心理学者の河合隼雄さんの「こころの処方箋」という本に、こんな話が書かれていました。
『幼稚園の子どもで言葉がよく話せないということで、母親がその子を連れて相談に来られた。知能が別に劣っているわけでもないのに、言葉が極端におくれている。よく話を聞いてみると、その母親は、子どもを「自立」させることが大切だと思い、できる限り自分から離すようにして子どもを育てたとのことである。夜寝るときもできるだけ添寝をしないようにして、一人で寝かせるようにすると、はじめのうちは泣いていたが、だんだん泣かなくなり、一人でさっと寝にゆくようになったので、親戚の人たちからも感心されていた、というのである。
このようなとき、その子の「自立」は見せかけだけのものである。親の強さに押されて、辛抱して一人で行動しているだけで、それは本来的な自立ではなく、そのために言葉の障害などが生じてきている。このときは、そのことをよく説明して、母親が子どもの接近を許すと、今までの分を取り返すほどに甘えてきて、それを経過するなかで、言葉も急激に進歩して、普通の子たちに追いついてきたのである。』
私たちは「子どもたちをいかに自立させるか」というテーマを持って保育を行っています。保護者の皆さんも、おそらく同じような思いで子育てをしておられるのではないでしょうか。では何をもって自立したと考えるかというと、辞書では「他の助けや支配なしに自分一人の力で物事を行うこと。」
とありますが、それだけではないように思います。というのも、私たち人間は誰かに依存せずに一人で生きていくことはできないからです。自分の力で生きていくスキルを身につけるのは当然大事なことですが、依存を完全に排除するのではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し感謝することが、真の意味での「自立」といえるのではないでしょうか。
明後日21日は卒園式です。一緒に過ごした子どもたちが、これから先それぞれの生き方をしていく中で、他の人と関わることを大切にした「自立」を目指して欲しいと思います。そして、どの子も自分らしさを発揮し、自分がもっているものを他の人に貢献する力に育てていって欲しいと思います。
2009年3月19日
2009年3月13日
No.86 ぞう組と小学生の交流
今週の火曜日に、ぞう組さんが江津東小学校へ歩いて行きました。目的は2つ。1つは通学路での注意点を駐在さんから教えてもらうこと、もう1つは5年生との交流です。4月から6年生になる小学生たちが、ぞう組さんに遊びを通じていろいろなことを教えてくれました。この交流の経験が持つ意味について考えてみました。
5~6歳のぞう組さんは、保育所では0~3歳の子どもたちと触れ合うお手伝い保育を体験してきました。ところが5年生との交流では立場が逆転して、倍くらいも歳上のお兄さんやお姉さんに相手をしてもらうことになります。この立場が逆転する経験というのは、この一年間、最年長として過ごしてきたぞう組の子どもたちにとって特別でした。体育館に集まり6つのグループに分かれて自己紹介をした後、手つなぎオニやボールを使った遊びをしました。子どもたちに楽しんでもらおうと小学生がいろいろと考えてくれたようで、その思いが伝わってきました。園児への接し方をみていると、小学生たちはとても優しくていねいに対応していました。不安にさせないように、声のかけ方にも気を配っていました。園児たちも初めは緊張気味でしたが、あっという間に遊びに夢中になっていて、そんな園児たちの姿をみて、小学生たちも満足げでした。
これから小学校生活が待っている園児たちにとって、この経験は、小学校は楽しいところで、やさしいお兄さんやお姉さんがたくさんいる所だという安心感をもったことでしょう。こうした楽しかった、おもしろかったという気持ちや小学校という場所に明るいイメージをもてたことは、子どもたちを一歩前へ進めるための大前提になります。小学校の楽しい雰囲気を肌で経験することは大切です。これが小学校での生活や学びへの意欲に育つはずだからです。また小学生にとっても、最初は園児がどんなことができて、どのくらいの理解があるのか、手探り状態のスタートでしたが、触れ合っていくうちに小学生が関わり方をうまく工夫したりしていました。どうすれば相手を理解でき伝わるようになるのかという試行錯誤は、子どものうちに十分にやっておく必要があります。他人の内面を想像する共感の力を基礎として、試行錯誤を繰り返してほしいと思います。5年後には今のぞう組さんが、5年後のぞう組さんを迎えてくれるはずです。どんな姿を見せてくれるか、今から楽しみです。
5~6歳のぞう組さんは、保育所では0~3歳の子どもたちと触れ合うお手伝い保育を体験してきました。ところが5年生との交流では立場が逆転して、倍くらいも歳上のお兄さんやお姉さんに相手をしてもらうことになります。この立場が逆転する経験というのは、この一年間、最年長として過ごしてきたぞう組の子どもたちにとって特別でした。体育館に集まり6つのグループに分かれて自己紹介をした後、手つなぎオニやボールを使った遊びをしました。子どもたちに楽しんでもらおうと小学生がいろいろと考えてくれたようで、その思いが伝わってきました。園児への接し方をみていると、小学生たちはとても優しくていねいに対応していました。不安にさせないように、声のかけ方にも気を配っていました。園児たちも初めは緊張気味でしたが、あっという間に遊びに夢中になっていて、そんな園児たちの姿をみて、小学生たちも満足げでした。
これから小学校生活が待っている園児たちにとって、この経験は、小学校は楽しいところで、やさしいお兄さんやお姉さんがたくさんいる所だという安心感をもったことでしょう。こうした楽しかった、おもしろかったという気持ちや小学校という場所に明るいイメージをもてたことは、子どもたちを一歩前へ進めるための大前提になります。小学校の楽しい雰囲気を肌で経験することは大切です。これが小学校での生活や学びへの意欲に育つはずだからです。また小学生にとっても、最初は園児がどんなことができて、どのくらいの理解があるのか、手探り状態のスタートでしたが、触れ合っていくうちに小学生が関わり方をうまく工夫したりしていました。どうすれば相手を理解でき伝わるようになるのかという試行錯誤は、子どものうちに十分にやっておく必要があります。他人の内面を想像する共感の力を基礎として、試行錯誤を繰り返してほしいと思います。5年後には今のぞう組さんが、5年後のぞう組さんを迎えてくれるはずです。どんな姿を見せてくれるか、今から楽しみです。
2009年3月6日
No.85 木村まさ子さんの子育て
医師の鎌田實さんが著書「いいかげんがいい」の中で、SMAPの木村拓哉さんの母・木村まさ子さんの子育てについて、対談の中で感じたことを書いておられます。舞台裏ですれ違ったときの木村拓哉さんのまっとうな身のこなしやきちんとした礼儀作法に感心し、それがどのように身についていったか、鎌田さんはその子育てについて興味を持ち、まさ子さんとの対談が実現したようです。そこには「体験」することの大切さについて書かれていたので、その一部を紹介します。
『三歳でナイフを持たせてリンゴを切らせた。小学校にあがる前から、火は危ないものときちんと伝えたうえで、ガスコンロの点火の仕方を教えている。コンロが使えるようになると、一人でホットケーキをつくるようになった。ハンバーグをつくるとき、こねるのは拓哉君の仕事。餃子も彼に包ませたという。できそこないの餃子を、つくった本人の拓哉君が食べようとすると、「それ、お母さんが食べたい」と言って食べ、「おいしいね」とほめてあげる。そうか。そのときすでに、幼い拓哉君には自分が失敗した餃子を自分で責任をとって食べようとする心が育っていたんだ。その心にちゃんと気づきながら、お母さんは自分が食べたいと言って引き受ける。これって、なにげないようでじつはすごいんじゃないか。』
『お米も子どもたちにといでもらった。さりげなく、「水少ないかもね」などとアドバイスはするが、最終判断はいつも子どもたちにまかせたという。自身の経験から「いい加減」を知ることが必要だと思ったから。炊きあがったご飯に結果は出る。なんでも自分でさせる。自分ですることによって細かな感覚を覚えていく。ご飯がおいしく炊けたときの感動も、二人の息子は味わったのだろう。そうか、お米の水加減もお風呂の湯加減も、言葉では教えられない。いい加減な感覚なのだ。本では学べない大切な感覚。』
子どもたちは、自分のしたことに責任を持つことを体験から学んでいきます。生活していく力(大げさな言い方をすれば生きていく力)も、やはり体験から学んでいきます。本で学ぶのでも、大人が言って聞かせることで身につけるのでもないと思います。人や環境との主体的な関わりの中で身につける力、様々な体験を通して身につける力を、大切に育んでいきたいと思います。
『三歳でナイフを持たせてリンゴを切らせた。小学校にあがる前から、火は危ないものときちんと伝えたうえで、ガスコンロの点火の仕方を教えている。コンロが使えるようになると、一人でホットケーキをつくるようになった。ハンバーグをつくるとき、こねるのは拓哉君の仕事。餃子も彼に包ませたという。できそこないの餃子を、つくった本人の拓哉君が食べようとすると、「それ、お母さんが食べたい」と言って食べ、「おいしいね」とほめてあげる。そうか。そのときすでに、幼い拓哉君には自分が失敗した餃子を自分で責任をとって食べようとする心が育っていたんだ。その心にちゃんと気づきながら、お母さんは自分が食べたいと言って引き受ける。これって、なにげないようでじつはすごいんじゃないか。』
『お米も子どもたちにといでもらった。さりげなく、「水少ないかもね」などとアドバイスはするが、最終判断はいつも子どもたちにまかせたという。自身の経験から「いい加減」を知ることが必要だと思ったから。炊きあがったご飯に結果は出る。なんでも自分でさせる。自分ですることによって細かな感覚を覚えていく。ご飯がおいしく炊けたときの感動も、二人の息子は味わったのだろう。そうか、お米の水加減もお風呂の湯加減も、言葉では教えられない。いい加減な感覚なのだ。本では学べない大切な感覚。』
子どもたちは、自分のしたことに責任を持つことを体験から学んでいきます。生活していく力(大げさな言い方をすれば生きていく力)も、やはり体験から学んでいきます。本で学ぶのでも、大人が言って聞かせることで身につけるのでもないと思います。人や環境との主体的な関わりの中で身につける力、様々な体験を通して身につける力を、大切に育んでいきたいと思います。
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