2009年4月24日

No.92 絵本からいろいろ考えてみる

保育所にはいろんな絵本があり、それぞれの絵本が子どもにとっていろんな意味をもっています。例えば有名な『はらぺこあおむし』は、「変化に富んだ物語にハラハラドキドキできる」「希望と期待を持てる」「困難を克服する大切さを知る」「いろいろな食べ物の名前を覚える」「自然に数を覚える」「色彩が心をイキイキさせる」「1週間の曜日や1日の日のめぐりなど、社会のしくみを知ることができる」「しかけは、まだ話をよく理解できないごく幼い子どもたちでも楽しめる」といった特徴を持っているといわれています。また、絵本は子どもだけでなく大人にとっても学びの種が詰まっていると思っています。

例えば、保育所にある月刊誌の5月号「カーフェリーのたび」にはこんなことが書かれていました。
『ふねが よるも あんぜんに はしるためには みはりが たいせつです。
よるの ブリッジ(船を運転する所)は そとの けしきがよくみえるように くらくしてあります。』

一般的には灯りは周囲を照らすもの、よく見るために必要なものであるはずですが、暗いところで行く手をよく見るために灯りを消している点が非常に印象的でした。

子育てには悩みがつきものです。子育てには「これが正解」というものがない場合が多いので、どうしていいのかわからない大きな悩みにぶち当たることもあると思います。まさに“暗闇”です。そんなときに大切なことは、目先の解決を焦って、灯りをあちらこちらとかかげて見るのではなく、一度それを消して、闇の中で落ち着いて目を凝らしてみることなのかもしれません。そうすると暗闇と思っていた中に、ぼうーと光が見えてくるように、自分の心の深いところから、自分の子どもが本当に望んでいるのは何か、また、子どもを愛するとか子どもを信じるということはどういうことなのかが、だんだん見えてくるんだろうと思います。そこから少しずつ、悩みを解決していく方向が見えてくるのではないでしょうか。この絵本からそんなことを考えさせられました。

絵本から感じたことを少し大げさに書いてみましたが、たまにはこんな風に絵本を通して考えてみるのもいいかもしれません。ぜひいろんな絵本に触れてみてください。

2009年4月17日

No.91 子どもたちに人気のこま回し

3,4,5歳児が夢中になっている遊びの1つに「こま回し」があります。昨年の卒園式で頂いた記念品の1つです。こま回しはお正月の遊びと勝手に考えていたのですが、あまりにも子どもたちに受け入れられ、楽しんでいる様子に驚かされています。これが、長い年月を消え去ることなく伝承されてきた遊びという、誰もが否定できない「よさ」をもっている遊びの凄さなのでしょうか。こまが回るところを見れば、それを自分もやってみたいと思わない子どもはいないのでしょうね。

この「こま回し」、最初はこまが床に対して水平になりません。腕の出し方にコツがあります。でも何度も繰り返しているうちに「できた」という声が上がりだします。その嬉しそうな顔といったら、もう表現のしようがありません。でも、まだ回せない子たちはちょっと悔しそうです。それでも、上手に回せるようになった他の子どもたちの存在感なのか、子どもたちはできなくてもあきらめません。やればきっとできる、ということを信じているようです。こま回しをしている子どもたちの心は、回せるようになるという方向へ見事に向かっています。

こま回しを見ていて感じるのは、遊びには練習がいらないということです。遊びはいつも本番であって、こまが回るという目的に向かってヒモの巻き方とか腕の出し方とかを前もって練習したりはしません。でも、必要なことはしっかりとわかり、覚え、できるようになっていきます。学校の勉強も、こまが回ることを分かるように、本番(社会に出たとき)でどう生かされるのかを実感しながら、自発的にせっせとヒモを巻いて投げては失敗、でもまた投げてという自分の行動の修正を自分で学びとり、なぜできないのかわからなくなったらできる人から学ぶという形ができれば、子どもにとって大きな学びになるんだろうと思います。こまが回るイメージを持てないまま、こまを回せるようになりたいという意欲を持てないまま、ヒモの巻き方とか腕の出し方などの手続きを必死に覚えて、それができるようになっても活用の仕方が分からない。そんなことが、大人の世界にも子どもの世界にも意外と多い気がします。話が「こま回し」からずいぶん離れてしまいましたが、伝承遊びは子どもだけでなく社会にとっても、大切なことを教えてくれている存在なのかもしれません。

2009年4月10日

No.90 大人がモデルを示すことも大事な関わり

少し前のことですが、小中学生の自然体験や生活経験の乏しさについてのデータが新聞に掲載されていました。

『都市部、郡部あわせて三千人を超える子ども達の結果のいくつかは、次の通りです。
「日の出、日の入りを見たことがない 約50%」
「自分の身長より高い木に登ったことがない 約41%」
「わき水を飲んだことがない 約52%」
「生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない 約50%」
「自分の服を洗濯したり干したことがない 約44%」
「包丁やナイフで果実の皮をむいたことがない 約22%」
この結果から、家の中にこもり体を動かさない子どもの姿が見えてきます。自然の雄大さにも、ちょろちょろ出ている湧き水にも、そしてまた、しわしわの洗濯物が叩くことできれいになっていくことにも幼児は感動します。体験や経験から学ぶことはとても多いです。そして、体験したことを親子で話すというのが、シングルエイジ教育の基本のように思います。』

子どもたちの自然体験や生活体験の大切さは言うまでもありません。保育所でも生活体験を大事にしようと、お当番さんの活動に掃除を取り入れています。昼食後のランチルームの掃除で、イスを運んだり雑巾で床をふいたりします。雑巾を使う際の雑巾絞りは、剣道で竹刀を握るときや野球でバットを握るときと同じ握り方で、この手の動きは決して雑巾を絞るときだけに必要なのではなく、力学的に意味があることです。生活の中には子どもの発達上意味のあるものが多くあります。そして子どもの様々な体験は、決してそれ自体だけに意味があるのではなく、さまざまな生きる知恵に関係してきます。

ただ、乳幼児期では子どもにその体験をさせるというより、まず大人がモデルを示す必要があると思っています。掃除なども、子どもたちがいないところで済ませてしまうことがよくありますが、見ている前で掃除をし、キレイになっていく過程を見せることにも意味があります。そうした「見る」体験は、学校に行くようになったときに自分たちで教室を掃除するようになるためにも必要でしょう。今の時代は、『子どもと関わる』ということは、してあげたり、一緒にしたりすることだけでなく、大人がモデルを示すことも含まれると思います。

2009年4月3日

No.89 21年度がスタートしました

4月1日に新しく13名の園児を迎え、63名で新年度がスタートしました。まだ4月は始まったばかりですが、3月までの保育所の様子とは違っています。大きな子ども集団であることに変わりはありませんが、昨年度とはまた違う集団の姿を見せてくれると思います。意味の深い関わりあいを多く生み出してくれることを期待しています。

新しいスタートということで、私たちも原点に立ち返って保育を見直してみます。あさり保育所が掲げている理念は「人生の基礎づくりのおてつだい」、目標は3つ「『ひとり』を大切にする保育」「自然に生かされる保育」「保護者とともに成長する保育」です。

『ひとり』を大切にする
園便りにも書きましたが、子どもたちが保育所に通っているときから、これから先の人生に向けて力強く歩んでいくための力を確実につけていける、そんな場でなければいけないという思いを強く持っています。そのために私たちが一番にすべきことは、子ども一人ひとりの発達をきちんと保障することです。改めて言うまでもありませんが、一人ひとりはみんな違います。同じ親から生まれた子どもでも、原石の質は一人ひとり違っています。違いを認め、一人ひとりを丁寧に見て、その子に必要なことは何かをしっかり掴んで保育に当たることを、私たちの原点として再確認します。一人ひとりを大切にすることで、子どもたち一人ひとりが他と関係を持ち、他と共生していく生き方を目指せる基礎をつくっていきたいと思います。

自然に生かされる
子どもは自然から多くのことを学びます。自然環境には、子どもが思わず興味を持ち思わず遊びたくなる要素がたくさんあります。その自然と関わっていくだけでなく、どのように自然と共生していくかを考えていかなければいけません。これは大きなテーマですが、子どもたちとともに考えていきます。

保護者とともに
子育てや保育は決して楽しいことばかりではありません。悩みは尽きません。でもその中に幸せもあります。子どもの成長を感じたときなどは、涙が出そうになるくらい感動します。そんなことを感じながら、子どもだけでなく大人も成長していくんだろうと思います。大変だけど幸せなこと。そんなことを保護者の皆さんと共有できるつながりを深めていきたいと思っています。