2008年10月31日

No.68 保育を言葉にすること

こんな話を聞きました。厚生労働省が制度を変えようと思ったとき現場や教授たちにヒアリングをすることがあり、そのときにこんなやりとりがあったそうです。保育問題について保育関係者から意見を聞くことになり、各地の主任保育士さんたちに話してもらったときのことです。「このように制度を変えることに対してどう思いますか?」「子どもは国の宝ではないですか!」「?」「宝ですから大切にしないと!」「どうすればいいのですか?」「だって、子どもってかわいいですよね!」「えっ…」「情けないですよ、こんなことでは」「ではこの制度はどうすればいいと思いますか?」「もっと子どもを大切にするような制度にしないといけないのではないでしょうか。」こんなやり取りだったようです。

このやりとりに出てくる「大切」「かわいい」ということはとても大切なことですが、それは感じ方であって、そのような言葉は誰にでも伝わるわけではありません。おそらくこの言葉を使った説明で納得するのは同じ業種の人ぐらいでしょう。保育だけでなく子育ても、このような言葉で語られることはよくあるのではないでしょうか。でもそうではなく、多くの人たちに理解してもらえるように、誰でも納得できるような言葉で説明することが、実は大切だと思っています。私たちが行っている保育のこと、何故その保育が必要なのかということを、もっと言葉にしていくことの必要性を感じています。

なぜこのようなことを書いているかというと、保育を言葉にすることが「保育の質」を高めていくためには欠かせないと考えるからです。私たちは、保育の質を高めるために「今の時代に子どもたちに必要な経験とは何か」を日々考えています。保育を言葉にしなければ、自分たちの実践を振り返り、その実践が子どもにとってどのような意味をもったかを考え、さらに次の実践につなげていくことは難しいと思っています。そうした思いもあって「園長のひとりごと」を書き始めました。誰にでも分かる言葉であさり保育所の考えや実践を表現できるようになることが、ここでの目的の一つです。まだまだ十分に言葉にすることはできていませんが、『保育の質』『子どもたちの経験の質』を高めるために、子どもたちの姿を見て、それを言葉にすることを、もっと磨いていきたいと思っています。

2008年10月24日

No.67 子どもの欲求とおもちゃ作りの話

今回は「子どもの欲求」に関して少しだけ書いてみます。子どもは常に何らかの欲求をもちます。そして結果は、単純に考えるとそれが満たされるか、満たされないかという2つに分かれます。たとえば不快を取り除き、欲求が満たされれば情緒や気持ちも満たされて安定し、さらに次の欲求へとつながります。反対に欲求が満たされないときは、不満が募り情緒は不安定になります。

赤ちゃんを世話する場面を思い起こしてもらえばわかりやすいでしょう。お腹がすいた、眠いのに眠れないときなど、赤ちゃんは泣いてその欲求を訴えます。すると大人が授乳したり、抱っこしたりして、欲求を満たしてあげます。そうすれば子どもは満足して泣きやみ、ごくごくとお乳をのんだり、すやすやと眠りについたりします。そして情緒は安定します。乳児にとって、親は不快を快適な状態にしてくれる、ありがたい存在です。

それが次第に自発的な行動が増えていき、周りに影響を及ぼすほど大きくなってくると、いつも満たしてくれていた自分の欲求が禁止されることがでてきます。子どもにとっては新しい経験です。それまで認めてもらっていた欲求が、望みとは反対に否定される経験に直面します。行ってはダメ、つかんではダメ、動かしてはダメ、ひっぱってはダメ、口に入れてはダメなど、なぜそうしてはいけないのかが分からないけど、禁止されます。「あれ、どうして?」と、欲求が一時的に制限されることに戸惑いを覚えます。

このように子ども自身に理由がまだ分からないほど小さいうちは、子どもにとって禁止ばかりにならないように、大人が「やってもよい」環境を用意しないといけません。行ってもいい場所をつくる、つかんでもいい物やおもちゃを置く、動かしたりひっぱったりできるものを用意する、のどを詰まらせてしまうような小さいものは置かず、なめても安全なものにかえておく・・などの配慮が欠かせません。欲求を禁止だけして満たさないのではなくて、適切な行動ができるような環境に代えてあげることも必要です。

ということを踏まえて、K保育士とA保育士が中心になり、うさぎ組とりす組で使うおもちゃを作る計画を立てています。出来上がるのはもう少し先ですが、今から楽しみにしています。

2008年10月17日

No.66 五感を使う楽しさを体験しました

15日(水)にぞう組さんが少年自然の家で1日かけて自然体験をし、私は午後の部のみ参加してきました。午前中は冒険の森に挑戦し、午後は今年度新設された「どんぐりの森」でのネイチャーゲームです。このネイチャーゲームには以前から興味があったのですが、実際に体験してみると想像以上に奥の深いものでした。その一部だけですが、ここで紹介します。

最初に右図のようなカードが配られ、その説明があります。マスの中にあるものを、○の中の絵で示された感覚を使って探してみよう(「きのこ」は目=視覚、「ちくちくするもの」は手=触覚、「とりのこえ」は耳=聴覚、など)、というものです。ただ単に自然に触れるのではなく、しっかり五感を子どもたちに意識させた上で自然に触れ、そのことでより豊かな体験をしようというねらいです。もちろんそのねらい通り、子どもたちはしっかり五感を研ぎ澄まして動き回り、対象を見つけては歓声を上げていました。

よく子どもの五感を刺激することがよいと言われますが、それは「聞く」「触る」「臭いをかぐ」という動作をする度に、脳のシナプスといわれている連結箇所が強化されていくと言われているからです。そしてその五感を刺激していくものが子どもにとっては遊びであり、その遊びに興味を持ち、遊びの中から新しい発見をし、さらに興味が深まっていきます。今回のネイチャーゲームにはそうした要素がたくさん詰まっていたと思います。

以前も書きましたが、私たちは自然と共生していくことをもう一度考え、それを子どもたちにも伝えていかなければいけません。そのためには、子どもたちが自然に対して愛着を持つことや、自然と楽しく過ごした経験が大切です。自然とより楽しく過ごし、より興味が深まっていくようにするための工夫は、まだまだたくさんありそうです。今回のネイチャーゲームからヒントをたくさんもらいました。

2008年10月10日

No.65 養育力の低下?

10月16日(木)は「ととろの日」です。さくら保育所の裏山に「ととろのもり」と名づけた遊びのスペースを作り、そこで子どもたちに夢を与えることができないかと職員が考えて生まれた行事です。平成15年にスタートして今回が6回目になります。この行事の鍵はもちろんトトロの着ぐるみです。この行事で大活躍するトトロの着ぐるみは浅利のボランティアの方々が作ってくださいました。トトロがどんなものかを全く知らなかったボランティアの方たちが絵本を買って話を知るところから始め、確か3ヶ月くらいかけて完成したと思います。それぞれお仕事でお忙しい中、保育所の子どもたちのためにと時間を割いてくださり、でもとても楽しそうに作っておられたのが印象的でした。

話は変わりますが、保育所で行う保育内容について定めた「保育所保育指針」というものが厚生労働省より出されています。それが今年の3月に改定されました。子どもたちが育つ環境が変化し、それに伴って課題や問題点が生じているからです。その課題や問題点の1つに「保護者の養育力の低下」ということが挙げられています。昔に比べて今の保護者の養育力は低下しているからそれを踏まえた上で保育を行うこと、というわけです。このことに関して、私は少し違うと思っています。昔の人は養育力が満点に近くて今の保護者は60点くらいとか、そんなことはないはずです。昔の人も決して満点だったわけではなく、足りないところをおじいちゃんやおばあちゃんといった家族や地域、そして社会が支えてくれていたと思います。保護者の養育力が低下したのではなく、地域や社会のそれが低下し、つながりも薄くなってしまったことに、もっと注目しなければいけないのではないかと思っています。

今月末には「いも煮会」があり、一緒に調理をして食事をします。その他にも地域の人に支えられている行事はいろいろあります。「ととろの日」の行事もそうですが、地域の方の「子どもたちに対する思い」に支えられた行事の大切さを強く感じます。親だけに子育ての負担がかかるのではなく、子育ての知恵を伝えてくれる人、親とは違う距離で子どもと関わってくれる人、そしてぶつかり合いから関わる力を学べる子ども同士など、子どもが育つために様々な関わりが当たり前に行われる社会でなければいけないんだろうと思います。保育所や子どもたちを中心とした地域のつながりをもっと深いものにしていきたい、そんなことを考えています。