2010年6月25日

No.149 雨も大事な教材です

前回「雨の日の散歩」について少し触れました。子どもたちにぜひ体験させたいこととして、私たちが積極的に保育に取り入れていきたいと考えていることです。と思って雨の日の計画を立てていたら、梅雨にも関わらず何故か雨が降ってくれなくなりました。自然から何かを学ぶというのは、思い通りにはいくことばかりではないことを学ぶことでもあるのかもしれません。そんな現状ではありますが、先週S保育士が全国私立保育園連盟という団体の研修に参加し、そこで聞いた“雨の話”にとても興味をもったとの報告を受けました。その話はとても参考になることが多かったので、ここで紹介します。

その話は、フィンランドで教育に携わっている藤井ニエメラみどり氏が、フィンランドの乳幼児教育を紹介してくれたものです。フィンランドといえば、OECD(経済協力開発機構)の2003年の生徒の学習到達度調査(PISA)で、読解力と科学的リテラシーで1位、総合成績でも1位という結果となり、世界的に注目を浴びるようになったことでも有名です。そんなことから、そこにつながる保育のあり方についても、当然注目を浴びています。

そんなフィンランドですが、幼児施設ではほとんど毎日森へ遊びに行くようです。それは雨の日も同じで、室内で遊ぶのではなくレインコートを着て出かけるそうです。子どもにとっては雨も教材であり、遊び道具となります。雨には雨の良さがあると考えているようです。そして、こんな言葉が紹介されました。『天気に良いも悪いもない。悪いものがあるとしたら、その天気にそぐわない服装をすることである。』というものです。晴れでも雨でも、その天気を生かせるかどうかは私たち次第ということを教えてくれている、とても力のある言葉だと思います。

少し前まで私たちは「雨が降ったら園舎内でいかに遊ぶか」を考えていましたが、子どもたちにとっての大事な教材である雨をもっと活用しようという発想に切り替えることにしました。雨の日の独特の匂い、雨の冷たさや心地よさ、普段は何も無いところに小川ができ、次々に水たまりできていくのを見た時のワクワク感など。皆さんも経験があると思います。今子どもたちに必要なのは、そうした様々な体験です。その体験が探究心を高め、後の知識の獲得へつながっていきます。雨の体験ができる日が来るのを楽しみに待つことにします。

2010年6月18日

No.148 とりあえず工事は終了

園庭の工事がとりあえず終了しました。もうしばらく細かい作業は続きますが、とりあえず大きなものは終了です。ご協力いただきありがとうございました。今回の工事で、園庭の姿がずいぶん変わりました。ブランコとうんていが移動し、乳児が主に使う砂場が移動して大きくなり、テラスの一部を外に伸ばしスペースを作りました。それらの工事以外にも、高所が苦手なB保育士が木の上での作業に取り組み、ブランコ脇のクスノキに竹を立てかけて遊び場を作りました。今後の予定としては、芝生のメンテナンス、鉄棒の設置などがありますが、本格的な夏の外遊びに向けてなんとか間に合わせたいと思っています。

今回園庭を改修したことで、子どもたちの外遊びの変化を大いに期待しています。「園庭で遊びたい」という欲求が湧き出てくるようにすることがまず一番の目標で、そして遊ぶ中で様々な動きや子ども同士の関わりをどう生み出すかが、これからの工夫次第だと考えています。工夫次第で園庭での遊びの意味はいくらでも変わってきます。様々な動きという点で言えば、例えば新しくなった砂場の周りにはいろんな高さの丸太が並んでいます。この丸太の部分から砂場に入るには、「またぐ」か「登って降りる」ことをしなければいけません。小さいことですが、このようにいろんな種類の動きが必要な箇所を、もっと意図的に取り入れていこうと思っています。

外遊びの充実は園庭だけでなく、敷地外での散歩のあり方もいろいろと模索していきます。「住んでいるところを知る」目的で、浅利町の中でも今まで行くことのなかった場所をコースに取り入れています。子どもにとって学びにもつながる「雨の日の散歩」も行っています。お世話になった人に子どもたちの作ったお礼の品を届けに行く、という散歩もありました。また今週は、「2つのグループに分かれて別の目的地へ出かけたのに、偶然途中で出会う」という散歩も行いました。東川沿いを通って高仙の登山道へ歩いていくグループと、9号線を通って高仙の登山道へ歩いていくグループが、途中で“偶然”出会った訳ですが、子どもたちにとって新鮮な喜びがあったようです。

こうした取り組みには、自然や人、地域とのつながりを強めることや、様々な体験を数多くするといったねらいがあるのですが、それにはまだまだ工夫が必要です。そのためにも様々なことに取り組み、それを検証し、次につなげていくことを、今後も楽しみながら続けていこうと思っています。

2010年6月11日

No.147 大事な大事な探索活動

先月の園便りで、「子ども一人ひとりの様々な興味」は同じ仲間を集める集合の概念につながり、さらにコレクションという行為になっていき、それが子どもの行動の中でも大切な「探索活動」の動機につながっていくということを書きました。そしてこの探索活動は、子どもの好奇心や探究心を更に高めることになり、そのことが子ども自身が知識を求めることにつながり、結果的に知識量が増えていくことになるということを、前回のひとりごとで書きました。

子どもたちの遊びを見ていると、本当に様々なものに興味を示すことが分かります。何でも知りたがり、触ってみたりやってみたりという場面は、いたるところで見られます。例えば「手で触ってみる」探索活動について考えてみます。子どもが手で触れて探索する範囲は、歩行とともに一気に広がっていきます。歩いていて手に触れる様々なものに対して興味を持ちます。その中で、子どもにとって非常に魅力的なもののひとつに「石」があります。人間は、大昔から石を活用していろいろな道具を作ってきました。おそらく石を見ていると何か心が動かされるのでしょう。その手触りも子どもにとっては気持ちがいいようです。なので、外を歩いていて石を見つけると、それを拾って大事そうに持ち帰ります。

同じように、人間が昔から道具として使ったものに「棒」があります。この「棒」も探索活動には欠かせません。手の延長としての棒は、人類が握った最初の道具だったんだろうと思っています。子どもは、棒のように細長いものに強い興味を持ちます。山などを歩いていても、すぐに木の枝などの細長い物を見つけ、それを手に取り、大事そうに持ち歩きます。そして、棒で周りのものを叩いたりすることで、モノの性質を見きわめるという探索活動の道具として使い始めます。

そのほかにも、虫や葉っぱ、小さな花など散歩に行くと必ずといっていいほど持ち帰ってきます。そのために室内が汚れたりすることもありますが、保育所ではげた箱などに置いておけるようにしています。そこに置いてあるものは、子どもたちの探索活動の成果でもあります。子どもたちが、日々の様々な活動の中で、探索活動を通して更に好奇心や探究心を大きく育てていることを想像しながら、明日の保育参加にのぞんでいただくこともオススメです。

2010年6月4日

No.146 感情が揺り動かされるような体験

最近、幼児教育における「科学する目」が重要視されています。でも、何が科学かということはなかなかわかりにくいものがあります。昨年度は年長児を対象に様々な実験(水と油、鏡などを使ったもの)を行いました。そのとき子どもたちは、驚き、いろんな発見をしてくれました。科学の語源は「知る」ことなので、幼児に対して「科学する目」を養おうとすることは、「知る」という人間の自然な能力を育んでいるということになります。しかも、子どもは本来いろいろなものを知りたがるという特徴があるので、生まれながらにして科学する心を持ち合わせているということにもなります。その心が好奇心や探究心という言葉になると思っています。

有名な生物学者レイチェル・カーソンは、「センス・オブ・ワンダー」という有名な本の中で次のように書いています。
『ひとたび、美しいという感覚、新しく未知なるものへの興奮、共感、同情、感嘆や愛などの感情がわき起こると、感情をゆり動かしたものへの知識を渇望するようになる。そして、その知識が見出されると、永続的な意味を持つのだ』
驚きや発見といった経験は、その子にとって長く価値を持つ大切なことだと示してくれています。知識は、子ども自らが強く求めたものでなければいけません。知識とは、教え込まれ叩き込まれるものではなく、知りたいという好奇心がなければいけません。そのためには、まず、感情がゆり動かされるような体験が必要になります。

少し話はそれるかもしれませんが、老子の言葉として伝わっているものに『聞いたことは忘れる。見たことは覚える。体験したことは分かる。』というものがあります。それに付け加えて「見つけ出したことは身に付く。」という言葉もあります。それぞれの行動による学びの効果を、記憶に残る割合で示した数字がアメリカで発表されていますが、『聞いたときは10%、見たときは15%、聞いて見たときは20%、話し合ったときは40%、体験したときは80%、人に教えたときは90%』だったそうです。意欲や好奇心、探究心を高める環境作りをすることによって、子どもは自ら知識を求めるようになり、その結果知識量が自然に増加するということが、このようなことからもよくわかります。まず私たちは、体験を、その中でも感情が揺り動かされるような体験の場を、できるだけ多く用意することを考えなければいけないと思っています。