「子どもがリンゴの絵を描いていて、紫色に塗ったとします。あなたはどう対応しますか?」
今日27日にO保育士が「絵」をテーマにした研修会に参加しています。数日前、研修会に参加する準備をしていたO保育士と子どもの絵についてあれこれと話していたときに、この『紫色のリンゴ』の話を思い出しました。以前、奥出雲町にある島根デザイン専門学校の校長先生とお話しする機会があり、そのときに校長先生が話された内容です。少し書いてみようと思います。
『もし紫色のリンゴを描いたとすれば「リンゴは赤でしょ?」と言うより「どうして紫色のリンゴを描いたの?」「あのね、今日朝ブルーベリージャムを食べてきたから」といった会話を楽しむ事にも大きな意味があると思いますね。絵を描くことは表現であり、表現とは思いを伝えるということ。自分の感じたことを絵で表わし伝えているわけだから、「ブルーベリージャムが美味しかったんだね」「他にはどんなものが好き?」などと話を広げることが、子どもの伝える力を豊かにしていくことにつながると思います。色は子どもの思うように使わせた方がいいと思いますよ。子どもの選んだ色を大人が変えさせることは、子どもに与える影響が大きいですから(やたらと黒ばかり…は注意が必要かも知れません)。リンゴを紫色で描くのをやめさせるなら、紫色(に見える)のリンゴが存在しないことを調べてからの方がいいでしょうね。もしかしたら腐りかけのリンゴが、ある角度から見ると一瞬紫色に見えたのかもしれませんよ。』
校長先生が言われるように、絵を描くことは「表現」活動です。筆の使い方や手先の扱い方など大切な要素はいろいろありますが、感じたことや考えたことを自分なりにどう表現するかが最も重要な点だと考えています。絵は出来の良し悪しやどんな色を使うかといったことに力点を置いてしまうと、途端に活動が難しくなります。そのためには、リンゴがどんな色や形をしているかは見たり触れたりする実体験で学んでいくこととし、とにかく「絵を描くこと」を楽しい活動にしなければいけません。子どもの表現した絵をそのまま受け止めることも大切なことかもしれませんし、一人ひとりが表現した絵から子どもの心をどう読み取り、次の表現にどうつなげていくかといったことも、大事にしたいと考えています。
2008年6月27日
2008年6月20日
No.50 ちょっと変わった『イス取りゲーム』のねらい
先週の保育参加の日に、ぞう・きりん・くま組さんは園庭で遊ぶ前に遊戯室へ移動し、じゃれつき遊びをしました(当日配った、オススメのじゃれつき遊びをまとめたプリントがあります。プリントが必要な方は職員に声をかけてください。)。今回はそのときに行ったもう1つの遊び、ちょっと変わった「イス取りゲーム」について書いてみます。
ぞう・きりん・くま組の保護者の皆さんは見られたのでわかると思いますが、一般的な「イス取りゲーム」と違うところは、①イスの上に座るのではなくイス役の子どもの上に座る ②誰が勝ち残るかを決めるのではなく、イス役と座る役を交代しながら進めていく、という2点です。全員が最後まで参加できるこのイス取りゲームを、子どもたちは時々楽しんでいます。
このルールでは、座る方も座られる方もドキドキです。あの子の上に座りたい、あの子に座ってもらいたい、でも全員が思い通りにいくはずはなく座れない子も出てくるなど、戸惑いや葛藤が生まれます。実際に子どもたちは、座るところがなくて立ち尽くしたりもします。それを乗り越えてゲームを楽しむには、子ども同士で調整したり工夫したりすることが必要になります。気のきいた子は「おいでよ!」と呼んだりしますし、みんなが「空いてる!空いてる!」と教えてくれることもありますが、そうされてうれしいけれど、うれしいから余計に行けないといった心の動きも見られます。そんな風に思い通りにいったりいかなかったりをみんなが体験し、みんながいろんなことを感じるわけですが、それらは全てが大事で、そこがこのゲームのねらいでもあります。
このゲームは、子ども同士が様々に関わりあうことがポイントです。子どもは子ども同士で関わりながら成長していきます。関わる力は大事です。でも人と関わる中には問題が起きたり葛藤が生じたりすることもあります(大人も同じですよね)。その問題や葛藤をどうやって乗り越えていくか。葛藤を感じ、それを関わりの中で乗り越えていくことの繰り返しは、例え小さなことであっても大切で、そこからしか学べないこともあると思っています。そしてそれを「遊びの中で、ゲームとして」体験し、積み重ねていくことの意味も大きいと思います。そんなわけで、この活動を定期的に行っています。
ぞう・きりん・くま組の保護者の皆さんは見られたのでわかると思いますが、一般的な「イス取りゲーム」と違うところは、①イスの上に座るのではなくイス役の子どもの上に座る ②誰が勝ち残るかを決めるのではなく、イス役と座る役を交代しながら進めていく、という2点です。全員が最後まで参加できるこのイス取りゲームを、子どもたちは時々楽しんでいます。
このルールでは、座る方も座られる方もドキドキです。あの子の上に座りたい、あの子に座ってもらいたい、でも全員が思い通りにいくはずはなく座れない子も出てくるなど、戸惑いや葛藤が生まれます。実際に子どもたちは、座るところがなくて立ち尽くしたりもします。それを乗り越えてゲームを楽しむには、子ども同士で調整したり工夫したりすることが必要になります。気のきいた子は「おいでよ!」と呼んだりしますし、みんなが「空いてる!空いてる!」と教えてくれることもありますが、そうされてうれしいけれど、うれしいから余計に行けないといった心の動きも見られます。そんな風に思い通りにいったりいかなかったりをみんなが体験し、みんながいろんなことを感じるわけですが、それらは全てが大事で、そこがこのゲームのねらいでもあります。
このゲームは、子ども同士が様々に関わりあうことがポイントです。子どもは子ども同士で関わりながら成長していきます。関わる力は大事です。でも人と関わる中には問題が起きたり葛藤が生じたりすることもあります(大人も同じですよね)。その問題や葛藤をどうやって乗り越えていくか。葛藤を感じ、それを関わりの中で乗り越えていくことの繰り返しは、例え小さなことであっても大切で、そこからしか学べないこともあると思っています。そしてそれを「遊びの中で、ゲームとして」体験し、積み重ねていくことの意味も大きいと思います。そんなわけで、この活動を定期的に行っています。
2008年6月13日
No.49 子どもが『立つ』ために必要なこと
りす組のSくんが5月から歩き始めています。子どもたちの成長はどれもうれしいことばかりですが、中でも立ち上がって歩くという成長は、誰もが特別な思い出になっていると思います。赤ちゃんは身の回りの物に興味を持ち、それを取るためにハイハイをするようになります。しかもかなりのスピードで移動できるようになります。それなのに何故、わざわざ時間がかかって大変な『立つ』『歩く』という行為を身につけようとするのか、私は疑問に思っていました。そのことについて教わったことがあるので、少し書いてみます。
これは遺伝子の働きによるもので、人間の不思議なところだそうです。遺伝子はハイハイのスピードの限界を知っているため、今はハイハイの方がより速く進めるけど、わざわざ立ち上がり、歩くという大変なことを始めようとするわけです。そして物を速く取りに行くのと同時に、危険から逃げることも必要なります。小さいうちは親に抱いて逃げてもらえるので、すぐに歩かなくてもいいのですが、体が大きくなり重くなってきて「そろそろ親は抱っこして逃げてくれないだろう」と思うと、「そろそろ立たなきゃ」と思うようになるのも遺伝子の働きだそうです。下の子が生まれることも『立つ』きっかけになるようです。本当に不思議な働きですね。(それと違って馬などは、生まれたときから親は抱っこして逃げてくれないので、すぐに立たなければいけないのです。)
でも生物にとって、立ち上がりは一番敵に襲われやすく危険の多い時期です。そのときにあえて立ち上がるのは何故かというと、「でも、いざというときには抱っこしてくれるだろう」という安心感があるからです。安心感がなければ立とうとはしません。そう考えると、大人がすべきことは抱っこすることでもなく、立ち上がることを手伝うことでもなく、『いつでも危険だったら抱っこしてもらえる』という確信を子どもに持たせることです。新しいことや次の発達の課題に対して、子どもが自分から取り組むためには何が必要かというと、『困ったらいつでも助けてくれる』という確信です。この確信を持たせる関係が信頼関係、愛着関係なんです。私たちは、Sくんが更にしっかり歩いていけるように、また全ての子どもに対しても、「困ったらいつでも助けてあげるから、興味を持ったことに挑戦してごらん」というサインを送ってあげることを大切にします。皆さんもお子さんにこのサインをしっかり送ってあげてほしいと思います。
これは遺伝子の働きによるもので、人間の不思議なところだそうです。遺伝子はハイハイのスピードの限界を知っているため、今はハイハイの方がより速く進めるけど、わざわざ立ち上がり、歩くという大変なことを始めようとするわけです。そして物を速く取りに行くのと同時に、危険から逃げることも必要なります。小さいうちは親に抱いて逃げてもらえるので、すぐに歩かなくてもいいのですが、体が大きくなり重くなってきて「そろそろ親は抱っこして逃げてくれないだろう」と思うと、「そろそろ立たなきゃ」と思うようになるのも遺伝子の働きだそうです。下の子が生まれることも『立つ』きっかけになるようです。本当に不思議な働きですね。(それと違って馬などは、生まれたときから親は抱っこして逃げてくれないので、すぐに立たなければいけないのです。)
でも生物にとって、立ち上がりは一番敵に襲われやすく危険の多い時期です。そのときにあえて立ち上がるのは何故かというと、「でも、いざというときには抱っこしてくれるだろう」という安心感があるからです。安心感がなければ立とうとはしません。そう考えると、大人がすべきことは抱っこすることでもなく、立ち上がることを手伝うことでもなく、『いつでも危険だったら抱っこしてもらえる』という確信を子どもに持たせることです。新しいことや次の発達の課題に対して、子どもが自分から取り組むためには何が必要かというと、『困ったらいつでも助けてくれる』という確信です。この確信を持たせる関係が信頼関係、愛着関係なんです。私たちは、Sくんが更にしっかり歩いていけるように、また全ての子どもに対しても、「困ったらいつでも助けてあげるから、興味を持ったことに挑戦してごらん」というサインを送ってあげることを大切にします。皆さんもお子さんにこのサインをしっかり送ってあげてほしいと思います。
2008年6月6日
No.48 バイキングとぱんだ組の食事の取り組み
突然ですが、6月8日は「バイキングの日」だそうです。バイキングとは北欧出身の海賊の総称で、793年のこの日にバイキングの活動が初めて記録に現われましたことから「バイキングの日」と決まったということです。だからというわけではありませんが、今回はバイキング(海賊ではなく食事の方です)に関することを書いてみます。
ぞう・きりん・くま組さんの食事はバイキング方式で行っていて、それぞれが自分で食べきれる量を伝えて当番さんに盛り付けてもらいます。この目的は、好きなものを好きなだけ盛ることではなく、自分で食べられる量を見通すというところにあります。言葉にするとこれだけのことですが、自分が食べきれる量はどのくらいかを判断することと、それを正確に当番さんに伝えることのどちらもできなければいけません。これは当然1日2日でできることではなく、毎日の積み重ねが大切です。また次の年からこの方法での食事に変わるぱんだ組(2歳児)の子どもたちが、1年間かけてどのような体験を積み重ねていくかも重要なところです。ぱんだ組の食事について、少し説明したいと思います。
ぱんだ組の1年間を通した食事の考え方は次の通りです。まず最初の段階では全員同じ量を盛り付け、そこからどのくらい食べられるかを保育者が見て、個人の食べる量を把握します。次の段階では、それぞれの子どもが食べられる量を盛り付け、自分の食べられる量を知らせていきます。そして次は、全員同じ量を盛り付けてあるところから自分の食べられる量に調整します。子どもの目の前で増やしたり減らしたりして、自分にとっての適量を時間をかけてつかんでいくわけです。そして最後の段階では伝え方(言い方)です。例えば大きい魚と小さい魚を用意し、子どもが大きい方を選んだら「大きい方だね」と言葉を添えるといったことを繰り返し、伝えるための言葉を身につけていきます。
今はまだ自分の適量をつかんでいく段階ですが、担当保育士の丁寧な観察から始まったぱんだ組の食事は、秋以降にはずいぶん変わっているだろうと勝手に予想しています。このようなことを1年間かけてじっくりとやっていくことで、くま組以降の食事の時間はさらに有意義なものになっていくと思っています。見通しを立てて、ひとつひとつ、じっくりとやっていきます。
ぞう・きりん・くま組さんの食事はバイキング方式で行っていて、それぞれが自分で食べきれる量を伝えて当番さんに盛り付けてもらいます。この目的は、好きなものを好きなだけ盛ることではなく、自分で食べられる量を見通すというところにあります。言葉にするとこれだけのことですが、自分が食べきれる量はどのくらいかを判断することと、それを正確に当番さんに伝えることのどちらもできなければいけません。これは当然1日2日でできることではなく、毎日の積み重ねが大切です。また次の年からこの方法での食事に変わるぱんだ組(2歳児)の子どもたちが、1年間かけてどのような体験を積み重ねていくかも重要なところです。ぱんだ組の食事について、少し説明したいと思います。
ぱんだ組の1年間を通した食事の考え方は次の通りです。まず最初の段階では全員同じ量を盛り付け、そこからどのくらい食べられるかを保育者が見て、個人の食べる量を把握します。次の段階では、それぞれの子どもが食べられる量を盛り付け、自分の食べられる量を知らせていきます。そして次は、全員同じ量を盛り付けてあるところから自分の食べられる量に調整します。子どもの目の前で増やしたり減らしたりして、自分にとっての適量を時間をかけてつかんでいくわけです。そして最後の段階では伝え方(言い方)です。例えば大きい魚と小さい魚を用意し、子どもが大きい方を選んだら「大きい方だね」と言葉を添えるといったことを繰り返し、伝えるための言葉を身につけていきます。
今はまだ自分の適量をつかんでいく段階ですが、担当保育士の丁寧な観察から始まったぱんだ組の食事は、秋以降にはずいぶん変わっているだろうと勝手に予想しています。このようなことを1年間かけてじっくりとやっていくことで、くま組以降の食事の時間はさらに有意義なものになっていくと思っています。見通しを立てて、ひとつひとつ、じっくりとやっていきます。
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