2016年7月29日

No.455 親ってすごく難しい

夏祭りが無事終わりました。当日は暑い日となりましたが、みなさん楽しんでいただけたでしょうか。卒園児とのつながりの場も設けた取り組みは、どのように感じられたでしょうか。今回の夏祭りの経験は今後の保育にも当然活かしていきますし、先の話ではありますが来年の夏祭りにもつなげていきますので、これからの展開にも注目していてもらいたいと思います。夏祭りの最後に「今回の参加者は約490名」とお伝えしましたが、集計ミスがあり、約430名だったことが分かりました。数字は少なくなりましたが、それでも十分多い人数です。たくさんの方に来ていただきうれしく思っています。それとバザーの収益金は、お伝えしていた通り熊本県に届けさせてもらいます。ありがとうございました。

さて、話はガラッと変わりますが、先日ある研修会でこんな話を聞いてきました。長くなるので話の一部を簡単にまとめますが、講師の男性は幼児教育学と子育て支援が専門の大学教授で、子どものことや子育てのことはよーく分かっているはずなのに、実際に自分の子を育てるとなると思うようにいかないことの連続で、「こんなはずじゃなかった!」と思うことばかりだったそうです。みんなが寝た夜中にたまった仕事を片付けないといけない時でも、赤ちゃんが泣き出すと当然抱っこしないといけない。抱っこしていても泣き止まず、仕事も進まない。そんなとき思わず「うるさい!」と言ってしまっている自分にハッと気づいたりする。そんな話もされました。同じような気持ちになったことのある方は少なくないでしょうね。

親ってすごく難しいと思っています。子どものことを何でも知っているようで、子どもの理解できない行動に振り回されるのも親ですし、子どもの成長に必要なことは何でもしてあげることができるようで、自分のしていることが子どもの成長にプラスなのかどうかいつも不安だったりするのも親です。もちろん完璧にできている親もいるかもしれませんが、私の勝手な感覚だとそのような人はおそらくごく少数でしょう。親というのは迷ってしまいがちですし、子どもとの距離を冷静にコントロールするのがなかなか難しいものです。だからこそ子育てには第三者の存在(大人だけでなく子どもの存在も)も必要だと思っていて、その第三者の目や関わりが家庭や地域に少なった近年は、保育園の役割がますます大きくなってきています。第三者というとちょっと冷たい感じがしてしまうので、みなさんと共に進んでいくパートナーと言い換えることにします。あさり保育園は親であるみなさんと役割は違うけど、子どもたちのために「みなさんと共に」いるパートナーでありたい、そんなことを思った研修会でした。

2016年7月25日

海士町の話

今日は島根県保育協議会の仕事で海士町の話を聞いてきました。

来てくださったのは、お会いするのは2回目の片桐さん(海士町社会福祉協議会事務局長)と初めてお会いする岡部さん(株式会社巡の環)。
片桐さんからは「海士町における福士の魅力づくりと実践について」、岡部さんからは「島根県海士町に学ぶ〜地域づくり・ひとづくり〜」のお話を聞き、参加メンバーとざっくばらんに意見交換をするという場です。

保育園は子どもたちがいて、その子どもたちの発達を保障していく場なんですが、保育園の中だけで完結するものではありません。子どもたちが「共生と貢献」を学んでいくためには地域の方々との多様な関わりも必要で、そこから大きく展開して「保育園と地域の関わり」、さらに大きく展開して「保育園から地域を作る」という発想も実は重要だと思っています。

ではそのために何をすればいいのか?

そのことを考えるヒントが隠岐の島の海士町の取り組みにあると考えていて、その取り組みについての話を聞かせてもらう場を以前から希望していたところ、このたびようやくその希望が叶いました。

お二人の話でまず学ばせてもらったのが、「共に考えていく」という姿勢。
「今日お話しするのは海士町の成功事例ではなく、挑戦事例。ですからみなさんからの『こんなことをしてみてはどうか?』といったアイデアなんかは是非教えてもらいたいし、みなさんが地域でどんな取り組みをされているのかも聞かせてもらいたい。」と最初に話されました。こうやって多くの人を巻き込みながら、いろんな意見を参考にしながら進めてこられたんだと感じることができました。





そして取り組みの内容は興味深い話ばかりでした。直接保育につながる話ではないですが、根っこは共通しています。これからの島根県の保育園のあり方、江津市の保育園のあり方を考えるとき、絶対に必要になる話ばかりでした。

今回は約3時間という短い時間しか話をすることが出来ませんでしたが、もちろんこの縁をつなげていくために次の取り組みの話もしてきました。
まだまだ海士町から学ばせてもらいます。

2016年7月22日

No.454 他者の存在

いよいよ明日は夏祭りです。暑い暑い夏の季節をしっかりと楽しんでもらえるよう、準備が着々と進んでいます。昨日の夕方は、夏祭りでのぞう組のダンスが園庭で行われていました。あさり保育園では実際に「する」ことと同じくらい「見る」ことも大切にしています。この時もぞう組のダンスを見るためのベンチがちゃんと用意されていました。子どもたちもその意味がよく分かっているようで、何かが始まると必ずと言っていいほど観客が現れます。何をするんだろう?楽しそう!同じようにやってみたい!と、「見る」ことによって興味や意欲が刺激されます。そして、その興味や意欲が実際の行動へと移っていきます。この時もぞう組のダンスが終わると、今度は見ていた子どもたちが生き生きとダンスを踊り始めました。いつも言っていることですが、自分からやろうと思って行動することが子どもたちの成長には欠かせません。そのために「見て、そこから刺激を受ける」場を数多く用意することは、あさり保育園の大切な文化だと考えています。





この文化を成り立たせるためには、自分とは違う発達段階の子が周りにいることが必要です。自分がまだできないことをできる子がいる。物事への取り組み方が自分とは違う子がいる。自分とは違った興味を持っている子がいる。そんな異なった子が周りにいるからこそ、その姿を見ることで多様な刺激が生まれ、多様な行動が自発的に生まれてきます。物事への理解を深めていくときも同じだと思っていて、あることについて自分とは違った視点から見ている人の話を聞くことで視野がグンと広がり、1人ではたどり着けないところまで考えを進めていくことができたりします。みなさんもそんな経験はありませんか?自分とは違う他者の存在は、子どもとっても大人にとっても大事だと改めて感じているところです。

もちろん刺激を受けたり理解が深まったりするのは相手も同じです。例えばダンスを見てもらっていたぞう組さんは、とても誇らしげな表情で踊っていました。大きな自信をつけたことと思います。夏祭り当日も、みなさんに見てもらうことは自信につながると思いますし、その自信は夏祭り以降の活動に生かされるはずです。また、たくさんの卒園児の活動を見ることができる今回の夏祭りは、子どもたちにとっていつも以上に刺激の多い体験の場となるのかもしれません。明日の夏祭りが楽しみですね。

2016年7月15日

No.453 昔ばなしのこと、砂糖の怖さのこと

以前、小澤俊夫さんのことをここで取り上げました。指揮者の小澤征爾さんのお兄さんで、昔ばなしを研究されている方です。その方のラジオを聞いて昔ばなしの面白さを教えられ、その興味は今も続いています。昔ばなしに使われている言葉や数字などの意味、話が展開していくときの法則など、知れば知るほどよく考えられていることに気づかされます。でも時代が変わり、昔ばなしの形はずいぶん変わってきているようです。私が知っている話も、実は元の話とは違うものだったと知らされました。そんなこともあり、本来の昔ばなしの本を保育園で活用してみることにしました。1・3・7の数字がよく使われる、白・黒・赤といった原色が好まれる、全く同じやり取りが繰り返される、大人には残虐に思えるシーンでも残虐な描写は一切使われていないなど、昔ばなしの特徴は子どもたちにどのように響いていくのか。そのことに興味を持っています。本を揃えていくことになれば貸し出しもできるようにし、保護者のみなさんにも読んでもらいたいと思っています。

話は変わります。「あまくない砂糖の話」という映画をご存じでしょうか?4月に行った保護者講演会の講師、幕内秀夫氏がオススメしておられた映画です。幕内氏は主食のごはんをしっかりと食べるようにしようという主張と同時に、清涼飲料水などの飲み物を控えるようにということも主張しておられます。「成長期の子どもは代謝が激しい(水分の入れ替えが大きい)ため、水分欲求が大きいのが特徴です。したがって、飲み物の選択はもっとも大切になります。飲み物は水分を補給するものであって、熱量(カロリー)をとるものではありません。飲み物で熱量をとってしまうと、きちんと食事をしなくなってしまいます。飲み物は、熱量のない水、麦茶、ほうじ茶などにしましょう。」ということですが、清涼飲料水に大量に使われている砂糖の怖さについてよく考える必要があるとも話されています。この砂糖の怖さを取り上げたのが「あまくない砂糖の話」です。身近にある「実は砂糖が多い食品」にスポットをあて、俳優自身がその食品から糖分を摂り続けることで身体にどんな影響があるかを実験した、という内容です。知らないうちに摂取している砂糖については保育園でも考えたいことなので、発売が予定されているDVDを手に入れたいと思っています。また上映会が島根でもあるようなので、興味のある方は観に行かれてはいかがでしょうか。

今回は昔ばなしのこと、砂糖の怖さのことを紹介させてもらいました。保育園ではもちろんしっかりと考えていくことですが、私たちだけでなく、保護者のみなさんにもぜひ興味を持ってもらい、一緒に考えていきたいと思っていることです。

2016年7月8日

No.452 プールと交流

火曜日は3,4,5歳児のプール活動が行われていました。プールの活動についてはすでにお知らせしている通りなのですが、ここでも少し紹介させてもらいます。あさり保育園のプール活動は年齢別に別れて入ることはせず、まず今日はどのグループで入るのかを自ら「選ぶ」ことから始めます。グループは、①カメグループ(小さなプールで遊びたい)②カニグループ(顔に水がかかるのは苦手だけど水遊びは大好き)③さかなグループ(潜ったりするのは苦手だけど顔に水がかかるのは大丈夫)④イルカグループ(しっかり泳いで遊びたい)の4つです。





子どもたちは自分で選ぶことによって、とても意欲的に活動に取り組みますし、意欲的に取り組むからこそ活動に対して自信を持ち、次の課題への挑戦意欲へとつながっていきます。この「自発的な活動によって自信を深める」ことが、子どもたちの育ちにはとても大切なことなんです。そして「次の課題への挑戦意欲」と書きましたが、①→②→③→④とステップアップすることを常に目指しているわけではありません。前回はイルカグループを選んだ子が、次はカニグループを選ぶことはあるでしょう。泳ぐことが大好きな子でも「今日はなんとなく小さなプールで水遊びを楽しみたい気分」ということもあると思います。プール活動の目的は泳げるようになることではなく、水に触れて楽しく遊ぶことなので、一般的なステップアップとは違う「自分なり」のステップアップ、挑戦、楽しみ方を目指してもらいたいと思っています。写真はカニグループとカメグループの様子です。遊んでいる様子はそれぞれ違っていましたが、どちらのグループの子も楽しそうで満足そうな表情でした。



水曜日はデイサービスセンター合歓の郷の利用者さんとの交流がありました。子どもたちのためにたくさんの竹とんぼと竹鉄砲を作ってくれていて、それを持ってきて遊び方を教えてくれる、そんな場でした。今まではこのような交流の機会はあまりなかったのですが、今後は定期的に行っていくことを計画しています。定期的に関わることで、関係性は変化していきます。その変化を子どもたちが体験することの意味は大きいはずで、そんなことを改めて考えていきたいと思っています。今後の交流にも注目してください。今週の2つの出来事の紹介でした。

2016年7月1日

No.451 保育者チームのあり方

「子どもが育つ魔法の言葉」(ドロシー・ロー・ノルト著)という本に「子どもは大人(親)の鏡」という18の言葉が書かれています。『子どもは、批判されて育つと人を責めることを学ぶ』『子どもは、憎しみの中で育つと人と争うことを学ぶ』といった言葉で、ずいぶん前に紹介したこともありますが、聞いたことのある方も多いんじゃないでしょうか。これらは思い出すことの多い言葉で、保育園のあり方を考えるときにも忘れてはいけないことだと思っています。

ある研修会に参加したときのことですが、その研修は保育者チームのあり方がテーマでした。みなさんもご存じの通り、保育というのは1人でするのはなく複数の保育者がチームを組んで行うものです。単純に人手という数のこともありますが、子どもの育ちを多面的に見るためにいろんな目が必要とか、様々なタイプの人がいることを知り社会を学ぶためという意味もあります。子育ても親だけがするものではなく、多くの大人が関わって行うものなので、その意味では一緒ですね。

では保育者チームはどんなあり方がいいのかを考えてみます。例えば私たちは、子どもたちが「自分で考え、自分で行動する」「互いの個性を認め合う」「自分の強みを発揮することで他者や集団に貢献する」ための力をつけることを目指して保育を行っています。これを上で書いた「子どもは大人の鏡」理論から考えると、保育者集団がトップダウンでしか動けなかったり、互いの個性を認めることができない集団であったりした場合、それを見ている子どもたちに「自分で考え、自分で行動する」「互いの個性を認め合う」といった力がつくでしょうか?おそらく無理ですよね。そんな視点から考えていくと、大人に変わる余地があるということは、子どもたちの姿もまだまだ変わる余地はあるとも言えます。チームとして課題があるということは、もちろん良くない面はあるけれど、決して悪いことばかりではないとも言えるんじゃないかと思っています。

よく分からないことを書いていると思われるかもしれませんが、研修での話を聞きながら、あさり保育園のチームのあり方について見直す必要があることを感じ、同時にまだまだ保育の内容をいいものにしていく余地はあるとも感じたということが言いたかったわけです。まだまだであることをこんなに堂々と書いていていいんだろうか?とも思いますが、まだまだな部分が多いからこそ変わっていこうとする状態を保護者のみなさんに見守ってもらえていると感じられているので、こうして素直に書くことができています。みなさんに感謝しています。