2012年4月29日

笑顔のTさん

NHKのヒューマンという番組でこんなことが紹介されていました。

赤ちゃんに知らない人の顔写真と野菜など顔以外の写真の両方を見せたとき、どんな反応をみせるかいろいろな調査方法で調べてみると、顔写真を見せたときのほうが脳の活動は盛んになるということがわかりました。人は生まれながらにして人の顔を識別することができるようです。

またこんな話もあります。

ある患者さんは目の機能自体は健全ですが、脳卒中によって視覚野が損傷しているために像を結ぶことが出来ず全盲になってしまいました。この患者さんに四角とか丸の映像を見せても偶然に正解する程度の認識しかできなかったのですが、人の顔を写った写真を見せたときはその中の怒った顔や喜んでいる顔に対して「快」「不快」の感情を判断することができたようです。どうも人の表情からの情報は視覚野だけでなく脳の違う領域でも判断しているのではないかということのようです。

人間は他人の表情を重要な判断材料としているようです。赤ちゃんのうちから人の顔を識別する力を持っていることや、意識的に見て分析しなくても(視覚野で処理しなくても)脳で処理されることからも、そのことは十分に推測できます。そのような能力をもち、人類は他人と関わり協力し助け合うことで生き延びてきたことが分かってきています。

で、ここからは私の勝手な浅い考えの話なんですが、その表情の中でも笑顔は人と人を結びつけるうえで重要な役割をもっていると思っています。単純な話ですが、素敵な笑顔を振りまいてくれる人がいると、それだけで周りの雰囲気は明るくなりますよね。素敵な笑顔をもっている人は社会にとって大事な役割をもった存在なんだろうと、私は思っています。


今日はあさり保育園で一番の笑顔の持ち主Tさんの結婚式でした。その笑顔を大切にして、ごきげんな家庭を築いていってくださいね。

Tさん、本当におめでとうございます。


2012年4月28日

保護者講演会

保護者講演会が終了しました。
来ていただいたみなさん、ありがとうございました。

講師はネイチャーセンター冒険あそびの森代表の内田幸一さん。
長野県に森のようちえんを作られて約30年。
日本の森のようちえんの第一人者です。
そんな方の1時間30分のお話は、思った通り学びの多いものでした。
その中で特に印象に残ったことを書いておきます。

森のようちえんを体験した子は問題解決が穏やかになる。
それは何故か?
当たり前のことだけど自然は自分の思い通りにはいかない。
雨に止んでもらうわけにはいかない。
冬の寒さを和らげてほしいと言ってもどうにもできない。
ではどうするか?
自然を変えられないなら自分を変えていくしかない。
雨が降ったら自分がカッパを着る。
寒いのであればあたたかい服を着る。
森のようちえんを体験した子は
自然に合わせて自分を変えることが当たり前になる。
それを今度は人間関係にも生かすことができるようになる。
他者とぶつかったりしたとき、変えられない他者に対して
自分が変化しないといけないということに気づけるようになる。
様々な問題を協力で乗り越えようとするようになる。


これってとても大事なことです。
自然は変えられないから自分を変えていく。
人は変えられないけど自分は変えることができる。
こんな体験ができる場を十分に用意してあげたいですね。

2012年4月27日

No.242 土曜日の保護者講演会のはなし

『もし、幼いときに、自然のなかで自由に遊ぶ自分を見守り、その遊びを丸ごと暖かく受けとめてくれるおとながいるという経験からすべてがスタートし、いつもそうした機会が与えられたら、その子はどのような育ちをするか想像してみてください。自然のなかで発見すること、行なうことをともに驚きや喜びをもって共感してくれるおとながいて、自分をこよなく愛する態度で接してくれていたら、その子にとって自然はどんなにかすばらしい世界となることでしょう。自然はそれ自体、人の力などはるかに及ばないすばらしいものですが、それを輝かせるか色あせさせたものにするのかは、そこに仲介者として関わる人間の感性によるのです。子どもを、このすばらしい自然の世界にいざなう良き案内人になるかならないかは、おとな自身のなかにあります。幼児の自然体験の鍵は、ここが出発点、基礎の基礎といえるでしょう。』

この文章は28日(土)に行われる保護者講演会の講師である内田幸一先生の言葉です。今回内田先生をお招きしようと考えた理由の1つには、昨年度からスタートした“もくもくの日”の持つ意味について、保護者のみなさんと一緒に考えてみたいという思いがあります。でも、考えたいのはもくもくの日のことだけではありません。もくもくの日はあくまでも保育の1つの方法であり、そのことを考えるということは日々の保育や関わり方を考えることでもあります。

例えば上の文章に「発見すること、行うことをともに驚きや喜びをもって共感してくれるおとながいて…」とありますが、これは「共視」という行動でもあると捉えています。子どもは情緒が安定していなければ自分から積極的に新しい環境へと働きかけていく行動を起こしません。その情緒の安定のためには、子どもと見つめ合って「ちゃんと見ているよ」というメッセージを伝えることはもちろん大事ですが、横に並んで、もしくは少し離れたところから「あなたが興味を持っているものを私も興味を持って見ているよ」というメッセージを伝えることも大事なんです。このことを「共同注視(ジョイントアテンション)」つまり「共視」というのですが、同じものを見ている人がいるという安心感が新しい世界への挑戦の意欲になっていくんでしょうね。この「共視」は子どもの育ちを考える上でとても重要なことで、最近は特に注目されてきています。土曜日の講演会は自然体験の話が中心になるとは思いますが、そこから子どもの活動を大人がどう見るかということを考えてみるのもいいかもしれませんね。

2012年4月24日

2012年のテーマは「世界を知る」

保育園の5月のテーマはイタリアということで
今日はピザ作りを指導してくれる方が来てくださり
当日に向けての打ち合わせをしました。
昨年の反省を踏まえてピザ窯を少し大きくするとか
使う野菜は畑でできたものを多くするとか、
すでに楽しくなりそうな予感がしています。
新しくできたスパイラル花壇にバジルを植える予定もあるので
それも使えるんじゃないでしょうか。
なんだか本格的なピザ作りになってきました。

「世界を知る」というのがあさり保育園の今年のテーマ。
5月イタリア、6月フィリピン、7月イギリス、8月アメリカ、
9月エジプト、10月中国、11月韓国、12月オーストラリア、
1月ドイツ、2月ロシア、3月インドというのが
今のところの年間計画です。
当然もっと違う国を選ぶこともできるわけですが、
保育者がなぜその国を選んだのかという理由を聞いていると
「ああ、これでいいんだろうな」と思いました。
理由については少しずつ紹介していくことにするので今は書きませんが、
それぞれがそれぞれに意味を感じるものでした。
そもそも全ての国を取り上げることはできないし、
こうやって絞ったところから考えることで
捉え方が深まっていくことを期待しています。

途中で取り上げる国が変わることもあるかもしれません。
あるとしたら子どもたちからの提案が出てきたときとかでしょうね。
子どもたちがどんな風に関心を示してくれるか、
いつものことですがそれが楽しみです。
このテーマはあくまでも切り口です。これが全てではありません。
普段から私たちが伝えたいことや体験してもらいたいことを
世界のいろんな国を切り口として楽しんで実践していくためのものです。
子どもだけでなく保護者にも楽しんでもらいたいと思っています。
もちろん保育者にも楽しんでもらいたいです。

あとは内容について。
イタリア、フィリピン、中国、韓国、ドイツあたりは
いくつかイベントの案、関わってもらいたい人の案があります。
でも他の国はまだこれから、という状況です。
「○○をしてみてはどうだろう」とか「○月に関わってみたい」とか、
そんな提案があれば大歓迎です。
いろんな声をお待ちしています。

2012年4月21日

人間関係とか、コミュニケーションとか

先日ある会議に出席し、
「若い保育者がやりがいを感じながら保育をおこなうためには
園長はどんなことを考える必要があるのか」
といったことを議論してきました。

若い保育者がどんなことで悩んでいるのか
そんな話題にもなったのですが、
人間関係で悩んでいる例が多く聞かれたことには
「やっぱりそうか」という思いでした。
その「人間関係」で悩んでしまう理由には
コミュニケーションが苦手という傾向があるとも聞きました。
よく考えるとこの人間関係やコミュニケーションの悩み、
これは決して若い保育者に限ったことではなく、
ベテランの保育者もどんな仕事でも、
どんな集団や社会でも存在する悩みですよね。

人間関係の悩みが生まれる理由はいろいろですが、
コミュニケーションが苦手というところからも生まれます。
ではコミュニケーションの力をつければいいじゃないか
そう簡単に考えてしまうのですが、
これが簡単にはいかないことないんですよね。
この言葉を言っておけば大丈夫とか、
そんな話ではないからです。

コミュニケーションは生き物です。 決まった形なんてありません。
Aさん「この花、きれいですね」
Bさん「そうですね、こっちの花もきれいですよ」
Aさん「うわあ、ほんとですね」
と、こんなやりとりをあらかじめ想定していても、
Aさん「この花、きれいですね」
Bさん「私は花がだいっきらいです!!」
と、想定していなかったパターンで裏切られることもあり得るわけです。
そもそも他人が何を考えているかわからないし、
瞬間で対応しなければいけないのがコミュニケーションです。
突然「この花きれいですね」と言われたとき
「そのことに関しては一度持ち帰って明日の朝お答えします」
そんなことを言っていたらコミュニケーションは成り立ちません。
そんな条件のもとで他者に自分の思いを伝え、
他者の思いを聞く中で関係を作っていくという作業は、
決して簡単なことではないんですよね。

そしてよくないよなぁと感じてしまうのが
「自分の考えを論理的に伝えて相手を言い負かす」ことが
なんだか最近もてはやされている気がすることです。
考え方の違う他者と社会をつくっていくためには
他者と「どう折り合いをつけていくか」が大事で、
そのためには「ここは譲るけど、ここは我慢してね」
そんなコミュニケーションがますます大事になってくると思っています。

子どもの世界にも似たようなことはよくあります。
例えば自転車に乗っているAくんに対して
Bくんが「自分も乗りたい!」と主張してくる、
そんな場面はよく見られます。
Aくんはほんとは1人でずっと使いたい、
でもそれを通そうとすると「ボクも乗りたいのに!」と返ってくる。
自分の思いだけを通そうとするとなんにもまとまらず、
時には相手が泣いてしまったりケンカになってしまったり、
ほとんどの場合はいい結果にはなりません。
「(今はダメだけど)ちょっとしたら貸してあげるね」とか
「(1人で使うことはあきらめるけど)じゃあ一緒に使おう」とか、
「ここは譲るけど、ここは我慢してね」というような調整が
他者とともに遊んだり生活する上では欠かせません。

でもこれは最初からうまくできることではなくて
子ども同士が関わる中で失敗も繰り返しながら
「ああ、こうすればこうなるのか」と学んでいくことだと思います。
誰かが代わりに調整してくれるのではなく
自分自身で調整の必要性や方法を学んでいくことです。
そしてそのように調整しながら他者と関わっている
そんな大人の姿を見て学んでいくことです。

他者との違いを受け入れたり認め合ったりするためにも
子どもの頃から日常的に他者と関わる中でコミュニケーションを駆使し
上手くいかなかったり、たまに上手くいったり、
そんな体験を繰り返すことができる環境を用意することは
私たち大人の大切な役割です。
そしてこんな風に他者と折り合いをつけて集団や社会を作っていくんだと
身をもって示すことも大人の大切な役割だと思うわけです。

人間関係について思うこと、コミュニケーションについて思うこと、
そんなことを書いてみました。
ほんとはもっと整理が必要なんでしょうけどね。

2012年4月20日

No.241 子どもの好奇心の話

みなさんの大好きな絵本、思い出に残っている絵本は何ですか?私の大好きで思い出に残っている絵本は「ひとまねこざる」です。この絵本、今では「おさるのジョージ」シリーズとしてたくさんの作品が出ています。この「ひとまねこざる」を知っている人は多いと思いますが、とても知りたがりやで人まねが大好きなおさるのジョージの話です。レストランに行けば大きなお鍋いっぱいのスパゲッティを体中に巻きつけてしまうし、窓のガラス拭きに雇われても覗いた部屋のペンキ屋さんの真似をして、勝手に部屋中に絵を描きジャングルにしてしまい大騒動になるし、といった内容です。この本は今見てもワクワクしてしまうんですよね。子どもなら誰でもしてみたいと思うことを全てやってしまうジョージの行動を、同じようにワクワクしながら見ていた人は多いはずです。周りの大人から見ると迷惑ないたずらにしか見えませんが、本人にしてみたらとても一生懸命な本気の活動というところが、まるで子どもたちを見ているような気持ちになります。

この本の原題は「Curious George(好奇心の強いジョージ)」といって、見るモノ全てに好奇心を抱いて知りたがり、そしてやってみずにはいられないジョージの姿が全てのシリーズで描かれています。このジョージは大人から見ると困ったいたずらをしていることになるわけですが、本人はいつも楽しそうで失敗してもすぐにニコニコになります。そして失敗に懲りることなく、またいろいろなことに興味をもって挑戦しいきます。これはまさに子どもの姿ですよね。

この好奇心は私たち人類にとって大事な特性であることが分かってきています。子どもたちの好奇心によるイタズラを考えてみると、まずそのものを「観察」し、そのもとになる「原因」を考え、そして「試して」みる、これが子どものイタズラです。で、このイタズラは「創造」することへつながっていきます。好奇心が新しい道具を生み、環境に適応しながら自分たちの文化を創りあげてきました。そんな物事の始まりでもある、大事な好奇心をもった子どもたちの姿を、私たち大人は困ったこととして受け止めるのではなく、人類にとっても大事なことを学んでいる時期だと受け止める必要があると思うんですよね。子どもを理解するためにも、このジョージの絵本はオススメですよ。


2012年4月13日

No.240 新1年生の姿から

この場ではあさり保育園の子どもたちのことを書こうと思っているのですが、すごく気持ちのいい光景を見かけてしまったので、ちょっとだけこの前卒園したばかりの新1年生のことを書かせてもらいます。4月10日(火)に江津市内の小学校では入学式がありました。その入学式後には、新しい制服を着てランドセルを背負ってその姿を見せに来てくれる子が多いんですよね。私たちにとってとてもうれしい出来事です。駐車場では誇らしげにしている新1年生ですが、テラスに並ぶ「早く近くに来てその姿をしっかりと見せて欲しい!」という私たちの表情が近くなるにつれて恥ずかしくなってしまうのか、うつむき加減でモジモジとし始めます。中にはテラスまで来ずに静かに駐車場へ引き返す子もいたりします。そんな姿からも「小学生になった」という成長を感じることができて、こちらはますます笑顔になってしまいます。

そして園舎内に入ってテラスに出られない保育者にその姿を見せて回ってくれる子もいるのですが、その中で新1年生のSちゃんはよくお世話をしてあげていた子どもたち一人ひとりのところへ行き、「来たよ〜!」と手を握ってあげていました。もちろん手を握られた子の方はすごくいい表情になって、しばらく無言でSちゃんと微笑み合う、そんな姿を見せてくれました。子ども同士の関係は大事にしているのでよく見られる光景ではあったのですが、こんな風にお互いの立場が変わってもその関係は形を少しずつ変えながらも続いていく、そんな他者とのつながりを自然につくれるようになっている子どもたちの姿を見せられると改めて感動してしまいます。他者と協力することで命をつないできたのが人類のです。協力するためには他者に共感すること、そしてそのためのつながりを作ること、それが人類の特徴でもあります。そのための力を子どもたちは生まれたときから持っています。その力を引き出していくための支えになること、そしてその力を発揮する環境づくりを今まで以上に意識していきたいと、新1年生の姿から改めて思わせてもらいました。

12日(木)はぞう組さんがさくら保育園の年長児と一緒に高仙に登ってきました。そこでみんなで見た風景はどのように子どもたちの中に残るんでしょうか。そして6月に同じメンバーで行うお泊まり保育にどうつながっていくんでしょうか。子ども同士のこれからの関わりがどのように育っていくか、いろんなことを楽しく想像できるのが4月の楽しさの1つです。

2012年4月7日

睡眠について

「眠りたいけど眠れない」という本があります。
ここにはとても興味深いことが書かれています。
第1章は福田一彦氏が担当された
「お昼寝がつくる幼児の夜更かし」という内容です。

そこには
「保育園児は、幼稚園児と比べて寝る時間が平均で
約30分遅いのですが、起きる時刻に違いはないので、
結果として夜間の睡眠時間は、保育園児で短くなっています」
と書かれています。
これは福田氏らの研究以外でも認められていることなので
おそらく一般的な傾向であると思われるとのことです。

子どもの睡眠、特に昼間の睡眠の特徴を考えてみると、
生後半年〜1歳までの間はほとんどの子どもが
1日あたり約2回の昼寝をとっていたのが、
2歳になると1日ほぼ1回の昼寝をとるようになり、
それは3歳まで続きます。
その後3歳以後は昼寝をとる子どもの数が減り、
小学校に上がる年齢である6歳には、
ほとんどの子どもが昼寝をとらないようになっていきます。

言い換えると、
生まれた直後には24時間のリズムがなく、
発達につれてリズムが現れ、
その後夜間には睡眠が集中し、
昼間からは睡眠が一掃されていくプロセスをたどる、
ということになります。

その中でも幼児期の睡眠に注目してみると、
夜間の睡眠は発達によってもほとんど変化はないのですが、
昼間の睡眠は発達につれて明らかに減少していきます。
これは幼稚園児を調べても、週末の保育園児を調べても、
またアメリカの幼児を調べた結果でも
ほとんど変わらない結果となっているようです。

唯一違っているのが平日の保育園児の結果です。
3〜5歳の3年間、睡眠時間はほとんど一定に保たれています。
このことと「保育園児は幼稚園児と比べて寝る時間が約30分遅い」ことは
無関係ではないと思うんですよね。

まあそこを関係づける前にここから何を読み取るか、です。
「昼寝のあり方」とか「発達差」とか、
そんなところがキーワードになってくるんでしょう。

シグナルを適切に受信する

副園長のご主人はいつもおもしろい情報を届けてくれます。
「この本はおもしろかった」と本を届けてくれたり、
「この雑誌の記事はなかなかおもしろい」と
付箋をつけた雑誌を届けてくれたり、
ときには講演会の講演内容をまとめたものを届けてくれたり…。

しかも私が好む話題をよく知ってくれているようで、
届くモノの全てがおもしろいんですよね。
おかげで視野を広げることにもつなげられてるし、
そのことがヒントになって行動を起こしたことは何度もあります。

で、一昨日届いたものもかなりおもしろいモノでした。
「おむつ研究」は「コミュニケーション研究」である、という話。
おむつのことが中心の内容なんですが
おむつのことはちょっと置いといて、
こんな文章が頭に残りました。

『新生児が生まれた最初の数週間のあいだに
「私の発信するシグナルは(ごくわずかな身振りや身体の震えや
体温の変化だけで)適切に受信された」という経験をすることは、
その後の人生における対人コミュニケーションへの信頼の深さに
決定的な影響を与えるだろう。…これがそれから後の子どもの人生に
どれほど揺るぎない基礎を与えることになるであろう。
どれほどの「余裕」と「お気楽さ」と、「好奇心」を
もたらすことになるであろうか。』


最初の数週間と言わず、どの時期の子どもも
「シグナルを確実に受けとってもらえた」と感じられることで
自発的な活動につながっていくし
新しい世界への挑戦意欲につながっていくと思っています。
また、ここで書かれている「余裕」「お気楽さ」「好奇心」、
これも大事な力なんでしょうね。

大人が子どもに何をしてあげるかということの前に
まずは子どものシグナルに気づき、確実に受けとること。
これが子育てでもっとも大切なことなのではないか、
保育園で子どもたちの姿を見てきて強く思っていることです。

2012年4月6日

届きました

社会福祉施設長資格認定講習の修了証書が届きました。
取り組んだ科目は以下の通り。
社会福祉概論、心理論、医学一般、人事・労務管理論、
社会福祉援助技術論、介護概論、社会福祉施設経営管理論、
財務管理論、老人福祉論、公的扶助論、地域福祉論、
社会保障論、児童家庭福祉論、障害者福祉論、法学、社会学。

なんて数だ!と最初は思ったけど、
なんとか、ほんとになんとか無事クリアです。
もちろんこれらのことを全て把握したなんてことはなく
大事にしなければいけないポイントがなんとなくわかった、
その程度のこと(本当はそんなことではいけないんでしょうね)なんですが
自分が何に強く関心を持っているかがよく分かった1年にはなりました。
特に障害者福祉論なんかは興味がさらに深くなりましたね。
綿祐二さんというおもしろい方の存在も知ることができたし。

とにかく資格を1つ取得できたわけなんですが、
その資格があるから何かが変わるなんてことは絶対にありません。
資格の有無に関わらず日々どんな行動を起こしていくか
結局はそれに尽きると思います。

ということで、また今までと同じように想いを大切にして
1つ1つ行動を積み重ねていくだけです。

そうはいっても修了証書が届いてちょっと安心しました。

No.239 24年度が始まりました

新年度が始まりました。新しい友達が加わり、今までとは違った子ども同士の関係や活動がこれからどんどん生まれてくると思います。そんな子どもたちの様子を伝えたり、あさり保育園の思いを伝えたりといったことを、今年度もこのひとりごとの場で細々とやっていこうと思います。よろしくお願いします。

4日(水)には保護者会総会が行われました。ここで24年度の役員さんが決まるわけですが、「今年は役員をやろうと思ってた」とうれしい言葉を何人もの方から聞かせてもらいました。役員になると、激務というわけではありませんが、それでも役員会があったり行事ではお手伝いをしていただいたりと、お願いすることはいろいろとあります。でもそんなことを全部受け止めて「やってみよう!」と思ってもらったことが本当にうれしかったんです。子育てにも似たところがありますよね。誰もが楽しみたいと思ってるけど、でも現実は決して楽ではない。そんな子育てのいろいろを全部ひっくるめて「楽しんでやろう!」と向き合う姿勢って、とても大事なんじゃないかと思っています。役員の仕事もいろいろあるでしょうが、それらを全部ひっくるめて楽しんでもらいたい、そんなことを思いながら新役員さんたちの話を聞かせてもらいました。

話は変わって今年度のテーマについてです。これについては一度にお伝えすることはなかなか難しいので、今後も少しずつ説明をしていくことになると思います。今年度のテーマは「世界を知る」です。昨年までは「地域を知る」ということで、主に浅利町に焦点を当て様々な活動を行ってきました。このテーマが変わったからといって浅利町から離れるというわけではなく、今まで以上に地域は大事にしていきます。地域を大事にしながら世界も知ろうというわけです。

このテーマを決める際、「世界を知ることで日本のよさに気づく」という案も出てきました。確かに外国を知ることで自分たちの地域のよさ、日本のよさに気づくということはあります。それも大事なことなんでしょうが、同じくらい他国(他者)のよさをじっくりと知ることは大事だと思っています。パッと自国(自分)と比較をして、○○は負けてるけど△△は勝ってる、と違いを見つけること簡単です。でもそうではなく、まずは他国(他者)をよく見ることから始めたいなあと思っています。このテーマのもとでどんな活動が生まれるか、どんな気づきがあるか、楽しみにしておいてください。