2010年12月24日

No.174 2010年の終わりに

このひとりごとでは保育を行っていく上で大切にしている思いを書き続けています。その内容をぼんやりと振り返ってみたのですが、子どもたちを中心に考えよう、子どもたちに何が必要かを考えようという根本の思いは変わっていませんが、今は何を重視しようといった優先順位や細かな取り組みは少しずつ変化してきていることを感じます。変化の理由には私たちがまだまだ発展途上の段階だということもありますが、それ以外にも理由があります。今の時代は、短期間でも社会や価値観が大きく変化します。当然それに合わせて家庭環境や地域環境といった、子どもにとって大きな意味をもつ部分も変化していきます。でも、子どもの発達に必要なことには変化はありません。変わらない子どもの発達を保障するためには、その周りが変化すれば保育も変化していかなければいけないと思うからです。

例えば、家庭や地域での子ども集団はどんどん少なくなってきています。でも、子どもの発達には子ども同士の様々な関わりが必要です。ですから保育所では、子ども同士の関わりを生み出す場をどう作るかを常に考え工夫しています。また、地域の大人との日常的な関わりや、社会を構成している様々な職業に触れることが少なくなってきています。でも、子どもが社会を学んでいくためにはそうした体験は重要です。ですから地域に出かけて様々な人や職業に触れる体験を増やすように意識しています。いつの時代も変わらない“子どもの育ち”を支えるために今私たちがすべきことは何なのかということについて、これからも厳しく考え続けていかなければいけないと思っています。

子どもの育ちということで、来年あらためて詳細はお知らせしますが、成長展のPRを少しだけ。3月5日(土)に予定している「成長展」ですが、これは1年間で子どもがどんな風に成長してきたかを親子で楽しみながら見ていただくものです。例えば1年間でどれだけ大きくなったか、全員同じテーマで描いた絵の中でわが子のものはどれか、1年でどのように変化していった絵がわが子のものか、そんなクイズを親子で楽しんでいただこうと準備を進めています。まあこんな説明では想像がつかないと思いますが、楽しみにしていてください。

子どもの成長を守っていくことと、子どもの成長を保護者のみなさんと一緒になって喜ぶことは、私たちの変わることのない思いです。これからも、どちらの思いも大切にしていきます。来年もよろしくお願いします。

2010年12月17日

No.173 たき火 はじめました

10月のことになりますが、保護者のOさんに協力をしてもらい、薪にするための木をたくさん用意しました。かなり太い木もあったので子どもたちの前で薪割りもして、かなりの量の薪が用意できました。その薪は、枕木のベンチのある場所で、たき火として大活躍しています。雨の日や風の強い日はできないので、頻繁にというわけにはいかないのが現状ですが、できるだけ子どもたちがたき火を楽しむ機会を多くつくりたいと思っています。

寒い時期になってくると、どうしても園舎内で遊ぶ子が増えてきます。外で遊んでいた子も途中で中に入ってくる、ということも増えてきます。それは仕方のないことではありますが、やはり寒さも十分に感じてもらいたいと思います。園便りにも書きましたが、寒さに強い身体を作ってくれるのは寒さです。暑い・寒いといった自然の中に身を置いてこそ身につくものがあって、しかもそれを子ども時代に体験しておくことが重要だと考えているからです。だからといって、無理やり外に追い出すようなことはしません。自分から「外で遊びたい」と思うことがまずは大事なので、そのための仕掛け(園庭環境の充実)をあれこれと行っているというわけです。たき火もその仕掛けの1つです。

子どもたちは様々なものに強い関心を持つ時期です。 だからこそこの時期に、火を扱う上での注意点や、暖かさ・素晴らしさといったことも丁寧に伝えていきたいと思っています。また、ちょっと寒くなった子がたき火にあたりに来て、暖まったらまた遊びに戻っていく、そんな場にもなればと思っています。そしてたき火といえば何といっても“焼き芋”。焼き芋は何度も作りましたし、畑でとれたブロッコリーをすぐにゆでて食べる、ということもやってみました。たき火があることで活動の幅がずいぶん広がることを発見したところです。

というわけで、もっとたき火をしていきたいのですが、 園庭に吹く海からの強い風のせいであきらめることがたびたびあります。「木をたくさん植えることで風を少しはおさえることができる」と教わったので、高さを利用し遊びを立体的に展開できるメリットも考え、いろんな木をあちこちに植えることを検討中です。そんな感じで園庭の仕掛け作りはまだまだ続いていきます。 今、お集まりではたき火の歌が歌われています。歌に描かれている風景と、自分の体験を重ねることができるのも、実は大切なことなんですよね。

2010年12月3日

No.171 お花は赤い

ちっちゃな坊やが初めて学校へ行った。
坊やは一枚の紙とクレヨンをもらった。
坊やはどんどん色を塗った。
だっていろんな色がとてもきれいだったから。
でも先生は言いました「キミキミ、そこで何をしているの」
「ちっちゃな花の絵を描いているんです、先生」
先生は言いました。
「花は赤くて空は青い。
そのことを考えておかなくっちゃ。
あなたはここでたった一人じゃないのよ。
みんながあなたのようにしたら、
どういうことになるかしら。
だからあなたに言います。
お花は赤いのよ、坊や。
葉っぱは緑。
他の色に見えても意味がないわ。
だから、どうしてほかの色にしてしまうの。」
それでも坊やは言いました。
「でもね先生、こんなにたくさんの色の花があるんだよ。
こんなにたくさんの色の葉っぱも、ほらいっぱい。
あまりにもたくさんで名前がつけられないくらい。
僕にはそれがみんな見えるのにな。」
でも先生は言いました。
「キミはあまのじゃくな子ね。
私が言うのを繰り返しなさい。
お花は赤よ、葉っぱは緑。
ほかの色に見えても何の意味もないの。
だからどうしてほかの事を考えたりするの?」
(この後廊下に立たされることになった坊やは、
怖くなったため先生に謝って教室に入り、
花は赤、葉っぱは緑に塗りました。
でもつまらなくてつまらなくて仕方がなかったのです。)
そうして2年生になりました。
すると先生は前と変わりました。
彼女は新しくていい先生。
そうして彼女は優しく言いました。
「あなたの好きに絵を描きなさい。
紙もクレヨンもいくらでも使って好きなだけお絵描きしなさい。」と。
でも坊やは花は赤、葉っぱは緑で描いて、
一列に並べて。
そして先生が「どうして」と尋ねると、
坊やはまたクレヨンを取ってこういいました。
「お花は赤で葉っぱは緑。
他の色にする意味はまるでありません。
どうして他のことをする意味があるというのでしょう・・・。」

この文章は、オランダの「お花は赤い」という歌の歌詞です。子ども一人ひとりの個性を認めず、一斉に画一的に一つの価値観を子どもたちに押しつけることの怖さを、この文章を読んだときに強く感じました。「たった一つの存在であることを無視する」「人権を蔑ろにする」という行為があるとしたら、そのことに対して、私たち大人は厳しい態度をとらなければいけないと思っています。この歌を紹介しようと思ったのは、発表会での役員さんの出し物で描かれた「いろんな色で描かれた子どもの笑顔」を見ていて、ふとこの歌が頭に浮かんできたからです。「一人ひとりがかけがえのない存在」であることを決して忘れてはいけないと、再確認させてもらえた発表会でもありました。