2010年5月28日

No.145 具体的な体験の大切さについて

あさり保育所では、「もじ・かず・かがく」の切り口から子どもたちに必要な就学前教育について研究を始めることにしました。そのための話し合いが今月からスタートしています。保育所は最終的には小学校へと子どもたちを送り出すわけで、小学校以降の学びへどうつなげていくかは大きな課題です。しかし、早期教育のように学校で教わることを早くから教えるのではありません。算数のドリルなどを取り入れるとか、そういうことではありません。あくまでも、学校に入ってから後伸びする力をつけたい、学校での学びに対して意欲的に取り組めるようしたい、そのための取り組みを行うということです。そのためのキーワードは「具体的な経験」です。

例えば算数について考えてみます。ここで問題を出すので、じっくりと考えるのではなく、直感的に答えを出してみてください。

Q1.「10人の子どもが縦に並んでいます。前から3番目の子は、後ろから何番目でしょう?」

数字や数式を先に覚えてしまっていると、とっさに「10-3=7だから、後ろから7番目」と答えてしまうかもしれません。でも答えは、「前から3番目の子は、後ろから8番目」です。

Q2.「マラソン大会が行われています。4位で走っていたAくんは、頑張って3位の人を追い抜きました。Aくんは何位になったでしょう。」

ここでもQ1と同じで、「3位を追い抜いたから、3-1=2で2位」と答えてしまうと間違いです。答えは、3位を追い抜いても「3位」になるだけです。

数字を覚えたから、数式を覚えたから算数が分かるということにはなりません。具体的な体験が背景にあって、ようやく理解につながっていきます。そのために、乳幼児期にどれだけ具体的な体験をしたかが重要になってきます。ではどんな体験が必要かといえば、何も特別なことではなく、砂場に穴を掘って深さを比べたり、山を2つ作って高さを比べたり、棒切れを集めて長い順に並べてみたり、そんな体験が算数の大事な基礎になります。こうした体験を日常生活の中で体験しておくことが、就学前教育では大切なわけです。そんなことについて、他の教科についても同じように、研究を進めていく予定です。これ以外にも就学前教育を考えるときの大事なポイントがあるので、少しずつにはなりますが、今後この場でも触れていこうと思います。

2010年5月21日

No.144 個性の尊重とは

あさり保育所では「個性の尊重」とか「個性の重視」ということを大切にしているのですが、たまに外部の方からこんなことを質問されることがあります。「個性を尊重することは、子どもを放任することになりませんか?」とか「個性を重視するというのは、子どもの思いのままに行動させることですか?」といった内容です。こういうことを聞くたびに、ずいぶん勘違いがあるなあと思ってしまいます。今回は、この「個性」や「個性の尊重」について、書いてみようと思います。

個性とは、その名の通り「個人的な特性」のことを指します。人には様々な個人差があります。その個人差には大きく二通りあるような気がします。一つは、個々によって違う発達のスピードです。たとえば、いつ歩けるようになるか、いつおむつが取れるようになるかなどです。しかし、この個人差は広い意味では個性を形成するうえで影響を及ぼすことはありますが、それがそのまま個性にはなっていきません。それは、質の個人差ではないからです。それに対してもう一つの個人差が、質の個人差です。たとえば、「絵が得意」とか「何かを作るのが得意」とかいうもので、これはそれぞれの質の個人差なので個性になっていきます。この二つの個人差は、それを援助し尊重されなければなりません。それは、子どもの発達を助長することが大人の役目であり、一方、各自の特性を生かすことが社会を形成するうえで大切だからです。

先日の保護者講演会で来ていただいた藤森平司先生は、「社会は様々な職業や役割で成り立っています。一人ひとりが持っている様々な興味や得意なことを生かして1つの社会をつくることが、人間として意味のあることです。一つの価値観を押し付けるのではなく、集団の中で様々な個を育むことが、これからの子育てや乳幼児教育には大切なことです。」と言っておられました。

男女にしても、年齢にしても、子ども像にしても、私たちはずいぶん思い込まされているものが多くあります。そうした思い込みや先入観を持つことなく子どもたちと向きあい、子どもたち一人ひとりが本当の自分を見つけていけるようなお手伝いをしていきたいと思います。それが「個性を尊重すること」だと、私たちは思っています。

2010年5月14日

No.143 親子遠足の話

今週の水曜日にぞう・きりん・くま組の親子遠足がありました。バスが出発した直後に出雲周辺ではまとまった雨が降り出したとの情報が入ったため、手引ヶ丘公園の遊具で遊ぶのは難しいと判断し、急遽出雲科学館へと行き先変更しました。そんなことはありましたが、出雲科学館では楽しいひとときを過ごすことができ、ホッとしました。今回の親子遠足のバスの中では、自分の子どものいいところ、お気に入りスポット、今はまっていること、得意な料理などを聞く時間がありました。後で聞いたのですが、1号車ではKさんより「保育所の畑の周りにあるヨモギを家で天ぷらにして食べました。美味しかったです。」という報告?があったようです。そのシーンを想像しただけで楽しい気分になります。畑で育てている野菜だとちょっと困りますが、ヨモギでよければいつでも採ってください。こんな風に、保育所にあるものが家庭の食卓に上がるというのもなかなかおもしろいと思うので、他にも何かできないか、ちょっと考えてみようと思っています。

さて話は出雲科学館に戻りますが、さすがに「科学館」というだけあって、子どもだけでなく大人も好奇心を刺激されるものがたくさんありました。科学という英語は「science」で、その語はラテン語の「scire」を語源としていますが、それは「知ること」という意味です。子どもが本来持っている、いろいろなものを知りたがる気持ち=好奇心を引き出すことは乳幼児期にこそ大切にしなければいけないことで、科学館で体験したようなことは子どもたちにとって意味の大きなことです(詳しくはまたどこかでまとめることにします)。

これは、小学校以降での学びを考える上でも重要なことです。何かを学ぼうとするよりは、「何かを知りたい」「何かをやってみたい」という探究心をもつことの方が、結果的に自発的な学びにつながっていくことになります。雨が降っているのを見て、「どうして雨が降るんだろう?」という探究心をもつことが「理科」になり、「出雲は降っているけど、江津では降っていなかった。どうしてだろう?」という疑問が「社会」になります。そして「雨は外国でも降るんだろうか?では、アメリカでは雨はなんと言うんだろうか?」ということが「英語」になります。そして疑問を持つだけではなく、そこから行動することで知恵が湧いてきます。そのように、全ての学びの基礎にあるべき「探究心」「好奇心」「意欲」について、あらためて考えさせられた親子遠足でした。

2010年5月7日

No.142 来週は保護者講演会があります

以前、読売新聞の記事の中で、フィンランドに留学した北海道教育大教授の庄井良信さんが、その体験を話しておられました。『1990年代の終わりごろ、フィンランドに留学した。現地で思い出すのは、保育園で行われていた昔語りだ。テンションを上げる必要はない。話は静かに始まり、子供たちも静かに集まって車座になる。各家庭でも、子供が思春期になるまで、ベッドサイドで親が読み語りをするのが普通だ。この国では、物語を語る人と聞く人との間に、私たちが忘れかけていた原風景がある。人が語る言葉にはそれぞれに人生の重みがある。語り合うことで、人と人との知恵が重なり、新しい物を生み出す力が発揮される。これが、教育大国フィンランドの社会的土台にある、人と人とのコラボレーション(協働)だと、私は考えている。』

フィンランドと言えば、学力調査で世界一の学力と評価されてから、世界中から視察やフィンランドの教育方法を研究する人が増えている国です。記事にあるようにフィンランドでは、子どもと親が、子どもと教師が、そして子どもたち同士が対話し、「ともに学び合う」ことをとても大切にしているそうです。そして、フィンランドの子どもは、競争で人に勝つといったことに余計なエネルギーを使いません。「3か月前と比べてここは伸びてきた」「ここは持ち味だから頑張ろう」「ここは苦手だけど先生が応援してくれるから頑張ろう」。それぞれが自分の人生を豊かにするために学んでいるのです。

来週の土曜日に行われる保護者講演会の講師、藤森平司さんはこんなことを言っておられます。『人の遺伝子は社会を形成するために様々なものが組み込まれている気がしています。それは、現在人間が持っている特性を見ても、集団を形成することに適しています。そして、その集団は競うためにあるのではなく、共生し、協力するために必要だったはずです。しかし、いつの間にか競争社会と言われ、人に勝つこと、人より抜きんでることが目標になり、そうなることによって一つの価値観での競争になっていっています。様々な人がいるからこその社会のはずが、同じようなことを全員一斉にやり、その中で競争させられています。もう一度、それぞれの役割の中で、協力したり、協働していく社会をつくらないといけない気がします。』

私たちはどんな価値観をもって目の前の子どもと向き合うべきなのか。土曜日の講演会で、みなさんと一緒に学びたいと思います。