、ここにものせておこうと思います。

私たちと第三者がそれぞれの立場から
「保育とは何か」ということを発信していくことが
これからはますます重要になってくると思っています。
そんなことを改めて考えるいい機会となりました。

「第三者評価結果に対する事業者のコメント」

この度第三者評価を受審することで、取り組まなければいけないことをあらためて確認することができました。そこまでは予想できていたのですが、自分たちの強みを確認する機会にもなったことはあさり保育所にとって意味は大きいと考えています。

何をしているか、何が出来ているかは当然ですが、何よりも「どんな思いを持って保育を行っているか」という点について力を入れて評価してもらえたことで、更に思いを高めていこうという意欲を刺激されました。この意欲こそ、保育の質を高めていく原動力であり、保育者の主体的な活動に繋がっていくものと考えているので、本当にありがたく思っています。

第三者に対して保育の重要性をいかに伝えるかは、保育者としての大きな課題であるため、評価者に対して保育をどのような言葉を使って伝えるかを考えるという意味で、第三者評価を受審することの意義を感じています。

少子化の今、そして社会のあり方を見直す必要のある今、社会全体で乳幼児教育をどう捉え取り組んでいくかはますます重要になってきます。第三者評価が、単に運営面を評価するだけでなく、その保育というものの価値を新たな角度から発信してくれることを期待しています。


評価結果はこちらから → あさり保育所第三者評価結果

2011年9月8日

No.210 感じたこと・考えたことをいくつか

今回は、今週感じたこと・考えたことをいくつか簡単に書いてみます。まずはある保護者とお話をしたときに感じたことについて。

ある方がお話の中で「親子の距離感って大事だと思うんですよね。近すぎても良くないし、遠すぎても良くない。長く子育てをしてきたからこそ見えることなんだろうけど、そんな風に思うんです。」といったことを言われました。話の内容はもっといろいろあったんですが、この思いっていいなあと素直に思えました。

今、私が抱えている大きなテーマの1つに「愛着からソーシャルネットワークへ」ということがあります。どういうことかと言うと、「今までは子どもの育ちを考えるとき、どうしても親子の(特に母子の)愛着関係が注目され、研究されてきた経緯がある。でも実際の子どもを見ていると、親子関係だけでなく、様々な人や社会との関わり(ソーシャルネットワーク)が重要だということは明らかで、その重要性についてもっと丁寧に考え研究する必要がある。」ということです。余計にわかりにくくなってしまったでしょうか。

親子の関係、子ども同士の関係、祖父母や地域の人との関係など、様々な人や社会とのつながりの中で育つことが大事で、そのつながりの程よいバランスを見つけていかなければいけない、そんな風に思っています。そしていろんなつながりがあるということだけでなく、親子の関係ひとつとっても、近すぎず遠すぎず、そして一方的な関わりではなく双方向の関わりが必要、といったバランスがやはり大事です。そのバランスについて積極的に考える場、特に子ども同士の関係を大事にできる場、そんなことが保育所の大きな特徴でもあり役割でもあると、お話をしていてあらためて思った訳です。

いくつか書こうと思ったのですが、1つの話でこんなに書いてしまいました。なのでもう1つは簡単に。

先日の役員会でもお話しして、ブログにも少し詳しく書いているんですが、子どもと保護者がみんなで木を植える活動を計画しようと思っています。今年起きた震災のことを忘れないように、その思いがいろんな人につながっていくように、そしてその活動がうれしく楽しい思いを生んでくれるように、そんな思いを込めた植樹活動です。計画がまとまればあらためてお伝えしますので、楽しみにしておいてください。この植樹活動も来週の運動会も、夏祭りに続いて“つながり”が1つのテーマになっています。

復興の狼煙 ポスタープロジェクト

「復興の狼煙 ポスタープロジェクト」より

『3月11日、地球が小さく呼吸しました。
それはわたしたちにとってあまりに大きくそして悲しい呼吸でした。
町は色を失いました。
思い出として語らうまでにはどれだけの月日が必要かわかりません。
そろって歩みだすにはあまりに深い傷だし、未だ現実に向き合うことを許されぬ東北の仲間もいます。
それでも、わたしたちは生きています。
たくさんの支援とたくさんの愛情と、そしてなにより「自分にできること」を探してくれたたくさんの想いすべて。
しっかりと受け取りました。
わたしたちは、このエネルギーを大切に大切にはぐくんでいくつもりです。
月日が経ちこのポスターが色あせた時、沿岸の町は活気の色に染まっているはずです。
みていてください。
この地から「ありがとう」を形にできるその時まで。
さぁ、復興の狼煙が上がりました。
まずは釜石から。』






このポスター、見ていると心を打たれます。
「被災地の方々のために」ということも当然ありますが、
見る人一人ひとりがこれらの写真や言葉から何を受け取るか、
そんなこともすごく大事な気がします。

受け取る側がどう受け取るかによって
”つながり”はいくらでも豊かになっていく、
そんな風に思っています。

復興の狼煙 ポスタープロジェクト

2011年9月6日

木を植えてみませんか?

“つながり”というテーマを大事にしようと考えた今年度、
次の活動は「木を植える」ということを提案してみます。
そう思ったのは糸井重里さんの書かれた文章を読んで、
深く深く共感できたからです。

『「木を植える」というのは、どうだろう。
ふと、そう思いつきました。
今年、2011年という年に、東北ばかりでなく、
全国どこでも、木を植えるというのどうでしょうか。

ひょろっこい苗木が、頼れるような太さになったころ、
「あの震災の年に植えたんだよね」なんて、
ちょっと懐かしむくらいの気持ちで、
その木を見ることになるでしょう。
きれいな花をつける木だったら、
花の咲く時期には、うれしそうに人々が集まるでしょう。
植えられた木と同い年の子どもが、おとなになったころ、
「どういう思いで植えたんだろうね」なんて、
いまのおとなたちの気持を想像するかもしれません。』


“つながり”というテーマを掲げた夏祭りでは募金活動を行いました。
「大人たちは何をやってるんだろう?」という疑問でもいいから
子どもたちにはこの年に何かを感じてほしい、
この年に感じたことをこの先どこかで思い出してほしい、
そんな思いで行った活動です。

で、今度は木を植えてみようというわけです。
この年に木を植えることがいろんな形となって
子どもたちの思いや行動につながっていくとしたら、
それはとてもうれしいことです。
その木がこの先の園庭での遊びをもっと楽しくしてくれる、
そう考えたらとても楽しくなります。

「そんなことをうれしいことや楽しいことを想像しながら
みんなで木を植えてみませんか?」
そんな提案をしてみようと思っています。

2011年9月1日

No.209 運動会の話と、共感する力の話

9月17日(土)は運動会。毎年のことではありますが、大事なことなので目的を書いておきます。

あさり保育所では運動会を「子どもの運動能力の発達を保護者に伝える」「親子のふれあいを提案する」「保育を厚くする」という3つの目的で行っています。まず前半は「運動能力の発達」を伝える内容のもの、後半は「親子のふれあい」を楽しんでもらう内容のものを予定しています。

園庭での遊びには、走る・歩く・登る・下りる・ぶら下がる・渡る・またぐ、引っ張る・押すなど、子どもたちの動きを表す動詞の数だけ運動の要素があります。パッと浮かんだのがこのくらいで、実際にはもっとたくさんあるでしょうね。それらの動きを子どもたちは日々遊びの中で行っています。

もちろん子どもによってどんな運動が得意か、またそれがどの程度できるかは違っています。その違いは当然のこととして、一人ひとりが今どんなことができるようになったか、どんな風に成長しているか、保護者のみなさんに伝えることのできる場にしたいと思っています。

子どもたちの普段の遊びの様子を見ていると、一人ひとりがどんな運動に興味があるかがずいぶん違っていることを感じます。走るのが好きな子、雲梯が好きな子、木登りが好きな子、自転車に乗るのが好きな子など、本当に様々です。決してやらせているのではなく、子どもたち自身の“やりたい”という気持ちから始まっている行動です。

保育所の話ではないのですが、子どもの行動について、「興味がないことにも挑戦してもらいたいんだけど…」という話を耳にすることがあります。その気持ちもわからなくはないのですが、やはり私は興味をもつことから始まるのが大事だと思うんです。

では、どうすれば興味が広がっていくか。ポイントは他の子どもたちの気持ちに“共感する”ことだと思っています。自分一人では興味の広がりには限界があると思います。でも、他の子どもが楽しそうに取り組んでいるのを見て、自分も楽しく感じることができれば、そこから様々な方向へ興味は広がっていきます。

他人が感じている気持ちをあたかも自分のことのように感じる力は、脳のミラーニューロンの働きです。他者との関わりの中で育っていく“共感する“力をつけていくことは、子ども集団のある保育所の大事な役割です。この“共感する”力の大切さについては、またいつか書いてみるつもりです。

2011年8月26日

No.208 園庭がまた変わっていきます

園庭の改修がまた始まりました。改修と言ってもそんなに大がかりなものではないのですが、変化させては子どもの様子を観察し、また変化させるといった感じで進んでいくと思います。春には玄関周りの改修と果樹を植えること、そして畑の改修。8月に入って築山に滑り台の設置と続きました。で、さらに園庭に様々な要素を取り入れていくための改修をしていくわけです。

園庭の改修ということについて、8月6日に行われた保護者講演会で、講師の先生がこんなことを話しておられました。「ドイツでも園庭の改修が盛んに行われているのですが、地面にしてもすべて芝とか、平らに整備されていくというのではなく、砂場とか、石ころが敷き詰めてある場所とか、敷石が敷き詰めてある場所などが園庭の中にどんどん作られています。これは何のためかというと、街の中を歩く時に子どもたちが経験するであろう地面を体験させるため、ということです。」ドイツでは、ちょっと転んだだけで大きなケガをしてしまう子どもが増えてきたことなどを受けて、幼稚園の園庭にはこのように石を敷き詰めた場所をつくるといった対策をとっているようです。

子どものケガを防ぐために、ドイツでは子どもたち自身がケガを防ぐ力をどうつけていくかを考え、環境整備をします。逆に日本では子どもたちがケガをしないようにできる限り段差をなくし、地面を柔らかいものにし、といった環境整備をすることが多いようです。困難な状況をなくすことで確かにケガはしないかもしれませんが、一歩外に出ると固いところがあったり段差があったりというのが現実です。そうした現実を前にして、それを自分自身で乗り越えるための力を園庭での活動を通してつけられるようにしたい、というのが私たちの思いです。

そんな思いも持って園庭を改修しているのですが、遊びの場は何か訓練のようになるのではなく、何度も挑戦したくなるような楽しさがなければいけません。そして、その取り組み方によって難易度が変わるような(例えば、またいで進むときと立って進むときとでは難しさが全く違う一本橋のような)遊びをもっともっと充実させていくことを考えています。今年度中に再度木を植える予定ですし、草花にもっと興味をもってもらうための少し変わった花壇を作っていく計画しています。(みなさんがくつろげる場なんかもあるといいかも…。)

2011年8月21日

公平さについて②

数学は「答えが1つしかないから美しい」なんて言われたりします。
でも世の中にあるほとんどのものが答えは無数にあるし、
割り切れないことばかりだったりですよね。

例えば公平さとかもそうじゃないでしょうか。
公平だという状況には、
必ずそれを説明する根拠があると思うのですが、
そもそも公平さって何なんでしょうね。
誰がどう見ても公平ってことがあるんでしょうか。
もしあるとしたら、まあほどほどに公平とか、
この部分は不公平だけどトータルではだいたい公平かなとか、
そんな程度だったりするんじゃないかと思うんです。

うまくまとめることは出来ないのですが、
誰から見ても納得がいく根拠に基づいた行動とか、
誰もが納得する絶対の公平さとかって、
そもそもそれを厳格に求めることにどれだけの意味があるのか?
今そんなことを考えているところです。

特に子どもの世界を考えたとき、
無駄としか思えない根拠のない行動とか、
ある面から見ると公平ではない出来事とか、
そんなことが山ほど存在しています。
全く効率的ではなく、全く公平ではない、
それが子どもの遊びの特徴だったりします。
でも、そんなことの中で活動することを
子どもたちには保障し続けたいと思うんですよね。

例えば、
何が起こるか分からない自然の中での遊びで身につく“平気さ”とか、
価値観の違う他者と関わりで身につく“寛容さ”とか、
そんなことを子どもたちが体験を通して学べるのが遊びの大事なところで、
そこで自分の中の基準を豊かなものに育てていってほしいんです。
自分の中のあらゆる基準の幅が広い人って、
本当の意味で強い人だと思います。
平気さとか寛容さとか、
そんなことも子どもたちに伝えたいなあって思ってます。

公平さについて①

ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんが
「今日のダーリン」でこんなことを書かれていました。

『今年は、ずいぶんと「公平・不公平」について考えます。
なんでも公平であるべきだ‥‥よく言われます。
不公平はよくない‥‥正しいのだと思います。
ただ、ほんとうに悩ましいのは、
原理主義的に公平を実現しようとすると、
どんどん減っていってしまうものがあるいうことです。』


同じように公平さについて考えていることがあったので、
せっかくだから書いてみようと思います。

2011年8月19日

No.207 園庭のお花や虫を見つけてみよう

3,4,5歳児の不思議ゾーンに「今咲いている園庭のお花 見つけてみようビンゴ!!」「園庭にいる虫 見つけてみようビンゴ!!」という新しい遊びが用意されています。これは、「自然に生かされる保育」という私たちの保育目標をどう具体的に活動していくか、そのことを考えているあさり保育所とさくら保育所の保育者が作成したものです。下の写真のカードを園庭へ持って出て、カードの中の虫や花を夢中で探している子をよく見かけます。

これはネイチャーゲームの一種で、日本ネイチャーゲーム協会ではこんな風に紹介しています。例えば目的は『ネイチャーゲームの目的は「自然への気づき」です。「自然への気づき」とは、五感で自然を感じ、心と体で直接自然を体験することによって、自然と自分が、一体であることに気づくことです。』とあります。

そしてネイチャーゲームをすることで『自然や環境への理解が深まり、五感によるさまざまな自然体験が得られ、自然の美しさや面白さを発見でき、他者への思いやりや生命を大切にする心が育ち、感受性が高まります。』とあります。自然と自分が一体であること、人間も自然の中の生き物だと気づくことは、「自然に生かされる」ことの基礎になります。

では、ネイチャーゲームを用意すればそれでいいのかというとそうではありません。こんな風にも書かれていました。『ネイチャーゲームでは、大人が子どもに一方的に知識を教えるよりも、大人も子どもも、ともに自然を感じ、自然から得た体験や感動をわかちあおうという姿勢を大切にしています。』これは大事なポイントだと思います。知識を与えようとするのではなく、大人も一緒になって自然の不思議さを感じるとか、大人も学ぼうとする姿勢をもってのぞむとか、そんなことが大切です。

実際、大人の私たちも園庭にどれだけの種類の草花があるのかを知っているわけではありませんでした。花とか虫に意識を集中して見ることで、初めてどれだけの自然が周りにあり、触れているかがわかってきます。「自然に生かされる」ということを深めていくために、探求心や好奇心を刺激してくれる身近な自然に対しても丁寧に関わっていこうと思います。もちろん子どもも大人も楽しむことを忘れずに、です。



2011年8月18日

子どもたちの食事について

「子どもにとって必要な食事とはどんなものなんだろう?」
このことを保育に関わり始めてからずっと考えていました。
食べ方、食べさせ方、野菜の栽培活動からクッキングなど、
そんな情報はたくさんあったのですが、
“何を食べるか”の情報が以外と少なくて、
あったとしても、まるでレストランのメニューのような内容だったりで、
これだ!というものになかなか出会えずにいたんです。

そんな悩みを抱えていたある日、保健所の方による監査がありました。
いろんなことをチェックしてもらい、最後に献立等のチェックが。
その時の担当者が言われたことに軽い衝撃を受けたことを
今でも鮮明に覚えています。

「カルシウムが少し足りないですね。
そんな時は牛乳をいろんな料理に入れてみるといいですよ。
例えば酢の物に牛乳を入れるとか…。」


牛乳を入れるとより美味しくなるとか、より食べやすくなるとか、
そんな話ならまだ分かるのですが、
カルシウムが足りないから酢の物に牛乳を…です。
こうした考えで作り上げていった食事が
果たして本来の食事のあり方なのかと
その言葉を聞いた後、何度も何度も考えました。

栄養素について考えることが無駄だとは思っていません。
でも栄養素から献立を考えることも行き過ぎると、
ちょっと極端ですが行き着く先は
『必要な栄養素を確保できるだけのサプリメントの摂取で十分』
なんてことになってしまうと思うんです。
食事ってそんなものじゃないですよね。

その時期にとれるものやその土地でとれるものを
いかに美味しく食べていくかという知恵を
私たちはたくさん受け継いできているはずです。
その時期にとれるものには
その時期に必要なものがたくさん詰まっている、
その土地でとれるものには
その土地で暮らす人にとって必要なものがたくさん詰まってる、
そんな大きな視点で食を考えることが
今は欠けてきているのかなあと思ったりもします。
そんな視点の中に子どもたちの食を考える上での大きなヒントがあると、
あらためて考えさせられたわけです。

ずいぶん前の話ですが、
思い出したので書いてみました。

2011年8月11日

No.206 スイカ割りの様子を見ていて

今日は遊戯室でスイカ割りが行われていました。まず最初はクイズです。4人の職員のうち、1人がスイカ、残りの3人はボール、風船、人形をおなかの中に隠しています。誰がスイカを持っているかを当てるゲームです。そのクイズをした後、「スイカを割る」を選択した子と「応援する」を選択した子にわかれてスイカ割りが進んでいく予定でした。

進んでいくうちにこんなことが起こりました。クイズで見事正解したのはぞう組のAくんときりん組のSちゃんの2人。その正解した2人が一番最初にスイカ割りをしたらどうかと、ぞう組のKくんが提案してくれたのです。こうした子どもからの提案が飛び出したとき、どうしても無理なことでなければ積極的に取り入れることにしています。今日もほんの少しだけ流れを変えてKくんの提案通り正解者2名から挑戦してもらうことになりました。このこと自体は特別なことではないのですが、子どもたちの提案を大切にする姿勢を示し続けることは、子どもたちにとってはとても大事なことだと考えています。

子どもたちはいつもいつも前後の流れを十分に理解して提案してくれるわけではありません。とっさの思いつきで提案することはよくあります。もしその場にそぐわないような提案だった場合は、「その考えはおもしろいね。でも今は○○だから今度やってみようか。」といった風にその提案が適当な場を示してあげることも保育者の役割だったりします。大事なのは子どもの発言に対して大人が有用性やおもしろさを感じ、すぐに反応してあげることだと思っています。

大人は子どもたちに対して「自分の考えをきちんと言える」ようになってほしいという願いを持っていると思います。それに対して子どもは自分の言葉をまだ十分に持ってはいません。自分の思いを伝えるのに適した言葉も今から少しずつ獲得していく段階です。獲得するといっても、教科書のようなものから学んでいくのではなく、大人や子ども同士の関わりの中で、他者がどんなときにどんな言葉を使っているか、自分の言葉がどう受け止められたか、そんなことを通して少しずつ言葉を獲得していきます。自分の発言が価値のあるものとして受け入れられた、そんな体験を繰り返していくことが大事なんです。提案が受け入れられていくことは、主体的に活動に取り組むためにも、言葉を学んでいくためにも、自分の価値を知るということでも、とっても大事なことです。

2011年8月8日

遊びとか、幅とか

自分の中の基準に幅があるということは大事。
先日東京から来ていただいた講師の方と話していて感じたことです。

自動車のハンドルやブレーキには“遊び”が組み込まれています。
この遊びがなくても曲がったり止まったりすることは出来るけど、
危なっかしくて安心して運転していられません。
同じように自分の中の基準に遊びがないとしたら、
一見それは合理的なように感じるかもしれないけれど
実は危なっかしい生き方になってしまう可能性が大だと思うんですよね。

「まあそのくらいいいか」とか
「だいたいこんな感じでいいんじゃないかな」とか
そうした考えって今の社会では嫌われることかもしれないけど、
行き先が間違ってなくて
いざっていうときには確実に止まることができれば
そんなにガチガチでなくてもいいと思うんです。

上手く説明できていないけど、
「遊びがある」とか「基準に幅がある」とかって
もっと大切にした方がいいんじゃないか。
特に私は。
そんなことを感じました。

2011年8月7日

じぶんのあたまでかんがえる

先日、ぼくは、
「質問するのが早すぎる人、多くない?
じぶんで考える時間とかって、どこにあるんだろう?」
と、ツイートしました。
せっかく感じられたかもしれない宝物の「違和感」を、
「それはなぜですか?」
「具体的にはどういうことですか?」
「もっとわかるように言ってください」
というふうな質問に乗せて放流してしまうと、
もったいないと思ったのでした。
じぶんで、ひとりで、じぶんのあたまで考える。
結論が出ようが出るまいが、じぶんのあたまで考える。
それをくりかえす以外に、考える力も、感じる力も、
減っていくばかりだというふうに、思うんですよねー。


以前、糸井重里さんがほぼ日刊イトイ新聞で書かれていたことです。
これ、あさり保育所の職員トイレにも貼ってあります。
結論が出ようが出まいがじぶんのあたまで考えるって
子どもにも大人にも必要なことだと思うのですが、
もっと自分で考えたらいいのになって思う場面が
確かによくあったりします。

科学がびっくりするくらい進歩して、
ちょっとした疑問はあっという間に解決したりします。
じゃあ、それに頼っていけばいいのか?と言えば
決してそうではないと思うのです。

覚えることとか、計算することとか、ちょっとした調べ物とか。
そういうことはコンピューターの力を上手にお借りするとしても、
自分の中に沸いてきた難解な疑問とか違和感とか、
他人がどんなことを考えているんだろうとか、
そんなことは自分の頭でトコトン考え尽くすこと。
それを繰り返すことで“自分”が深まっていくんじゃないか、
そんな風に思っています。

2011年8月5日

No.205 海でも山でも探索活動

火曜日にはさくら保育所との年長児交流があり、黒松の海へ行ってきました。さくら保育所の年長児より少し早く海へ到着したため待つことになったのですが、予想通り、子どもたちはすぐに「何かおもしろいものはないか」と探索活動を始めました。カニの穴を見つけてはのぞき込んでみたり、砂浜に落ちている小枝や貝殻を拾ってみたり、とにかく休むことなく動いていました。

この行動を見ていて、先日の「もくもくの日」の後でB保育士がつぶやいていた言葉を思い出しました。

『手頃な木の枝を杖の代わりにしたり、ブンブンするのは本当にたのしい!子どもが棒を求める気持ちがわかります。 だから自分もお気に入りの枝を探して楽しくブンブンしました(周りの人にあたらないことをしっかりと確認して)。』

棒を見つけてはそれを杖代わりにして、棒自体の強度を確かめたり、棒から伝わってくる地面の感覚を楽しんだり。また、振り回したときの風を切る音を聞いたり、物を叩いて物の種類によって音が違うことを楽しんだり。子どもたちはこういうことが大好きなんですよね。

探索活動は子どもの行動の中でもとても大切な行動です。子どもは何にでも興味を持ち、その中から自分とその環境に合うベストの物を選ぶことにより、その分野についてよく知る(研究が進む)ことにつながっていきます。この探索活動を通して子どもの脳は発達していくというわけです。身の周りの物を手で触ったり、棒のような道具を扱うことを身につけたり、どの子もそんな探索活動を行っています。

こうした行動は、おそらくみなさんも子どもの頃に体験していて、どんな時代でも変わらずに続いているものです。もし成長に全く意味のない活動であれば、どの子も行って、どの時代でも行われる活動にはならないはずです。そう考えると、探索活動は子どもにとってというより、人間にとって必要な行動と受け止めた方がよさそうです。

大人からすると、次から次に興味をもってあれこれ触ったりいう行動は、時には困ったことのように見えてしまうかもしれません。でも、大切な意味のある行動と捉えてじっくり観察してみるくらいの気持ちが必要かもしれませんね。一人ひとり興味が違うため探索活動の現れ方も違ってくる、そんな子どもたちの様々な探索活動を大切にしてあげたいですね。

2011年7月29日

No.204 子ども自らが興味・関心をもって

夏祭りが終わりました。今年は450人の参加があり、多くの人と楽しい時間を過ごすことができました。募金とバザーにも多くの方にご協力いただきました。本当にありがとうございます。夏祭り後にも募金の申し出が続いているので、もう少し待ってから報告をさせてもらいます。

今年の夏祭りでは最後に和太鼓の演奏を行いました。あさり保育所とさくら保育所の職員が結成した、チーム「あさくら笑太鼓(わだいこ)」の演奏です。この活動はあさり保育所ではS保育士が中心になってスタートしました。その様子はあさり保育所のホームページからも見ることができるようにしてあるのですが、少しずつ音がそろっていくところや、メンバーの表情が変化していくところなど、よく見ているといろんなことを感じます。

この「あさくら笑太鼓」の大きな目的には、和太鼓の楽しさを子どもたちに感じてもらいたい、大人が楽しんで取り組んでいる様子を見ることで、ぞう組さんの中に「和太鼓をやりたい!」という気持ちが生まれることを期待したい、ということがありました。子どもたちが「あさくら笑太鼓」の演奏を見てどのように感じたか、正確なところはわかりませんが、火曜日から始まったぞう組さんの和太鼓の活動では、“早く叩きたくてたまらない”という表情をした子どもがあちこちで見られました。「あさくら笑太鼓」の活動の意味を改めて感じることができました。

先週から始まった「もくもくの日」の取り組みもそうですが、基本的にあさり保育所の活動は子どものやりたい!という気持ちを重視するため、保育者から無理矢理に取り組ませるということはありません。子ども自らが興味・関心をもって取り組むことが、学びには最も大切なことだと考えるからです。でも同時に、どの子にもいろんな体験をしてもらいたいとも思っています。だからこそ、提案する活動に対して子どもたちが興味を持つための仕掛けには、目一杯力を注いでいます。興味をもって楽しさを感じてもらうためにはどんな工夫や演出が必要か、そんなことをいつも話し合っています。

昨日2回目の「もくもくの日」が行われ、一部ではありますが活動を見て、やはり子どもたちが自然と関わることで得るものは大きいと感じています。なので、もっともっとこの活動に対して興味・関心が深まるよう、まだまだ試行錯誤を続けていきます。

2011年7月26日

両立ではなく調和・バランスを

「両立」という言葉はいろんなところで使われていますが、
これってとても難しいことではないかと思っています。
「あちらを立てればこちらが立たず。こちらを立てればあちらが立たず。」
という言葉がありますが、
果たして「あちらもこちらも立つ(=両立)」というケースが
世の中にどれだけあるでしょうか。
そんなものはほとんどなく、
「あちらを立てればこちらが立たず」のケースがほとんどだということを、
私たちは経験を通して知っていますよね。

例えば仕事と子育てのことを考えてみると、
仕事がたくさんあって忙しいときに子どもが熱を出したらどうするか
まだ仕事が残っているときに、子どもが本を読んでとねだってきたらどうするか
こんなときに両立なんて恐らく無理だと思います。

残念ながら、どんな時でも1日は24時間しかありません。
これはどんな立場にあっても、どんな人でも平等です。
こんなときこそ両立させようと考えるのではなく、
調和とかバランスとか
そういう考え方にならなければいけないんじゃないでしょうか。

何でもかんでも欲しがるとか、すべてをパーフェクトにしようとか、
すべてを欲しがっても、どこかで無理がきてしまいます。
そうではなく、限られた24時間をどう使うか、
どう子育てと仕事のバランスをとるかが大事なのではないでしょうか。
その時々に子育てと仕事をてんびんにかけて、どちらをどのくらい選択するか
その優先順位のつけ方のセンスを磨きたいと、私はいつも思っています。

子育ては決して楽なことではありません。
でもその時期はあっという間に過ぎてしまい、二度と戻っては来ません。
だからこそ「今」を大切にしてほしいと思います。
その「今」を、みなさんと一緒に楽しみたいと思っています。

「両立」ではなく「調和、バランス」を大事にしたいですね。

2011年7月24日

夏祭りが終わりました

夏祭りが終わりました。
たくさんの人たちと思いを共有できた、
そんな夏祭りだったと思います。

会場中にあふれる子どもたちの笑顔、
とっても印象的でした。
そして、多くの人に支えられていることも再確認できました。
ほんとにほんとにありがとうございます。

バザーも募金も、多くの方に協力していただきました。
後日金額等の報告はきちんとさせてもらいます。
みなさんの温かい気持ちを
東北の保育園に届けさせてもらいます。

「つながり」というテーマを掲げて取り組んだ夏祭りですが、
ほんとに大きなつながりになったと思います。
柄にもなく感動してしまいました。
今回生まれたつながりをもっともっと深めていきたい、
今はそんな風に思っています。

何度も何度も言うようですが、
本当にありがとうございました。

2011年7月23日

いよいよ夏祭り

日付は変わって、いよいよ今日は夏祭り。
天気もどうやらいい感じに晴れてくれそうです。

今回用意したバッジができるまでのことを、ふと思い出しました。
3月のあの出来事に対して何かしたいという思いを、
まだ漠然としていたけどその思いの全てをよしとさんに話したとき、
「できるだけシンプルな形で表現した方がいいですね」
といった意味のことを言われたように記憶しています。

人に何かの思いを伝えたいとき、
その思いが大事なものであればあるほど、
力を抜いてシンプルに表現する冷静さが必要だと、
そう教えてもらったような気がします。

そのままでは複雑すぎて人に伝えることが難しい状態だった思いを
シンプルな絵で表現してくれたよしとさんに感謝です。

バッジの絵のラフスケッチが見つかったので、
それを見ながらそのときのことを思い出しました。
みんながつながりを感じられる夏祭りになるといいなあ。





2011年7月22日

もくもくの日

21日(木)は第1回目の「もくもくの日」でした。
自然に生かされるってどういうことだろう?
私たちが掲げている目標である
「自然に生かされる保育」を深めるために
大事な大事な活動になっていくと思ってます。

活動はいたってシンプル。
天候に関わらず、
その日一日は自然の中で過ごすというもの。
既製の遊具なんて何もないけれど、
自然の中のありとあらゆるものが
子どもたちの遊びになっていきます。
と、簡単に書いてしまうのはもったいないくらい
活動の中ではすごーくいろんなことが起こってました。
中身は今後じっくりと説明していきますね。

自然について考える日が続いているんですが、
自然を大切にしようとか
自然と共に生きていこうといった気持ちは、
自然の中で“楽しく”遊んだ体験が
じっくりと時間をかけて育んでくれるものだと思ってます。
大人になったときに、気がづけば自然が大切な存在になっている
そんな風につながる活動にしていきたいんですよね。

今後、いろんな形で「もくもくの日」の活動を取り上げていきますが、
とりあえず21日の写真を1枚だけ。
子どもたち全員がとてもゆったりとした姿だったことが
とても印象的でした。



No.203 美味しい納豆の条件は

いよいよ明日は夏祭りです。ここで何度も書いてきたことなんですが、今年の夏祭りは「つながり」ということもテーマに掲げています。東北地方の方々の思いに共感する、目には見えないけれど“つながり”を感じる、そんなことの大切さを大人の行動を通して子どもたちに伝えてきたい、そう考えています。

このことについてずっと考えているので同じことばかり書いていると思いますが、東北地方の方々に対してというだけでなく、「他者の気持ちに共感する」ということはとても大切なことなんですよね。自分とは違う様々な価値観を受け入れることができる人になってもらいたい、自分以外の多くの人と共に生きていくことを大切にできる人になってもらいたい、そのためにも他者の気持ちに共感する力は絶対に必要だと思っています。

様々な価値観を受け入れるということは、自分にとっての「当たり前」はあの人にとっての「当たり前」ではないということを『当たり前』と感じることができるということでもあります。相手の「当たり前」に「うん、それもわかる」と共感しなければでも、わかってはいるけどこの『当たり前』が難しいことなんです。例えば、納豆を一度も食べたことのない人と納豆を毎日のように食べる習慣がある人の、「きみの家では腐った豆を食べる変わった習慣があるみたいだけど、あれはとても人間の食べ物とは思えないね。」「何を言ってるんだ。オレの家では毎朝納豆を食べないと一日が始まらないんだ。それをなんだ、腐った豆とは!ほっといてくれ。」なんて会話があるとします。納豆を食べない人にとって、納豆を美味しく食べる人を全く理解しようとしないか、自分は食べないけれど納豆を好きな人がいるという事実をそのまま受け入れるかでは、世界の広がり方が全く違ってくると思うんですよね。こういうことって納豆に限らず様々なことに当てはまると思っています。

変な例えのせいでなんだかよくわからない話になってしまいましたが、要するに、価値観が違う他者と関わることや距離が遠かったり状況が全く違っている他者の思いを想像することは大事だということです。美味しい納豆(豊かな社会・世界の広がり)の条件はネバネバ(共感によるつながり)がしっかりあること、ということでまとめになったでしょうか?とにかく明日の夏祭り、みんながいろんなつながりを感じることのできる場になればと思っています。

2011年7月19日

手紙をいただきました

今週の土曜日は夏祭り。以前からお知らせしているように、今年の夏祭りでは募金活動を行います。バザーも一品の単価を上げ、その収益を東北へ届けます。少しでも多くの方に趣旨を理解していただき協力してもらえたらと思っています。

少し前に、ある方から義援金とともに短い手紙をいただきました。その手紙にはこんなことが書かれていました。

『東日本大震災後、家族で何らかの形で義援金を送りたいという話が何度か出てきました。今回の保育所での活動の仲間に入れさせてください。義援金を送られる時、一緒に送ってくださるようお願いいたします。「我が家の家族の思いが太陽を通してつながっていきますように…」』

この手紙を読んでいて、なんというか、その人の思いや家族の思いがじわーっと伝わってきたんですよね。うまく言えないけれど、じわーっと、です。そして、こんな思いを感じている人って、自分を含めてまだまだたくさんいるんじゃないかなあ、そんな風にも思いました。今回のあさり保育所の夏祭りでは、そんな思いをみなさんからちょっとずつお借りして、それをつなげていきたいんですよね。

つながっていくとか、つながっていることを感じるとか、そんなことが実はすごく大事なことだってことをみんなで感じたいなあと思っています。

2011年7月15日

No.202 ひとりごとをブログでも

5月に行った第三者評価のアンケートがまとまったようです。ご協力ありがとうございました。たくさんの方が提出していただいたアンケートと園で行ったヒアリングの結果と合わせて、来月には結果を見ていただけるようになると思います。島根県西部では初めて第三者評価を受審した園となるわけですが、そこには「保育は子どもと保護者だけがわかっていればいい」というものではない、そんな思いもあります。社会全体で乳幼児教育すなわち保育の重要性を共有したい、そのためにも現状を第三者に対してさらけ出してどう見られるか、どこまでその重要性を伝えることができるかということを、一度つかんでおき、整理をしたかったという思いです。

私たちは決してその場しのぎの保育は行いません。今この瞬間の形を整えることに集中するあまり個々の発達を無視してしまい、結果として将来子どもに大きな歪みが出てしまうようなことは絶対にしてはいけないことです。子どもが社会に出たときにどんな風に個々の力を発揮して他者と共に生きていくのか、そこにつなげていくためには乳幼児期にどんな体験をすべきなのか、そんなことを大事にしなければいけないと思っています。そのためにも個々の発達をそのときそのときできちんと保障する必要があり、それが「子どもたちが今をよりよく生きる」ことだと考えています。そんなことを今回改めて考えることができました。

で、こうしたことをいかに第三者、つまり地域の方や社会に対して発信していくかですが、こちらから働きかけをしていかないことには何も変化はありません。「この“園長のひとりごと”を保護者だけでなくもっと広く発信してみてはどうですか?」との評価機関の方からの提案もあり、まずはブログ形式で発信してみることにしました。タイトルはそのまま『園長のひとりごと』、ブログのアドレスは『http://ecbalance.blogspot.com』。ecbalanceには乳幼児期は「養護(生命の保持と情緒の安定)」と「教育」のバランス(「e」ducationと「c」areのbalance)が大事であるという思いを込めて…とこれはどうでもいいことですね。これを機に中身が充実するといった変化はないでしょうが、子どもたちの育ちのため必要なこと、みなさんと共に大事にしていきたいことなどを、じっくりと発信していきたいと考えています。こんなことコツコツ続けていくことくらいしか今は思いつきませんが、今後もよろしくお願いします。

2011年7月8日

No.201 自然と人間の関係

最近読んだ本の中におもしろいものがありました。森林をテーマとした著書を書いておられる浜田久美子さんの「森の力」という本です。その中に書かれていたことで特に興味を持ったのは、『森の幼稚園のような森での活動を多く持っている子どもはコミュニケーション能力が高くなる』というものです。森での活動を通して運動面や健康面でプラスになるのは想像していたことなんですが、コミュニケーション能力が高くなるのはどういうことなんでしょうか。

浜田さんは森の幼稚園の活動を体験して感じたことをこんな風に書いておられます。『コミュニケーションの基本は言語の獲得や相手に対する想像力や場や状況を読み取る力。そのためにはまず自分自身の感情や感覚をきちんと感じ取り、それに対処できることが大事。その感情や感覚をバランスよくマイルドに刺激される機会が森での活動には多くあり、そして喜怒哀楽の感情を制約されずに放出することが許されているのが森の特徴。』これを読んで、なるほどと思います。コミュニケーション=他者と関わるためには相手への想像力が大事で、自分の様々な感情がそのベースとなる。そのための様々な感情を体験する場として森は重要な環境となるという話は新鮮でした。同時に私自身の森や自然に対しての見方が偏っていたかもしれないと気づかせてくれる内容でした。

とてもいい気づきを与えてくれる内容だったので、あらためて森や自然について学んでみようと思っています。あさり保育所の保育目標に『自然に生かされる保育』という項目があります。今まで自然との関わりをおろそかにしていたわけではないのですが、その捉え方についてはまだまだ十分ではなかったかもしれません。4月のこのひとりごとでも書いているのですが、自然をどう活用しようとかどう守っていこうとか、どちらかというと自然を上から眺めたような視点ではなく、私たちも人間も自然の一部であり、自然とともに歩み、自然に対して畏敬の念を感じることを大切にする考え方への転換が必要だと感じています。謙虚な気持ちで自然を眺めたとき、絶えず変化している自然が私たちに何を伝えてくれているか、自然とともに生活ができていたとき人はどんな育ちの機会を与えられていたか、そんなことを整理してみることにします。自然の中へ出かけることが増えると思います。自然の変化に着目した取り組みなども増えていくと思います。できることから、そしてもちろん楽しみながら、子どもたちとともに「自然に生かされるとは?」に触れていこうと思います。

2011年7月1日

No.200 体験してつかんだことこそ

今週の火曜日からプールの活動が始まりました。もう何年も続けていますしお便りでもお知らせしているので、知っておられる方がほとんどだと思いますが、あらためてあさり保育所のプールの活動について説明させてもらいます。

ぞう・きりん・くま組のプール遊びは、まず『選ぶ』ことから始まります。「水遊びは大好きだけど、顔に水がかかるのはちょっと…」という“かにグループ”、「顔に水がかかってもいいけど、でも潜ったりするのは苦手」という“さかなグループ”、「しっかり泳いで遊びたい」という“いるかグループ”の3つのグループから、今日はどのグループでプールに入るかを選びます。子どもたちは自分で選ぶことによって、とても意欲的に活動に取り組みますし、意欲的に取り組むことで活動に対して自信を持ち、次の課題への挑戦意欲へとつながっているのが見て取れる、そんなプールの活動です。「自発的な活動によって自信を深める」ことが情緒の安定にはまず大切なことです。

さて、そんな火曜日のプールの活動でこんなことがありました。くま組のNちゃんは“いるかグループ”を選んでプールに入って遊んでいたのですが、ホースで頭から水をかけていた保育士に「顔にかかるのは嫌だからかけないで」と言いました。それに対して保育士が「でも“いるかグループ”はしっかり泳いで遊びたいグループだから顔にかかっても平気なはずだよ。それが嫌な人はどのグループに行けばよかったのかな?」と言うと、Nちゃんは「かにグループ」と言い、自分が満足して遊べるグループに気づいたようです。そして他の保育士にも「今度はかにグループで入るよ!」と伝えたりもしていて、木曜日のプール遊びでは宣言通り“かにグループ”でしっかりと楽しんでいました。

自分に合った活動ができるグループを自分に問いかけながら見つけていく中では、選択を間違ってしまったことをやってみて初めて気づくということは当然あります。大人が「あなたはこっち、あなたはあっち」と振り分けてしまえば選択を間違える可能性はずいぶん減るんでしょうが、でもこの間違いも子どもにとって大事な学びです。自分の責任で選択し、そこでうまくいった、うまくいかなかったを繰り返すことでつかんでいくものは、確実に子どもの力になっていきます。本から得たこと、人から聞いて得たことより、体験してつかんだことこそ理解が深まる、そんなことを考えさせてくれたNちゃんでした。

2011年6月24日

No.199 丸4年になります

2007年7月から書き始めたこの「ひとりごと」ですが、今回で丸4年になります。保育とは?幼児教育とは?といったことや、あさり保育所ではどんなことを大切にしているかといったことを、保護者のみなさんにきちんと言葉にして伝えていきたい、そんな思いで毎週しつこく書き続けてきました。別に書くのを止めてもいいわけなんですが、ここまできたら何か意地みたいなものもあるのかもしれません。

子どもたちにはこんな社会を目指してほしい、そのために必要な力を確実につけてほしい、そんな思いは4年間全く変わらずにここまできました。楽しいことばかりではない、しんどいことも本当に多い子育てではありますが、一度しかない幼児期の育ちをこんな考え方で一緒に支えていきましょう、そんな思いを書き続けてきたつもりです。どんな風に受け止めてもらっているかは分かりませんが、まあ「ひとりごと」なので今回も淡々と書いていきます。

いつかどこかで書いたと思いますが、あらためて。冬の星空に小さく群れている6つほどの星の集まり「すばる」の話です。昔からきれいな星とされてきたこの「すばる」は1個の星ではなく、星の集まりにつけられた名前です。きれいに輝いている星はだいたい大きな星で、周りの小さな星を引きつけて吸収してしまうことで大きくなり強く輝きます。でもすばるは100個以上の若い小さな星が集まって、それぞれが輝くことで全体としての輝きがより増しているという不思議な星なんです。

以前だと、例えば大きな会社組織などに入ると、個性よりもみんなが同じように考え行動することが求められることが多かったわけです。でも今は、いかに個性を生かしながら豊かな集団を作るか、ということが大切になってきています。『自分の役割を自覚して協力し合い、社会のために貢献することの大切さ』を、星のすばるのようなあり方を、私たちは子どもたちに伝えたいと考えています。子どもたち一人ひとりがそれぞれの光を放つことで集団がより美しく輝く、そんな集団を作ることができるようになってほしいというのが私たちの大きな願いです。あさり保育所の全ての活動の根本の思いはここにあります。

年度初めでもないのに、急に原点のようなことを書きたくなりました。保護者のみなさんと共有したい、大事な大事な思いです。

2011年6月17日

No.198 Tくんの連絡帳の話

少し前の事ですが、連絡帳にこんな素敵なことが書かれていると職員から教えてもらい、読ませてもらいました。ぞう組のTくんの連絡帳の話です。

『いつも水筒のお茶は半分でいいと言っていますが、今日はお散歩に行くのでいっぱい入れといてとお願いされました。自分で調整しています。』

ここに書かれている内容は私たちが大事にしたいといつも思っていることなので、とてもうれしく読ませてもらいました。大人が活動に合わせてお茶の量を調整してあげることは簡単なことです。でもあえてそれをせず、Tくんが自分で考える場が用意されている、だからこそ散歩に行くときはどのくらい必要だろうか?と考えたんだろうと想像できます。お茶のことに限らず、子どもに降りかかりそうな問題を大人が代わりに解決してあげることはいくらでもできます。でも、問題を解決していく力をつけていくためには、まず子ども自身がその問題に向き合うことが必要です。そういう場を「困ったときにはいつでも助けてあげるからやってごらん」という見守りのもとで用意してあげることは、子どもたちの大きな力になると思います。

そしてTくんは考えた結果、「散歩に行くからお茶の量を増やしてほしい」ときちんと伝えています。このようなコミュニケーションの場が用意されていることも、いいなあと思います。自分の力でいろんなことができるようになるのも大事ではありますが、何でもかんでも一人でできるわけではありません。大人も同じで、誰かに頼まなければできないことはたくさんあります。人と協力し合って生きていくためには、「こんなことをして欲しい」とか「自分はこう考える」といったことを相手に伝えることはとても大事なことです。そのためにもそういう場面を多く経験し、そこでうまく伝わった、うまく伝わらなかったという体験を繰り返すことで学んで行く必要があります。このようなコミュニケーションの場を保障してあげることも大人の大事な役割だと思っています。

他者と力を合わせる社会の必要性を、震災後はより強く感じるようになりました。そのためにも関わりの中で生まれる問題を解決する力、お互いの思いを交わすコミュニケーションの力、他者の気持ちを共感する力など、ますます重要になってきます。そのための場を保護者のみなさんと一緒に丁寧につくっていきたい、そんなことを思わせてもらった連絡帳でした。

2011年6月10日

No.197 もう1つのテーマは『つながり』

今週の水曜日に役員会が行われ、7月23日の夏祭りについていろいろ話し合ってもらいました。今年度の夏祭りも「自分たちの住んでいるところを知る ~地域に関わろう~」という1年間のテーマに沿って内容を計画しています。それともう1つ、今回は「つながり」というテーマも掲げたいと思います。

千年に一度といわれる大震災から3ヶ月が過ぎようとしています。今回のこの出来事に対して、あさり保育所では「東北へ心を向ける」ことに取り組むことにしました。決して専門的・具体的支援ではありませんが、東北地方の方々の思いに共感する、目には見えないけれど“つながり”を感じる、そんなことの大切さを大人の行動を通して子どもたちに伝えてきたい、そんなことを考えました。他者の気持ちに共感することの大切さを伝えたいと思っています。

今回の夏祭りに来てくれる「よしととひうた」に、そんな思いを込めた絵を描いてもらえないかと依頼したところ、次のような思いを絵と一緒に届けてくれました。

『つながりと笑顔をイメージし「太陽」を描いてみました。太陽はみんなを明るく照らします。どこから見ても太陽は見えます。実は太陽は日本人みんなであり、遠くにいてもその思いはつながっています。どんな困難があってもみんなで太陽を(上)を向いて生きよう、そんな願いが込められています。』

今年の夏祭りでは募金のコーナーを設置します。募金をしてくださった方には、このたび描いてもらった太陽の絵の缶バッジをお渡しします。その太陽の缶バッジを見るたびに、「東北へ心を向ける」ことを思い出してほしいのです。東北地方で起きたことを忘れないようにすること、大変な思いをしている人の気持ちに共感すること、そのことを大人が子どもへ本気で語ってあげること。その思いは必ず子どもたちに伝わると信じています。そんな風に思いがつながる社会が強い社会だということ、互いに共感し合える社会こそが豊かな社会だということを、なんとか子どもたちに伝えたいと思っています。役員会では、みなさんがあたたかくその思いを受け止めてくれました。そんなことも全部“つながり”だと思っています。様々な“つながり”をまずは大人が感じ、それを子どもたちにもつないでいきたい、そんな思いを持っています。


2011年6月3日

No.196 ぱんだ組の朝の会を見て

昨日のことですが、ぱんだ組の朝の会を見ていました。みんなで円形のカーペット上に集まって1日の流れを確認した後、今日したい遊びを一人ずつが発表していきます。どんな風に自分の思いを表現するだろうか、最初に「○○がしたい!」と言った子の意見に引きずられることはないだろうかとちょっとドキドキしながら見ていたのですが、「ままごと!」「かぐら!」「ねんど!」などと、全員自分のやりたいことをしっかりと発表していました。

自分は○○がしたい、自分は△△が好き!と自分の思いを表明している姿は園内のあちらこちらで見られるので珍しいことではないのですが、それでも見るたびに「すごいなぁ」と感心させられます。自分らしさを保ち、自分の意見を人前で堂々と表明できること。そのためにも自分自身を肯定的に捉え、なおかつ周りの人を信頼すること。子どもたちにはそんなことを大事にできる人になってもらいたいと常々思っているのですが、お集まりの様子を見ていてますますその思いは強くなりました。

自分を肯定的に捉えるというのは、自分の強みを知り、その強みに自信を持ち、そしてそんな自分を好きになること。このことを基盤として、自分と他人があらゆる点で違っていることも受け入れられるようになってほしい、社会の一員として様々な人の違いを認め、様々な人がいることを当たり前と思えるようになってほしい、そんな風に思っています。「自分の思いを表明する」という話からずいぶんそれてしまいましたが、「自分の思いを堂々と表明する」「自分を好きになる」「他人との違いを受け入れられる」「いろんな人がいる社会を豊かだと思う」といったことは、ふかーいところで繋がっていると思うんです。なんだかいつも以上にまとまりがないですね。

さて、この「ひとりごと」がみなさんのもとに届く頃には、ぞう組さんたちはお泊まり保育で大いに盛り上がっていると思います。みんなで作った晩ごはんを食べて、みんなでキャンプファイヤーをして、そしてみんなで寝るわけです。ただそれだけのことですが、明らかにいつもの日常とは違います。いつもは家族で過ごしている時間を友だちと共有する、一種の家族体験、家族で行う役割をみんなで体験する場です。ホームページなどで様子を紹介していく予定なので、ぜひそちらも見てください。

2011年5月27日

No.195 変化や成長を共に感じる場

園庭や玄関周りの工事がようやく終了しそうです。今回の工事や改修ではあちこちが変化したのですが、その変化した部分を保護者のみなさんにもぜひ見ていただきたいと思っています。特に玄関周りの植樹と畑の改修については、どんな思いを持って行ったのかを書いておきます。

まず玄関周りの植樹について。この場所には比較的低い木を植えました。種類はナツメ、ザクロ、キンカン、オリーブ、ブルーベリー、ジューンベリー、アキグミです。果樹をあれこれと植えたわけですが、この場では子どもたちに「触れる」「味わう」といったことを体験してもらいたいと考えています。食べられる実を期待すること、花から熟した実への変化を感じること、待ちきれずに緑で酸っぱい実を食べてしまうことで甘く熟れた実との違いを体験するなど、そこでの子どもたちの姿をあれこれ想像しています。ダイナミックな活動のできる場とは違っていて、自然の変化をのんびりと体験できる場となります。

そして畑の改修について。まだ改修は途中なのですが、1つの大きな畑を小さないくつかの畑に分け、その小さな畑の間には通り抜けられるように道を作りました。栽培活動を行う上でたくさんの野菜が収穫できることはうれしいことです。でも、それが一番の目的でなくてもいいと考えています。まず大事にすべきなのは作物との出会いであり、変化に気づいたり触れたりすることです。今度の畑は子どもと作物の距離が近くなります。面積も少し広くなったので、収穫量を求めなければいろんな種類の野菜を栽培できますし、できた野菜を全て収穫せずにそのまま置いておくとどんな変化が見られるかを積極的に試してみることなど、実験的な試みもやりやすくなるでしょう。そんな取り組みに関わることも、子どもたちにとっては貴重な体験となるはずです。

以上のように、「触れる」「育てる」「気づく」「味わう」「体験する」ための場が増えたわけです。園庭は子どもたちが積極的に活動する場、多くの人が触れ合う場、自然と触れ合う場です。そのためにこれからも変化は続くでしょうし、日々変化し成長することを関わる全ての人と共に感じる場でありたいという思いです。ですから保護者のみなさんも畑や玄関周りを是非のぞいてみてください。お子さんと一緒にいろんな実も味わってみてください。そして「花が枯れそうになってるよ」と教えてもらえることなんかは、結構ありがたいです。


2011年5月20日

No.194 お知らせをいくつか

月曜日のピザ作りは無事に終わりました。感想は既に聞かれていると思いますが、とても美味しいピザができあがり、子どもたちだけでなく私たち大人にとっても楽しい体験となりました。準備から当日の運営までフル稼働してくださったOさんご夫妻には本当に感謝しています。なお、当日は山陰中央新報の「りびえーる」の取材を受けましたので、後日掲載されると思います。

この場で呼びかけていた保護者のみなさんの得意なことを生かした体験の提案ですが、さっそくぞう組のTさんからおもしろい提案を受けました。8割方改修の終わった畑も活用しながら、子どもたちが野菜に対しての興味を持つきっかけになると思われる、そんなおもしろい料理体験です。これだけでは何のことかわかりませんね。詳しく決まればお知らせしますので、もうしばらくいろんな想像をしながら待っていてください。

さて、話は大きく変わって、いずれきちんとまとめようと思っていることについて書いてみます。ほんとにいきなりですが、ヒトの特徴に共感能力があります。他者の立場に立ってものごとを考えたり理解したりすることですが、個を磨くためにも社会を作っていくためにも、とても大事な力だと思っています。他人が何を考えているのか、その背景には何があるのか、そんなことを想像する力は他の動物にはないそうです。そして、この共感能力は他人との関係性の中で磨かれていくということもわかっています。

私たちが子ども同士の関係や大人とのいろんな関係を大事にしているのは、その関わりの中で子どもたちに共感する力を磨いてもらいたいという思いもあるからです。そのためにも、私たち大人が共感をベースにした行動や社会のあり方を子どもたちに見せていく必要があるとも思っています。自分の目の前にいる他人だけでなく、距離も時間も超えた他者に対しての思いを表現することも、共感能力を持つことのできた人間の大きな役割ではないかと考えます。例えば、東北に心を向ける、ということ。無理矢理つなげているように思われるかもしれませんが、心を向ける、目には見えないつながりを感じる、ということの大切さを子どもたちにも感じてもらいたいと思っています。そのために夏祭りで何かできないか、保護者会長さんをはじめ役員の方々とも話をしているので、またきちんとお知らせします。お知らせばかりになってしまいました。

2011年5月13日

No.193 自然に対する思い

昨日は親子遠足がありました。残念ながら今年も雨の遠足となってしまいましたが、それでもサヒメルでの体験はなかなか楽しいものになったのではないかと思います。たくさんの生き物(標本も含めて)を見ることができましたし、地中の様子や野鳥を観察したりするために自然の一部を切り取ったような窓がたくさん設けてあったりと、自然に対して興味を持たせる工夫は私にとっても参考になることが多くありました。

自然について、自然とどのように関わるべきかについて、考える機会が最近明らかに増えました。意識し過ぎないようにしているつもりなんですが、3月のあの日の出来事の衝撃はやはり大きいです。あのような形で、いやいや、あれがありのままの姿なのかもしれませんが、とにかく自然の力を見せつけられて、自然に対する考え方を見直すときですよと言われているような気がしています。私たちは「自然との共生を目指す人になってほしい」という子どもたちへの思いは持ち続けなければいけないと思っています。そのためにも自然のことをもっとよく知り、その上で子どもたちが楽しみながら自然に関わることのできる取り組みを、もっと具体的に形にしていかなければいけないと考えています。最近同じようなことばかり書いていますが、サヒメルでの時間はそんなことをあらためて考えさせてくれました。

話は変わって、いよいよ来週の月曜日にはピザを作ります。以前この活動について「社会には様々な役割を持った様々な人がいることを感じてもらいたい」と書いたのですが、それを受けてぱんだ組のOさんから「自分の仕事を生かして何かできることがあれば協力したい」という言葉が届きました。本当にうれしいことです。そんな風に思ってくれる大勢の保護者に支えられて、あさり保育所の子どもたちは本当に幸せですね。

私たちが子どもたちに身につけてもらいたい力に「自立」がありますが、その「自立」とは、一人で生きていく力ではなく、『社会の中で自分の役割をみつけていく力』です。そのためにもいろんな人、職業、価値観などに触れることを、様々な場面で用意したいと考えています。以前もお願いしましたが、もう一度。「こんな体験はどう?」といった提案があれば、ぜひ聞かせてください。どこまで形にできるかわかりませんが、いろんな提案を楽しみに待ってます。

2011年5月6日

No.192 創造力や探求心を育む環境

森の幼稚園というものをご存じでしょうか。雨の日も雪の日も森に集まり、森の中で移動しながら保育活動を行う幼稚園全体を指すものです。さらに、森の幼稚園には2種類あって、園舎などの施設を持たずに森の中だけで活動している園と、園舎を持ちながら屋外活動の一環として森での保育を行うところがあります。この森の幼稚園は1950年代半ばにデンマークで始まった取り組みで、今ではヨーロッパだけでなく、日本でもその活動は広く行われています。このことについて、ある職員とあれこれ話をしていて考えることがありました。

当然のことながら、森の幼稚園では自然の環境が遊び場です。季節に準じたプロジェクト教育のカリキュラムも充実していて、昆虫、草花、木々や動物の変化を観察します。そして、温暖な季節や天候の日だけではなくて、当然、雪の日も雨風の日もあり、ブトや蚊からどのように身を守り順応していくか、また、そのような厳しい環境の下に身を置くことで、体をとおして自然への畏敬の念を学ぶようです。そんな風に自然から多くのことを学べることはすばらしいことだと思います。

そして既製のおもちゃのない環境でいかに創造的に遊ぶか、ということも大事な点だと考えます。最近は様々な種類のおもちゃがあふれ、子どもたちは常のそれらのおもちゃで遊んでいるために、自ら創造したり工夫をしたりすることが少なくなってきていると言われています。私は、それはある部分は当たっているけどある部分は違っていると思っていて、子どもにとっておもちゃがいいか悪いかという話ではなく、子どもには創造力や探求心が育つようなおもちゃが必要だと考えています。森の中には子どもたちにとってのおもちゃが豊富にあります。木切れ、木の実、切り株、倒木、キノコなど、あらゆるものが子どもたちにとって遊具となります。その遊具を使って遊ぶために、過去の体験を組み合わせたりイメージを膨らませたりします。また常に変化する自然は興味の尽きることがありません。まさに創造力、探求心が育まれる環境です。

子どもたちが探求心をもって創造的に活動できる、そんな保育を行っていくために、毎日森の幼稚園のように…とまではいかなくても、利用できる環境が周りにはまだまだあるように思います。創造力、探求心というキーワードからも、自然とのかかわり方を考え直している最中です。

2011年4月28日

No.191 子どもたちに伝えたい『自由』について

あさり保育所では、子どもたちが活動する中で何度も「選択」をする場面があります。保護者のみなさんも知っていると思いますが、例えば散歩に出かけるときは2つの行き先からどちらにするか選んだりします。遊ぶときはどのゾーンで遊ぶか、何をして遊ぶかを選んでから活動に入ります。ごはんのときは、何をどのくらいの量を食べるか、誰と一緒に食べるかを選びます。午後は自分の体力や体調に合わせて、お昼寝をするか静かに本を読んで過ごすかを選びます。そんな風に、選んで活動することだらけです。

この「選択」を活動の中で大事にしているのは、年齢で活動を分けるのではなく、個々の発達段階に合わせて活動できるようにという意味もありますが、それ以外にも「責任」を学ぶという意味もあります。大人もそうですが、社会の中で生きていくためには自分の責任で行動することが大切になってきます。自分で選択した活動であれば、例えば自分がAという行き先の散歩コースを選んだとき、途中で嫌になっても「選んだのは自分」なので「自分が選んだコースでしょ?最後まで行かなきゃ。」と言うことも出来ます。そしてその経験が次に散歩コースを選ぶときに生きてきます。これが、選択肢がなく行き先が決められてしまうと、そこで自分の責任を学ぶことは出来なくなってしまいます。

そして、選択によって責任を学んでいくと、それが子どもたちの「自由」につながっていきます。「自由」というのはとても大事なことですが、間違ってとらえられることの多いものでもあります。私たちは、「自由」というのは自分の好き勝手にするということではなく、自分の責任で動くことと捉えています。そして、それを子どもたちに学んでもらいたいと考えています。自分の責任で動くことで自由に遊びを広げていき、その遊びをより楽しくしていってほしいと思います。そのためにも、日々の活動の中で選択を繰り返し、自分の責任というものを身につけていってほしいというのが私たちの思いです。

今は少し緩やかになってきましたが、それでもまだ「自粛」という言葉を見かけたりします。誰かのかけ声によってみんなが一斉に自粛をする、ということもありましたが、自粛とは自ら進んで、自らの責任で、行いや態度を慎むことのはずです。行動を通して子どもたちに大切なことを伝えていくのが大人の役目です。自由について、あらためて考えてみてもいいかもしれませんね。

2011年4月22日

No.190 コミュニケーション=対話

新年度がスタートして3週間経ちました。いろんな活動を行っていくたびに、子どもたちの個性や今年度の集団の特徴が見えてきます。今私が感じているのは、誰かが前に出て話をするときに集中して聞くことができている、ということです。これは前で話す人の問題でもあるのですが、こちらに気持ちを向けてくれているというのが伝わってくるだけで話す方は安心できます。朝夕のお集まりや集会などでの子どもたちの今後の様子も楽しみです。

「聞く」に関連することで、今子どもたちに必要とされている力「コミュニケーション能力」について書いてみます。この力の注目度は高く、あちこちでその重要性について耳にする機会が増えてきました。この「コミュニケーション能力」は私たちも大事にしているのですが、例えば上に書いたような“大人が前で話しているのをしっかりと聞く”ということとは少し違います。今の社会で必要とされているのは、コミュニケーション=対話です。ただ話をするとか語学が得意というのではなく、単に「話をする」「話を聞く」ということではなく、「話を交わす」ということです。

最近の子どもたちは、情報を収集する能力やプレゼンテーションの力は増したと言われていますが、それに対して聞き手に合わせて説明する能力に欠けてきていると言われています。その状態は話し手が言葉を発しているだけで、対話になっていないというわけです。対話には当然相手が必要です。しかも、その相手が聞こうとしなければコミュニケーションは成り立ちません。そんな状態を指して、最近の子どもたちには「コミュニケーション能力」が足りないと言われているわけです。

コミュニケーション能力をつけていくためには、子ども同士の関わりがとても重要になってきます。大人との会話の場合、子どもは特に工夫をしなくても大人は話を理解してあげることができます。でも子ども同士だと、なかなか理解してもらえないので工夫が必要ですし、何を伝えようとしているかを一生懸命聞かなければなりません。また、遊びをもっとおもしろくしようとする場合は議論も必要になります。このような経験のできる子どもと子どもの関係をいかに生み出すかを私たちは大事にしている訳ですが、他にもポイントはたくさんあります。そんな場面を見つけたら、また書いてみようと思います。

2011年4月15日

No.189 社会の一員として

来月の話になりますが、保護者のOさん夫婦が保育所にピザを作りにきてくれることになっています。4月19日にオープンするお店のシェフをされるOさんから「子どもたちにピザ作りを体験させてあげたい」というお話があり、面白い体験になりそうだったのでその提案をありがたく受けることにしました。アレルギーのある子も食べることができるように使う食材もあれこれと検討してくれていますし、焼くための釜は園庭に手作りのものを用意する計画も立ててくれています。子どもたちにいろんな体験をさせてあげたいという思いもすごく伝わってきて、ほんとうにありがたく思っています。

少し大きな話になりますが、保育を考える上で押さえておく必要があることとしてこんなことを考えています。人類は社会を形成して、その中で社会の一員として役割を分担して生きてきたという歴史があります。人は赤ちゃんの時から少しずつ社会の一員としていろいろなことを学んでいきます。それは、人との関わりの中で生まれてきます。そして、その関わりが薄くなるのが少子社会だと思います。少子社会では子ども同士の関わりだけでなく、地域との関わり、社会との関わりも希薄になり、逆に、親子の関わりが必要以上に強くなることも意味します。今は間違いなく少子社会です。そんな時だからこそ、子どもたちに社会の一員となる意識をつけ、その中で自分の役割を見つけ、自己の主体性を発揮しながらともに生きる社会をつくる基礎を培っていく必要があると考えています。

来月のピザ作りには“作る過程”を楽しむという目的もありますが、こうした料理を得意とした人がいて、そんな仕事もあることを感じてもらいたいという目的もあります。いろんな人や役割、職業に触れることは社会を知るためにとても大事なことです。こうした活動を通して、社会には様々な役割を持った様々な人がいるということを感じてもらえたらと思っています。そして、その体験を少しでも楽しくできるようにあれこれと工夫をすることが、子どもたちに関わる私たちの役割でもあるのでしょう。職員が自分の興味のあることや得意なことを子どもたちに披露しているのには、そうした理由もあります。ということで、保護者のみなさんの中で「こんな特技を子どもたちに見せてあげたい」とか「こんな仕事の様子を見せてあげたい」といったことがあれば、ぜひ教えてください。“社会のいろいろ”を体験させてあげたいですね。

2011年4月8日

No.188 あらためて『自然に生かされる保育』を考えます

3月11日からずっと震災のことを考えています。ここで書くのは控えようと思っていたのですが、やはりちょっとだけ触れることにします。震災のことを考えているといっても、そればかり考えているわけではありません。ほとんどは保育のことをしつこく考えているのですが、ふとしたときに頭に浮かんでくるんです。みなさんも同じじゃないかなぁと思っています。

直接被災地で活動している人はたくさんいます。また、その人たちを支える活動をしている人もたくさんいます。私はそのどちらにも該当しません。もどかしい気もするんですが、でも遠く離れた島根で飽きることなく保育のことを考える集団っていうのも必要だと思っています。自分の足でしっかりと立つ力をつけておくこととか、社会の中での役割をきちんと担うこととか、そんな力や役割をもった集団の出番は、長い目で見たときに必ずあると思うんです。ある思いを行動に移すにしても個々の力や役割によって行動の仕方は様々ある、そのことを大人が行動して子どもたちに示すことも大事なことなんでしょうね。

今回の出来事で「自然」というものを改めて考えています。当たり前のように周りにあるもの、上手くつき合っていくことで心を豊かにしてくれるもの、といった安易な理解は簡単に覆されてしまいました。そうなんだけど、いやそうだったからこそ子どもたちには自然に対して耳を傾けることの大切は伝えていきたいと思います。自然を無理やりコントロールしようとするのではなく、自然とうまく共生していくためにも、まずは自然に触れることの楽しさを十分に感じてもらうことからかな、と。どんな自然観を持つかというところの基礎をつくっていくこと、それも私たちの大事な役割だと思います。

B保育士とK保育士が中心になってコツコツと新しい花壇を作っています。今から少しずつ増えていくと思います。今年度中2回か3回に分けて園庭の木を増やします。大きな木、小さな木、いろいろです。野菜が育つ様子にもっと関心をもってもらえるように畑のあり方を見直しています。形や大きさも変わっていくと思います。「自然に生かされる保育」という目標を掲げていますが、そのために考えなければいけないことはいくらでもあります。「自然とは何か?」「それに生かされるとはどういうことか?」あるはずのない“正解”を探すことよりも、試行錯誤することを大切に…という姿勢でやっていきます。

2011年4月1日

No.187 新年度スタート

今週の火曜日の出来事です。園庭の倉庫横にある山桃の木の枝をたくさん折ってしまった子どもたちが事務室へやってきました。(特に決めているわけではないのですが、何かを壊してしまった場合などは「園長先生に報告に行っておいで」と職員から言われてるようです。)「木を折ってしまってごめんなさい。」と子どもたちが言うのでどんな状況か見に行ってみると、それはそれはたくさんの小枝が折られていました。

「さあ、この状況で子どもたちにどんなことを伝えようか?」と悩みました。葉っぱはほとんどついておらず、枯れてしまっていると判断したのかもしれません。でも、そうだとしても木は大事にしてもらいたいので、いろいろ考えて根っこの話をしました。小さな鉢をひっくり返して根っこが鉢いっぱいに伸びているのを見せながら、「植物っていうのは根っこのことで、動き回って栄養をとることはできない代わりに、根を目一杯張り巡らせて栄養を取り込み大きくなっているんだよ。見えないけど、地面の下にある根っこのことも考えてみてね。」そんなことを話しました。で、話しながら思ったことがあります。

植物が生きていく上では、動くことができないという制限があります。では人間はどうか。植物と違って動き回ることはできますが、だからといって自由だとは言えないんじゃないかというのが私の実感です。例えば、今すぐ南の島に行ってのんびりしたいと思っても、例えばどこか違う国の人として生まれたかったと思っても、無理な話ですよね。様々な制限があることを受け入れた上で、どんな風に自分は生きていくかということが大切なんです。その上で何を考えどう行動するかが、その人らしさを作っていくんだと思います。あさり保育所にも様々な制限があります。でもその制限の中で子どもたちのためにどんな活動や環境を用意できるか、あさり保育所らしさはそれを考えることでしか生まれてきません。とにかく考え続けてもっともっと大きく成長していきたい、もっと保育を充実させていきたいというのが職員全員の思いです。

今日から14名の新入児を迎えて平成23年度がスタートします。子ども同士の新しい関わり合いもはじまります。行事も例年と同じように計画していますが、でも中身は少しずつ変わっていきます。園庭の姿も変わっていく予定です。いろんなことが楽しみです。1年間よろしくお願いします。

2011年3月25日

No.186 23年度の職員体制を発表します

『自分のために行動する人は1人分のパワーしか出せない。でも、他者のために行動できる人は何人分ものパワーを出すことができる。』と、脳科学者の茂木健一郎さんはよく言われます。ほんとかどうか、私には証明することはできませんが、そういうもんなんだろうなぁと納得している言葉です。

自分の考えを持って自分で決断し行動していく主体性は大事です。でもその行動が自分のためだけに向けられるとしたら、社会はうまく機能しなくなり住みにくい社会になってしまうでしょう。社会が豊かで強いものになっていくためには、やはり他者への視点をもって行動する主体性が必要だと思っています。

私たちが保育を行う上で大事にしていることは「共生と貢献」です。子どもたちには保育所での体験を通じて、この「共生と貢献」を大事にした社会を築くための土台となる力をつけてもらいたいと思っています。様々な人がいて、様々な価値観があることを大切にできる人になってもらいたい、自分は社会に対して何ができるのかを考えて行動できる人になってもらいたい、他者への視点を持って大きなパワーを発揮できる人になってもらいたい、そんな思いです。そのためにも、いろんな価値観をもった様々な人(友だち、大人、地域の人など)との関わりや、様々な役割を経験して役割の重要性を感じることのできる活動などを、今まで同様に大切にしていきます。

最後になりましたが、23年度の職員体制を発表します。手前味噌で申し訳ないのですが、自分の個性を発揮しつつ、全体のために大きなパワーも発揮してくれる人たちだと思っています。子どもたちがより生き生きと活動できる場をこのチームで作り上げていきますので、23年度もよろしくお願いします。

2011年3月11日

No.184 ちょっとだけ来年度の話を

初めての成長展が終わり、多くの方から感想をいただきました。「楽しかった」とか「子どもが成長していることを実感できた」とか、私たちがみなさんに感じてもらいたいと思っていたことを感じてもらえたようで、本当に嬉しく思っています。ありがとうございました。また、「ここはこんな風にしてほしい」といった意見もいただきましたし、私たち自身も改善すべき点やもっと工夫できそうなところたくさん見つけることができたので、確実に次回につなげていくことにしています。これは正式な“来年度も成長展をやります!”宣言ですので、来年度末を楽しみにしておいて下さい。

成長展を通して改めて感じたことは、「 子どもの成長を知ることはとても嬉しい」ということです。そんな当たり前のことをわざわざ言わなくてもと思われるかもしれませんが、わざわざ言わなければ日々の忙しさに埋もれてしまうことでもある、と気づかされたんです。「子育てを楽しみたい」というのはみんなに共通する思いでしょうが、そんなにシンプルには楽しめない大変なことでもあるのが現実だと思います。そんな中で楽しさを感じるのは、“子どもの成長を感じられたとき”だったりします。そう考えると、子どもの成長を感じるための場に身を置くという行為は、子育てを楽しむためにはとても大事なことだと改めて感じたわけです。みなさんに子育ては楽しい!と感じてもらえるように、そしてそれを私たちも一緒に喜べるように、今後も成長展という行事を大事にしていきたいと思っています。

水曜日には今年度最後の役員会が行われ、 少し時間をいただいて来年度の構想を簡単にお話させてもらいました。いくつかあるのですが、その一つは来年度も引き続き行う園庭の改修です。内容は、木を増やしたり遊びの要素をふやしたり、大きな事から小さな事まであれこれです。何を目的にこうした改修を行うかというと、子どもの成長に必要な要素を、周りの自然とは少し違う形で用意をしていきたいという思いがあるからです。振動・落下・平衡・重力といった感覚を獲得できるように、揺する・走る・バランスを保つ・よじ登るといった要素を用意していきたいなどとちょっとややこしいことも考えていますが、要はもっともっと楽しい園庭にしたいということなんです。こんなことを目指し、少しずつではありますが園庭の姿を変えていくことを計画しています。「また工事か…」と思わず、期待感をもってお付き合い下さい。

2011年3月4日

No.183 3月になりました

3月になり、今年度もあと1ヶ月となりました。この時期になると一斉にバタバタと慌ただしくなるシステムはどうかと思うのですが、そんなことを言っても仕方ありません。でも子どもたちの生活は、工夫次第で必要以上に負担がかからないようにすることができるので、そこにはしっかりと力を注いでいます。

例えば、4月からクラスが変わることがあります。 このことについてはずいぶん前から取り組んできているのでずいぶんスムーズになりましたが、5年くらい前までは3月の終わりにバタバタと新クラスへの移行を始め、4月になってもしばらく子どもたちは落ち着かない生活が続くという状態でした。子どもの発達は言うまでもなく連続性の中にあります。しかし一般的には制度上、4月1日には年齢別のクラスを設けて一気に進級が行われます。月齢差があるのにも関わらず一気に進級するこのシステムは子どもたちにとってかなり負担が大きいというのが、子どもたちの姿を見てきて実感していることです。

そんなこともあり、早いクラスでは昨年の12月頃から、 子どもたちの成長に応じて移行を始めています。ぱんだ組(2歳児)さんは、すでに来年度の活動スペースでの生活にずいぶん慣れてきています。子どもたちの生活が成長とはあまり関係のないところでブツッと途切れてしまうことのないよう、そして新しい環境での意欲的な活動ができるだけスムーズに行われるように、残り1ヶ月はじっくりと子どもたちを観察し、丁寧な移行が行われるようにしていきます。

いよいよ明日は成長展です。成長展の目的や内容について、 十分にお伝えできていないことは反省しなければいけませんが、参加してもらえればその意味は感じ取ってもらえるはず、と思っています。この行事は子どもの成長を感じてもらうことが大きな目的です。子どもの成長に気づかされるのは、例えば「こんなに重たくなった」といった身体面の変化や、「こんな言葉を使えるようになった」といった言葉の変化などを感じたときだと思います。しかし、常に目の前の子どもの“今”に向き合わなければいけない子育ての中では、過去との比較は意外と難しかったりするのではないでしょうか。成長展では子どもの成長の過程を感じる要素を、私たちなりに様々な視点から用意しています。その視点を通して、1年間の成長の様子を親子で楽しんでいただきたいと思います。そしていろんな意見や感想を聞かせて下さい。

2011年2月25日

No.182 自分の感情に気づき、受け入れること

突然ですが、あさり保育所の保育者には「子どもたちにとって意味がある!」と感じたことはどんどん実践していく、という傾向が強くあるように感じています。実際にやってみて全てが良かったものというわけではありませんが、それを繰り返すことでどんどん物事が改善されていきますし、子どもに対しての理解の幅が広がるというプラス面が多くあります。とにかく、「子どもの育ちにはどんなことが必要か」という視点を持って考えることは、特に大事にしているところです。

というわけで、また新しい試みがスタートしようとしています。 それは「感情表現パネル」といいます。どういうものかと言うと、「うれしい」「楽しい」「イライラ」「ほっといて」「悲しい」「眠たい」「調子が悪い」の7種類の気持ちを表す顔がかかれているパネルがあり、その顔の下には「うれしい」「楽しい」「イライラ」「ほっといて「悲しい」「眠たい」「調子が悪い」と書いてあります。子どもたちには、この7種類の中のどれかの感情を持ったときに、自分の名前が書かれた洗濯ばさみを自分の感情のパネルに取り付けてもらおうと思っています。

何のために「感情表現パネル」の取り組みを行うかというと、 まず自分の気持ちをきちんと見つめ、それを表そうということがあります。それによって保育者が何か対応したり、友達がどうこうしたりということが一番の目的ではなく、自分で自分のことを客観視しコントロールすることをまずは大事にしようと考えています。そうはいっても、「どうして?」と問うことや、その気持ちに共感することはあるとは思いますが。 人には様々な感情があります。それによって心が動きます。

そして、その動きに気持ちがついていかず悩むこともよくあります。でもそうした感情をコントロールできるようにならなければなりません。原因究明や問題解決よりも、まずは感情をうまくコントロールできることが重要になってきます。そのためにも、まず自分の感情に気づくことが大切です。そして、自分の感情と考えを受け入れることが大事です。この「感情表現パネル」を使って、少しでも自分の感情に正面から向き合えるようになってくれればと思います。感情の大切さについては他にも思いがありますが、今回はここまでにしておきます。ちなみに初の試みなので、まずは職員が試しにこのパネルを使用しているのですが、もし誰かが「ほっといて」のパネルに洗濯ばさみをつけていたらどう対応しようか?と、ちょっとドキドキしています。


2011年2月18日

No.181 人間は○○する動物である

今週火曜日はみんなでお鍋を囲んでの食事でした。みんないつも以上に楽しそうな表情で食べていて、他の子に取り分けてあげる子もいたりと、とてもいい雰囲気の食事の時間でした。その光景を見ていて、「人間は共食する動物である」という言葉を思い出しました。

国立民族学博物館の館長をされていた石毛さんはこのように話しています。
『人類の祖先が狩猟をするようになったことに、食物分配と、それにともなう共食がはじまったのだと思われます。狩猟が男性の仕事とされることは世界の民族に共通します。初期の人類が狩人になったとき、男性がとった獲物を独り占めにせず、肉を持続的な性関係を結んだ特定の女性と、そのあいだに生まれた子供に分配するようになった、それが家族の起源と考えられるのです。共食のさい、限りある食べ物を共食するとき、強い者が独り占めにしないように、食物を分配するルールができます。この食物分配のルールがもとになって、食事における「ふるまいかた」の規範が成立します。それが発展して食事作法となります。食物分配が食事作法の起源であると、わたしは考えています。』

食事におけるしつけと言われるルールは本当に数多くありますが、 全てはみんなで楽しく食べるところから始まります。そして、人にふるまったり、いただいたりすることも重要なことです。鍋を囲んでおこなわれたようなやりとりや、みんなで一緒に食べることは、食事の基本のようですね。 また、水曜日にはカレークッキングがあり、その活動を見ながら「 人間は火を使う動物である」「人間は料理をする動物である」という言葉も思い出しました。

人間の脳は非常に大きいのが特徴ですが、これはあごの筋肉が小さくなったために脳を納めるスペースが広くなったという説があります。それは人類が加熱を伴う調理を習得したために、咀嚼力は以前に比べて弱くてすむようになったからと考えられています。ここから考えても、人間が人間らしくあるためには、料理(特に火を使う料理)が欠かせないようです。

人間らしさが「共食」「火を使う」「料理」を促すのか、「共食」「火を使う」「料理」をすることによって人間らしさが高まるのかは分かりませんが、人間の営みに欠かせないことであるのは間違いないと思います。「共食」「火を使う」「料理」については、今年度だけでなく来年度以降も大事にしていきたい活動です。

2011年2月10日

No.180 ある保護者の感想から

保育参観が昨日で無事に終了しました。ご参加いただき、ありがとうございます。今回の保育参観後に、ある保護者から感想が届きました。その感想を読ませてもらって「こういう“気づき”ってうれしいなぁ」と感じたので、ここで一部を紹介させてもらいます。

『保育参観後の個人面談でのこと。最近上の子は午睡時の布団敷きのあと、先生に抱っこしてもらっているようです。下の子は家でも外でも「抱っこ」「おんぶ」と甘えています。上の子はどうだっただろうか…?一緒に出かけたり、遊んだりするだけではなく、抱きしめるという言葉のいらないスキンシップを忘れていた。大人でも抱きしめられると嬉しい。子どもだってうれしいにきまっている。子育てって、親が子どもを育てていくのと、子どもが親を親に育ててくれるのと一緒なんだと感じた。』

中身は様々でしょうが、 こういう気づきはおそらく多くの保護者が体験されているんじゃないでしょうか。自分の関わり方は十分だっただろうかと考えさせられることや、子どもとの関わりの中で親自身が育てられていると感じることなど、このような気づきを得る場面は子育ての過程にあらかじめ組み込まれているんじゃないかと思ったりもします。初めから完璧な子育てができる親なんていないと思うんです。だからこそ「気づくこと」とそれを「受け入れること」の地道な繰り返しの過程に丁寧に向き合うことが大切なんだと、あらためて考えさせられました。

そしてもう一つ。この感想を読んでいて、 オランダ教育研究者リヒテルズ直子さんが書かれた「うちの子の幸せ論」の中の、オランダの子育てのあるシーンを思い出します。オランダでは『小学校高学年くらいのすっかり大きくなった男の子でも、何か悲しかったりつらかったりして母親のところに寄ってくると、母親は他人が見ているのもお構いなしに、ひざに乗せてしっかり抱擁してやります。』というものです。抱きしめることで、子どもはいつでも受容され自分の存在を認めてもらえているという確信を持ち、そのことで子どもの自立は促されます。自分が自分で本当に好きだと感じられることを見つけて、そして世の中で自立して生きていける人になってもらいたいという願いは、決してオランダだけのものではなく、私たちも同じはずです。子どもに力を与える“抱きしめる”という行為、大切にしていきたいですね。

2011年2月4日

No.179 比べるということ

全く個人的な思いですが、「比較する」ということについて今まで慎重(臆病?)に考え過ぎていたところがあります。例えば大流行した歌「世界に一つだけの花」なんかもオンリーワンを目指すべきで比べちゃいけないという内容です。○○さんはこうだけど△△さんはこうだ、といった会話を耳にすると「比べるのはよくないんじゃない?」なんて言ってきたように思います。そんなことをしているうちに、「比較すること=悪いこと」というイメージを自分の中で作り上げてきてしまっていました。なぜこんなことを書いているかというと、比較=悪という自分の考えに対して、ほんとにそうかなあ?と思うようになっってきたからです。自分の個性とか考え方って、同じような人と話したりすることでも「ああ、一緒だ」って感じることができるけど、より際立つのは正反対の考えの人と向き合ったときのように思います。「なんでこんなに違うんだろう?」と考えることで「自分の考え方はこうなんだ」とはっきりと認識できた経験は、おそらく多くの人がされているんじゃないでしょうか。

「人は一人ひとり違う」 という当たり前の事実も比べないとわかりません。で、比べた上で違いを知り、違うからおもしろいし、違うからこそ相手を認めるということになるのが自然なんじゃないかなあというのが、今の素直な気持ちです。要はどう比べて、それをどう評価するか、ここが一番大事なんだろうと思っています。そして、比較して明らかになった自分の姿を受け止めるためには「自己肯定感」とかが関わってきますが、今この話はやめておきます。

3月5日の「成長展」 はよくある作品展とは大きく違うところがあります。作品展はたくさんの子どもの作品を並べるので、我が子の作品を見る保護者はどうしても他の子と比べてしまい、誰かより上手とか下手とかという見方になってしまいやすいものです。仕方のないことかもしれませんが、その比べかたってどうなんだろう?と、やはり思ってしまいます。その子が一生懸命に自分の気持ちを表して描いた絵をそのままに受け入れること、私たちはこれを大事にしたいんです。こんなに成長した、こんなことができるようになったという子どもの成長を喜んでもらいたいというのが、私たちの願いです。だから「成長展」では、子どもの今の姿を他の子と比較して見せるのではなく、少し前の自分の姿と今の自分の姿を比較して見せるという形の作品展になっています。こんな風に比べて、こんな風に評価してほしい。その思いを書いてみました。

2011年1月28日

No.178 どういたしまして?

今週の火曜日におこなったぞう組さんの生け花教室で、こんなことがありました。全員がお花を生け終えて、指導者の和田先生が子どもたちに向かって「今日はこれで終わります。ありがとうございました。」と言われました。その場は「ありがとうございました!」と子どもたちも言って終わる、そんな流れだったのですが、ぞう組さんが返した言葉は「どういたしまして!」でした。

「ありがとう」という言葉に対して「どういたしまして」 と返すのは、もちろん言葉の使い方としては間違いではありません。でも、今回の「どういたしまして」は、その状況にふさわしい言葉ではありません。もちろんぞう組さんには『この場合は「どういたしまして」ではなく、教えてもらったお礼の意味の「ありがとう」がふさわしい』ということをK保育士が伝えてくれていますが、報告を聞きながら言葉の難しさをあらためて感じました。

「ありがとう」 はお礼を言ったり感謝の気持ちを伝えたりする言葉ですが、言われている場面とか発言している人によって、かなりややこしい内容を含んだものになったりもします。言葉は記号と似ていますが、記号ではありません。「ありがとう」という言葉には「どういたしまして」と反射的に返す、といった単純なものではありません。人は他人との関係の中で生きていて、他人に自分の気持ちや思いを伝える手段のひとつが言葉です。他人との関係の中で生きているからこそ、他人の気持ちを理解するために言葉の微妙なニュアンスのようなものを推測する必要もあるわけです。だから、どれだけ時間がかかったとしても、記号としての言葉ではなく、“人とつながるための言葉”を、多くの人との関わりの中でつかんでもらいたいと思います。難しい面もあるからこそ言葉は重要なんだということを、子どもたちには感じられるようになってほしいと思います。

最後に成長展のことを一言。 今後いろんな形で成長展についてのお知らせをしていきますが、初めてのこの行事、みなさんにうまく伝えられるでしょうか。 『成長展は、あさり保育所の園舎全体が子どもたちの作品の展示会場となっていて、自分のお子さんの作品はどれかを当ててもらうイベントです。当日は親子で参加していただき、一緒にそのクイズを楽しんでいただきます。』 少しは内容が伝わったでしょうか?やっぱり言葉って難しいです。ふぅ…。

2011年1月21日

No.177 友だち100人とか、ピッカピカの1年生とか

今年の初めに「たいへんよくできなくてもいいんです」という2010年新聞広告クリエーティブコンテストの作品を紹介しました。このコンテストの2009年の作品にはこんなものもあります、「人生、何年生になっても“絆”を大切に。だいじょうぶ。友達100人なんていらないんだよ。たった一人の親友がいるだけで、“ひとりぼっち”から卒業できるはず。友情って。広さじゃなくて、きっと深さなんですね。」というものです。絆とか友達というと、みんなと仲良くなるとか多くの人とつながらないといけないと思いがちですが、人の多さではないことを再確認させられる言葉です。

私子どもの頃は入学シーズンになると、「ピッカピカの1年生」 という言葉が飛び交っていたように思います。今はどうなんでしょうか。谷川俊太郎さんらが書かれた「こんな教科書あり?」という本にはこんなことが書かれています。

『1年生を見ていると、いちばん感じているのは新しい環境への不安なんだよね。不安なところから手触りでいろいろなものを見つけたり、おにいちゃんと知り合ったりしている。学校という社会へどうかかわっていっているのかということが、もっと感覚的に出てきたほうがいいと思うの。ところがいきなりピッカピカの1年生、友達いっぱいつくろう、さあ、探検だあ、だからね。どうも実感と全然違う感じがするよね。』

入学というと明るく楽しいものをイメージしがちですが、 もちろんそれもありますが、子どもの心には新しい環境への不安があることも忘れてはいけません。そしてこれは入学に限ったことではなく、次の新しい環境へ移っていこうとしている子どもたち全てに共通することです。そんな子どもたちの気持ちをきちんと察して受け止めたうえで、新しい環境への期待感を膨らませる支えになれたらなあと、あらためて思っています。

『あした、がっこうへいくんだよ』 というオススメの絵本があります。明日入学という子が眠れなくて、ぬいぐるみにいろいろ語りかけるんですが、自分は1年生になるんだと思っているから、自分を投影したぬいぐるみを一生懸命に励ますわけです。ぞう組さんの保護者に限らず、全ての保護者に一度は読んでもらいたいなあと思う1冊です。興味のある方は声をかけて下さい。

移行とか、卒園とか、進級とか・・・、いろんなことが動き出しています。

2011年1月7日

No.175 たいへんよくできなくてもいいんです

2011年の最初の日にある言葉に出会いました。それは『たいへんよくできなくてもいいんです』という言葉です。2010年新聞広告クリエーティブコンテストというものがあって、そこで最優秀賞に選ばれたのが、この言葉が書かれた『元気にさせるハンコ』です。この作品を作った武重浩介さんは、こんなコメントをされています。『「たいへんよくできました」というハンコ。それが象徴するようにたった一つの答えにたどりつくことが正解だと教えられて育ってきました。でも人生において正解を求めても幸せにはなれないんですよね。そもそも正解なんてないんですから。私たち一人ひとりが身近に元気になれる要素をもっているはず。そんな身近にある幸せに気づいて元気になってほしい。そんな思いをこめて制作しました。』

この作品を見ていていろいろ考えるのですが、例えば「 よくできる」という価値観はどこにあるんでしょうか。同じように、「よい子」というのもどのような子を指すんでしょうか。もしかすると、一方的に大人の都合に当てはめて、大人にとって都合がいいというのが「よくできる」ことや「よい子」の基準になっていることが多いのかもしれません。子どもの発達を考えると、子どもは動き回ることが好きでじっとしていることがないのが特徴です。探究心を持っていろんなものを触ろうとするし、じっと人の話を聞くよりも自分からいろいろと話したがるのも特徴です。でもこれらは大人にとって困る項目だったりしますよね。

また、 いまだに子どもたちは競争社会へと出て行かざるを得ないのが現状だったりします。競争が必要ないとは思いませんが、今行われている競争は、切磋琢磨して自己を高めるのではなく、相手を打ち負かすことを目指すことが多いことは問題なのではないでしょうか。今を精一杯生きている子どもに対して私たち大人が示すべきなのは、それぞれの特性を生かす社会をつくり、社会に対して貢献し、ともに協同して生きていく社会を目指す姿勢ではないかと思います。「たいへんよくできなくてもいいんです」という言葉は、子どもたちではなく、まず私たち大人がきちんと受け止めなければいけないと思っています。