2012年11月29日

No.272  発表会を通して伝えたいこと

さて、明日は発表会です。その予行練習「いきいき発表会」が水曜日に行われました。地域の方を含めた10名の方が見てくれている中で、それぞれに表現を楽しんでいる子どもたちの姿を見ることができました。裏方としてステージチェンジ等の手伝いをしてくれた役員さんにも子どもたちの様子を見てもらい、その感想をいろいろ聞かせてもらいました。

その中で印象深かったのが、「去年とか一昨年とかは人前に出るのをあんなに嫌がってたAくんとかBちゃんが、今回はあんなに堂々としていて成長を感じますね」とか「くま→きりん→ぞうと順に発表を見ていると、くま組の時になかなか上手く言葉にできなくても、きりん組やぞう組になるとこんな風に自分の思いを言葉にできるようになるというのがよく分かります。そうやって成長の過程が感じられるのっていいですよね。」といった言葉です。

あさり保育園の保護者のみなさんは、子どもたちのことをほんとによく見てくれていると思います。自分の子どもだけでなく、他の子どもの姿や成長の様子に目を向けてくれていると感じます。そして子どもの発達についての理解も同じで、その子なりのペースがあることや、先の発達を見通した上で今できることにきちんと目を向けてくれている、そう感じています。こうした雰囲気の中だからこそ子どもたちは安心して生き生きと活動できているんでしょうね。

発表会は保護者のみなさんに「子どもの発達(特に言葉と表現)を伝える」という目的があります。そのために発表会の後半は0歳児から6歳児までが順番に登場するプログラムになっています。保育者との簡単なやり取りから始まり、友だちと同じ世界を共有してのやり取り、自分の感じたことや考えたことを伝えるといった風に、言葉・表現という同じ観点から通して見てもらうのがねらいです。その流れを見てもらうことで言葉・表現がどのように発達していくかを知ってもらい、そしてお子さんの発達を喜んでもらいたいと思います。前半は、子どもたちが興味のあるものを選択し取り組むものになっています。どんなことに興味を持ち、その興味を持ったことに対してどんな風に楽しんで取り組んでいるかをみてもらいたいと思います。そして終わったときの表情には、やり切った達成感やみなさんに見てもらった喜びがにじみ出ているはずです。そんな表情にもぜひ注目してあげてくださいね。

2012年11月22日

No.271 役員さんに感謝!

11月に入ってからの話です。毎週水曜日の夜になると保護者会の役員さんが遊戯室に集まり、発表会の出し物の練習をしています。出し物の内容について、こんなことをこんな風にやって…といったことを本当はお伝えしたいのですが、当日のお楽しみということでここに書くのは控えておきます。とにかくみなさんそれぞれに忙しい中、あれこれ調整をして参加をしてくれていると思います。本当に大変なことでしょうが、それでもワイワイ楽しく練習している様子を見ていて、ありがたいことだなあと思うわけです。

この保護者の出し物は、単に子どもたちにも楽しんでもらおうという思いだけではないのがすごいところです。内容を考える際に、保育園のテーマに沿ったものになるように考えてくれているんです。ご存じのように今年のテーマは『世界を知る』です。そのテーマのもとに様々な活動をしているわけですが、子どもたちがテーマに対してもっと関心を持てるように、もっと楽しめるように、大人がテーマに沿って活動する様子を子どもたちに見せたい!と、あーでもないこーでもないと考えたものを披露してくれることになっています。

保育を辞書で調べてみると『乳幼児の心身の正常な発達のために、幼稚園・保育所などで行われる養護を含んだ教育作用』と書かれています。ここから考えると保育園などの施設内で完結してしまうことの様に思えてしまいますが、私の解釈は少し違っていて、保育者だけでなく、保護者のみなさんや地域の方たちと一緒になって行うものと捉えています。社会の中で生きていくための力を確実につけていくのが保育の目的でもあります。もちろん保育園の役割はとても重要す。でもそれだけでは十分ではありません。保護者のみなさんを含んだいろんな人たちが子どもたちに様々な姿や思いを見せていくことも、「心身の正常な発達のため」に欠かせないことです。その意味でいうと、今回の取り組みのように、大人も一緒になって保育園のテーマに乗っかって活動する姿を見せることは、すごく意味のある取り組みだと思っています。

子どもたちのために「それぞれの立場からできること」をと動いてもらえる、そんな輪が大きくなると子どもたちの体験の密度は濃くなっていきます。その輪を大きなものにしていくことも保育園の大事な役割です。大きな輪を作るために、みなさんと一緒に考え、そして行動していきたいと思っています。

2012年11月15日

No.270  棒の取り合いから始まった関わり

先日、園庭で子どもたちのおもしろい関わりを見ました。いろいろと奥の深い関わりだと感じたので紹介させてもらいます。きっかけは2人の男の子です。いろんな遊びに使えそうな、いい感じの木の棒を取り合っています。2人とも絶対に譲らないという思いがしっかりと伝わってくる、そんな取り合いでした。もちろん危険な状況になれば止めるつもりで見ていたのですが、そこから状況が変化していきます。

2人の様子に気づいた女の子が「お〜い、ダメだよ〜!」と言いながら遠くから走ってきます。また別のところで遊んでいた女の子も「ダメー!」と言いながら、そのとき明らかに優勢だった男の子の方を止めに入りました。別の男の子もやってきて、少し離れたところからケンカは良くないということを一生懸命に訴えています。そうこうしているうちに取り合っていた棒を最初にやってきた女の子が取り上げてしまい、興奮していた2人の男の子は争いの元がなくなってしまったこともあってか少しずつ落ち着いていき、みんなもその様子を見ながらそれぞれの遊びに戻っていきました。

このやり取りは全てぱんだ組の子どもたちによるものです。他のクラスの子どもたちは用事のため園舎内にいて、たまたまぱんだ組の子どもたちだけが園庭にいるときに起こった出来事でした。他の子がいれば、例えばぞう組さんたちがいれば、また違ったことになった気もしますが、このときはぱんだ組の子どもたちだけでこのトラブルを見事に解決してしまいました。ケンカをしてる子がいて周りの子がそれを収めるという、言葉にすればたったそれだけのことなんですが、普段から関わる体験を十分にしているという土台がないとできないことなのは間違いありません。そして友だちとどのように関わればいいか、ケンカが起きたときにはどう解決していけばいいか、上の子の姿を見て学んでいることも大事なポイントです。他の子との関わりの機会、他の子を見る機会の大切さを改めて感じた出来事でした。

さて、2週間後には発表会が行われます。言葉のやりとりや体を使ってのいろんな表現を楽しんでほしい、そんなことを目的に発表会に向けての取り組みを行っているところです。できるようになったことや、楽しいと感じ興味を持ったことに取り組んでいる姿を、みなさんと一緒に楽しみたいと思います。

2012年11月9日

No.269 集団生活の中での『待つ』体験

今の社会を考えたとき、「うーん、もっと大事にしないといけないんじゃないかなあ」と感じていることに「待つ」ことがあります。というのも以前と比べて「待つ」機会が少なくなり、苦手になっている傾向があるように思うからです。技術がどんどん進歩し、新しいモノがたくさん生まれ、間違いなく便利になりました。そして「待つ」ことが少ない、もしくはほとんど無いことが好まれるようになったのが、今の社会の特徴かもしれないと思っています。でも、「待つ」体験を重ねて、待つことを知っておく必要もありますよね。

以前は待つ機会がたくさんありました。例えば携帯電話のない時代は、好きな人に思いを届けるために手紙を書いたりしてました(よね?)。手紙は書いてもすぐには届けられません。会って直接渡すとか、机の引き出しにそっと入れておくとか、とにかく時間がかかったものです。また電話をかけようと思っても、できることなら相手の親が電話に出ない時間がいいからその時間まで待たないといけないとか、それはもう大変でした。それが携帯電話やメールでのやり取りが普通になって様子は大きく変わりました。

便利になって「待つ」ことが少なくなり、よかったことはもちろんあります。急を要する人、例えば急病人とかが素早く連絡をとり必要な処置が受けられるようになっていることなんかは、大きなメリットだと思います。でも、全てにおいて「待たない」ことが当たり前になってしまい、「待つ」ことが例外になってしまうのはよくないと、最近特に思うわけです。何故かというと、人と人との関わりの基本は「待つ」ことだと思うからです。自分に思いや都合があるように相手にも思いや都合があります。相手の思いを尊重し「待つ」ことをしなければ、他者との関わりが成り立たない場合がほとんです。他者との関わりは「待つ」ことが基本にあると思っています。

保育園でごはんを食べるときは、みんなが揃うまで待って、みんなで「いただきます」と食べ始めます。もちろんかなり時間がかかることもありますが、それでもこの時間は待つ機会として大事にしています。「お預け」のように個人的に待つのは訓練のようになってしまいますが、そうではなく「みんなが揃うまで」といった集団生活の中での待つ体験は、社会の中で生きていくうえでとても大切な体験と考えています。周りのみんなを意識し、相手の思いを尊重できるように、便利さの中でも「待つ」ことは大事にしていきたいと思います。

2012年11月1日

No.268 ウォークラリーの話

月曜日にぞう・きりん・くま組さんがウォークラリーを行いました。距離の短いグループと長いグループとに分かれ、それぞれポイントとなっている場所(畑などでお世話になっている方の家と何度かお邪魔している美容院)までそこへの地図を持って進み、そこでクイズに答えて宝の地図をもらいます。ただその地図は半分しかないので、2つのグループが菰沢公園で合流して地図をくっつけると、やっと宝の地図が完成するという内容になっていました。

◆まず歩くコースですが、普段の保育で行っているように距離を選択しました。長い距離を歩けるかどうかは必ずしも年齢に比例するわけではありませんし、人によって長いかどうかの感じ方も違いますし、普段の運動量の違いも当然あります。今回はそれほど距離の差があったわけではありませんが、自分の体力や興味などにあったコースはどちらかを決めるところから始まりました。

◆次に子どもたちが持って歩いていた地図には、曲がり角では何を目印にどちらへ曲がるかとか、道の途中で柿を探すようになっているとか、そんなことしか書かれていないため、全体像はわかりませんし、どの道を通るのかわかりません。なので、よく知っている町内なのですが、普段は気をつけていなかったことや知らなかったこと、例えばこんなところにも柿の木があったのかということに気づかされることも多かったようです。

◆そして宝のありかである菰沢池には神様(仙人?)のような人がいて、そこで宝(といってもふかし芋ですが)を手に入れるわけです。なぜ菰沢池で神様なのかというと、「嵐によって菰沢池の水位が上がり池の近くの家が沈んでしまうと神様が教えてくれたのですが、それを信じずに避難しなかった人たちは亡くなってしまった」という言い伝えがあります。先週のもくもくの日では菰沢池周辺へ行ったので、その流れからこの言い伝えを子どもたちに話してあげていました。それが今回の池の神様の話につながっていくわけです。

このように今回のウォークラリーにはいろんな意味が込められていました。普段から活動しているこの地域に楽しみながら触れてほしい、もっと地域のことを知ってほしいという思いから生まれた取り組みです。こうした体験を重ねることで、子どもたちが大きくなったとき、「私はこのような町で育ちました」と誇りをもって言えるようになってほしいと思います。そしていつかは保護者のみなさんと一緒に楽しめるウォークラリーを…とも考えています。

慣らし保育について

あさり保育園の慣らし保育の考え方について、少し説明してみようと思います。

いきなりですが、子どもは自分が一番信頼・信用している人が、そのモノに対して安心しているかどうかの顔色を見る、ということをします。そしてその人が安心していると「あっ、安心していいんだ」と判断する能力を持っていることが分かっています。子どもは自分の世界を広げていくために様々な体験をしていくわけですが、自分の体験が少ないときは体験の多い人の顔を見て、その人がどう感じているかの表情によって自分も落ち着くということをします。

ここで考えたいのが慣らし保育のことです。

赤ちゃんが自分でその場や周りの人のことを体験して慣れるためには1か月くらいかかると言われています。でも最近は仕事の関係でそんなに長く慣らし保育を行うことができないというケースは多いです。そんなときあさり保育園では子どもの持っている素晴らしい力を生かすことにしています。

どういうことかというと、赤ちゃんが安心して接することのできる信用している人、これは主には親であるわけなんですが、その親が保育園に対して「安心している」という顔を見せることで、赤ちゃんはこの場所が安心できる場所だと早くわかるようになります。

例えば入園当初は親と一緒に来てもらって、親と一緒に1日過ごすようにしてもらいます。そのときにとにかく親が「この場は安心して過ごせるところなんだ」と分かってもらうようにしています。そのことによって、その安心感は表情に表れ、赤ちゃんはお母さんのそのときの顔を見ます。そのことで赤ちゃんは「安心して過ごせる場だ」と学んでいくわけです。

赤ちゃんは、ただ置いて行かれてしまうと感じると不安でしょうがないものです。そして自分の力だけで安心できるようになるためには1か月くらいかかります。だから、まずは親には保育園で安心して過ごしてもらい、その表情や様子を赤ちゃんが見ることができれば、ここは安心だと知って早く慣れてくれます。

少しでも保育園での生活を、子ども同士のいろんな関わりを自発的に経験してもらうためにも、慣らし保育は重要だと考えています。でも長い期間を設けることが出来なければぜひ一緒に来てもらい、まずは親が安心して過ごせる場だと体験を通して知ってもらい、そのことで「こここが安心できる場所なんだ」「ここにいる人は安心して接してもいい人なんだ」と子どもにも感じてもらえる、そんな慣らし保育の時間をつくってもらえたらと思っています。

世界を広げていくためには

子どもが成長するというのは自分の世界を広げていくことでもあると思います。では世界を広げていくためにはどうすればいいかというと、やはり自分でいろんな体験をするのが一番です。物の性質を知っていくとか、ここは危ない場所だとか、1つ1つ自分で体験し学んでいくわけです。

そのためには安心できる拠点が必要になります。それは親であることが基本なのですが、その親と依存関係にあると今度は離れることが難しくなります。親が子どもにとっての安心の拠点となり、そのことでそこを基点として子どもは少しずつ世界を広げていくことができる。そんな関係が大事だと思います。

ではそんな関係になるためにはどうすればいいか。子どもが困った時にはいつでも助けてあげる、子どもが負の状態に陥ったときにいつでもそこから立ち直るために手を貸してくれる、そんな安心感を与える関わりが大事なんじゃないかと思います。

子どもが求めてきたときには必ず応えてあげる、子どもが体験していることの楽しさを分かってほしいと思ったときにはいつでもそれに共感してあげる、そんな関わりを続けていくことが大事なんだと思います。子どもが求めたときに応えてあげることによって、安心してまた次の活動に没頭し、世界を広げていくわけです。

また、自分で体験することだけで周りの環境を理解していくしか方法がないとしたら、とてつもなく時間がかかってしまいます。そんなとき子どもは素晴らしい力を発揮します。自分が一番信頼・信用している人、多くは親であったりするのですが、その環境に対して安心しているかどうかの顔色を見るということをします。そしてその人が安心していると「あっ、安心していいんだ」と判断する、そんな力を持っているそうです。

例えば大人の例でいうと、飛行機に乗っていて揺れたとき、私たちは「この飛行機、大丈夫か?」と思いますよね。そんなときは一番信頼している客室乗務員の顔を見ます。その客室乗務員が落ち着いていたら「大丈夫なんだ」と思うようになります。もし慌てた表情をしていたら、こちらも慌ててしまいます。

というように、子どもは体験が少ないときは自分が信頼している体験の多い人の顔を見て、それによって自分も落ち着くべきか、気をつけるべきかの判断をするようです。子どもってすごいですね。