2011年2月25日

No.182 自分の感情に気づき、受け入れること

突然ですが、あさり保育所の保育者には「子どもたちにとって意味がある!」と感じたことはどんどん実践していく、という傾向が強くあるように感じています。実際にやってみて全てが良かったものというわけではありませんが、それを繰り返すことでどんどん物事が改善されていきますし、子どもに対しての理解の幅が広がるというプラス面が多くあります。とにかく、「子どもの育ちにはどんなことが必要か」という視点を持って考えることは、特に大事にしているところです。

というわけで、また新しい試みがスタートしようとしています。 それは「感情表現パネル」といいます。どういうものかと言うと、「うれしい」「楽しい」「イライラ」「ほっといて」「悲しい」「眠たい」「調子が悪い」の7種類の気持ちを表す顔がかかれているパネルがあり、その顔の下には「うれしい」「楽しい」「イライラ」「ほっといて「悲しい」「眠たい」「調子が悪い」と書いてあります。子どもたちには、この7種類の中のどれかの感情を持ったときに、自分の名前が書かれた洗濯ばさみを自分の感情のパネルに取り付けてもらおうと思っています。

何のために「感情表現パネル」の取り組みを行うかというと、 まず自分の気持ちをきちんと見つめ、それを表そうということがあります。それによって保育者が何か対応したり、友達がどうこうしたりということが一番の目的ではなく、自分で自分のことを客観視しコントロールすることをまずは大事にしようと考えています。そうはいっても、「どうして?」と問うことや、その気持ちに共感することはあるとは思いますが。 人には様々な感情があります。それによって心が動きます。

そして、その動きに気持ちがついていかず悩むこともよくあります。でもそうした感情をコントロールできるようにならなければなりません。原因究明や問題解決よりも、まずは感情をうまくコントロールできることが重要になってきます。そのためにも、まず自分の感情に気づくことが大切です。そして、自分の感情と考えを受け入れることが大事です。この「感情表現パネル」を使って、少しでも自分の感情に正面から向き合えるようになってくれればと思います。感情の大切さについては他にも思いがありますが、今回はここまでにしておきます。ちなみに初の試みなので、まずは職員が試しにこのパネルを使用しているのですが、もし誰かが「ほっといて」のパネルに洗濯ばさみをつけていたらどう対応しようか?と、ちょっとドキドキしています。


2011年2月18日

No.181 人間は○○する動物である

今週火曜日はみんなでお鍋を囲んでの食事でした。みんないつも以上に楽しそうな表情で食べていて、他の子に取り分けてあげる子もいたりと、とてもいい雰囲気の食事の時間でした。その光景を見ていて、「人間は共食する動物である」という言葉を思い出しました。

国立民族学博物館の館長をされていた石毛さんはこのように話しています。
『人類の祖先が狩猟をするようになったことに、食物分配と、それにともなう共食がはじまったのだと思われます。狩猟が男性の仕事とされることは世界の民族に共通します。初期の人類が狩人になったとき、男性がとった獲物を独り占めにせず、肉を持続的な性関係を結んだ特定の女性と、そのあいだに生まれた子供に分配するようになった、それが家族の起源と考えられるのです。共食のさい、限りある食べ物を共食するとき、強い者が独り占めにしないように、食物を分配するルールができます。この食物分配のルールがもとになって、食事における「ふるまいかた」の規範が成立します。それが発展して食事作法となります。食物分配が食事作法の起源であると、わたしは考えています。』

食事におけるしつけと言われるルールは本当に数多くありますが、 全てはみんなで楽しく食べるところから始まります。そして、人にふるまったり、いただいたりすることも重要なことです。鍋を囲んでおこなわれたようなやりとりや、みんなで一緒に食べることは、食事の基本のようですね。 また、水曜日にはカレークッキングがあり、その活動を見ながら「 人間は火を使う動物である」「人間は料理をする動物である」という言葉も思い出しました。

人間の脳は非常に大きいのが特徴ですが、これはあごの筋肉が小さくなったために脳を納めるスペースが広くなったという説があります。それは人類が加熱を伴う調理を習得したために、咀嚼力は以前に比べて弱くてすむようになったからと考えられています。ここから考えても、人間が人間らしくあるためには、料理(特に火を使う料理)が欠かせないようです。

人間らしさが「共食」「火を使う」「料理」を促すのか、「共食」「火を使う」「料理」をすることによって人間らしさが高まるのかは分かりませんが、人間の営みに欠かせないことであるのは間違いないと思います。「共食」「火を使う」「料理」については、今年度だけでなく来年度以降も大事にしていきたい活動です。

2011年2月10日

No.180 ある保護者の感想から

保育参観が昨日で無事に終了しました。ご参加いただき、ありがとうございます。今回の保育参観後に、ある保護者から感想が届きました。その感想を読ませてもらって「こういう“気づき”ってうれしいなぁ」と感じたので、ここで一部を紹介させてもらいます。

『保育参観後の個人面談でのこと。最近上の子は午睡時の布団敷きのあと、先生に抱っこしてもらっているようです。下の子は家でも外でも「抱っこ」「おんぶ」と甘えています。上の子はどうだっただろうか…?一緒に出かけたり、遊んだりするだけではなく、抱きしめるという言葉のいらないスキンシップを忘れていた。大人でも抱きしめられると嬉しい。子どもだってうれしいにきまっている。子育てって、親が子どもを育てていくのと、子どもが親を親に育ててくれるのと一緒なんだと感じた。』

中身は様々でしょうが、 こういう気づきはおそらく多くの保護者が体験されているんじゃないでしょうか。自分の関わり方は十分だっただろうかと考えさせられることや、子どもとの関わりの中で親自身が育てられていると感じることなど、このような気づきを得る場面は子育ての過程にあらかじめ組み込まれているんじゃないかと思ったりもします。初めから完璧な子育てができる親なんていないと思うんです。だからこそ「気づくこと」とそれを「受け入れること」の地道な繰り返しの過程に丁寧に向き合うことが大切なんだと、あらためて考えさせられました。

そしてもう一つ。この感想を読んでいて、 オランダ教育研究者リヒテルズ直子さんが書かれた「うちの子の幸せ論」の中の、オランダの子育てのあるシーンを思い出します。オランダでは『小学校高学年くらいのすっかり大きくなった男の子でも、何か悲しかったりつらかったりして母親のところに寄ってくると、母親は他人が見ているのもお構いなしに、ひざに乗せてしっかり抱擁してやります。』というものです。抱きしめることで、子どもはいつでも受容され自分の存在を認めてもらえているという確信を持ち、そのことで子どもの自立は促されます。自分が自分で本当に好きだと感じられることを見つけて、そして世の中で自立して生きていける人になってもらいたいという願いは、決してオランダだけのものではなく、私たちも同じはずです。子どもに力を与える“抱きしめる”という行為、大切にしていきたいですね。

2011年2月4日

No.179 比べるということ

全く個人的な思いですが、「比較する」ということについて今まで慎重(臆病?)に考え過ぎていたところがあります。例えば大流行した歌「世界に一つだけの花」なんかもオンリーワンを目指すべきで比べちゃいけないという内容です。○○さんはこうだけど△△さんはこうだ、といった会話を耳にすると「比べるのはよくないんじゃない?」なんて言ってきたように思います。そんなことをしているうちに、「比較すること=悪いこと」というイメージを自分の中で作り上げてきてしまっていました。なぜこんなことを書いているかというと、比較=悪という自分の考えに対して、ほんとにそうかなあ?と思うようになっってきたからです。自分の個性とか考え方って、同じような人と話したりすることでも「ああ、一緒だ」って感じることができるけど、より際立つのは正反対の考えの人と向き合ったときのように思います。「なんでこんなに違うんだろう?」と考えることで「自分の考え方はこうなんだ」とはっきりと認識できた経験は、おそらく多くの人がされているんじゃないでしょうか。

「人は一人ひとり違う」 という当たり前の事実も比べないとわかりません。で、比べた上で違いを知り、違うからおもしろいし、違うからこそ相手を認めるということになるのが自然なんじゃないかなあというのが、今の素直な気持ちです。要はどう比べて、それをどう評価するか、ここが一番大事なんだろうと思っています。そして、比較して明らかになった自分の姿を受け止めるためには「自己肯定感」とかが関わってきますが、今この話はやめておきます。

3月5日の「成長展」 はよくある作品展とは大きく違うところがあります。作品展はたくさんの子どもの作品を並べるので、我が子の作品を見る保護者はどうしても他の子と比べてしまい、誰かより上手とか下手とかという見方になってしまいやすいものです。仕方のないことかもしれませんが、その比べかたってどうなんだろう?と、やはり思ってしまいます。その子が一生懸命に自分の気持ちを表して描いた絵をそのままに受け入れること、私たちはこれを大事にしたいんです。こんなに成長した、こんなことができるようになったという子どもの成長を喜んでもらいたいというのが、私たちの願いです。だから「成長展」では、子どもの今の姿を他の子と比較して見せるのではなく、少し前の自分の姿と今の自分の姿を比較して見せるという形の作品展になっています。こんな風に比べて、こんな風に評価してほしい。その思いを書いてみました。