少し前のことですが、小中学生の自然体験や生活経験の乏しさについてのデータが新聞に掲載されていました。
『都市部、郡部あわせて三千人を超える子ども達の結果のいくつかは、次の通りです。
「日の出、日の入りを見たことがない 約50%」
「自分の身長より高い木に登ったことがない 約41%」
「わき水を飲んだことがない
約52%」
「生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない 約50%」
「自分の服を洗濯したり干したことがない
約44%」
「包丁やナイフで果実の皮をむいたことがない 約22%」
この結果から、家の中にこもり体を動かさない子どもの姿が見えてきます。自然の雄大さにも、ちょろちょろ出ている湧き水にも、そしてまた、しわしわの洗濯物が叩くことできれいになっていくことにも幼児は感動します。体験や経験から学ぶことはとても多いです。そして、体験したことを親子で話すというのが、シングルエイジ教育の基本のように思います。』
子どもたちの自然体験や生活体験の大切さは言うまでもありません。保育所でも生活体験を大事にしようと、お当番さんの活動に掃除を取り入れています。昼食後のランチルームの掃除で、イスを運んだり雑巾で床をふいたりします。雑巾を使う際の雑巾絞りは、剣道で竹刀を握るときや野球でバットを握るときと同じ握り方で、この手の動きは決して雑巾を絞るときだけに必要なのではなく、力学的に意味があることです。生活の中には子どもの発達上意味のあるものが多くあります。そして子どもの様々な体験は、決してそれ自体だけに意味があるのではなく、さまざまな生きる知恵に関係してきます。
ただ、乳幼児期では子どもにその体験をさせるというより、まず大人がモデルを示す必要があると思っています。掃除なども、子どもたちがいないところで済ませてしまうことがよくありますが、見ている前で掃除をし、キレイになっていく過程を見せることにも意味があります。そうした「見る」体験は、学校に行くようになったときに自分たちで教室を掃除するようになるためにも必要でしょう。今の時代は、『子どもと関わる』ということは、してあげたり、一緒にしたりすることだけでなく、大人がモデルを示すことも含まれると思います。
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