3,4,5歳児が夢中になっている遊びの1つに「こま回し」があります。昨年の卒園式で頂いた記念品の1つです。こま回しはお正月の遊びと勝手に考えていたのですが、あまりにも子どもたちに受け入れられ、楽しんでいる様子に驚かされています。これが、長い年月を消え去ることなく伝承されてきた遊びという、誰もが否定できない「よさ」をもっている遊びの凄さなのでしょうか。こまが回るところを見れば、それを自分もやってみたいと思わない子どもはいないのでしょうね。
この「こま回し」、最初はこまが床に対して水平になりません。腕の出し方にコツがあります。でも何度も繰り返しているうちに「できた」という声が上がりだします。その嬉しそうな顔といったら、もう表現のしようがありません。でも、まだ回せない子たちはちょっと悔しそうです。それでも、上手に回せるようになった他の子どもたちの存在感なのか、子どもたちはできなくてもあきらめません。やればきっとできる、ということを信じているようです。こま回しをしている子どもたちの心は、回せるようになるという方向へ見事に向かっています。
こま回しを見ていて感じるのは、遊びには練習がいらないということです。遊びはいつも本番であって、こまが回るという目的に向かってヒモの巻き方とか腕の出し方とかを前もって練習したりはしません。でも、必要なことはしっかりとわかり、覚え、できるようになっていきます。学校の勉強も、こまが回ることを分かるように、本番(社会に出たとき)でどう生かされるのかを実感しながら、自発的にせっせとヒモを巻いて投げては失敗、でもまた投げてという自分の行動の修正を自分で学びとり、なぜできないのかわからなくなったらできる人から学ぶという形ができれば、子どもにとって大きな学びになるんだろうと思います。こまが回るイメージを持てないまま、こまを回せるようになりたいという意欲を持てないまま、ヒモの巻き方とか腕の出し方などの手続きを必死に覚えて、それができるようになっても活用の仕方が分からない。そんなことが、大人の世界にも子どもの世界にも意外と多い気がします。話が「こま回し」からずいぶん離れてしまいましたが、伝承遊びは子どもだけでなく社会にとっても、大切なことを教えてくれている存在なのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿