2015年8月28日

No.409 運動会のハンドブックもあります




運動会まであと1か月。運動会に向けての取り組みもずいぶん進んできています。今週の水曜日に行われた役員会において、ここまでの取り組みの様子を写した写真を見てもらいながら、運動会の目的について簡単にお話させてもらいました。本当であれば保護者のみなさん全員に対して同じように説明させてもらうといいのですが、全員に集まってもらって…というのはなかなか難しいのが現状です。なので各クラスから発信されるお便りなどを通して取り組みの様子やねらい等をチェックしてもらいたいと思います。今回はそれに加えて試験的に小さな「運動会ハンドブック」を製作中です。1冊しか作っていないのですが、お迎えに来られた際に手にとって見ていただければと思います。まもなく完成する予定です。

役員会で話させてもらったこと、ハンドブックに書いてあることは、あさり保育園の運動会の大きな目的です。毎年お伝えしていることですが、「子どもの運動能力の発達を保護者に伝える」「親子のふれあいを提案する」「保育を厚くする」の3つを目的としています。前半は「子どもの運動能力の発達を保護者に伝える」ために、まずは『走る』ことを0歳児から順に見てもらいます。今年はハイハイの様子から見てもらうことになりそうです。ハイハイと走ることは一見関係ないように思われるかもしれませんが、赤ちゃんはある日突然走り始めるのではなく、寝返り→ハイハイ→つかまり立ち→よちよち歩き→歩くといった体験を経て走る力を獲得していきます。それぞれの時期に、そのときに出来ることを十分に体験しておくことはとても大切なことです。子どもの動きに無駄なものはなく、全てが先の成長につながっています。今できることは何か、走る力をどのような流れで獲得していくか、それを順に見てもらおうというわけです。

そして「走る」の次は跳ぶ、転がる、渡るなどの動きも見ていただきます。子どもたちは今「どろろんパワーアップカード」を使って様々な動きに挑戦しています。そのカードには例えば「転がる」であれば『寝転んで転がる→前回り1回→2回→側転』と段階を設けてあります。これは個人差を保障するためです。段階別のメニューがあることによって、今できること、今挑戦しようとしていることを子どもたちが選択できますし、だからこそ意欲的に取り組めていることを活動の様子を見ていて感じます。そして上の子たちが生き生きと活動している様子を見ている下の子が、そこから刺激を受けて動き始めています。このことは次回に書かせてもらいます。

2015年8月23日

処暑

二十四節気

処暑…暑さが収まる頃という意味。
処暑(しょしょ)とは、厳しい暑さの峠を越した頃です。朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてきます。暑さが和らぎ、穀物が実り始めますが、同時に台風の季節の到来でもあります。

七十二候

2015/08/23
初候 綿柎開(わたのはなしべひらく)
綿を包む柎が開き始める頃。柎とは花の萼(がく)のことです。柎が開き始めるとふわふわとした綿毛が中からとび出してきます。この綿毛が木綿の糸や布になります。

2015/08/29
次候 天地始粛(てんちはじめてさむし)
ようやく暑さが静まる頃。天気図には秋雨前線が登場し、冷たい空気とともに秋を運んできます。とはいっても、日中はまだまだ暑く、夏の気候が続きます。

2015/09/03
末候 禾乃登(こくものすなわちみのる)
日に日に稲穂の先が重くなってくる頃。稲穂はこぼれるように実り、色づき始めます。しかし、この時期は台風が襲来してくる時期であり、各地で農作を祈るお祭りが開催されます。

「暦生活」より

2015年8月21日

No.408 誰も「そんなこと無理だろう」と言わなかった




2年前のことなので忘れておられる方も多いかもしれませんが、2013年8月にエジプト考古学者の河江肖剰さんがあさり保育園へ来てくださいました。その年は「世界を体験する」というテーマを掲げていて、エジプトの話をたくさん聞かせてもらったり、古代エジプトで使われていたパピルスという紙に絵を描いたりミイラ作りをしたりと、楽しい体験をさせてもらいました。

その河江さんが、この度ナショナルジオグラフィック日本版の「日本のエクスプローラー」の1人に選ばれたことを知りました。地理学、人類学、自然・環境学、ポピュラーサイエンス、歴史、文化などを扱っている世界中で読まれている雑誌で、そこで連載をスタートされることになったようです。早速第1回目を読ませてもらったのですが、そこにはどのような経緯でエジプト考古学に取り組むようになったかが書かれていて、エジプトについて学びたい、考古学をやっていきたいという強い思いをずっと持ち続けておられたことが今につながっているという印象を受けました。「やってみたい」という意欲は、そのことに対する好奇心から生まれてきます。あさり保育園では意欲的に活動する子どもたちに育ってくれることを目標としているので、「いかにして子どもの好奇心を高めていくか」については保育を行う上で常に考えていることです。河江さんが行動してこられたことはあさり保育園の保育の考えにも通じるところがあると思い、それを河江さんに伝えたところ、次の言葉が書かれたメッセージが返ってきました。

『記事の中でも述べたように、一番有り難かったのは、誰も「そんなことできない」とか「無理だろう」と言わなかったことでした。』




これはすごく大事なことですよね。何のツテもないけどエジプトに行きたいと言われるケースはまれでしょうが、例えば子どもが「○○をやってみたい」と言ったときに、それをそのまま受け入れることができているだろうかと、思わず考えさせられました。「えっ、ほんとにできるの?無理じゃないかなあ。」と思うことが悪いこととは思いません。ただ、子どもの思いを大人がどう受け止め、どう返すかは、子どものその後の行動や心情に大きな影響を与えることだけは自覚しておく必要はあります。子どもの何を伸ばしたいのか。どんな人になってほしいのか。そのためにはどう子どもと向き合えばいいのか。そんなことを時々自分自身に問いかけてみることも必要でしょうね。

2015年8月8日

立秋

二十四節気

立秋…秋立つ日。秋の始まり。
立秋(りっしゅう)の頃、毎日暑い日が続きますが、お盆明けには秋の気配が少しずつ感じられます。この日から、季節の挨拶も小中見舞いから残暑見舞いに変わります。

七十二候

2015/08/08
初候 涼風至(すずかぜいたる)
夏の暑い風から、秋の涼しい風に替わりはじめる頃。まぶしく輝いている太陽も日射しを和らげ、夕方に鳴く虫たちの音色も涼しさを演出してくれます。

2015/08/13
次候 寒蝉鳴(ひぐらしなく)
夏の終わりを告げるかのように、ヒグラシが鳴いている頃。ヒグラシは日の出前や日没後によく鳴き、終わってしまう夏を惜しんでいるかのように聞こえます。

2015/08/18
末候 蒙霧升降(ふかききりまとう)
森や水辺に白く深い霧がたちこめる頃。朝夕のひんやりとした心地よい空気の中、深い霧が幻想的な風景をつくりだします。

「暦生活」より

2015年8月7日

No.407 70年前の

8月6日の夕方の集まりの際に、S保育士が「おこりじぞう」という絵本を子どもたちに読んでいました。その日は広島に原爆が落とされた日で、絵本を通じて70年前の出来事を話してくれたことになります。こうやって絵本を読むことで、その内容がどこまで子どもたちに伝わっているかは分かりません。分からないけれど、こんな絵本を8月6日に読んでいた大人がいたなぁと少しでも子どもたちの記憶に残ってくれればと思っています。そしてこれは戦争を体験していない私たちにとっても大事なことで、たとえ知っていることがわずかであっても“戦争とはどんなもので、そこから何がもたらされるのか考えること”を次の世代につないでいかなければいけないんですよね。

70年経った今、実際に戦争を体験された方はどんどん少なくなっています。私たちの世代は戦争を体験した人から当時の話を聞かせてもらった経験がある人も多いでしょうが、今の子どもたちはそんな機会は少ないと思います。でも、だからといって今後“戦争について考える”人が少なくなっていいわけはありません。聞いただけの話であったとしても、今の子どもたち、そして更に次の世代のことも視野に入れて語り継いだり、何をすべきか考えたりすることも私たちの大切な役割です。

9日(日)は長崎の原爆の日、そしてその後はお盆がやってきます。単なる○○の日、季節の行事として扱うことも出来ますが、どちらも命と関係の深いものでもあります。せっかくなので親子でいろんな話をしてみてはどうでしょうか。別に立派で模範的なことを話さなくてもいいと思っています。

「今日は長崎で原爆が落とされた日なんだよ」
「長崎ってどこ?」
「長崎はね…」
と県の場所の話になってもいいと思いますし、

「ねえねえ、お盆って何?」
「お盆っていうのはね、えーと、なんて言えばいいかなあ…」
と説明できず困ってしまってもいいと思います。

この日、この時期がいつもと同じように流れてしまうのではなく、詳しく伝えきれなくても子どもの記憶にちょっとしたひっかき傷を残すことができれば、それでもいいんじゃないかと思っています。適当なことを書いているなあと思われるかもしれませんが、いたってマジメです。とーっても難しいことだからこそ、ちょっと力を抜いて子どもとやり取りしてみるくらいの力加減でもいいんじゃないか、分からないことを分かった風に語ってしまうよりも、分からないけど大事なことと捉えて考え続けていく方がいいんじゃないか、そんなことを考えています。