2013年10月27日

反省したこと

第2回島根顔マラソンは、いろいろ悩んだ結果、裸足で走ることにしました。
そして無事43kmを裸足で走りきることができました。
走りきることはできたんですが、いろいろ反省することもありました。
その反省したことについてきちんと整理しておくことにします。



①なぜ裸足で走ろうと思ったか。

ぜひ走りたい!と思っていた
大阪マラソン(抽選倍率5.1倍)、東京マラソン(10.3倍)、愛媛マラソン(2.5倍)
これらに見事に連続落選し、落ち込んでしまいました。
大きな大会に向けて調整していく…といったわかりやすい目標がないと、
自分としては何となく気合いが入りません。
このままじゃマズイなと思っていたところ、いいことを思いつきました。

「大きな大会に出られなくても地元の大会なら出られる。
だったらその大会のハードルをいろんな方法で上げることはできるんじゃないか。」


10kmとか20kmをものすごいタイムで走ってみる、というのもちょっと考えました。
でも現実的にそれは難しいです。しんどすぎます。

じゃあ、その距離を裸足で走ったら?

そう考えたときに何だか急にやる気が湧いてきました。
よし、これでいこう!と。



②で、どうしたか

裸足で走ったことは数回くらいしかありません。
普段はワラーチ、ゴム1枚で走ってます。
ランニングシューズからいきなり裸足になったらダメージは大きいかもしれないけど、
もしかしたらゴム1枚が0枚になってもたいして変わらないんじゃないか?
発想が単純過ぎますが、その理論?を採用してみることにして、
次の日から裸足ランを開始しました。



③そして分かったこと

いやー、ゴムの力は偉大ですね。1枚だからってバカにしちゃいけません。
たった1枚のゴムがなくなっただけで
路面のでこぼこが容赦なく足裏を襲ってきます。
きれいに舗装されたところはいいんですが、
状態の良くないところはグサグサ刺さってきます。
そして夜走ることがほとんどなので、結構大きな石なんかが落ちてても見えません。
そいつらが容赦なく襲ってきます。泣きそうになります。
じゃあ裸足をやめればいいんですが、
モチベーションアップのためにはやるしかありません。
やるしかない!なんてことは決してないんですが、何故かそう思い込んでいます。

でも痛いのを除くと、裸足ランは思った以上に気持ちいいです。
足に何にもまとわずに走る開放感は、
やったことのある人にしか分からない爽快感があります。



④落選→当選!

裸足ランに方向転換し快適に走り続けていたところ、
愛媛マラソンの二次抽選で当選しました!とのメールが届きました。
せっかく大きな大会は諦めて完全に裸足に気持ちを切り替えていた、
そんなときにこのメールです。
でもそんなもんなんですよね。
当たって欲しいときには当たらずに、別にいいやって思ってたら当たってみたり。
さてどうしよう…。またまた悩みました。


裸足で走ろうと思っていたのは10km。長くても20km。
フルマラソンを裸足で走ろうなんて全く考えてませんでした。
裸足を続けるか、裸足はやめてワラーチに戻るか。
どうするか決められないまま、ダラダラと裸足ランをする日が続きます。
ワラーチで愛媛マラソン、裸足で地元の大会(10kmくらい)、
どっちも捨てがたいなーと思いながら何日か経ちました。
で、整理がつかないまま顔マラソン当日を迎えてしまい、

「もう考えるのはめんどくさいから裸足でフルを走る!」

なんておかしな決断をしてしまいました。



⑤そして顔マラソン当日

松江の道路を裸足で走り回ったことがある人は分かると思いますが
(そんな人いるのか?)
道路は結構荒れてます。しかも小石があちこちに。
もちろん快適な道もあるんですが、8割くらいは「いたっ、いたたっ」の道です。
一番強烈だったのが宍道湖沿いの歩道です。あそこは全く走れる気がしませんでした。
どこかに代わりの道は?と探し、
何とか湖沿いのタイル張りの道を見つけて事なきを得ました。


そして今回裸足でフルの距離を走ってみて分かったこともありました。
足の裏の皮膚は結構丈夫にできていて(と思っていて)、
ちょっと小石を踏んだくらいでも結構平気なもんです(ちょっとは痛いけど)。
小石が足に刺さってしまう前にグイッと皮膚が押し返す感じ。
でも20kmくらいを過ぎた辺りから押し返す力が弱くなってきました。
そう、小石がまともにめり込んで自然には取れません。
だから、「小石を踏む→めり込む→手で払う」を繰り返すことになります。
そうなるともう心の底から走ることを楽しめなくなります。

なんでわざわざ痛い思いをしてまで裸足で走ってるんだろう?なんて考え出すと、
どんどんテンションが下がってきます。
「もうワラーチを履いてしまおう」という思いと
「でもせっかくここまで走ってきたんだから最後まで走らなきゃもったいない」
そんな思いが頭の中をグルグル回っています。
そんなときに思いました。これは楽しくないなと。


裸足で走ることが悪いとは全く思いません。楽しくないわけではありません。
でも、裸足で長い距離を走るためにはそれなりの段階を踏む必要があって、
それをすっ飛ばしてまで裸足に拘る必要はないと、そう思ったわけです。

今自分が裸足で楽しめるのは10kmくらい。
ちゃんと練習すればでこぼこ道も痛いなりにも
楽しみながら走れるようになるはずです。
今は10kmくらいの距離を裸足の感触を楽しみながら走って、
それ以上の距離になったらワラーチの心地よさを楽しめばいいかなと。

走り始めて2年が過ぎ、
飽きるどころかますます走ることの楽しさを感じているところです。
どんなことでも挑戦するのはいいんですが、
でもそのことでしんどい思いをしても何もいいことはありません。


そんなことを思いながら、それでも顔マラソンはなんとか裸足で走りきりました。
もちろんそれなりの心地よさはあったし、達成感もありました。
でも簡単に裸足で走る選択をしたことに対しては、ちょっとだけ反省しました。



ということで、裸足ランの楽しさは間違いなくあるのでそれはそれで楽しむとして、
基本はワラーチで走ることを楽しもうという結論に至りました。
このことをちゃんと整理しておかないと、ろくに練習もしないまま

「今度は裸足で100kmを!」

とか簡単に言ってしまいそうだったので、こんなことを書いておくことにしました。



第2回島根顔マラソン

10月27日(日)、第2回島根顔マラソンに参加してきました。
今回の参加者は、第一回の参加者3名と今回が初顔マラソンという5名の計8名。



参加者が着ていた顔マラソンTシャツはいろいろで、東京の顔、大阪の顔、島根の顔と3種類。



島根の顔もいいけど、東京や大阪の顔もいいですね。

ということで、大阪マラソンのスタート時間と同じ9時頃に松江駅をスタート!
いつものように右目







左目



と楽しく描いていきます。

道案内の担当は今回初参加の若い2人。



最初は道を間違えることもありましたが、コツを掴んでからは見事にみんなをリードしてくれました。



例の大きな歩道橋も快調に駆け上がっていきます。



口を描いてる途中で見つけた有名なパン屋さんでカレーパンを食べた後は





気持ちのいい景色の宍道湖沿いを進みます。



そして輪郭を描いた後は髪の毛を描いて、



ついに感動のゴール!!松江駅に帰ってきました!







今回の距離は43.81km、時間は6時間33分でした。

前回島根顔マラソンを走ったのが今年の1月。同じコースなので退屈するかなあとちょっと心配してたんですが、「ああ、ここも走った!」「この坂がしんどかったんだよなあ」ととっても懐かしい気持ちにもなりながら楽しく走ることができました。みんなで道を探しながらワイワイ走るのもやっぱり楽しいです。顔マラソンには不思議な魅力がありますね。

次の顔マラソンはいつ、どこを走るんでしょうか。年明け辺りに第二回広島顔マラソンかなあ。





最後に若い2人の写真を。
今回初めてワラーチでフルマラソンを走った2人は終わった後に膝がバキバキになってしまったようで、歩く姿はおじいちゃんのようでした。若いからすぐに回復するんでしょうけどね。
ちなみに赤い顔マラソンTシャツの彼は、神戸マラソンもワラーチで参加するそうです。がんばれーー!



2013年10月25日

No.317 異年齢で生活すること

先週と今週で26年度の入園説明会を行いました。新たに入園を考えておられる方を対象に行ったこの入園説明会では、毎年あさり保育園の保育についていろいろとお話をさせてもらっているんですが、今回はある1つの事に絞ってお伝えしようと決めていました。その1つの事とは「異年齢保育の目的や長所について」です。

異年齢保育というと「異年齢で関わることで思いやりの心が育つ」とよく言われます。分からないことの多い下の子に対して上の子がお世話をすることで思いやりの心や援助の気持ち、寛容さが育つというもので、これは確かにあると思います。でもそれだけではないんですよね。例えば「違いに興味を持つ」ということがあります。異年齢で生活していると、個々の違いを知る機会がたくさんあります。例えば男女差とか年齢差とか、そして個人差とか。そうした違いを知ることで、人と同じようにではなく、自分らしさを発揮して集団や社会に貢献していくことの大切さを学んでいきます。

また「下の子は上の子から刺激を受ける」ことは想像しやすいと思います。子どもは自発的な挑戦によって発達していくわけですが、自分ができることよりも難しいことをやっている上の子が周りにたくさんいる保育園では、多くの刺激を受けることができます。そして「上の子は下の子に教えてあげることで、自分の能力を定着させる」「下の子の手本となることで、自信をつけることができる」ということもあります。教えたり手本になったりすることで、上の子は自分のできることをより確実なものにしていくわけです。

このような良さがあさり保育園の異年齢での生活の中にはありますと、そんなことをお話させてもらいました。そしてこれはまだ先の事ですが、実際に4月から新しい子が入園してきた場合、保育園の生活リズムを知っている子が周りにいてくれることで、新入児が保育園に慣れていくのがスムーズになります。「こういうときにはこうするんだよ」「次は○○の時間だよ」と教えてくれる子が必ず出てきますし、何よりも安心して活動に集中している様子を見せてくれることが新入児の安心感にもつながっていきます。いろんな年齢、いろんな発達段階の子が一緒に生活することには、本当に多くのメリットがあります。そのメリットを十分に生かした場にしていくのが私たちの役目でもあります。

2013年10月17日

No.316 いろいろな『見る』

先日お昼寝の時間に乳児室を覗いてみると、ほとんどの子が寝ている中、うさぎ組のYくんがベランダで楽しそうに過ごしていました。近づいてみると「おー!おー!」とうれしそうな声をあげています。何をしているんだろうと見ていると、9号線を走る車がベランダから見え、それに反応しているようでした。とても楽しそうに見ていたので、一緒に見させてもらうことにし、2人で9号線の方を向きながら「また来た!また!」と車の往来を楽しませてもらいました。

「見る」ということを考えるとき、子どもの何を見るかということがあります。例えばよく言われるのが、子どもをまっすぐに見て、つまり見つめ合って「ちゃんと見ているよ」というメッセージを伝えることがあります。これはもちろん大事なことですよね。そして、この「見る」と同じくらい大事にしたいのが、子どもが興味を持っていることを一緒に「見る」ことです。子どもの横に並んで、もしくは少し離れたところから「あなたが興味を持っているものを私も興味を持って見ているよ」というメッセージを伝えることも大切にしたいと考えています。

このことについては何度も書いてきましたが、子どもが興味を持っている対象を一緒に見ることを「共同注視(ジョイントアテンション)」とか「共視」といいます。自分のことをちゃんと見てくれているということはもちろん安心感につながりますが、自分が興味を持っているものを同じように興味を持って見ていると感じることも、子どもが安心感を持つことにつながります。そしてその安心感がまた次の新しいものに興味を広げていく意欲になっていきます。そのように「見る」ためには、少し距離を置いて子どもが何に興味を持っているのかを見ることも必要になってくるというわけです。

16日(水)はととろの日で、さくら保育園にととろが姿を見せてくれました。 天気が良くなかったため今年は室内でのご対面となりましたが、子どもたちは大きなととろを見て大興奮でした。ここでの「見る」は、たくさんの友だちと同じものを見て、楽しい時間や思い出を共有するという意味があります。子どもを見る、子どもと一緒に見る、子ども同士で同じものを見る。いろいろな「見る」にはそれぞれに大事な意味があります。



2013年10月10日

No.315 子ども同士の話し合い

先日のことですが、ぞう組さんが発表会の出し物について話し合いをし、その時の様子についてB保育士がうれしそうに報告してくれました。話し合いの目的は、「発表会の出し物はどの絵本の話にするか」を決めることだったようです。全員が発言する話し合いにしようと最初に確認をし、みんなが様々な意見を出し合ったそうです。そして『ロンドン橋がおちまする!』という本にほぼ決まりかけたとき、Sちゃんがそれに反対する意見を話し始めました。

Sちゃんは話の中に出てくる言葉が少し言いにくいと感じていたようで、その思いをしっかりとみんなに伝え始めました。決まりかけていることに対して反対の意見を述べるのは、大人でもなかなか勇気のいることです。でもそれをきちんと伝えたことでみんなにも思いが伝わり、「じゃあそのセリフを違うセリフに替えようよ。」といった意見も出てきて、最終的には『ロンドン橋がおちまする!』のセリフや内容を自分たちで話し合って作りあげていく、ということに決まったようです。Sちゃんもそれに納得したそうです。

あさり保育園では子ども同士での話し合いを頻繁に行います。子どもたちだけで話し合える内容だと判断したら、思い切って子どもたちに任せます。自分の意見を言うだけでなく、相手の意見に耳を傾けることや、意見を聞いた上で自分はこう考えるよと伝えることなど、コミュニケーションのために必要な力を育てていく大事な場だと考えているからです。また、自分たちで話し合って決めたことに対しては自発的に取り組みますし、中途半端に投げ出すことができません。決めたことを最後までやり切るという責任を学ぶためにも、子ども同士で話し合って決定することを大切にしています。

とは言ってもいきなりそんな話し合いができるわけではなく、やはり積み重ねが必要です。例えばぱんだ組では帰りのお集まりの際、円形のカーペットの上に輪になって集まり、その日の活動の振り返りをします。みんなの前で順番に「ぼくは○○をして遊んだよ!」「わたしは△△!」と発表するところから始まり、今では他の子どもの発言を受けて「わたしも○○であそんだよー!」と話が盛り上がるようになってきています。このような経験を積み重ねることで子ども同士のやりとりが発展していき、今回のぞう組の話し合いにつながっていくわけです。何事も積み重ねがあってこそ、ですね。

2013年10月8日

運動会を見学してきました

先週の土曜日のことですが、新宿せいが保育園の運動会を見学させてもらってきました。新宿せいが保育園は私が勝手に師と仰いでいる藤森平司氏の保育園です。以前から一度は見学してみたいと思っていて、その思いをようやく叶えることができました。

運動会は子どもの運動面の発達を保護者に伝える場。それはわかっているつもりでしたが、まだまだ捉え方が甘かったことに気づかされました。でもそれに気づけたことは大きな大きな収穫です。

今回はあさり保育園のTさん、Sさん、さくら保育園のFさん、Mさんと一緒に見学しました。見学の目的は、来年度以降の運動会を今の時点から計画していくために、考えるヒントを掴むこと。今回学んだことをもとに、あさり保育園とさくら保育園の運動会の位置づけをより明確にし、両園の特徴を生かした運動会の基礎をもう一度考え直していくことができそうです。

これからTさん、Sさん、Fさん、Mさんが中心になって、運動会の計画が進められていきます。とはいってもまだ1年先の話。のんびりとやっていきます。

2013年10月3日

No.314 活動の意図について

今回は私たちが園内で行っている研修について少し紹介させてもらいます。みなさんはチャイルドビジョンというものをご存じでしょうか?子どもの視野はかなり狭く、例えば6歳児の場合、垂直方向の視野は大人約120度に対して70度、水平方向は大人約150度に対して90度しかないそうです。その子どもの狭い視野を体験できるのがチャイルドビジョンで、写真のように目を覆うようにつけて使用します。





研修の内容は、このチャイルドビジョンをつけて保育室のあちこちに隠されている小さな人形をみんなで探す、というものです。しかも子どもの目線の高さに合わせるために0,1歳児室は這いつくばったまま、3,4,5歳児室はしゃがんだままで探します。これは何がねらいかというと、「子どもがいかに狭い視野で活動していて、その視野で眺めたとき改善すべき箇所はないか」「子どもからは見えているけど大人は見えていないところ、反対に大人は見えているけど子どもは見えていないところはどんな箇所か」といったことに気づくといったことです。もちろん事前にそんなことは言わずに「みんなで探しましょう!」と楽しく取り組みました。







結果はというと、思った通りいろんな気づきが得られました。そして企画者から今回のねらいが伝えられ、それを受けて改めて見直すべき環境について保育者同士であれこれ話し合われていました。ということで今後少し変化する箇所が出てくるだろうと思います。この研修はできるだけ楽しんで行える内容にしようと企画の担当者が考えてくれるわけですが、楽しさだけではなく、どのようなことをねらいにして行うかも大事にしています。一見楽しく自由に遊んでいるように見えて、でも裏にはきちんとした意図がある活動こそ、気づきも学びも大きいと考えているからです。これは子どもたちの遊びに関しても同じです。自由に遊んでいるだけのように見えても、置いてあるおもちゃやその数、配置なんかも、子どもたちの発達課題や興味関心を考えて環境を整えています。そんな保育者の意図についても、機会をみつけて書いてみようと思います。



 ↑ 大人の目線では見えないけれど…



 ↑ ハイハイの目線で発見!