こんな話を聞いたことがあります。
智者が空に輝く美しい月を指した時、愚者は月を見ないで智者の指ばかりをしげしげと見つめました。そこで智者に「君、指を見るのではなく、指のさし示す方を見るのだ。ほら、あんなに美しい月が見えるじゃないか。」と言われ、愚者はやっと気がついて、その月を見ることができたという話です。
つい私たちは、先を見ないで目の前のものを見ようとします。しかし、見なければいけないのは、その先にあるものです。保育や教育は、いま目の前にいる子どもに対して将来のあるべき姿を見通して、現在をいきいきと生きるために援助しなければなりません。
私たちは子どもたちの“今”に向き合いながら、同時に子どもたちが社会に出たときのことを考えます。子どもたちが社会に出たとき、自分の力で力強く歩いていけるように、ひとつひとつ確実に段階を踏んで育っていけるようにと常に考えています。今だけを見て無理をさせたり、あれもこれも早期に成果を求めたりせず、将来の見通しをもって、発達に応じたふさわしいタイミングや方法で、子どもたちと関わっていきたいと思っています。
また、こんな例もあります。
円柱の形を人に説明をするとき、上から見ると円に見えます。真横から見ると長方形に見えます。また、斜めに切った切り口を見ると楕円に見えます。どこをどのように見たかで形が違ってしまいます。人によって、見る角度や見える部分によって判断が違ってしまいます。自分では分かったと思っても、実はほんの一部分だけの解釈であり、全体を正しく理解することはなかなか難しいものです。しかし保育や教育は、その先にあるものを見るだけでなく、本質を見抜く力も必要になってきます。
本質を見るためには一つの側面だけで判断するのではなく、また単純にそれらを合わせて判断するのではなく、それぞれは真実であるけれど、本質は全体を見て初めて分かるものだということを、常におさえておかなければいけないと思っています。子どもの全体を見て本質を捉えていくためにも、まず「子どもの存在を丸ごと信じる」ことを大切にしていきます。
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