2017年1月27日

No.479 相手の思いを学ぶチャンス

ケンカについて考えていることを、先日子どもたちに少しだけ話をしました。「ケンカはあまりしてほしくないことなんだけど、自分の意見をちゃんと言うためだったり、一緒に楽しく遊ぶためのケンカなら仕方ない、もちろん手を出して相手を傷つけることや、悲しくなってしまう言葉をぶつけるのはいけないけど。」「自分の意見を言ったら相手の話も聞いてあげてほしい。ケンカが終わったらまた一緒に楽しく遊んでほしい。」そんな意味の話です。

「楽しく遊ぶためのケンカ」というのはちょっと変な表現ですよね。子どもたちのケンカは、自分とは意見の違う友達と一緒に遊ぶ中で、その違いをどう受け入れていくかを学ぶ過程だと捉えると、ケンカではなく「社会を学ぶための行動」と表現した方がいいかもしれません。でも、そうはいってもケンカをしている本人達は当然そのことで悩みもするし、葛藤もします。心にモヤモヤがたまってしまう、しんどいことではあるんだけど、だからといってケンカ自体を否定したくはないという思いがあり、子どもたちに話したり、ここにも書いたりしています。

児童文学研究者の清水眞砂子さんの著書「大人になるっておもしろい?」の中に、こんなことが書かれていました。

「けんかは人が人であろうとする行為」ということばに出会ったことがあります。(2012年4月21日放送。Eテレ)。コメンテーターは、大妻女子大学の岡健先生。岡先生はこの言葉に続けて、「けんかこそ相手の思いを学ぶチャンス」と言っておられました。この番組は子どものけんかを考える番組でしたが、どちらが正しくてどちらが間違っているかを決めるのではなく、互いの違いをあきらかにするのがけんかだとするこの先生の話を聞きながら、これは子どもをこえて、広くみんなに通用する考えだ、と深い共感を覚えました。

「けんかは人が人であろうとする行為」「けんかこそ相手の思いを学ぶチャンス」この思いは保護者のみなさんとぜひ共有したいと思っています。できることならケンカはしてほしくない、楽しく遊んでいる姿を見ていたい、というのが本音です。だからこそその力をつけるためのケンカは「学びの大きなチャンス」と受け止めてあげたいと思います。大人の受け止め方次第で子どものケンカの質は変化するはずです。少しでも良い経験となるよう、前向きに受け止め丁寧なサポートをしていきたいです。うまくまとまっていませんが、ケンカについての思いは伝わったでしょうか?

2017年1月20日

No.478 インプットとアウトプット

インプットとアウトプットについて考えています。個人的なことですが、今は特にインプットが不足していると感じていて、音楽家、写真家、作家、ダンサー、アスリート、起業家など様々な分野で活躍されている方のお話を、インターネットラジオなどで手当たり次第に聞いています。保育とは全く関係がない分野の方ばかりなんですが、それでも「これは保育にも通じる話だよな」と思うものにも出会うことができます。そもそも保育は特殊な知識や技術を身につけるためのものではなく、生きていくための基礎力であったり個々の特性を伸ばすことであったりするので、どんな分野の話も参考にすることができるのかもしれません。

そのようなインプットを行っていると何が起きるのかというと、行動したくなってウズウズしてきます。「おもしろそう!」と感じたことは真似してみたくなりますし、「応用できそう」と思ったことは試してみたくなります。そう感じて動くことが私にとってのアウトプットです。このアウトプットは結果が出ないことが圧倒的に多いのですが、時々保育に生かせることを見つけることができ、その嬉しさは格別です。そんなご褒美があるから、また次のインプットに取り組むことができます。このようにインプットとアウトプットを循環させることは、前に進んでいくために必要だと考えています。

インプットとアウトプットの循環は、子どもたちの成長にも欠かせないことです。自分より上の発達の子の姿を見ることや、なぜか分からないけど強く惹かれてしまうものに出会うことは、子どもたちにとってのインプットです。見たり惹かれたりすることで刺激を受け、その刺激によって行動、つまりアウトプットが始まります。真似してみたり、周りが気にならなくなるほど1つのことに没頭してみたり。そんな行動はどの子にも見られるわけですが、そうした行動によって子どもたちはできることを増やし、得意なことを更に深く習得し、世界を広げていきます。世界が広がることは子どもたちにとって楽しいことです。楽しいからまた刺激を求め、得られた刺激から新たな行動が始まります。この循環が子どもの成長につながるし、これこそが学びだと理解しています。

子どもたちの創造力や表現力を育てる場を提供する活動を行っているNPO法人CANVAS理事長の石戸奈々子さんは「学ぶことは楽しいこと。それを子どもたちに伝えていきたい。」「変化の大きな時代だからこそ、その変化に対応していくために学び続けることが大事で、続けるためにも学ぶことの楽しさを十分に体験させたい。」「学びと遊びは一体であるべき。」と話しておられます。私も保育園も石戸さんと同じ思いです。

2017年1月15日

2017年1月

2017年がスタートしました。新年決意発表会でのあいさつでも話をしたとおり、今年は事業理念を再確認する年にしていきます。『私たちは「なぜ」この仕事をしているのか?』の「なぜ」の部分が事業理念です。「なぜ」=「地域を創造し、活性化するため」です。これをみなさんと明確に共有できるようにすることを目標とします。事業理念の理解が十分でなかったという人は、これを機に考えるクセをつけるようにしてください。「そんなこと今さら言われなくても分かってる」という方は、そこから更に思いを深めることに挑戦してください。まずはここから丁寧に進めていきましょう。

保育園のことでお世話になっている同志社大学赤ちゃん学研究センター教授の小西行郎さんは、著書の中でこんなことを書いておられます。

「そもそもヒトが生き残り戦略として集団を作ったことはよく知られていますが、その集団には弱い者の存在があったと思います。つまり、赤ちゃんや老人、あるいは障害を持っているがゆえに人の助けを借りなければならない人たち、その人たちこそ集団の核であろうと思います。弱い者を集団の中で育ててゆくことによってヒトの社会は成り立っているのです。」

高齢者に関わる介護、赤ちゃんに関わる保育は、社会というシステムを動かしていくためには不可欠な活動だと私は捉えています。だからこそ介護と保育が新しい地域のあり方をつくっていくことができるし、その動きを生み出していく役割も担っているとも考えています。介護や保育の仕事が、『私たちは「なぜ」この仕事をしているのか?』と上手くつながってくると、今よりも仕事が深まっていくはずです。そんな仕事をみなさんと一緒に作っていきたいというのが、今の思いです。

昨年の11月と12月の給与コメントで、合歓の丘のAさんのこと、合歓の郷調理のNさんのことを書かせてもらいました。「花の村のあり方を考えるヒントをみんなにつかんでもらうために、この人のこの考え方や取り組みは他の人にも紹介したい」と思う人に少し時間を作ってもらい、取材のような形で話を聞かせてもらったことを書いています。花の村にはいろんな人がいて、いろんなことが日々行われていますが、交流の場はそう多くないため、互いに刺激しあう機会が少ないのが現状です。そこを少しでも埋めていきたいと思っているのでしばらくは書き続けるつもりなのですが、今月は取材をすることができませんでした。取材したい人はまだたくさんいるので(例えば職員の健康維持のためにヨガ教室を開いてくれている合歓の郷のあの人とか、介護や保育の仕事を後ろからしっかりと支えてくれている事務のあの人とか、“笑顔”がキーワードのあの人たちとか)、2月には書くことができると思います。しっかりと話を聞かせてもらいますので、取材の依頼があった際は笑顔で承諾してください。よろしくお願いします。

2017年1月13日

No.477 ごはんと味噌汁

朝ごはんの重要性については、既にみなさんも十分に理解しておられると思います。江津市でも朝ごはん、特に一緒に食べるものとして味噌汁を強く推奨していて、今月中に市内の全保育園の保護者に向けたアンケートなどが行われることになっています。その朝ごはんですが、力の入れどころを間違ってしまうとただ大変なだけになってしまいかねません。そうならないためにも「子どもにとっての朝ごはんのあり方」の意味をしっかりと掴んでおいてもらいたいです。ではどうすればいいのか?ですが、4月に保護者講演会で来ていただいた幕内秀夫先生が分かりやすい文章を書いておられたので、ここで紹介させてもらいます。ぜひ参考にしてみてください。

お子さんの朝食はしっかりごはんを食べさせましょう。大人でも肉体労働している人は、「ごはんを食べないと仕事ができない」、「パンでは食べた気がしない」という人がいます。その大人よりも、お子さんは成長期なのですから、しっかりごはんを食べさせないと、勉強も遊びも充分にできません。

ただし、若いお母さんの中には「和食は手間がかかる」、あるいは「お金がかかって大変よね」などと言う人もいます。私(昭和28年生まれ)が生まれたころは、どこの家庭にも電気炊飯器も冷蔵庫はありませんでした。それどころか、スーパーマーケットもコンビニエンスストアもありません。今よりはるかに不便で、貧しい時代でした。それでも、ほとんどの家庭が朝食はごはんだったのです。手間やお金がかからないから、ごはんを食べていたのです。難しく感じる人がいるとすれば、それは旅館やホテルの食事と勘違いしているのです。旅館の朝食のように、温泉卵や茶わん蒸し、焼き魚、野菜の煮物まで揃えなければならないのなら、手間もお金もかかるでしょう。でも、それはお金をとるための料理です。

たぶん、私が子どものころ母親は朝から料理など作っていなかったように思います。電気炊飯器もなかったのですから、ごはんと味噌汁を用意するだけで精一杯だったはずです。その他は、漬物や佃煮、焼き海苔、納豆や煮豆などの常備食を並べるだけでした。家庭の朝食はそれで充分なのです。それらの常備食も昔は手作りでした。今も、添加物などが気になる方は作ることをおすすめします。時間がない方は買ってもいいと思います。朝から、砂糖がたっぷり入った食パンに、マーガリンやジャムを塗り、ハムエッグ、サラダ(ドレッシング、マヨネーズ)の油攻めになるよりはるかにいいでしょう。お子さんの朝食はしっかりごはんを食べさせてください。

2017年1月6日

No.476 正月遊びが持っている要素

2017年がスタートしました。今年もよろしくお願いします。今週の保育園では、正月遊びがあちこちで行われていました。昨日は凧揚げやカルタなどを見かけましたが、いろんな種類の正月遊びがもうしばらく続くと思われます。伝統を伝える意味もあるので、その時期ならでは風習や遊びに触れる機会は大事にしていきます。



正月遊びを通して、子どもたちが様々な力をつけてきていることを感じるシーンも見ることができました。上の写真がその時のカルタ遊びの様子です。読み手を担当していたのはきりん組のHくん、取るのはぞう、きりん、くま組と様々です。読み手のHくんは、ゆっくりとした速度ではありましたが、しっかりとした声で読み札を読み上げていきます。途中で詰まったときは、ぞう組のYちゃんの助けが入ります。取る方も読まれた言葉を真剣な表情で聞き、文字を探すのに苦労しながらも、「それじゃないよ!」「あっ、ちがった!」「よしっ!」と、かなり盛り上がっていました。

様々な年齢の子が集まっての遊びだったので、文字の理解度の違いもあり、当然純粋な激しい勝負にはなりません。でも、互いに教え合いながらもゆっくりとカルタを楽しんでいたのは、カルタに強い興味を持っている子だけが集まってやっていることもあるでしょうし、異年齢で楽しく遊ぶ際に必要な、分からなかったり苦手だったりする子も一緒に楽しめるようにルールを調整する力がついてきていることもあると思います。この時はゲームを中断して教える姿や、多少の間違いは見逃す姿が見られました。

そして、数字に強い子は「○○くんは4枚、△△ちゃんは2枚だから、今は○○くんが2枚多いよ」と、取った枚数と差枚数をみんなに告げたりもしていました。カルタ遊びは「ひらがなの音節分解を理解するために、読まれた言葉の最初の文字を抜き出して、その札を探す遊び」なので、ひらがなを学ぶための基礎の体験として非常に有効だと伝えてきました。でも、よく考えると当たり前のことですが、取った枚数を競うため、絵札の枚数を数えることや相手の枚数と比較することなど、数を学ぶための基礎体験の要素もたっぷりと詰まっています。このように様々な要素が詰まっていて、しかも子どもたちが夢中になれる遊びだからこそ、長く遊び継がれてきたんだと気づかされました。長く続いてきた遊びの代表格のような正月遊びが持っている「子どもの育ちに意味の大きな要素」について、改めて見直してみようと思います。