平成21年度も残すところあと1ヶ月。今のあさり保育所のメンバーで過ごせるのもあとわずかとなりました。この時期になると、「この一年はできることを精一杯やりきれただろうか」と振り返ることが多くなります。3月で卒園するぞう組さんに、思いを十分に伝えられただろうか。また、子どもたち全員の育ちをしっかりと支えることができただろうか。そんなことを考えることが、どうしても多くなる時期です。
先週は、きりん組とさくら保育所のゆり組(4歳児)との交流があり、汽車でアクアスへ出かけてきました。お出かけというと今まではぞう組が中心でしたが、もう少ししたら年長になるという期待感を高める目的もあり、2年前からきりん組の行事として行っています。アクアスで一緒に行動しながら、ずいぶんとたくましさが感じられるようになった子どもたちを見ていてうれしくなったのですが、同時に、1年前に同じようにアクアスを楽しんだ今のぞう組の子どもたちの姿が頭に浮かんできました。あと少しで次のステージへ進んでいくことを思うと、子どもたちが大きくなるというのはこういう事だと分かってはいても、少しだけさみしい気持ちになったりもします。
「子どもは感謝の言葉を言わずに大きくなっていくものだ」とよく言われます。私はそれでいいと思っています。子どもたちは、後ろを振り返らずにひたすら前に進んでくれればいい。そして私たち大人は、子どもたちに出来ることを真剣に考え続ければいい。そんなふうに思っています。子どもたちにとって、あさり保育所は単なる通過点に過ぎないかもしれません。前へ前へと進む子どもたちのほんの一部にしか関わることのできませんが、20年後にはこんな大人になって欲しいという思いを持って、そのために今できることを全力でやっていこう、そんなことをあらためて思います。
保護者のみなさんは、親として、子どもと愛着関係を築きます。愛着とは愛することです。私たち保育者は、子どもと信頼関係を築きます。信頼とは、まず子どもを丸ごと信じることです。この愛着関係と信頼関係によって、子どもの意欲は生まれてきます。保護者のみなさんと一緒に、子どもたちの意欲的で生き生きとした活動を支えたいと思います。とりとめのない内容になってしまいましたが、そんなことをあれこれ考えています。
2010年2月26日
2010年2月19日
No.131 危険回避について②
先日、日本一(と勝手に思っています)の園庭をもった保育園を見学しに行ってきました。NHKでも取り上げられたことのある有名な保育園です。その園庭には、8m位の高さにハシゴも何もないツリーハウスがあったり、3m位の高さの石垣を登らなければ辿り着けないログハウスがあったりと、初めて見るものは圧倒されてしまいます。見方によってはすごく危険そうな遊具ばかりですが、子どもたちは「自分がその遊具で安全に遊べるか」という判断が出来ていて、またそこで遊び込める体のしなやかさも備わっているようで、全身を使って見事に遊んでいました。
またその園には寒い季節になると“たき火”が登場します。子どもたちは火の危険性を十分に把握し、その上で便利さを理解しているようで、寒くなったらそこで暖まり、また遊びに行きます。また、問題なく使えると判断された子に限ってですが、個人用のナイフが置いてあり、木の枝を思い思いに削っている姿も印象的でした。
その園の園長先生は「子どもがケガをしないようにあらゆる危険を排除した遊具は、子どもにとって面白いものではない。そしてそんな遊具は安全とは思わない。日常にある危険が当たり前のようにあって、その中でどうやってその危険を回避するかを、子ども自らが興味をもって遊ぶ中で子どもたちは学んでいく。成長とともにいかに危険回避能力をつけていくか。そのためにはチャレンジする中での小さなケガの体験はとても重要で、そんな体験ができる遊び場が今の子どもたちには必要だ。」といった意味のことを話してくれました。
最近、子どもたちの反射神経や危険回避能力も低下してきていることが問題となっています。今のあさり保育所の環境は、子どもたちが成長しながら危険回避能力を十分高めるためにふさわしいものになっているか?そんなことを一から考えてみようと思っています。そしてそのことについて、保護者の皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。
またその園には寒い季節になると“たき火”が登場します。子どもたちは火の危険性を十分に把握し、その上で便利さを理解しているようで、寒くなったらそこで暖まり、また遊びに行きます。また、問題なく使えると判断された子に限ってですが、個人用のナイフが置いてあり、木の枝を思い思いに削っている姿も印象的でした。
その園の園長先生は「子どもがケガをしないようにあらゆる危険を排除した遊具は、子どもにとって面白いものではない。そしてそんな遊具は安全とは思わない。日常にある危険が当たり前のようにあって、その中でどうやってその危険を回避するかを、子ども自らが興味をもって遊ぶ中で子どもたちは学んでいく。成長とともにいかに危険回避能力をつけていくか。そのためにはチャレンジする中での小さなケガの体験はとても重要で、そんな体験ができる遊び場が今の子どもたちには必要だ。」といった意味のことを話してくれました。
最近、子どもたちの反射神経や危険回避能力も低下してきていることが問題となっています。今のあさり保育所の環境は、子どもたちが成長しながら危険回避能力を十分高めるためにふさわしいものになっているか?そんなことを一から考えてみようと思っています。そしてそのことについて、保護者の皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。
2010年2月12日
No.130 危険回避について
最近は少子社会になったために、子どもが多かった時代に比べてわが子に目が届くようになり、手をかけられるようになりました。しかし目が届くあまりに危険や大変さに大人が先に気がつくようになり、子ども自らその状況から脱しようとする前に、大人がその状況から子どもを救いだしてしまうことが多いようです。そんな中で、スイスの幼稚園のおやつの時間の光景で興味深いことが報告されていたので紹介します。
「スイスでは、おやつは日本のように大人が準備をするのではなく、2人の当番の子どもたちがおやつの準備をします。Aくんは皆のためにリンゴを切る係です。小さなナイフを使ってリンゴを切り始めました。しかし今一つ上手に切れません。担任の先生は、お手本にリンゴをこういう風に切るといいと、ほんの2切れか3切れ切ってみせました。Aくんは先生から教えられたように、リンゴを切る作業を続けました。日本ではどうでしょうか。子どもが手にけがをしたらどうしよう。他の子どもたちを傷つけたらどうしようと考えてしまうかもしれません。このことを担任の先生は次のように説明しました。子どもに危険であるからナイフを持たせないのではなくて、ナイフの危険を認識させつついかに危険を回避するかを、実際にナイフを使いながら学ばせるのがよい。勿論ナイフを使わせることについて、保護者に説明をして同意を得ているとのことでした。こうした子どもたちの自立への訓練がごく自然に行われているのです。」
子どもの自立を考えたとき、「子どもが自分の力で生きていくスキルを学ばせる」ことは当然重要なことです。子どもの周りは危険なもので満ち溢れています。それは環境だけでなく、スイスの例のようなナイフなどの道具にもあります。また、危険な生物や菌などもあります。それらすべてを取り除くことはできませんし、いつまでも付き添ってあげることはできません。だからこそ子どもの危険回避能力を高め、子どもが自ら考え、どう対応すればいいかの答えを見つけていくことが必要になります。子ども一人ひとりの発達を見極め、自分でできるところは手出しをせず、求めてきたときにはすぐに手を差し出すことのできる「見守り」の中で、そして保護者の皆さんとの共通理解のもとで、子どもたちの自立のために保育所では何ができるだろうか。何をすべきだろうか。あらためてそんなことを考えて始めています。
「スイスでは、おやつは日本のように大人が準備をするのではなく、2人の当番の子どもたちがおやつの準備をします。Aくんは皆のためにリンゴを切る係です。小さなナイフを使ってリンゴを切り始めました。しかし今一つ上手に切れません。担任の先生は、お手本にリンゴをこういう風に切るといいと、ほんの2切れか3切れ切ってみせました。Aくんは先生から教えられたように、リンゴを切る作業を続けました。日本ではどうでしょうか。子どもが手にけがをしたらどうしよう。他の子どもたちを傷つけたらどうしようと考えてしまうかもしれません。このことを担任の先生は次のように説明しました。子どもに危険であるからナイフを持たせないのではなくて、ナイフの危険を認識させつついかに危険を回避するかを、実際にナイフを使いながら学ばせるのがよい。勿論ナイフを使わせることについて、保護者に説明をして同意を得ているとのことでした。こうした子どもたちの自立への訓練がごく自然に行われているのです。」
子どもの自立を考えたとき、「子どもが自分の力で生きていくスキルを学ばせる」ことは当然重要なことです。子どもの周りは危険なもので満ち溢れています。それは環境だけでなく、スイスの例のようなナイフなどの道具にもあります。また、危険な生物や菌などもあります。それらすべてを取り除くことはできませんし、いつまでも付き添ってあげることはできません。だからこそ子どもの危険回避能力を高め、子どもが自ら考え、どう対応すればいいかの答えを見つけていくことが必要になります。子ども一人ひとりの発達を見極め、自分でできるところは手出しをせず、求めてきたときにはすぐに手を差し出すことのできる「見守り」の中で、そして保護者の皆さんとの共通理解のもとで、子どもたちの自立のために保育所では何ができるだろうか。何をすべきだろうか。あらためてそんなことを考えて始めています。
2010年2月5日
No.129 なかよしテーブルについて
ランチルームの側にあるオルガンの後ろに、小さな丸いテーブルが1つ、イスが2つ置いてあります。このテーブルは『なかよしテーブル』といって、昨年11月に設置されました。他の子どもともめごとが起きたとき、そこへ行って話し合いをするための場所です。このテーブルには4つのルールがあります。そのルールとは、「しっかりお話をする」「自分の気持ちを言う」「相手の話を聞く」「最後には仲直りをする」です。これは子どもたちと話しあって決め、大事な約束としてテーブルに貼ってあります。
以前は、喧嘩が起きると話し合いをするように促したり、時には職員が仲裁役のような形で関わったりしていましたが、子どもたちに関わる力がついてきたこともあり、そのための場所を用意すれば子どもたちだけ何とかするのではないかと考え設置することにしたわけです。うまく使ってくれるだろうかという心配が少しはありましたが、子どもたちは本当に上手に?なかよしテーブルを使ってくれています。
子どもがそのテーブルに向かうと、職員はよほどのことがない限り関わることはありません。子どもたちは、最初は何も言わずに長い間じーっと向き合っていることが多いのですが、そのうちに涙を流しながらでも自分の思いを言葉で主張し始めます。そしてその思いを相手の子はちゃんと聞いています。そんなお互いのやりとりが続いたと思うと、ほとんどの子がすっきりとした表情でその場を離れていきます。大人からしてみれば、今の話し合いで納得できたの?と思うこともありますが、本人同士が納得しあっているのであれこれいう必要はないのかもしれません。
人格形成ということを考えたとき、心豊かにするといった抽象的なことがすぐに浮かんできますが、「人間が社会の中で人間として生活できるように」することが人格形成の目的でもあると捉えると、物事を論理的に見つめ、それを論理的に人に伝える説明能力を養うことも、実は大事な部分ではないかと思います。これからますます求められるようになる問題解決能力やコミュニケーション能力にもつながっていきます。月曜日から保育参観が始まります。もしも「なかよしテーブル」でのやりとりに出くわすことがあれば、その様子をそっと見守ってあげてほしいと思います。
以前は、喧嘩が起きると話し合いをするように促したり、時には職員が仲裁役のような形で関わったりしていましたが、子どもたちに関わる力がついてきたこともあり、そのための場所を用意すれば子どもたちだけ何とかするのではないかと考え設置することにしたわけです。うまく使ってくれるだろうかという心配が少しはありましたが、子どもたちは本当に上手に?なかよしテーブルを使ってくれています。
子どもがそのテーブルに向かうと、職員はよほどのことがない限り関わることはありません。子どもたちは、最初は何も言わずに長い間じーっと向き合っていることが多いのですが、そのうちに涙を流しながらでも自分の思いを言葉で主張し始めます。そしてその思いを相手の子はちゃんと聞いています。そんなお互いのやりとりが続いたと思うと、ほとんどの子がすっきりとした表情でその場を離れていきます。大人からしてみれば、今の話し合いで納得できたの?と思うこともありますが、本人同士が納得しあっているのであれこれいう必要はないのかもしれません。
人格形成ということを考えたとき、心豊かにするといった抽象的なことがすぐに浮かんできますが、「人間が社会の中で人間として生活できるように」することが人格形成の目的でもあると捉えると、物事を論理的に見つめ、それを論理的に人に伝える説明能力を養うことも、実は大事な部分ではないかと思います。これからますます求められるようになる問題解決能力やコミュニケーション能力にもつながっていきます。月曜日から保育参観が始まります。もしも「なかよしテーブル」でのやりとりに出くわすことがあれば、その様子をそっと見守ってあげてほしいと思います。
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