2011年1月28日

No.178 どういたしまして?

今週の火曜日におこなったぞう組さんの生け花教室で、こんなことがありました。全員がお花を生け終えて、指導者の和田先生が子どもたちに向かって「今日はこれで終わります。ありがとうございました。」と言われました。その場は「ありがとうございました!」と子どもたちも言って終わる、そんな流れだったのですが、ぞう組さんが返した言葉は「どういたしまして!」でした。

「ありがとう」という言葉に対して「どういたしまして」 と返すのは、もちろん言葉の使い方としては間違いではありません。でも、今回の「どういたしまして」は、その状況にふさわしい言葉ではありません。もちろんぞう組さんには『この場合は「どういたしまして」ではなく、教えてもらったお礼の意味の「ありがとう」がふさわしい』ということをK保育士が伝えてくれていますが、報告を聞きながら言葉の難しさをあらためて感じました。

「ありがとう」 はお礼を言ったり感謝の気持ちを伝えたりする言葉ですが、言われている場面とか発言している人によって、かなりややこしい内容を含んだものになったりもします。言葉は記号と似ていますが、記号ではありません。「ありがとう」という言葉には「どういたしまして」と反射的に返す、といった単純なものではありません。人は他人との関係の中で生きていて、他人に自分の気持ちや思いを伝える手段のひとつが言葉です。他人との関係の中で生きているからこそ、他人の気持ちを理解するために言葉の微妙なニュアンスのようなものを推測する必要もあるわけです。だから、どれだけ時間がかかったとしても、記号としての言葉ではなく、“人とつながるための言葉”を、多くの人との関わりの中でつかんでもらいたいと思います。難しい面もあるからこそ言葉は重要なんだということを、子どもたちには感じられるようになってほしいと思います。

最後に成長展のことを一言。 今後いろんな形で成長展についてのお知らせをしていきますが、初めてのこの行事、みなさんにうまく伝えられるでしょうか。 『成長展は、あさり保育所の園舎全体が子どもたちの作品の展示会場となっていて、自分のお子さんの作品はどれかを当ててもらうイベントです。当日は親子で参加していただき、一緒にそのクイズを楽しんでいただきます。』 少しは内容が伝わったでしょうか?やっぱり言葉って難しいです。ふぅ…。

2011年1月21日

No.177 友だち100人とか、ピッカピカの1年生とか

今年の初めに「たいへんよくできなくてもいいんです」という2010年新聞広告クリエーティブコンテストの作品を紹介しました。このコンテストの2009年の作品にはこんなものもあります、「人生、何年生になっても“絆”を大切に。だいじょうぶ。友達100人なんていらないんだよ。たった一人の親友がいるだけで、“ひとりぼっち”から卒業できるはず。友情って。広さじゃなくて、きっと深さなんですね。」というものです。絆とか友達というと、みんなと仲良くなるとか多くの人とつながらないといけないと思いがちですが、人の多さではないことを再確認させられる言葉です。

私子どもの頃は入学シーズンになると、「ピッカピカの1年生」 という言葉が飛び交っていたように思います。今はどうなんでしょうか。谷川俊太郎さんらが書かれた「こんな教科書あり?」という本にはこんなことが書かれています。

『1年生を見ていると、いちばん感じているのは新しい環境への不安なんだよね。不安なところから手触りでいろいろなものを見つけたり、おにいちゃんと知り合ったりしている。学校という社会へどうかかわっていっているのかということが、もっと感覚的に出てきたほうがいいと思うの。ところがいきなりピッカピカの1年生、友達いっぱいつくろう、さあ、探検だあ、だからね。どうも実感と全然違う感じがするよね。』

入学というと明るく楽しいものをイメージしがちですが、 もちろんそれもありますが、子どもの心には新しい環境への不安があることも忘れてはいけません。そしてこれは入学に限ったことではなく、次の新しい環境へ移っていこうとしている子どもたち全てに共通することです。そんな子どもたちの気持ちをきちんと察して受け止めたうえで、新しい環境への期待感を膨らませる支えになれたらなあと、あらためて思っています。

『あした、がっこうへいくんだよ』 というオススメの絵本があります。明日入学という子が眠れなくて、ぬいぐるみにいろいろ語りかけるんですが、自分は1年生になるんだと思っているから、自分を投影したぬいぐるみを一生懸命に励ますわけです。ぞう組さんの保護者に限らず、全ての保護者に一度は読んでもらいたいなあと思う1冊です。興味のある方は声をかけて下さい。

移行とか、卒園とか、進級とか・・・、いろんなことが動き出しています。

2011年1月7日

No.175 たいへんよくできなくてもいいんです

2011年の最初の日にある言葉に出会いました。それは『たいへんよくできなくてもいいんです』という言葉です。2010年新聞広告クリエーティブコンテストというものがあって、そこで最優秀賞に選ばれたのが、この言葉が書かれた『元気にさせるハンコ』です。この作品を作った武重浩介さんは、こんなコメントをされています。『「たいへんよくできました」というハンコ。それが象徴するようにたった一つの答えにたどりつくことが正解だと教えられて育ってきました。でも人生において正解を求めても幸せにはなれないんですよね。そもそも正解なんてないんですから。私たち一人ひとりが身近に元気になれる要素をもっているはず。そんな身近にある幸せに気づいて元気になってほしい。そんな思いをこめて制作しました。』

この作品を見ていていろいろ考えるのですが、例えば「 よくできる」という価値観はどこにあるんでしょうか。同じように、「よい子」というのもどのような子を指すんでしょうか。もしかすると、一方的に大人の都合に当てはめて、大人にとって都合がいいというのが「よくできる」ことや「よい子」の基準になっていることが多いのかもしれません。子どもの発達を考えると、子どもは動き回ることが好きでじっとしていることがないのが特徴です。探究心を持っていろんなものを触ろうとするし、じっと人の話を聞くよりも自分からいろいろと話したがるのも特徴です。でもこれらは大人にとって困る項目だったりしますよね。

また、 いまだに子どもたちは競争社会へと出て行かざるを得ないのが現状だったりします。競争が必要ないとは思いませんが、今行われている競争は、切磋琢磨して自己を高めるのではなく、相手を打ち負かすことを目指すことが多いことは問題なのではないでしょうか。今を精一杯生きている子どもに対して私たち大人が示すべきなのは、それぞれの特性を生かす社会をつくり、社会に対して貢献し、ともに協同して生きていく社会を目指す姿勢ではないかと思います。「たいへんよくできなくてもいいんです」という言葉は、子どもたちではなく、まず私たち大人がきちんと受け止めなければいけないと思っています。