2009年1月30日

No.80 りす組とうさぎ組の話から『移行』について考える

2月の園便りで「移行」のことについて書きました。例としてぱんだ組とぞう組を挙げたのですが、ここではりす組とうさぎ組を取り上げてみます。あさり保育所の0歳児と1歳児は、それぞれの子どもの発達の連続性を保障した空間で生活するようにしています。どういうことかと言うと、りす組はこっちの部屋、うさぎ組はこっちの部屋と分けるのではなく、例えば「寝返りから伝い歩き・歩き出してからの静的遊び」はりす組の部屋、「歩き出してからの動的遊び」はうさぎ組の部屋、といった感じです。何ヶ月になったからこうと月齢によって判断するのではなく、一人ひとりの発達段階で判断するということです。これも「移行」と考えています。

りす組とうさぎ組の連携(移行)は、毎年工夫しなければいけないところです。月齢が大きくなってきたりす組の子どもたちは、だんだんとうさぎ組の子どもたちと一緒に生活した方が発達段階に合っているという場面が増えていきます。それだけ著しく成長する時期でもあり、成長の個人差も大きい時期でもあります。そんな特徴のあるりす組とうさぎ組ですから、1年を通して子どもの活動スペースを変えていく(移行していく)話し合いが行われています。

最近K保育士からおもしろい話を聞きました。こんな内容です。
「私が『絵本を読むから見たい人はうさぎ組の部屋に集まってね~』とうさぎ組の子どもたちに声をかけると、活動が活発になってきたりす組の子どもも一緒に集まってくるようになりました。今までは『りす組の○○ちゃんはこれができるようになったから、そろそろうさぎ組さんと一緒に活動するようにしよう』と保育士が決めていたけど、子どもたちは自分で次の段階に移る時期を判断しているのかもしれません。だとすると、私たちはそれを待って対応してあげればいいのかもしれないですね。」

年度替わりに向けた移行のように、どちらかというと大人が主導で時期を決めていくものもあれば、この話のように子どもが自ら次の段階に動き出して移行の時期を知らせてくれることもあると知らされました。子どもは大人に依存しないと何もできない白紙のような存在ではなく、自ら「育つ力」を持って生まれてきていると私は思っています。子どもが持っている力を信じて向き合うことは、どの年齢でも大切なことだとあらためて教わった気がします。

2009年1月23日

No.79 後で伸びる力を大切にしたい

室内環境のことですが、遊びのゾーンを示す表示板に漢字を使うことにしました。「積み木ゾーン」「製作ゾーン」「絵本ゾーン」などです。ふりがなは当然ついています。これは子どもたちに漢字を覚えてもらおうというものではありません。漢字の持つ特徴を考えたとき、室内の表示の1つとして、漢字と触れ合うことがあってもいいのではないかという考えです。

漢字は象形文字の1つで、ものの形をかたどって描かれた文字です。ついでに言えば、カタカナはその漢字の一部を抜き出したもの、ひらがなは漢字の草書体から作ったものです。覚えていく順序は別として、字として何を表しているかは、もしかすると漢字の方が分かりやすいこともあるかもしれません。



  ⇒ 木 

 ⇒ 羊  

 ⇒ 鳥



話は少し変わって、保育所や幼稚園は幼児教育の場とされていますが、私たちは「早期教育」や「就学後教育の先取り」ではなく、『就学前教育』を大切にしています。例えば文字を書くということを考えると、その入り口は「線遊び」です。まっすぐな線、ゆらゆら線、ぐるぐる巻き、点々。自分の手を動かし思った通りに線をひけることが、文字を書くためには必要です。文字が書けるようになることより、遊びや生活の中でこうした力を確実につけていくことが、まずは大切です。

昨年の卒園式で卒園児にこんなことを話しました。
「小学校に行くと、いろいろな勉強が始まります。でも心配はいりません。たとえば国語という授業では字を習います。しかし、皆さんはいっぱい絵を描いたり、線を書いたりして遊んだと思います。ぐるぐると線を描くと、それが「の」という字になったり、「し」という字になったりします。それが字を書くということです。また、算数という勉強があります。みんなは毎日ごはんを食べるときに「いっぱい、すこし」とか「おおい、すくない」とか「1個、2個」とか、そんなことを言って、ごはんやおかずを盛り付けてもらっていました。それが算数です。保育所でやっていたことが、学校ではとても役に立ちます。」

学校で習うことを先にやることが役に立つのではなく、後で伸びる力をつけてあげることのほうが重要ですね。

2009年1月16日

No.78 『もったいないデー』の意味

来週の話ですが、ぞう・きりん・くま組を対象に、「もったいないデー」という日を設けて環境について考えることになりました。どのようなことをするかというと、生活の中で使える水の量を制限して水の大切さを考えようというものです。生活に使うすべての水というわけにはいかないので、ペットボトルに約300mlの水を一人ずつに用意し、その水でその日のうがいと歯磨きをしてもらいます。

今の生活の中では、水はあって当たり前のものとして存在しています。でも水も貴重な資源の1つで、いつでもどこでも好きなだけ使えるものではありません。そんな水の存在を考えるために、無限にある(と思われている)ものを一時的に有限にすることで、大切さを感じてもらおうというのがねらいです。これは、毎年1年間のテーマを決めて話し合いを行っているプロジェクト活動(社会福祉法人花の村全体の取り組みです)の1つ、「子どもと自然の関わり方プロジェクト」からの提案によるものです。

以前も書きましたが、環境を守るとか、ごみを捨てないといった道徳や倫理観は、決して言われたり罰せられたりするからやるものでもなく、覚えこまされるものでもなく、そのものへの愛着とか、そのものが自分にとってどういう意味があるかという認識とか、それらと楽しく過ごした経験などから生まれてくるものだと思います。知識としてではなく、『体験』することが必要です。たった一日の体験だとしても、日常のどこかでふと思い返すことがきっとあるでしょう。「水を大事に使わなければ」と、そのときの記憶が行動に変わっていくことを願います。

私たち大人も体験から多くのことを学んできました。手を切るような冬の水の冷たさの体験から、蛇口からお湯が出て来ることのありがたさを感じてきました。凍えるような寒さの体験から、暖房のある生活のありがたさを感じてきました。そうした体験が、環境を大切にしようという思いにもつながります。私たちはそんな大切な体験を、今度は子どもたちに受け継いでいかなければなりません。子どもの持つ「体験から学ぶ力」を信じ、様々な葛藤の体験を生活や遊びの中に用意することも、私たち大人の大切な役目です。

2009年1月9日

No.77 お正月遊びの意味を考える

2009年最初の「ひとりごと」です。今回はお正月の遊び(伝承遊び)の話です。今子どもたちは保育所で様々なお正月遊びを楽しんでいます。お正月遊び・伝承遊びといわれるものには、カルタ・すごろく・こま・凧あげ・羽根つきなど、いろんなものがありますが、これらの遊びの持つ意味を自分勝手に解釈して書いてみます。

まずはカルタについて。カルタは少なくとも読み手1人と取り手が最低2人、みんなで3人以上がいないと遊べません。遊びながら他の子どもとの関わることによって、他者への理解、社会的ルールなどが身についていき、社会性が養われていく、そんな遊びです。またカルタの取り札は、読み札の文章の一番頭の音が絵とともに書かれています。日本のひらがなは一音に一文字を当てはめるので、まず単語を音節に分解することが必要になります。カルタは、文章の最初の音節が書かれている札を取る遊びです。この遊びはこの先子どもたちが文字を習い始めたときの基本の練習になります。「しりとり」も同じですね。

次にすごろくについて。全体の進行は、ふりだしから上がりまでが一つのストーリーになっているものが多く、途中で一休みがあったり、戻ったり、いくつも進んだり、抜きつ抜かれつのシーソーゲームの要素があり、その経過から人生を学べるようになっていると言ってもいいかもしれません。また、すごろくで使うさいころは、「ドット」(黒い●)の数で数の量を表わしています。それを1対1対応(ここではさいころの●の数とこまの進むマスの数を対応させること)で数えて、こまを進めていきます。数を理解する上でこの1対1対応を数多く体験することは、とても大切なことです。

全部は書けなくなりましたが、その他の遊びもとてもシンプルな物が多く、しかも遊びの技術が次第に高度に発展していくものが多いので、同じ遊びを長く続けていても飽きることなくチャレンジする楽しみがあります。さらに、伝承遊びは長いあいだ子どもの世界で受け入れられて来たために、子どもの興味関心や発達にマッチしたものであり、また危険性などについても長い間の実証があるので安心です。子どもたちが熱中できるこれらの遊びを、お正月遊びとしてだけでなく伝承遊びとして取り入れ、大切にしていきたいと思っています。