2008年1月25日

No.29 "見て""守る"ということ

突然ですが、子どもたちに対しての私たちの願いは「子どもたちが親から自立できるようになってほしい」「子どもたちがいろんなことを自分でできるようになってほしい」ということです(皆さんも同じ思いですよね)。ですから、そのためにはどうしたらいいかということが、保育を行う上でいつも議論の中心になります。子どもたちが自主的に行動できるような関わり方や環境を模索し続けるのも、子どもたちが自分でいろんなことができるようになるために、子どもたちの力を引き出したいと考えるからです。

子どもたちが自分でいろんなことができるようになって自立していくためには、大人の関わりや援助が必要です。ただ、この援助の考え方が難しいところだと思っています。援助は子ども一人ひとりの発達に合わせたものでなければいけないし、自分でできるようになることにつながっていかなければいけないからです。子どもの発達段階によっては、何もしないことがその子にとって必要な援助でもあるからです。

例えばトイレの後にズボンをはくという行為に関しての援助。まずはその子がどこまでできるかをきちんと把握しておくことがスタートです。自分からはまだ無理であれば、当然はかせてあげなければいけません。足を突っ込めないのであれば、大人が足を突っ込んであげて、その後のズボンを上げることだけは子どもにさせます。自分で足を入れられる子だったら、トイレから出てきたらすぐはけるようにズボンを広げて置いておきます。たたんだものを広げることからできるのであれば、たたんだままにしておきます。引き出しから出せるのなら、引き出しからも出さないようにしておきます。このように、援助といっても、子どものできることによって一人ずつ違います。

例の中の「どこまでできるかを把握する」ことが『見る』ということ、そして「どこまでできるかに合わせて必要な援助を行う」ことが『守る』ということです。この『見る』と『守る』を合わせた『見守る』ということを、子どもの自立のために、私たちの保育の軸としてもっと強いものにしていきたいと思っています。

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