2016年5月27日

No.446 良質なトラブル

あさり保育園では、子どもたちが保育園の生活の中で人と関わる力をつけていけるよう、そのためにはどんな環境を用意すればいいかを常に考え保育を行っています。なぜ関わる力なのかというと、これは様々な研究で分かってきていることですが、乳幼児期はIQなどで計ることができる認知能力ではなく、意欲、忍耐力、自制心、社会性、創造性といった非認知能力をつけていくことが大切だからです。しかもこの非認知能力は8歳までにつけておかないといけないと言われています。さらに、ここが特に大事なのですが、非認知能力は1人で身につけるものではなく、人との関わりの中でしか学ぶことができません。とても簡単な説明になってしまいましたが、そのようなことから関わる力を大事にしています。

人と関わる中で避けて通ることができないのがケンカなどの「トラブル」です。物の取り合いや意見の衝突など、日々様々なトラブルが起こります。トラブルはあまりいいものではないというのが一般的なイメージかもしれませんが、関わる力を育てていくためには大事なことと考えています。自分と他者の思いは違っていることをストレートに知ることのできる機会ですし、仲直りをするためには思いの違いを調整する必要もあります。トラブルからそれを解決する過程は、中身の濃い「人との関わり」と言えます。小さなトラブルの経験、それを解決する経験を積み重ねることが、大きくなった時の自制心や社会性に大きく影響してくることはイメージしやすいはずです。

先日ある学会で「子どもたちのトラブルとその解決」についての発表を行ってきました。発表にあたっては、つき合いのある福岡、熊本、鹿児島の保育園からも子ども同士のトラブルの動画を提供してもらったのですが、どの園の子どもたちも自分たちでうまくトラブルを解決している姿をしていました。協力してくれた保育園は、いずれも子どもたちの主体的な活動を大切にし、保育者はその活動がさらに発展するよう子どもに応じて環境や関わり方を考えている、そんな保育園です。保育者に管理された保育であれば、トラブルを未然に防ぐような環境を用意するでしょうし、もし起こったとしても保育者の積極的な介入によって解決してしまうことでしょう。そうではなく、子どもたちが主体的に活動しているからこそトラブルは起こり、子どもたちで解決できるものは任せているので、そこから学ぶことは多いはずです。そんなことから学会では「良質なトラブルやトラブルの解決は子どもに必要なもの」と主張をしてきました、という話です。もちろんあさり保育園でも良質なトラブル、良質なトラブル解決がたくさん生まれていますよ。



2016年5月20日

No.445 シーソー作り




天気のいい日が続き、園庭での遊びが盛り上がっています。昨日はぞう組さんが木材を使ってシーソーを作っていたようです。後から聞いた話なので詳しいことは分かりませんが、シーソーを安定させるために真ん中の支点の部分に釘を打つことにしたそうです。でもご存じのように真ん中を固定してしまうと滑らかに動いてくれません。釘を打ち込んでそのことに気づいたところで昼ごはんの時間になったので、上の写真のまま園庭に置かれていました。おそらくすごく楽しめるシーソーをイメージしながら作ったんでしょう。その時の子どもの心境はなんとなく想像できます。そして、思い通りにならないことが分かったときの気持ちも想像できます。

思った通りにいかないことはたくさんあります。子どもが想像力を膨らませて何かを製作する時、そのモノの仕組みの理解が十分でない場合は特にそうです。このような場合、保育者がアドバイスをして十分な機能を備えたモノを仕上げることは難しくないかもしれません。でも、製作過程自体も楽しんでいることを考えると、子どもから求められていないのにいきなり完成に向けたアドバイスをするのは少し待った方がいいと考えています。上手くいかなかった経験から「どうしてなんだろう?」は生まれてきます。この「どうしてなんだろう?」は次の発想へとつながっていく大事な心情です。アドバイスをしたいことはたくさんあるのですが、子どもたちの次の発想や動きを待つことを保育者は選んだようです。次の展開が楽しみですね。



シーソーと言えば「てこの原理」。支点・力点・作用点のアレです。てこの原理を活用することで、大人と比べると小さくて力の弱い子どもでもダイナミックで力強い遊びを楽しむことができます。支点から力点までの距離が離れているほど大きな力が…といった理屈は抜きにして、とにかく大きな力を生み出すことを遊びの中で体験できるようにしたいと思っています。例えば上の写真のような装置?を作ってボールをより高くより遠くへ飛ばすとか、他にもいろいろと考えることはできそうです。私たち大人はモノの理屈をたくさん知っています。子どもたちはそれを今から時間をかけて学んでいきます。子どもたちがモノの理屈の解明に向けた第一歩「不思議!おもしろい!」をたくさん体験できるよう、私たちも楽しんで考えていきたいと思います。

2016年5月13日

No.444 昔ばなしはおもしろい

保育というのはおもしろいもので、身の周りのありとあらゆるモノを保育に活かすことができます。旅行先で見つけたモノからヒントを得ることもありますし、食事のために訪れたお店の庭や装飾などからヒントが得られることもあります。常に「保育に活かせないかなあ」と思いながらモノを見たり人の話を聞いたりしているため、頭の中で整理がついていないものがたくさんあり、形にできていないことが多いのは反省しなければいけないのですが…。今回は最近聞いた「昔ばなし」の話から考えていることについて書きます。

小澤俊夫さんをご存じでしょうか?小澤昔ばなし研究所を設立された方で、指揮者の小澤征爾さんのお兄さんです。ある保育園の園長先生から「小澤俊夫さんの昔ばなしの解説がおもしろいから、ラジオを聞いてみたら」と勧められたので聞いてみると、これがかなりおもしろいんです。いろんな国の昔ばなしを紹介していたり、昔ばなしは伝説や神話とはどう違うかを解説していたりと、聞いたことのない話ばかりで引き込まれてしまいました。その中で、昔ばなしの特徴についてこんな風に解説されていました。

昔ばなしというのは「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日のこと…」と始まります。ということは、時代も場所も人物も不特定に語っていると言えます。それが何を意味するかと言うと、「これからお話しする話は本当の話じゃないよ。信じないでくれよ。」と宣言しているわけです。

昔ばなしは口伝えの話です。紙に書かれた話と違い、話がこんがらがってしまっても前のページに戻るようなことはできません。読み返しがきかない文芸ということは、シンプルでクリアな文章でなければいけないわけです。例えば「暗い森がありました。そこへ入っていきました。」といった文章です。森にはカシの木や松の木があってといった説明はなく、シンプルに「暗い森」だけです。

これを聞いただけでなんだかワクワクしてきませんか?ウソの話が世界中で遙か昔から語り継がれてきたという事実。昔ばなしが持つ力の大きさを感じます。シンプルでクリアな文章が昔ばなしの特徴だとすると、私たちが知っている昔ばなしは結構脚色されているのかもしれません。どれだけシンプルかによって、子どもが話を聞いたときの響き方も違ってしまう気もします。今子どもたちの周りにある昔ばなしを、一度点検してみる必要もありそうです。みなさんも昔ばなしに注目してみてはいかがでしょうか。