2016年12月22日

No.475 視野を広く保って




昨日の夕方はキャンドルナイトのイベントが行われました。ぞう組さんが内容を考え、チケットを用意し、ハンドベルの演奏をしたりと、見事な姿を見せてくれたイベントでした。このイベントは今年でおそらく10年目で、少しずつ形を変えながらではありますが、ぞう組さんたちの活躍の場の1つとなっています。始めた目的は、大きなところでは「環境問題にも目を向けたい」ということ、身近なところでは「生活の中の“光”のあり方について考えるきっかけにしたい」ということもありました。2007年12月のひとりごとに次のようなことを書いています。

『人間は電気がなかった大昔、太陽の光と月や星の光の中で生活をしていました。昼間は頭の上からの太陽の光のもとで活動します。夜は家の中でろうそくであったり燭台であったりと、床に置いた明かりに照らされます。囲炉裏なども同じで、下からの光です。そんなことからも分かるように、明るさの違いと同時にどこから光を浴びるかということからも、人は1日の流れを感じていたようです。それが電気の発明によって変わってきて、基本的には常に頭の上からの光を浴びるようになりました。また照度が増したおかげで夜でも昼間の明るさの光を浴びます。そう考えると、現代の生活はどこか体にはよくない影響がある気もしてきます。だからこそ、ろうそくの明かりは見直されてもいいのかもしれません。』

とはいっても、ろうそくなどの下からの光で生活することはほぼないのが現状です。ろうそくを楽しむといっても、それだけで1時間過ごすのはかなり大変なことでしょう。それだけ環境が大きく変わり、生活も大きく変わってしまったわけですが、「ろうそくとかの下からの光も大事だよね」と言い続けることは止めないつもりです。人間本来の力とか、環境問題のこととか、一見日々の保育には関係ないようにも思われるかもしれませんが、視野を広げるからこそ見えてくることも日々の保育では大事だと考えているからです。子どもの成長も同じです。子どもの今だけを見て「早く○○ができるようにしなければ!」と考えることと、将来こんな力を発揮できるようになってほしいと視野を広げ、そこに向けて「今は△△を十分に体験してほしい」と考えることとでは、どちらが子どもの成長のために必要な考え方なのか、みなさんと意見は一致するはずです。子どもたちに十分に季節を味わってほしいとか、地域の中の保育園の位置づけは?とか、視野を広く保ちながら日々の保育のあり方を考えていくことを今後も続けていきます。少し早いですが、今回が今年最後のひとりごとです。来年もよろしくお願いします。

2016年12月16日

No.474 もちつき会の話と粒あんの話

先週のことですが、もちつき会が無事終わりました。祖父母のみなさんと一緒に取り組む形から、そこにお父さんお母さんにも参加してもらう形に変えたのが2年前。今の祖父母は餅つき経験が豊富だけど、次の祖父母(つまり今のお父さんお母さん)は経験する機会があまりなかったのではないか?だとすれば今の園児が親になったとき、餅つきの文化を伝えてくれる祖父母はかなり少なくなってしまうんじゃないか?そんなことを考え、子どもたちに餅つきの文化を伝えるだけではなく、お父さんお母さんも巻き込んでみんなで教わる場を作っていくことにしました。



嬉しいことに、技の伝承が行われている場面を今回も見ることができました。「こうやってやるんだ」と実際にやってくれるのを見て、そこで理解したことを今度は自分でやってみることで定着させようとしている様子を見ていると、子どもが上の子の姿を見て刺激を受け、実際に体験することでできることを増やしていく様子と似ていることに気づきました。子どもの成長も文化の継承も、どちらも短時間で効率的に行う方法はありません。手間もかかるし時間もかかるものです。それを個人の力だけでやっていくのはかなり大変なことなので、保育園がそこに深く関わり、多くの人を巻き込んで進めていかなければと、改めて思わされたもちつき会でした。

もちつき会とは関係ない話を少しだけ。ついたお餅は餡子、きな粉、醬油の3つの味でいただきました。餡子は前日に保育園で作ったもので、とても美味しい粒あんでした。その粒あんを食べながら、やなせたかしさんが粒あんについて話されていたことを思い出しました。アンパンマンの頭の中身が何故こしあんではなく粒あんなのか、という話です。やなせさんご自身がこしあんより粒あんが好きだったこと、粒あんの形状を脳みそに見立てていたことなども理由のようですが、別の理由もあるそうです。それは「社会にはたくさんの粒がないといけない。たくさんの人がいて、ひとつのことができる。こしあんにしてしまうと一粒一粒が残らないから。」というものです。これ、いい話ですよね。粒(個性)をすりつぶして均一にしてしまうのではなく、たくさんの粒を残した社会を目指さなければいけないと、子どもたちに伝わるかどうかは分からないけど、やなせさんはアンパンマンという漫画で表現してこられたわけです。そんな話を思い出しながら、「やっぱりいろんな粒がたくさんある方がいいよなあ」と、大好きな粒あんとお餅をいただきました。



2016年12月15日

2016年12月

11月14日(月)、15日(火)の2日間、各部署のリーダーと隠岐郡海士町へ行ってきました。海士町が町をあげて地域の魅力を作り出し、そのことによって多くの人から注目を集め、Iターン者を増やし、地域が盛り上がっている現状を実際に見て学ぶことが目的です。花の村の事業理念は『仕事を通じて地域を創造し活性化する』ことです。今の事業が継続し発展すれば何をしてもいいのではありません。私たちが介護や保育の仕事を充実させていく先に、地域の活性化をイメージしておくことが必要です。

海士町ではいろんな方のお話を聞かせてもらいました。みなさんに共通していたのは、地域の現状を“謙虚に”受け止めること、自分たちの得意なこと不得意なことを“謙虚に”認識すること、だからこそ協力し合い補い合うことが必要だと“謙虚に”受け止めることでした。私たちの活動の拠点である江津市の東部地区、少し広く見て江津市の課題は何か、自分たちの強みは何か、役割は何か、誰に力を貸して誰に助けてもらえばいいのか。何をいまさらと思われるかもしれませんが、考え続けなければいけないことです。ぜひみなさんも考えてみてください。

合歓の郷で作られている食事について、合歓の郷の調理員のNさんと話をする機会がありました。Nさんの利用者「ひとり」に対する思いはユニークです。その人の今の状態に合わせて作るのは当然のことで、どんな生活を送ってこられたかという「過去」にも目を向ける必要があると力説します。例えば、今の調理の基本は「さしすせそ」(砂糖→塩→…の順に味付けする)ですが、昔は「さしすせそ」は関係なく調理することが多く、出来上がる味も微妙に違ってくるので、その味に慣れている方に対してはあえて「さしすせそ」を崩して調理しているとか。捨てる食材を極力少なくし使えるものは積極的に活用する「もったいない」の思いを強く持っておられるので、直接見えるわけではないけど、他の料理に使うエビのしっぽを使ってダシを取ったり、味噌汁の味噌を入れる前の汁をダシにして煮物を作ったりするとか。生きてこられた「過去」を含めての「今」と捉えることや、大事にしておられる価値観を取り入れることなど、「ひとり」に対する思いの奥の深さを気づかせてもらいました。

ボブ・ディランがノーベル文学賞の受賞式に向けて送ったメッセージを読みました。

これまで「自分の歌は『文学』なのだろうか」と自問した時は一度もありませんでした。そのような問い掛けを考えることに時間をかけ、最終的に素晴らしい答えを出していただいたスウェーデン・アカデミーに感謝します。

自分とは違う考えを認め、敬意を払う姿勢は、読んでいて心地の良いものでした。興味のある方は、ぜひ全文を探して読んでみてください。LGBTの研修でも考えさせられたことですが、多様であることを当たり前とするのは大事なことですね。

2016年12月9日

No.473 事務室での食事会が始まりました





今週は年長児を4回に分けて事務室へ招待し、一緒に昼ごはんを食べました。昨年度初めてこの食事会をやってみたところ、子どもたちがとても楽しんでくれたので、今年度は12月と2月の2回実施する計画を立てています。事務室といってもみんなよく知っている場所なのですが、それでも特別感があるんでしょう。ずーっと笑顔の1時間でした。初日の月曜日のこと。少し早く食べ終わったSくんが「園長先生、しりとりやろうよー!」と言ってきたので、他の子が食べ終わるまで2人でしりとりをして待つことにしました。そのしりとりがかなり楽しかったので、結局みんなでやることに。これまたかなりの盛り上がりで、みんなで大笑いしながら楽しみました。そして2日目以降も食べ終わったら「しりとりをしない?」と誘うことにし、同じように盛り上がりました。

しりとりを推すことにしたのは、もちろんみんながかなり楽しそうだったこともありますが、“この時期の年長児だからこそ”と考えたからでもあります。ご存じのように、しりとりはひらがなを使った言葉遊びです。ひらがなは、それ自体が物そのものを表している言葉ではなく、音を組み合わせてそのものを表す言葉です。例えば「いぬ」は「い」という音節と「ぬ」という音節が合わさっている言葉と捉える必要があります。これを音節分解といって、ひらがなを理解していく基礎となります。私たちは当たり前のように使っているひらがなですが、今からそれを使いこなせるようになっていく子どもたちは、「うさぎ」の「う」は「うさぎ」を表すためだけに使われる文字ではなく、「うま」の「う」や「うきわ」の「う」と同じ文字であることを理解する、そんな地道な過程が必要です。そうした過程がより豊かになるように、知識として教え込むのではなく遊びの中で体験してもらうのが乳幼児期の教育で、その体験を小学校以降の教育につなげていくのが保育園の役割でもあります。音節分解の遊びの代表は、文章の最初の音節が書かれている絵札を探すカルタ遊びや、相手が言った言葉の最後の音節が頭につく言葉を探すしりとり遊びです。音節を体に染み込ませるのにとてもいい遊びなので、家庭でも一緒に楽しむことをおすすめします。

次の事務室での食事会は2月です。その時は1年生の食事時間約30分を意識してもらうことをねらいとする予定です。年が明けると年長児は小学校に向けた新たな取り組みが、それ以外の子は次のクラスに向けた新たな取り組みがスタートします。次のステージに進むということは、子どもたちが成長している証拠です。嬉しいことですね。

2016年12月2日

No.472 ちょっと暗くて狭い場所




子どもたちはちょっと暗くて狭い場所が好きです。これはほとんどの方に共感してもらえることだと思いますが、みなさんも好きだった記憶はありますよね。狭い場所に留まるだけでなく、そこを通り抜けるだけの場合もあります。0,1歳児の部屋には押し入れの下にちょっと暗くて狭い場所がありますし、上の写真のような室内遊具のトンネルもあります。(この中で遊んでいる写真が撮りたくて乳児室へ行った時ちょうど中で遊んでいたんですが、私に何か訴えようとして中から出てきてしまい、集中して遊んでいる姿を撮ることはできませんでした。)



園庭の「暗くて狭い」場所と言えば、築山の下に埋めてある土管です。「懐かしい!昔はよくこの中で遊んでたよなあ」とうっかり大人が入ると服をあっという間に汚してしまうこの土管は、上の写真のようにトンネルとして使われたり、中でままごとをしていたり、友達と楽しそうに話をしている姿も見かけたりもします。子どもの遊びというと、明るくてある程度の広さがあって…といったスペースが浮かぶと思います。もちろんそんなスペースは必要ですが、反対のスペースも必要だというのが私たちの考えです。生活にはメリハリが大事なのと同じで、遊びにもおいてもメリハリは大事です。明るく広い場所で遊んだり、時には暗くて狭い場所で遊んだり。静かに没頭して遊んだり、体を思い切り動かして遊んだり。遊びの空間にもメリハリをつけることで、子どもたちの遊びは多様になっていきます。



似たようなメリハリのための場として、ロフトの2階のスペースがあります。この場所は意図的に薄暗くしてあり、またここに上がると周りからはあまり見られないような作りになっています。もちろん大人からはそこに子どもがいることは分かるのですが、子どもからするとちょっとした隠れ家のように感じる場所です。こうした場所は保育園ではあまり好まれない時期もあったようですが、意図的に作った「実は外からは見えているんだけど、そこにいると見られていないように感じる場所」は、大勢が一緒に過ごす保育園だからこそ必要です。ちょっと人の目を避けたいという思いを持つのは、大人だけではありません。望んで行くのか、本能的にそのような場所を求めるのかは分かりませんが、こうした静的な場も無くてはいけないと考えています。保育園の環境には意図があります。「この場所にはどんな意味があるの?」と思われたら、遠慮なく聞いてくださいね。

2016年11月25日

No.471 ここだけの話

火曜日に発表会の予行練習が行われました。予行練習も発表会当日に向けてワクワク感を高めていくための取り組みの1つなので、当日と全て同じように仕上げて予行練習を実施する…という形とは少し違います。例えばダンスグループの取り組みですが、ダンスの候補曲はたくさんあり、練習のたびに候補の中からくじ引きで2曲選んで踊っています。当日も同じように行う予定で、何を踊るかはまだ決まっていません。ステージ上でくじを引くところから始まるので、何を踊ることになるんだろうとドキドキワクワクしている姿も見てもらえるはずです。

と書いてきましたが、ここだけでの話をします。実は子どもたちが当日踊る曲は決まっているんです。それはたくさんある候補曲の中でも最も人気のある2曲で、くじ引きではそれが「偶然」選ばれるように仕込んであります(もちろん子どもたちはそのことを知りません。だから「ここだけの話」なんです。)。大好きな曲でも、何度も踊っていたり、いつも決められた曲ばかり…と感じてしまったりすると、楽しさが薄れてしまうのはよくあることです。音楽を聞くと楽しくなって思わず体を動かしてしまう、そんなあり方が子どもたちの表現活動を行う上でのねらいです。だからこそこのような仕込みをして、練習のときから「自分たちがくじを引いて選んだ曲を踊る」状況を作り、踊らされていると感じることがないよう、更には当日の楽しさがより増すように工夫をしているわけです。当日の曲が決まったときに子どもたちがどのような表情を見せてくれるか、今から楽しみにしています。



話は変わります。上の写真は、予行練習の日にステージにつながる通路で出番を待っている子どもたちです。ここを通ってステージへ出ると、普段はいないたくさんのお客さんの前に立つことになります。自分の姿をしっかりと見てほしい!という思い、たくさんの人に見られることに対する恥ずかしさ、そんないろんな感情を抱く場所でもあります。ここでの様子を保護者のみなさんにも見てもらうことはできないかと考えたこともありますが、ここは子どもたちだけの空間にしておいた方がいいんだろうと、今は思っています。子どもにとっては、普段一緒に過ごしている友達といつもとは違うちょっと特別な感情を共有することも大事ですし、みなさんにとっては、ここでの様子を想像しながらわが子の出番を待ってもらうことも大事だと考えています。様々な経験を通して力をつけてきている過程も思い浮かべながら、明日のステージを楽しんでください。

2016年11月19日

海士町視察研修

法人の管理者研修として、海士町の視察に言ってきました。

14日(月)の朝、七類港からフェリーで出発。






海士町の菱浦港に到着。
海士町社会福祉協議会の片桐事務局長と合流し、船渡来流亭で昼食を食べながら軽く打ち合わせ。
今回の視察は片桐さんが何から何までコーディネートしてくれました。




保険福祉センターひまわりに移動して、片桐さんによるオリエンテーション。




さくらの家の福来茶作りの見学。






福来の里デイサービスセンターの見学。




諏訪苑でグループホームと特別養護老人ホームの見学






海士町役場で健康福祉課長と意見交換。




けいしょう保育園の見学




この日は民宿但馬屋に宿泊。夜はキンニャモニャも見せてもらいました。






15日(火)の朝は内航船で西ノ島へ移動。






国賀海岸、魔天涯の見学。










また内航船で海士町へ戻り、巡の環の見学。






午後は海士町社会福祉協議会でスタッフの方と意見交換。






最後は隠岐神社の見学。








全ての視察を終え、フェリーで七類港へ。




「ないものはない」宣言。



大きな観光資源を持っている西ノ島より、観光資源を持っていない海士町の方が空き家が少ないという現実を知りました。

島のスローガンは「自立・挑戦・交流」。



多くの交流は持てなかったけど、地域の方から「海士町を好きになってもらいたい」という思いを感じました。

見習わなければいけないこと、仕事の中にも取り入れる必要のある考え方をたくさん学ばせてもらった視察研修でした。



2016年11月18日

No.470 達成感と安堵感




少し前のことですが、ぞう組の和太鼓の活動を見させてもらいました。あさり保育園の伝統として受け継ぐことにした「あさり太鼓」の曲に合わせ、他の子の太鼓の音と合うように気を配りつつ、楽しそうに和太鼓を叩いていました。全ての取り組みに言えることですが、子どもたちが「やってみたい!」という気持ちを持って活動に取り組めるようにすることを、私たちは大事にしています。子どもたちは1人ひとり違っています。しかも、いつも同じ気持ちではありません。そんな子どもたちの「やってみたい!」をいかに引き出すかがなかなか難しいのですが、保育者は実践→話し合い→また実践…を繰り返しながら取り組んでくれています。

「やってみたい!」から始まることがなぜ大事なのか。このことを考えてみます。子どもたちが成長していくためには、様々な活動を通して達成感を得ることが欠かせません。達成感が次の活動への意欲を生み、それがまた次の達成感へとつながっていきます。この達成感を得るための方法として様々な考え方を耳にします。一番多いのは、辛いことや苦しいことを我慢して乗り越える方法でしょうか。でも、この方法で得られるのは達成感ではなく安堵感です。達成感は自ら挑戦しようと思い、それをやり遂げたときに得られるものです。例えば折り紙で花を折ってみたいと思い、挑戦して折ることができたら、そこでも達成感は得られます。やりたくないのに「花を折りなさい」と言われて折るとしたら、できたことでホッとはするでしょうが、達成感とは違うものです。

別の話を1つ。哲学研究者の内田樹さんがこんな話を紹介されていました。ストレス発生物質を注入するテストについてです。一方のグループは最後まで薬を注入され続け、もう一方のグループには「ストッパー」が渡されます。気分が悪くなって「もうだめ」と思ったら「ストッパー」を押せば実験終了ですと指示されて、実験はスタートします。結果は「ストッパーあり」グループは誰もストッパーを押さず、かつ誰も気分が悪くならなかったそうです。ここから分かることは、ストレスの主因は「自分の運命を制御できないこと」それ自体であり、生理的不快も自分の意思で止めることができると思うと「それほど不快に感じない」ということだった、という話です。先に書いていた話と少し意味は違いますが、何かをやるにしても止めるにしても、どちらも自分の意思が尊重される状態であることは、どうやら私たちにとってかなり重要なことのようです。発表会の取り組みも、子どもたちの「○○をやりたい!」という思いを大事にしていきます。

2016年11月15日

2016年11月

小規模多機能型居宅介護合歓の丘の職員、Aさんの話です。Aさんは認知症介護のリーダー研修を受講している最中で、その中で課題として出されている「自施設研修」に取り組んでくれています。職場のリーダーとして職場内の課題を元にテーマを決め、みんなを巻き込んで課題解決に向けて取り組む研修です。少し話を聞かせてもらったところ、自施設研修の意義を十分に感じ、だからこそ取り組みの難しさも同時に感じているようでした。この自施設研修はあくまでも外部研修の一環ではありますが、私は今の取り組みが今後展開していくことを期待しています。

自分たちの課題に自ら目を向けることは、あまり楽しい作業ではありません。自分の体に置き換えてみても、調子の悪い箇所を積極的に探すことは気乗りしないものです。でも、楽しく生活していくため、組織がいい形で動いていくためには、定期的な課題の点検は必要です。今回Aさんが取り組んでいることは、合歓の丘の介護に変化をもたらしてくれるはずです。例え小さな変化だったとしても、その変化はじわりじわりと周りに影響を与えていく、そういうものです。受講中の研修が終わった後も、課題を見つける目と解決に向けて取り組む動きが継続し、他の職場にも広がっていくことを期待しています。小さくても、変化は大歓迎です。

アメリカ大統領選挙が終わりました。その結果ではなく大統領選挙の仕組みに興味を持ったので、ちょっと触れてみます。日本の選挙期間は2週間程度ですが、アメリカの大統領選挙は予備選挙と本選挙を合わせて約1年間、しかも大統領候補者に直接投票するのではなく、大統領を選ぶ選挙人に投票します。時間はかかるし直接的には投票しないなど、やたらとややこしく何度も考える機会が設けられている大統領選挙の仕組みは、「人は間違いを起こす存在」という考えを前提にしているように思え、機能しているかどうかは別として、好感を覚えるのです。

私たちの仕事にも失敗や間違いは存在します。失敗は起こるもの、もっと言えば“失敗込みで仕事”くらいの捉え方をしています(ここで書いているのは、もちろん一生懸命取り組む中での失敗のことです)。ですから、失敗が起きたら原因を探る、対策を立てる、ヒヤリハットに記入して他の職員と内容を共有するなど、失敗後のルールが前もって決めてあります。同じ失敗を繰り返さないため、失敗から学びを得るために、振り返って深く考えるためのルールです。失敗を怖がらずに仕事にあたってもらい、失敗が起きたときにはそれを謙虚に受け止め、ルールちゃんと機能させて、確実に次につなげていく。そうやって行動を磨いていきましょう。

ヘルパー、法人本部、保育園の監査が終了しました。それぞれ数点ですが指摘事項がありましたので、改善に向けて対応していくことになります。監査も私たちの仕事を点検する貴重な機会です。指摘事項に限らず、監査を迎える準備の間に気づいたことなども、ぜひ今後に生かしていくようにしてください。

2016年11月11日

No.469 分かりにくい話ですが




写真はある朝の1シーンです。動物図鑑を10人くらいの子どもが囲んで、「これ知ってる!」「見たことある!」と声を上げながら楽しそうに見ていました。図鑑は『ある分野の正確な絵や写真を並べ、それについての解説文が書かれている博物学書籍』と定義されていますが、子どもたちの楽しみ方の多くはこんな感じです。何かを調べる姿ももちろん見られますが、友達と楽しさを共有する読み方が多いです。子ども集団があるからこそ体験できる楽しさで、見ているこちらまで楽しくなってきます。

話は変わりますが、先日ある研修会でチームのあり方について考える場がありました。保育は、個人ではなくチームで行います。どんな保育者チームを作るかによって保育が変わってくる、それくらい大切なものです。そのチームについて様々な保育園の方と一緒に考える、そんな場でした。どの保育園でもそうですが、個性を十分に発揮して互いにカバーし合う、そんな力を子どもたちにはつけてもらいたいと願っています。そうであるからこそ、まずは保育者が自分の個性を発揮して互いに協力し合う姿を見せる必要があります。もしも個々の個性が認められずにみんなが同じであることを求められたり、協力し合うこともあまりない保育者チームであったなら、前で書いたこどもたちに対する願いは到底叶うはずがありません。なのであさり保育園では、個々に違っていること、それぞれの強みがあり弱みがあることを認め合える保育者チームを目指しています。そんなことを研修会の場で話していました。

保育者にはいろんなタイプの人がいます。あさり保育園の保育者も個性派揃いです。強みや弱みも多様です。それを互いに認め、カバーし合いながらチームで保育をすることで、子どもたちも個々の違いを認めて協力し合う関係の大切さを学んでくれるはずです。「いろんな人がいることが良い」を更に進めて、「いろんな人がいるのが社会で、それが当たり前」と受け止める段階を目指したいと、今は考えるようになりました。分かりにくい話だと思いますが、良いとか悪いとかではなく、そんなものを超えて、良いも悪いも全部ひっくるめて「当然のことでしょ?」とみんなが思える場にしたいという意味です。いろんな人がいるから衝突も起こるし、やっかいな問題も出てくる。出てきたらその問題にちゃんと向き合って解決をし、やっぱりいろんな人がいる方が楽しいねと確認でき、互いを認め合う。でもまた衝突が起こり…と、繰り返しながら学んでいければそれでいいんじゃないかと。やっぱり分かりにくい話ですね。

2016年11月4日

No.468 言葉と表現の育ち

今月末には発表会が行われます。発表会の目的は各クラスからのお便りでも紹介されている通り、4月からの様々な体験を通して言葉と表現がどのように発達してきているかを見てもらうことです。例えば言葉の発達のためには「したこと、見たこと、聞いたこと、味わったこと、感じたこと、考えたことを自分なりに言葉で表現する」場が、表現の発達のためには「生活の中で様々な音、色、形、手触り、動き、味、香りなどに気付いたり、楽しんだりする」場が必要です。いろいろな体験によって心が動き、そのことで言葉が豊かになったり表現して伝え合うことを楽しんだりすることができるよう、保育園では体験の場づくりに力を入れてきました。

テーマを決めて保育を行っていることも多様な場づくりにつながっています。今年度は「季節を味わう」をテーマに、季節毎の植物や食べ物、風習などに触れる機会を多く持つようにしてきました。毎月の足湯体験を通して、その季節の植物を見るだけでなく触れたり匂ったり食べてみたりと、様々な切り口から接しています。園庭で行っている季節ならではのものを見つけるネイチャーゲームもそうです。何もしなければ注目することがなかった物や現象に対してしっかりと目を向け、しかも見る以外の感覚を刺激する体験を通して、子どもたちの言葉や表現は確実に豊かになってきています。テーマに沿った活動の中で数多くの体験をしている姿を想像してもらいながら、子どもたちの成長を感じてみてください。

そして言葉や表現は、友達や保育者とのやりとりによっても豊かになっていきます。楽しかった出来事を話したり、同じように友達の楽しかった話を聞いたりと、相手がいるからこその発達も大事です。同年齢での関わり、異年齢での関わり、保育者との関わりなど、様々な関わりの場があるのが保育園の特徴です。その中で刺激を受けているからこその育ちにも注目してみてください。

最後に「楽しさ」について。全ての活動に共通することですが、子どもたちが楽しさを感じていること、期待感を持っていることが欠かせません。そのために数多くの工夫が行われていますが、今日4日の取り組み「先生たちの発表会」もその1つ。保育者が言葉や表現の楽しさを子どもたちに披露します。この発表会を見ることで、自分たちの発表会を楽しみにする気持ちが増すことをねらっています。どのように受け止め、期待感がどう変化したか、ぜひ感想を聞いてみてください。



2016年10月28日

No.467 食事の場の振り返り

あさり保育園には自分たちの保育を振り返るための指標があって、今それを整理しているところです。その作業をしながら、やっぱり指標は大事だと再確認できました。指標があることで、出来ていること、まだ十分ではないこと、それをどう改善していけばいいかなどが見えてきます。自分たちはどの山の頂上を目指しているかが明らかになっているから、今歩いている道で間違っていないとか、ちょっと装備が足りないとかが分かるのと同じです。その指標をみなさんにも知ってもらって思いを共有することは大事なことなので、どんな指標なのか、その一部を紹介します。今回は乳児の食事に関する項目です。

□子どもの発達に応じた援助が行われていますか
子どもが自ら食べようとする気持ちを大切にしていますか



上の写真は保育者が食べさせてあげている様子ですが、この子たちも自分で食べようとする意欲は十分にあります。もっと食べたいと、思わず自分からごはんに手を伸ばしてしまうような、絶妙なペースでの介助を保育者は目指してくれています。自分で食べたい気持ちが育つことが、食の営みを豊かにする基礎となるからです。

□少し発達の違った子がいて、食事をしている姿を見ることができますか
モデルとしての他の子どもを見ることができますか



上に書いた子の目の前では「自分で食べることができる」「介助があまりいらない」子どもたちが食事をしています。その子達の姿を見ながら、そこから刺激を常に受けられる環境で食べることができるわけです。



そして自分たちで食べることができる子達からは、もっと上手に食べているぱんだ組の子の食事風景がチラッと見えたりします。さらに、ぱんだ組の子はぞう・きりん・くま組の子が食事の準備をしている様子を見ながら食べることができるようになっています。そしてぞう組の子が1名入っているテーブルもあって、上手に食べることのできる子の様子を近くで見ることができるようにもしてあります。

単に栄養を摂取する場ではなく、他の子からは刺激を受けて食べることへの関心が高まる場になるよう、振り返りを継続していきます。

2016年10月21日

No.466 繰り返しと語って聞かせることの大切さ

以前、昔話に興味を持ったことを書きました。その興味はまだ続いていて、使われている文法や特徴、語り口の面白さにすっかりハマっています。例えば、いつどこであったことかを特定しない(昔々あるところに…)、数は1,3,7などが好まれる(こぶたは3匹、こびとは7人)、色は原色が多い(白、赤、黒)、同じ行動やかけ声が繰り返される(「お腰につけたきびだんごを1つくださいな」の繰り返し)、森には○○と△△の木が生えていて…と詳しく説明はしないなど、たくさんの特徴があります。みなさんの知っている昔話を思い出してもらうと、これらの特徴が当てはまるはずです。昔話は口伝えで語られてきたものです。そのため話はシンプルであることが重要だったそうです。複雑な描写をしてしまうと聞いている方も分かりにくいし、語り継がれているうちに伝言ゲームのようにどんどん変化してしまいます。数や描写はシンプルで整理されたものに、同じ場面は同じ言葉で繰り返すなど、聞いている人ができるだけ理解しやすいように、そして話を楽しめるように、昔話の文法は出来上がったそうです。

「繰り返し」を考えてみます。子どもは繰り返しの表現を好みます。同じ話や同じ絵本を好む傾向もあります。さっき読んだばかりなのに「また読んで!」と何度もせがまれた経験はありますよね。そのときに「どうして進歩しないんだろう?」「違う話や違う絵本に興味を持っていろんな知識をつけてほしいのに…」と大人は思ってしまうかもしれませんが、子どもにはぜひ繰り返しの楽しさを存分に体験させてあげてください。繰り返すことは「もう知っていることと再び出会う喜び」を味わうことです。安心感が生まれ、安定した心の成長につながる、大事な体験です。絵本を読んであげたり話を聞かせてあげるとき、子どもの「もう1回!」にじっくりとつき合ってあげてください。

「語って聞かせる」を考えてみます。語りを聞くときは、自分の頭の中でその情景を想像しながら聞きます。絵を見ながら話を聞く絵本とは違う点です。「おじいさんはやまへしばかりに」と聞いたときに想像する「おじいさん」「やま」「しばかり」は1人1人違うはずです(「柴刈り」は子どもには想像できないかもしれませんね)。想像は体験で得た知識を総動員して行います。知らないことでもあれこれ想像することは楽しいですし、体験によって知識が増え、言葉が意味するものが分かるようになることも楽しい体験です。目と耳の両方から同時に情報が入ってくるメディア(テレビなど)が多い時代だからこそ、想像すること、聞いたことと経験して得た知識が結びついて分かる楽しさを、数多く体験させてあげたいですね。ところで「トゲアリトゲナシトゲトゲ」という虫を知っていますか?ぜひ奇妙な姿をあれこれ想像して楽しんでみてください。



2016年10月15日

2016年10月

6月以降お休みしていた給与コメントを、今月から再開します。事業に対する考えや、みなさんにも考えてもらいたいこと、ときにはどっちとも言えないものを書いたりしていきます。日々の行動や思考のきっかけにしてもらい、仕事に対する思いを共に深めていきましょう。よろしくお願いします。

私たちの事業には理念があります。介護事業は「人生を全うするお手伝い」、保育事業は「人生の基礎づくりのお手伝い」、そしてその理念を実現するための指標として、『「ひとり」を大切にする介護』『「ひとり」を大切にする保育』があります。では私たちは、この『「ひとり」を大切にする』をどれだけ理解し実践できているでしょうか?

11月22日(火)に施設内研修を行います。テーマは「LGBTについて」。LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの総称で、きちんと理解している人はかなり少ないのではないでしょうか。もちろん私も理解していない1人です。講師はバイセクシャルを公言しておられるMさん。当事者だからこそ話せることをみなさんに伝えたいと話してくれています。

性には男と女の2種類しかないと考えていた私は、それ以外にLGBTの違いがあって、さらにその中にもいろんなタイプがあると聞き、性についての十分な理解ができていなかったことを思い知らされました。1人ひとりの違いをきちんと理解できなかったわけです。LGBTのことを学ぶ今回の研修は、それが直接私たちの仕事の役に立つ、そういう種類の研修ではありません。でも、違いについて“まだ知らないことがある”と謙虚になるきっかけにできるはずです。

こちらの都合で、こちらの知っていることだけで「この人はこういう人だ」と決めつけてしまう姿勢があるとすれば、それは『「ひとり」を大切にする介護』『「ひとり」を大切にする保育』には馴染みません。自分の知らない違いがまだあると考えることが、違いに対する視野を広げることにつながり、広がった視野によって「ひとり」を大切にする思いも変化すると考えています。



仕事に対する思いを深めていくきっかけは、いろんなところにあります。そのことに気づき、それを自分たちの仕事における行動のきっかけにできるかどうかは、結局のところ受け止め方次第です。例えば上の写真はトイレのサインボード。LGBTの方々はこのサインをどのように見ているんでしょうか?こんなことを想像するだけでも研修に興味が湧いてきませんか?

2016年10月14日

No.465 柔軟さ、調整力、多様さを楽しむ感性




運動会から3週間が経とうとしていますが、今でも運動会の取り組みが遊びの中で繰り広げられています。上の写真は子どもたちだけでリレーをするために集まっているところ。チームの人数を調整し、走る順番を決め、スタート・ゴールの位置を決めて…と準備をしている場面から見始めたのですが、全てが決まっていよいよスタートかと思ったら、そこへ小さい子が「入れて〜!」とやって来ました。時間をかけて調整をし、やっとスタートできるところまでこぎ着けたのに、ここでその子を加えると人数が合わなくなるし、走力をみてどちらのチームに入れるかを考える必要も出てきます。ここは少し待ってもらって2回目のリレーから入ってもらう選択肢もあるんじゃないだろうか、子どもたちはどうするんだろう?と、次の展開を楽しみにしながら見ていました。

子どもたちの判断は非常に早く、「いいよー、じゃあこっちのチームに入って、こうしてああして…」とどんどんチームの変更が進んでいきました。もちろんそう判断する可能性が高いのは知っていたので特に驚きはしなかったのですが、その後の行動の速さにはちょっと驚かされました。一見簡単そうにやっているように見えましたが、この行動の難易度は結構高いと感じました。一度決まったことを変更する決定をあっさりとしてしまう柔軟さ、メンバーの入れ替えを瞬時にやってしまう調整力、そうした行動の元になる「いろんな子が加わった方がリレーはおもしろくなる」と感じる感性は、どれも子どもたちに身につけてもらいたいと考えているものです。リレーが始まるまでの短いやり取りでしたが、子どもたちが日々の生活や運動会を通して学んでいることが詰まっていて、興味深く見させてもらいました。もし保育者主導で行っていたとしたら、決してこんなやり取りは生まれていなかったでしょうね。

もちろんこうしたやり取りは他の子どもたちの前で繰り広げられています。その時の様子を注視している子の姿は見られませんでしたが、内容は違っていても似たようなことは日々行われていて、それらを見る機会はあちこちにあります。「どんな力をつけていけばいいのか」も見て学ぶことができるのが保育園です。4月から認定こども園になって1号認定(基本の生活時間は9時〜14時)の子が加わることになると、今までにはなかった小さな変化が生まれてくる可能性があります。互いに影響し合う存在が多様になることは、当然大変なこともあるでしょうが、その大変さも含めてどの子にとっても育ちのきっかけが増えることでもあるので、そのことも楽しみにしています。

2016年10月7日

No.464 認定こども園に変わります②




これは高橋源一郎氏(文学者、明治学院大学教授)が、アメリカのサドベリー・バレー・スクール(4歳〜19歳までの子どもが通う私立校)の教育について、ずいぶん前にTwitterに書き込んでおられた言葉です。この言葉がずっと気になっていて、今回ここで取り上げることにしました。サドベリー・バレー・スクールの教育哲学は「幼年期に子供に信頼と責任を与えることによって、自分が何をしたいのか、なぜそれをしたいのか、どうやってそれを成し遂げるのかを子供は学ぶことができる」というものです。教育という言葉の本来の意味「持っている力を引き出す」の実践を追求している学校だと理解しています。

なぜこんなことを書いているかというと、この考え方が保育とも共通点が多いと考えているからです。子どもが持っている「自己教育の本能(自ら伸びようとする力)」を信じ、その力がどんどん湧きだしてくるような関わりの場を作り出し、環境を設定することが、私たち保育者の役割です。「子どもは白紙の状態で生まれてくるので、大人がそこに色をつけていく」というのは、既に過去の考えになっています。様々な研究の結果、「子どもたちの持っている力を、大人だけでなく子ども同士の関わりの中で引き出していく」というのが今の考え方です。保育園に限らず乳幼児が生活する場はこのような場であるべきで、子どもたちの成長には欠かすことのできない場です。そうであるなら1人でも多くの子どもに利用してもらえる施設に近づけていきたい、そんな思いから認定こども園へ変わることを決めました。

以前書いたように、子どもたちの生活に変化はありません。ただ、今までは市と契約を交わすことで利用してもらっていたものが保育園と契約してもらう形に変わることなど、保護者と保育園とでやり取りすることが新たに出てきます。そうしたことについての説明会を今月14日に予定していましたが、準備が遅れているため延期させてもらいます。日程が決まればお知らせしますので、ぜひご参加ください。子どもたちの生活は変わりません。保護者のみなさんと共に、地域の方々と共に保育を作りあげていく思いも変わりません。安心して来年度を迎えてもらえるよう、準備に励みます。

2016年9月30日

No.463 勝ち負け




上の写真は先週の運動会の一コマ。年長児のリレーが終わった直後のもので、負けた白組の子が悔し涙を流していました。勝負事なので勝ち負けの結果はついてきます。勝った方は嬉しかったでしょうし、負けた方は悔しかったでしょう。私はこれをどちらにとっても貴重な体験と捉えています。昨年このひとりごとで「グッドルーザー(good loser)」について書きました。負けっぷりのいい人、潔く負けを認める人という意味の言葉で、「スポーツをするメリットにはgood loser、つまり『良き敗者』の経験ができる、ということがある。試合に負けたとき、その負けの経験はもちろん意味があるし、負けた立場から勝者がどのように見えるかとか、勝ったときは勝った側から敗者がどのように見えるかとか、そんなことを経験することでしか『良き敗者』になるためにはどうすればいいかを学ぶことができない。」という話を紹介しています。

これは負けた方が良いと言っている訳ではありません。今回のリレーのように、子どもたちはどうやったら勝てるかを考え、走る順番を真剣に相談して臨んでいます。みんな勝ちたいし、勝った方が嬉しいに決まっています。でも、どれだけ力を尽くしても、勝つこともあれば負けることもある。世の中はそんなものです。だからこそ残念ながら負けてしまったときに、自分なりの「次の一歩」の踏み出し方を身につけておくことが大事だという話です。子どもたちが保育園で体験していることの中には、運動会のリレーに限らず、葛藤の場面がたくさんあります。他の子と共に生活し、個々が主体的に活動しているので葛藤が生まれるのは当然のことで、そのときが「次の一歩」を学ぶ貴重な機会です。友達と相談したり力を借りたりすることもあるでしょうし、自分の気持ちに静かに目を向けて考えることもあるでしょう。そんな姿が生まれる取り組みを用意していくことは保育園の大事な役割の1つです。

そして勝ったチームの子は、負けて悔しがっている子の姿をちゃんと見ていたはずです。自分は嬉しい、でも他の子は悔しがっている、その違いを感じ取る力は大事です。友達と楽しく遊ぶときや、何かの拍子でケンカになってしまって折り合いをつけなければいけないときなどは、自分と違う気持ちを抱いている人がいることに気づく力が欠かせません。子の力は体験し、感じることがなければ身につきません。リレーで勝った赤組の子は、勝った嬉しさだけでなく、貴重な経験もしたことになります。そう考えると、様々な育ちのきっかけが見られた、いい運動会だったと改めて感じています。