2018年9月30日

なーんにもしない一日

今日はなーんにもしない一日でした。台風も近づいてたし、連日動き回ってたし、来週以降もまた動き回るし。

何もしないのはもったいないなー、何か役に立ちそうなこととか勉強とかでもしとこうかなーと、以前は考えていたけど、そんな思いをぜーんぶ無視して何にもせずに過ごしました。

おかげで頭の中がスッキリしました。夜になって、さて来週以降はどう動こうかと考えたときの頭の動き方がかなりスムーズです。

そんな過ごし方はもったいないと思う人もいると思いますが、どう過ごすかのペースは人それぞれ、いろんなやり方があるはずです。何もせずに後悔するとしても、それを自分が引き受けさえすれば何も問題はありません。

なーんにもせず、なーんにも考えずに過ごし、かなり頭がすっきりしたいい一日でした。でも悪天候のため走ることができず、体をスッキリさせることができなかったことだけは残念です。

2018年9月29日

宿題

久々に宿題というものをもらいました。次の講義までにやってきてね、というヤツです。

次の日までに◯◯を仕上げなければ…はよくあるんですが、学校の宿題のようなものは久々だったので、そこそこ時間はかかりましたが新鮮な気持ちで取り組むことができました。

日々の仕事はなかなか変化をつけることができません。何も考えずにやっていると、気づけば同じやり方を選択しています。少しでも新鮮な気持ちで、少しでも楽しく取り組むためにはメリハリをつけることも必要だと、宿題をしながら思ったわけです。

中身だけでなく方法も工夫をしていくことが、仕事においても必要なんだと思います。そう考えると、仕事のやり方なんて無限に作り出せるのかもしれませんね。

2018年9月28日

視点

自分自身が事業に関わったりする場合、どうしても自分の思いとか感情が入ってしまいます。冷静に、客観的に見なければいけないときも、自分の見たいように見てしまいがちです。でもそれではいけない場面が必ずあって、そんなときに気持ちをうまくコントロールできずに困ってしまうことがあります。

その対局にあるのが第三者評価のようなものだと思っています。ある事業を第三者の立場から評価する場合、自分の思いや、ましてや感情なんて優先させてはいけません。気持ちをコントロールしながら、何を評価するのかから離れることなく観察、評価をすることになるんでしょう。

最近第三者評価を受審したんですが、評価者の話を聞いていると私とは全く違う視点でおもしろい気づきを与えてくれました。例え同じ結論に至ったとしても、とても冷静にいろんな角度から見てくれていて、結論までの過程が全く違うので意味が違っています。冷静な目はありがたいと感じた第三者評価でした。

1人で両方の視点をコントロールできればいいんですが、完全にコントロールするのはおそらく無理です。でも少しくらいは両方の視点を活用できるようになりたいと思っていて、新たに勉強を始めることにしました。思っていた以上に大変な作業で苦戦していますが、今取り組んでいることにも、今後取り組もうとしていることにも、いろんな面でプラスになると思っているので粘り強く学んでいくことにします。

2018年9月27日

情報に触れること

いつもは島根にいて、島根の現状しか知らないわけですが、外に出ると様々な情報を得ることができます。

今日は長崎、福岡、埼玉、栃木、東京のことをいろいろと教えてもらうことができました。

それが絶対に必要な情報なのかどうかはおいといて、他県の現状から島根のことを考えるとちょっと違った見方で考えることができます。

事業のヒントも得ることが出来ました。

安易に流されないよう気をつけながら、いろんな情報に触れることは大事だと思っています。いい時間を過ごさせてもらいました。

2018年9月26日

動きの早い人

動きの早い人がいます。

問いかけたらすぐに返事がある。分からないことがあるとすぐに調べる、もしくは詳しいであろう人にすぐに連絡してみる。 実際に見た方がいい、やってみた方がいい事案が出てくると、今すぐだったり最短のスケジュールで動く。

こうしたことが当たり前のように身についている人がいます。

私がそれとは正反対であるため特にそう思うのかもしれませんが、動きの早い人には刺激を受けています。

思い立ったらすぐに行動。簡単なことなんですが、それができていないのが現状です。なので、動きが早い人と行動を共にする機会があれば、できる限りついていくようにしています。自分の行動基準・子言う同ペースと違っている人についていくことで、見えるものが違うし気づけることも違います。

今日は夕方まで完全に受け身で全く動かない時間を過ごしていたんですが、夕方以降は非常に動きの早い人と動きの早い時間を過ごすことが出来、いろんな発見があったので、こんなことを書きたくなりました。

2018年9月25日

明日から

明日からある勉強をしてきます。今後取り組もうとしていることに何かしらの影響を与えてくれるものと期待しています。相変わらずバタバタしていて全く準備はできていませんが、なんとかやり切ってこようと思います。

2018年9月24日

大日向小学校

2019年4月に開校予定の大日向小学校

友人のNさんが中心になって準備を進めておられるので中身は大まかにですが理解しています。その小学校のことが記事になって取り上げられていました。
「移住してでも子どもを入れたい」長野に開校予定の欧州流小学校

小学校を立ち上げるなんてとんでもないことを考えたものだと最初に聞いたときは驚きましたが、Nさんがずっと思ってきたことは聞いていたし、今までやってきた活動も知っていたので、それらを考えるとここに行き着くよなあと納得してしまったのを思い出します。

学校を作るという発想は自分にはありません。というか、学校を作るのは学校を作る立場にある人だけだと思っていました。でも違うんですよね。学校を作るために必要な条件を一つ一つ満たしていきさえすれば、学校は作れるんです。できないと考えて何もしないのではなく、できるようにするためにはどうすればいいかを考え始め、行動し始めるだけなんですよね。自分がプレイヤーになる、起点になるだけです。

そんなことをNさんから教わっている最中です。大日向小学校の今後が楽しみです。

2018年9月23日

ナンセンスなもの

ぼくはナンセンスなものを描いているわけだから、その意味づけを云々(うんぬん)されても困るわけ
長新太(ちょうしんた)

鷲田さんのことば
何の意味もメッセージもないと、読者より批判が向けられた時、絵本作家は、しつけや感動といった「指導」より、生きるのは楽しい、不思議がいっぱいと、子供自身が感じるほうが先だと思った。「ためになる」かどうかより、「生理的に心地よいこと」が生きることの根底になければと。昨日と同じ対談集『絵本のこと話そうか』(松田素子編)での絵本作家・五味太郎との対談から。(鷲田清一)

今日の「折々のことば」。
子どもには指導がなされて当たり前と考える風潮は確かにあって、それがいけないわけじゃないけど、全てに優先されて指導がなされるべきと考えられるとちょっと問題があると思います。特に乳幼児期、それに加えて小学校低学年くらいまでは、指導が優先されすぎたり強すぎたりするのではなく、指導したいことを体験から学べるような場を設けることの方が優先されるべきだと思います。ナンセンスで無秩序な世界なんて絵本でしか体験できないわけだから、存分にナンセンスな世界を楽しむ時期を保証してあげたいと思います。

2018年9月22日

運動会

写真っておもしろいですね。どのシーンをどの角度から写すかによって、見え方が全く違ってきます。

この写真は何をしているところかわかりますか?



これは今日行われた運動会のある競技の様子です。撮影した写真を確認していて見つけました。

写真のことはおいといて、
子どもたちが日々の生活の中でどんな力をつけてきたか、その運動面の成長を見てもらういい運動会だったと思います。そして保護者だけでなく、地域の方や様々なつながりの方に来てもらえた、今までと少し違った感じの運動会だったようにも思っています。変化は続いています。

2018年9月21日

環境を通して

今日はW園で11月の研修会の打ち合わせをしてきました。

「環境を通して行う」という保育の基本を森のようちえん形式の中ではどのように実践しているのか。

それは園舎で行う保育とは違うのか?

共通点は何か?


そんなことを考える場にしたいと思っていて、予定通りなかなかおもしろい内容になりそうなので楽しみです。

2018年9月20日

ネットと紙

昨日は完成したばかりの広報誌を紹介しました。それとは全く違うものですが、子育て支援センターのイベントチラシも最近作成しました。ネットを活用したアピールと、紙を利用したアピール。この2つのバランスが取れた状態と目指していて、そのためにはどのような方法がいいのかを試しながら探っているところです。



ネットの即時性、拡散性にはもちろんかないませんが、紙を使ったアピールにはネットにはない深さがあると考えています。渡すだけでなくそこに言葉を添えるだけで、その紙がいろんな温度を持つと思っています。形だけ渡しているとただの冷たい紙ですが、ぜひ来てもらいたいと強く思いを込めた言葉を添えて渡すと、その思いが熱となって紙から伝わってくると思います。何の根拠もなくそんな気がするだけですが、そう思って取り組んだ方が楽しいと思いませんか?

2018年9月19日

ハナハナ No.39

広報誌が完成しました。



38号までは企画・編集・印刷の全てを内部で行っていましたが、39号は全ての段階でプロに関わってもらっての制作となりました。

今までは「興味のある人だけが花の村のことを知っている」という段階だったと思っていて、今後は興味を持ってくれる人の輪を広げていく段階に入ります。つまり興味のなかった人に興味を持ってもらおうという段階です。

広報誌を新しくしただけで変わるとは思っていません。でも今後の取り組みにジワジワ効果が出てくると思っています。というか、それを期待しています。

広報委員会のメンバーは新たな方向にスッと舵取りをし、スムーズに進めてくれました。そのことにまず感謝です。

表は花を育てておられる方のインタビュー記事です。その方の深い思いを感じることのできる内容になっています。裏に花の村が地域とどんな風につながっているのか、どれだけ支えてもらっているか、各事業所の取り組みの様子から感じてもらえる内容になっています。全ての事業所を取り上げることはできませんでしたが、今回載せられなかった事業所は次号以降で取り上げることになります。

法人事業の利用者、関係者には近々配布させてもらいます。各事業所には配布用が置いてあるので、読んでみたい方は声をかけてください。

2018年9月18日

タイプの違う人間

20年くらい前に一緒に仕事をしていた友人Mと会ってきました。結果を厳しく求められていた会社で、とにかくがむしゃらに働いていました。ただかなりのことは個々に任されていたため、おもしろさはありました。そのときに一緒になったのがMで、いかに楽しく売上を上げるか、いつもアイデアを出し合っていた記憶があります。

Mは私と正反対の性格で、とにかく行動の人です。考えているヒマがあったらとにかく動く、考えるよりも先に動く、そんな感じでした。なので問題を起こしてしまうこともありましたが、そんな時も自分が率先して責任をとろうとする、いいときも悪いときも前に立ってみんなを引っ張っていく、そんな人でした。私が悩みすぎてどう動けばいいかわからなくなっていると、背中をドンと押してくれるのがMでした。根拠なんて全くないはずなのに自信満々に行動している姿は、私が持っていないものでもあるし、私が最も身につけたいと思うものでもあり、その姿勢からたくさんの刺激を受けていました。

そんなMが今悩んでいました。後先考えずに行動することが悩みの原因らしいです。私の慎重すぎるくらい慎重なところが自分には少し必要で、そういうタイプの人に悩みを聞いてもらいたいと話していました。それを聞いていて、タイプの違う人間は必要なんだなと感じました。

私はMの行動力に刺激を受けたいと思っています。Mは慎重で考えすぎる私に相談したいと思ってくれています。同じタイプならおそらくこんな風には思わないはずです。互いの得意な部分が違って、弱い部分を補い合えるとすると、すごくいい協力の形だと思います。一緒に働いたのは数年間でしたが、そのときも刺激しあってたんだろうとあらためて思います。接点が少し増えてきたので、今後Mの相談に乗りながら、こちらは前に踏み出すための刺激をMからもらってやろう、そんなことを考えています。

2018年9月17日

福岡から

福岡県から29名の見学者が来られました。といっても休日だったため、あさりこども園、さくらこども園の施設環境の見学のみです。そこで子どもたちがどのように活動しているかも合わせて見てもらうのが一番いいんですが、各園いろんな事情があるため仕方ありません。今回は職員旅行で出雲大社や足立美術館へ行くことになっていたそうで、その途中での見学です。



見学時間は約30分。短い時間だったため、多くのことは伝えられませんでしたが、強く興味を持ってもらった部分に関してはある程度伝えられたと思います。関心を持ってくれたことに関して短時間で説明する。関心を持ったもらいたいことを短時間で伝える。そんな練習が必要だとあらためて思いました。時間があればもっと説明できたのに…ではいけません。時間がなくてもしっかりとポイントを伝えられる、時間があればたっぷり伝えられる、どちらもできて当然にならないといけません。

2018年9月16日

野草

「野草と暮らす365日」という本を紹介してもらいました。著者は野草研究家の山下智道さんです。

野草を生活や食に取り入れる具体的な方法が書かれていて参考になるし、何より野草に対しての向き合い方がすごいです。実際にお会いしたことはないのですが、関心の度合いが非常に高いのが伝わってきます。

この方に加わってもらって園庭の植栽計画を立てるとしたら…

この方と一緒に野草を食べるイベントを計画するとしたら…

そんなことを考えているだけでいろいろとアイデアが浮かんできます。




2018年9月15日

起点

「起点になろう」という記事を読みました。

今とはまったく違う世界がみたいなら、
どんな小さなことでもいい。自分が一番、興味のあることで、
とにかくまずは「起点」になろう。

よく考えたら自分が起点になったことってあんまりありません。起点になっている人のことを外側から眺めているだけ、それで自分も起点になったと勘違いしているだけ、というケースが多いです。

数少ない「起点」になったケースを思い出してみたんですが、確かにそこでの経験は他の経験とは別物でした。自分の自信にもなっているし、行動の幅を広げてくれました。

起点になるためにはまず動くこと。失敗するかもしれないけど、まずは動くこと。そうしなければ得られないものはとっても大きいので、とにかく動くこと。失敗を恐れて動くのをためらっていたことがあったんですが、気持ちを入れ替えて動き出しました。小さなことですが、起点になります。

2018年9月14日

いろんなスタンスがあっていい

ファンや会員、仲間を増やそうとするとき、ど真ん中にいるコアなメンバーがどんな姿勢でいるかが重要だと思っています。

スポーツなんかは典型的です。熱狂的なファンもいれば、ブームに乗っかったちょっとしたファンもいたりします。そこで熱狂的なファンが「ブームに乗っかってファンになるような人は本当のファンじゃない」と排除してしまうとどうなるでしょうか。ファンの総数を増やすことができず、最終的には支える人がいなくなってしまいます。ちょっと興味があって…くらいのファンを温かく迎え入れ、一緒になってひいきチームを応援する体制が出来れば、そこから新たなコアなファンが生まれることにもつながり、結果的にファン総数を底上げすることになると思います。そして総数が増えるだけでなく、ファンの文化もスポーツの文化もよりおもしろいものになるんじゃないでしょうか。

その理屈はどんな集団にもある意味では当てはまると思っていて、集団や組織が豊かなものになるかどうかはガチな人たちの姿勢にいるはずです。それぞれのスタンスで関わるのが自然な形であるはずのところに、自分たちと同じようにガチであることを求めたり、そこを目指さない人を排除したり、そんな場面に時々出くわしたりすることがあります。同じスタンスであることを求めていたらどんどん先細りになっていくだけなんですけどね。

ガチな人はガチを追求し、でもいろんなスタンスがあることを機嫌良く受け入れていれば、その輪はどんどん大きくなり、ガチから遠い人も自分のスタンスで自由に動き出し、結果的に強くておもしろい集団になると思います。周辺が充実してくることこそが大事だと思います。中心の人たちからするとおもしろくないことであったとしても、結果として自分たちの成し遂げたいことを周辺がサポートしてくれることになると思っているので。

2018年9月

【ひやりハット】
朝礼の場で相談役から「ひやりハットの記入」について話がありました。内容は「ひやりハットに書かれることは花の村の財産。それを元に日々改善していくことが目的。この出来事はひやりハットに書くかべきかどうかと判断に迷うことがあるかもしれないが、個人が書くべきだと思ったら書いてほしい。個々に判断基準を持ってほしい。」というものです。ひやりハットは書いた当事者を責めるものではありません。起きた出来事を整理し、同じことが起こらないよう対策を立て、そこから類推される他の事例についても改善を考えるきっかけにし、そしてそれらをスタッフ全員で共有するためのものです。そう理解したうえで「自分はどんな出来事からひやりハットに書くか」を改めて考えてみてください。

【アラームの感度】
何にひやりとするか、何にハッとするかは、出来事に対しての感度のレベルによって変わってきます。「大きな事故にはなってないけどそのままにしておくのは何となく気持ちが悪い」と、日々のちょっとした出来事に対して感じることは誰にでもあると思います。その時に「まあいいか」と自分の気持ちをしまい込んでしまうか、それとも「やはり放っておけない」とスタッフ間での話題として取り上げるかは、後に大きな違いになってきます。「まあいいか」と自分の気づきをしまい込むことを続けていると、事故や危険に気づく感度が下がってしまいます。大きな事故を起こさないための対応が明らかに遅れてしまいます。反対に、細かく反応する自分の感度を大切にして気づきを拾い続けていると、事故のもとに対しても気づきやすくなります。個々が持っている危険に気づくアラームの感度を高いレベルで保っておくことも意識してください。

【正直さ】
ひやりハットを書くときの大原則は、「起きた出来事を正直に」です。上にも書いているように、ひやりハットは当事者を責めるものではありません。とは言っても、そんなつもりがなくても、ちょっと自分寄りの解釈を加えて書いてしまったりするのが人間です。誰もが無意識にそのような書き方をしてしまう傾向があると認めたうえで、起きたことをできるだけ正直に、まっすぐに書くことを意識するようにしてください。正直でない記録があったとすると、そこから本当に有効な改善策が出てくるはずがありません。ひやりハットの記録に限らず、正直に行動する、正直に振り返る、正直に記録することを1つ1つ積み重ねていくことが花の村の仕事の基本です。利用者や子どもに対していい介護・保育・育成ができるよう、職員が良いチームを築いていけるよう、そして自分自身が気持ちよく仕事をしていけるよう、基本中の基本である「正直さ」が私たちの根っことして張り巡らされているかを常に確認していきましょう。

2018年9月13日

まずはやってみる

石見弁を活用すること。気にはなっていたけど使っていなかったネットプリントを試すこと。

来月コーヒーの淹れ方講座を開催する予定だったため、この2つをやってみるためにフライヤーを作ってみました。



A5サイズのフライヤーは石見弁ではないですが、それとは別に施設貼り出し用として石見弁バージョンを。といっても軽い石見弁だと思います。がらりと雰囲気が変わるので、あえてくだけた感じを出したいときはいいかもしれません。

ネットプリントは確かに便利でした。データを作ったらそれを入稿するだけ。サッと確認してサッと注文できました。仕上がりを確認してみないとなんとも言えませんが、今後頻繁に利用することになるかも。

やってみないとわからない。ほんとにそうですね。気になったら動いてみる。どんなに小さいことでもまずはやってみる。これを怠ってはいけませんね。

2018年9月12日

肥えた土

昨日、保護者が園庭の整備作業を行ってくれました。園庭の整備が行き届いていなかった部分を中心に、隅々まで丁寧にです。ほんとうに感謝しています。

整備をしてもらった箇所の中に、なかなか手をつけることができず荒れてしまっていた大きなコンポスト“もどき”がありました。草を入れるだけならよかったんですが、伸びすぎて切り落とした木の枝なんかも大量に突っ込んでいたため、ほとんどコンポストの機能を果たせない状態になっていました。それをきれいに片付けてもらったわけです。でも一応コンポストのような役割も果たしてくれてはいたので、その下の土は濃い色の柔らかいものになっていました。

あくる日(今日です)、想像通り子どもたちがその土を発見していました。栄養がありそうな土には幼虫や虫が隠れていることを知っているんでしょう。何かをジッと探している子もいましたし、何カ所も穴が掘られていました。



また、ままごとの材料にも使われていました。写真を撮り忘れてしまいましたが、あちこちでその土を使った料理が作られていました。

やっぱり園庭に養分の多い土があるのは大事です。虫が集まるだけでなく、植物も育ちます。時間をかけて土壌改良を行っていくことの重要性を再確認することができたので、ちょっとずつそのための取り組みを進めていくことにしました。何年かかるかわかりませんが、よく肥えた土がたくさんある園庭に変化させたいと思います。

2018年9月11日

季節の変化

今夜はサンマをいただきました。



すっかり秋ですね。食べ物で秋を感じるのはいいものです。季節の変化を食べ物が教えてくれています。

8月の初め頃、夜の空気が変わってきたなあと感じたのと同じくらいのタイミングで、トンボの群れを見かけるようになりました。後半になるとあちこちで飛んでいました。うるさかったセミの鳴き声も聞かなくなりました。虫たちも季節の変化を教えてくれています。

カレンダー等で変化を知ることもできますが、生活や体験から季節の変化を感じる楽しさを子どもたちに伝えたいと思っています。

2018年9月10日

ちょっとした出来事

今日のちょっとした出来事を。

午後からは会議があり、それが終わると別件で◯◯さんと待ち合わせをしていたので急いで待ち合わせ場所のカフェへ。◯◯さんはその後別の用事があるのであまり時間はないと聞いていたので、結構慌てて駆けつけました。

待ち合わせ場所について◯◯さんを発見。次の用事の準備なのか、PCを開いて真剣な表情で作業をしていました。

「遅くなりましたー」と近づくと、隣のテーブルには同じような表情でPCをカタカタ叩いている人が。

みんな忙しそうにしてるなあと思いながらその人の顔を見ると、ん?、誰かに似てる…、あっ△△さんだ!

◯◯さんの友達で、何度か会ったことのある、最近本を出された△△さんでした。

△△さんも一緒にいるとは思わなかったんで、あーお久しぶりですー!と軽く話をし、時間がなかったので荷物を置いてすぐにコーヒーを買いに行きました。

かなりおもしろい方たちどんな仕事をしているのか、どんな話が聞けるのか、そんなことを考えながらコーヒーを買ってテーブルへ戻ろうとすると、◯◯さんと△△さんの向かいに来たときにはいなかった男女が座っていました。

??と思いながら近づくと、その男性はなんと□□さん。この方も◯◯さんとのつながりで何度かお会いしたことがあり、石巻にいたと思ったら鹿児島へ移ったり、最近本を読んだタルマーリで修行をしていたと思ったら長野でドーナツ屋を開いていたりと、これまたおもしろい方。

なんと今日はお二人が婚姻届を持ってきており、◯◯さんと△△さんが証人としてサインをすることになっていたようです。

◯◯さんと仕事の話をするためにカフェに来ただけなのに、なぜか婚姻届の証人欄にサインするのを見届ける証人役をやることになりました。

ただそれだけのことなんですが、滅多に会うことのない方たちに一度に会い、しかもおめでたい話に混ぜてもらえたという、スリリングな展開の1時間でした。



2018年9月9日

敬老会

敬老会に来賓として参加してきました。こうした行事を継続させていくことの大切さ、大変さを考えながら、会を楽しませてもらいました。

アトラクションではさくらこども園の子どもたちの出番も。子どもたちが出てくるとみんながふっと笑顔になり、場の雰囲気がぱーっと明るくなる感じがします。もちろんそれまでも和やかな雰囲気なんですが、質の違う和やかさというか明るさというか、とにかく変化します。不思議なんですが、この変化はいつも感じることです。



これは子どもたちの存在が場に与える力の1つだと捉えるようにしています。コミュニティーは大人が動かしていかなければいけませんが、その構成者として子どもは欠かせない存在です。もっと意図的に子どもがコミュニティーに関わっていくようにすることが、過疎化、少子高齢化の地域ではますます重要になってくるんだと思います。

そんなことを考えながら、そんなことを忘れてみなさんの取り組みを楽しませてもらいながら、敬老会の場を過ごした日曜日でした。





2018年9月8日

悪いクセなんですが

今日はある研修会の企画会議に参加しました。そうすれば自分たちの思いを多くの人に届けることができるか、そんなことを参加した人がいろいろと意見を出され、それを聞いているだけも勉強になりました。

普段関わることのない人たちなので、発想がかなり違っています。その違いに触れているだけでも「おお、そんな考え方もあるのか」「そんな着眼点もあるのか」と、ちょっとしたことにも刺激を受けていました。

自分の悪いクセなんですが、そこで行われている話でおもしろいと感じたことが出てきたら、それを自分の仕事に応用できないだろうか、例えば○○に活用してみるとか…とその場の話から頭が離れていってしまうことがあります。しかもかなりの頻度でそうなってしまいます。そして今日も仕事の事ばかり考えてしまいました。アイデアが浮かんだのはよかったんですが、反省もしています。



①知ってはいたけど試してみようと思っていなかったことがあります。でも上手く活用できたら1つの武器になるかもしれません。さっそく取り入れてみることにします。

②石見弁の積極的な活用もありだと思います。ただの見出しの言葉も石見弁に変換することでニュアンスや受け取られ方はかなり変わる気がします。

まずはこの2つを試してみます。

2018年9月7日

こども園のスタッフとして

こども園のスタッフとして新しい人を募集するとしたら、どんな人を求めるかを考えていました。

絶対に求めたいこととして、

○こども園の理念を理解し、行動できること。
向かっているところが分かろうとしなければ始まりません。そして分かったとしても動こうとしなければ前には進めません。

○チームワークを大切にできること。
保育はチームで行います。個人を出さないようにして…ではなく、個を発揮した上でチームを活性化させるイメージは共有したいです。

○身の周りのことを面白がる好奇心。
子どもは周囲のことに関心を示し、それに積極的に関わっていきます。それを一緒に面白がったり、モデルとなるような好奇心を示したりすることで、子どもの好奇心はさらに高まります。

○子ども、保護者、同僚と真っ直ぐ向き合える素直さ、謙虚さ。
「真っ直ぐ」というのが抽象的でわかりにくいですが、そのまま見る、違いを認めるといった意味でしょうか。

○変化を楽しむ気持ち。
人は変化します。環境も変化します。社会も変化します。それに合わせて自分も変わらなければいけない場面はたくさんありますが、そこで躊躇するのではなく、むしろ面白がるくらいがいいかもしれません。



あるといいんだけど、なくても全然問題ないものとしては、

○保育スタッフとしての自信。
初めての環境、やったことがないことに向き合うことからのスタートです。自信がなくて当たり前です。成功したり失敗したりと経験を重ねることで自信をつけていってくれたらそれで十分です。

○ピアノのスキル。
音楽の楽しさはピアノ以外の楽器でも十分に味わうことができます。ピアノのスキルがあることはもちろん素晴らしいことだけど、ピアノが上手な人がいたり、ギターが上手な人がいたりと様々であることの方が、社会のあり方としても子どもに影響を与える大人のあり方としても、自然なんじゃないかと思っています。


他にも思いはあるんですが、まずはこんなところでしょうか。

2018年9月6日

法人内の研修

法人内で研修を行っています。法人の職員が講師となり、法人の職員に対して研修を行うスタイルです。この研修を実施するために、2名の職員に目的を説明し、内容を考えるところからほぼ全て任せることにしました。今日2回目の研修が実施されたんですが、1回目と同様に見事にやり切ってくれました。

結構雑な任せ方をしてしまって反省していたんですが、ちゃんと意図を理解してくれていて、しかも自分だけで構成していたらできなかった内容に仕上げてくれています。他人に任せた場合、自分が想定している枠を飛び越えた形に仕上げてくれることが多いので、こちらも勉強になります。この研修を続けていけばもっと面白い形になっていく予感もあります。

とりあえず2回実施してしばらくお休みを、と思っていたんですが、少し形を変えながら継続していく案が出ました。その話を嫌がることなく、むしろ当然そうすべきでしょ!くらいに構えてくれていることが心強いです。3回目以降がどうなっていくか、楽しみです。

2018年9月5日

乳幼児教育

11月に行われる島根県保育研究大会において、私たちの園のスタッフが研究発表を行います。テーマは『子ども集団から見える乳児期の育ち』です。

乳幼児期に子ども集団の体験をすることはとても大事だと考えていて、集団の中でどんな姿を見せているか、何を体験しているか、そこでの経験が3年後、4年後にどうつながっていくか、そんなことを追跡調査していることを発表することになります。

一般的に保育といわれているものの中には教育の要素がふんだんに入っています。といっても何かを教え込むような教育ではなく、子どもが持っている「自ら育つ力」を引き出していく教育です。私たちは便宜上それを乳幼児教育と呼んでいます。

昨日参加した幼児教育振興プログラム策定ワーキンググループの場でも、0歳からの教育が大事だと発言しました。乳幼児教育の意味について、県内でも理解が進んでいくことを期待してのことです。

どうしても教育といえば3歳以上の子、幼稚園に通い出すあたりからの話だと思われていると思いますが、実はそうではないこと。乳幼児期に必要なのは小学校以降の教育の先取りではないこと。そんなことをいろんな場で当たり前のように発言し、関心を持ってもらう流れができてくることを目指します。

2018年9月4日

島根県幼児教育振興プログラム

島根県幼児教育振興プログラム策定ワーキンググループに委員として参加をしてきました。このワーキンググループの目的は、島根らしい幼児教育のあり方を協議し「島根県幼児教育振興プログラム」を策定することです。今日はその最初の集まりでした。

島根らしい幼児教育のあり方とは?

これはかなり大きなテーマなので当然時間をかけて議論することなんでしょうが、大学の方、幼稚園の方、小学校の方、行政の方と様々な立場の方が委員として参加しておられるので、視野が狭くなる心配はいらないと思うので、思う存分自分の立場からの意見を言えると思っています。

まずは「0歳からの教育」を共通認識してもらえるようにすることが自分の役割と認識しています。幼児教育の中には乳児も入っているという前提ではあるようですが、一般的に幼児教育といえば3歳からのことと思う方がほとんどではないでしょうか。そうではないのであれば、「0歳から」ときちんと言葉にし、それを広く認識してもらいたいと思っています。

今回は「幼小連携・接続」「特別支援教育」「地域・家庭との連携」「質の向上(職員の資質向上も含む)」あたりがプログラムの中心になるだろうと意見がだいたいまとまった感じです。それをもとに今後も協議していくことになるようです。

プログラムのイメージはまだ見えていませんが、これからしっかりと関わっていくつもりです。

2018年9月3日

その場に身を置いて

毎年見るようになったこの光景。今月行われる運動会の内容について、そのコース上で、時には実際にやってみたりしながら確認&話し合いを行っています。



別に部屋の中で話し合いをしてもいいんですが、なぜか現地で行います。ちょっとしたことですが、実際にその場に身を置いて考えて初めて見えてくるものがあります。このときには大きな効果がなかったとしても、この動きが大事にされることで後の何か(かなり曖昧ですが)で役に立つ、なんてことは結構あると思っています。

2018年9月2日

SDGs

SDGsという言葉を教わりました。Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略で、エス・ディー・ジーズと読みます。世界が抱える問題を解決し持続可能な社会をつくるために、17の目標と169のターゲットが2015年9月の国連サミットで採択されました。

17の目標は以下の通り。

1 貧困をなくそう
2 飢餓をゼロに
3 すべての人に健康と福祉を
4 質の高い教育をみんなに
5 ジェンダー平等を実現しよう
6 安全な水とトイレをみんなに
7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに
8 働きがいも経済成長も
9 産業と技術革新の基盤をつくろう
10 人や国の不平等をなくそう
11 住み続けられるまちづくりを
12 つくる責任つかう責任
13 気候変動に具体的な対策を
14 海の豊かさを守ろう
15 陸の豊かさも守ろう
16 平和と公正をすべての人に
17 パートナーシップで目標を達成しよう

SDGsの目標達成に向けて勝手に取り組むのは別に問題ないはずなので、ちょっと意識して今の事業の方向を考えてみようかと。

3 すべての人に健康と福祉を
4 質の高い教育をみんなに
5 ジェンダー平等を実現しよう
11 住み続けられるまちづくりを




この4つは今の私たちの課題とも合致しているので、SDGsと結びつけながら取り組みを整理してみようと思います。

2018年9月1日

棚田見学は中止になったけど

職員研修と保護者講演会が終わりました。終了後は幕内先生と浜田市の棚田を見に行く予定でしたが、昨日の大雨の影響でその他諸々の予定が変更になったため、残念ながら棚田は諦めることになりました。

1年半前に来ていただいたときは邑南町の神谷の棚田を見に行きました。今回は浜田市の室谷の棚田を見に行く予定でした。子どもにはごはんが大事だと話されますが、その米文化がその土地にどのように根付いているかを水田を見て回ることで根本から把握しようとされます。食生活を考えるとき風土を無視することはできないため、その土地の歴史や地形、食生活を支えているスーパーやコンビニなどを時間をかけて調査されます。食事をしに行くとメニューを隅から隅まで眺め、どのような食の特徴があるか考えを巡らせます。しかも何度も何度も。変わった食べ物を見つけたら、おそらく本心から食べたいとは思っておられないでしょうが、実際に食べてそれがどのようなものかを確かめられます。

このような姿勢を見せてもらっているので、この方の食に関する考えは全面的に信用しようと思えます。飽くなき探求心に刺激をたくさん受けました。