2016年8月27日

田中陽希さんの講演会

日本百名山ひと筆書き、日本2百名山ひと筆書きを踏破された田中陽希さんが、あさり保育園に来てくれました。

午前中は子どもたちとの交流。

登山中の動画などを見せてもらいながら旅の話を聞かせてもらったり、子どもたちの要望に応えて触れ合いの時間を設けたりしてくれました。



時間が許す限り子どもたちと触れ合いたいと、汗をかきながらみんなの「抱っこしてー!」の要望に応えてくれる姿を見ていて、子どもたちに対する陽希さんの深い思いを感じることができました。





午後は保護者と一般の方に向けた講演会。
(一般の方は県内の方だけではなく、山口県、鳥取県、広島県、そしてなんと香川県からも来てくださいました!)

旅の様子を楽しく語ってくれ、またあさり保育園との交流のことについて、陽希さんが感じていたことをたくさん語ってくれました。そして自然については、その楽しさだけじゃなく怖さも教えてもらい、その上でどんな姿勢で自然と向き合うべきか、陽希さんの思いを聞かせてもらえました。旅で学んだこととして、「ありがとうの言える人生を送りたいですね」と話されたんですが、これも謙虚さがなければ出てこない言葉ですよね。どんなにすごいことをされても『謙虚さは大事にしたい』という陽希さんの姿勢が見えた気がして、だからこんなにたくさんのファンがいるんだと納得できた瞬間でした。



講演終了後も時間ギリギリまで参加された方にサインを書いておられる姿を見ていて、すごい方と出会えてよかったと嬉しくなりました。



陽希さんとの出会いは2年前の4月。その出会いも本当にいろんな偶然が重なってのことです。そんな偶然の出会いだったからこそ、できる限りこの縁をつないでいきたい、小さくてもいいから目に見えるものにして子どもたちに見せてあげたい、そんなことをずっと考えてきました。もちろん陽希さんがそれに応えてくれたからこそなんですが、縁を目に見えるものに…という思いを持ち続けていてよかった、今回の講演会を実現するところまでつないでくることができてよかったと、嬉しく思っています。

陽希さん、ありがとうございました!



2016年8月26日

No.458 子どもの自立と親子の距離感

7月の終わりに「親って難しい」ということを書きました。その後も「親」について、「親子のこと」について考えているんですが、何度考えても「やっぱり親って難しいよなあ」という結論になってしまいます。例えば、どんな親でも「我が子の自立」を望んでいるはずです。自立というのは「他への依存から離れて独り立ちすること」で、子育ての一番大きな目的は子どもがこの自立に向けて進んでいけるよう関わっていくことであるとも言えます。もちろん社会で生活していくためには互いに助け合う必要があり、つまり適度に依存し合う関係性は必要なわけですが、互いに助け合いながらもバランスの取れた距離の子離れ、親離れを目指さなければいけません。これはどの動物とってもほぼ共通した課題であるはずです。

でも、そのことの大切さは分かっていても、我が子と向き合ったときにいろんな気持ちが出てきてしまうのが親というものじゃないかと思っています。子どもは大切な存在で、距離を取ることはなかなか困難なことだと思います。目指すべき子離れ親離れはまだ先の話なのでイメージしにくいとは思うのですが、ただ、その時は確実に来るわけで、その段階が来たら子どもの成長を信じてスッと親の方から(精神的な)距離をとる準備は必要だと思っています。気をつけなければいけないのは共依存の状態で、これはどちらかが強く依存し続けることによって、相手も依存が強くなってしまう状態です。共依存を避けるためにはまずどちらかが依存を適度なものにすることが絶対条件で、それは物事の判断基準を多く持っている親の役割だというのが私の意見です。

そして親の別の役割として、子どものありのままを十分に認めてあげることもあると思います。子どもが自立に向けて進んでいくためには自分に自信を持つことが必要です。自分に自信を持てることで少しずつ親との距離をとることができる、ということは新しい世界に少しずつ足を踏み入れていくことができるわけです。そのためにも、子どもの弱いところやできないところに目を向けすぎたり、全部伸ばしてオールマイティな力を身につけてほしいという願いを強く向けすぎたりするのではなく、目の前の子どもそのままを認めてあげることが必要だと、簡単なことではないと理解しつつ、でもここでどうしても書きたくなりました。子どもは大事な存在、だからこそ力を抜いてバランスを意識しながら子どもと向き合う親の姿勢も大事なんじゃないでしょうか。そのために私がとっている対策は、自分自身が夢中になれる趣味を持つこと。無意識に適度な距離をとることは難しいので、度を超さない程度に趣味に没頭する時間を意識的に作る工夫をしています。みなさんはどんな工夫をしていますか?ぜひ聞いてみたいです。

2016年8月19日

No.457 N君の保育体験

8月に入ってからのこと。中学3年生のN君が夏休みを利用して保育体験に来てくれていました。N君はあさり保育園の卒園児で、「B先生みたいな保育士になりたい」という夢を持っています。火曜日と木曜日が来てくれる日で、昨日が最終日でした。今回の保育体験は「園長先生、話があります。」と来てくれたことから始まりました。部活も終わって時間があり、保育士になりたいから保育園に行ってみたいけど…と悩んでいたところ、お願いしに行ってみたらと両親から勧められたそうです。お願いに来てくれたときの堂々とした態度にまず感心し、そして保育士になるという夢を持ち、そこに向かって進もうとしている姿にすごく嬉しくなりました。



保育士という職業がニュースでも頻繁に取り上げられていますが、その代表的なのは「保育士が不足しているのは処遇がよくないからだ」という内容で、それだけを聞かされるとこの仕事に対して良いイメージを持ちにくいのが実際のところだと思います。その内容が全くの間違いだとは言いません。国には保育士という職業の大切さをもっと理解してもらい、処遇についてもっと考えてもらいたいと常々思っています。でも、保育士を増やしたいのであれば、「保育園は将来の社会を担っていく子どもが多くのことを学ぶ大切な場で、社会にとって非常に大きな役割を持っている」「だからこそ保育士はやりがいがあって、しかも楽しい仕事なんだ」というアピールを積極的にすべきだと思っています。そんな思いがあるので、保育体験に来てくれた子たちに対しては、まず保育の楽しさを感じてもらうことを大事にしています。そして相手に応じてではありますが、保育園の大事な役割についても説明する機会をできるだけ設けるようにしています。

あさり保育園にはN君以外にもたくさんの子が来てくれます。年齢も様々です。高校を卒業した後、「4月から保育の学校に行きます!」と報告に来てくれた子もいました。保育園に来てくれる全ての子が保育士を目指しているわけではないでしょうが、どんな理由であれ来てくれるのは嬉しいことです。保育園の主な利用者はもちろん園児とその保護者ですが、地域の施設として多くの人に関心を持ってもらい、その子なりの意味を持って来てくれるのであれば、こちらは保育体験を喜んで受け入れます。興味のある子がいれば、ぜひ勧めてあげてください。

実は今回は「子どもの自立と親子の距離感」について、最近考えていたことを書くつもりだったんですが、保育体験最終日のN君の様子を見ていたら、そのことについて書きたくなってしまいました。

2016年8月5日

No.456 多様であること

ニュースでいろんな出来事を知り、そこからいろんなことを考えます。今回はまずその考えたことについて。保育園にはいろんな人がいます。子どももいろいろ、大人もいろいろです。この多様さが集団や社会の大事なところで、何があっても守っていきたいと考えています。私たちの社会は、様々な人が個々に持っている力を使って貢献していくというシステムです。この貢献の仕方は様々で、困っている人に手を貸すといった直接的な貢献もあれば、そこに居てくれるだけでホッとするといった目には見えない間接的な貢献もあります。それら全てがあるからこそ、多少不便なことやしんどいこともあるけど、みんながそれなりにゴキゲンに暮らしていけるわけで、その状態を維持していかないといけないと思っています。「いやいや、それなりにじゃなくて、より機能的で効率的でコストパフォーマンスの高いものじゃないとダメでしょ。」と考える方もいるかもしれません。でもそれを目指すことで社会の構成員から多様さが失われる(何でもできるスーパーマンみたいな人ばかりを集めるとか)としたら、一見より良い社会に見えるかもしれないけど、そんなあり方は長続きしないのは割と簡単に想像できますよね。

(哲学研究者の内田樹さんはこんなことをツイートされていて、非常に参考になりました。)







「多様な人がいる集団を心地よく感じる」感覚が、生活や遊びを通してゆっくりしっかり育っていく、そんな保育園でありたいと思っています。

変な話を書きましたが、ここからは子どもたちの姿を少し。みなさんご存じのように、保育園の園庭にはビール瓶のケースがたくさん置かれています。ブランコなどの遊具のように目的がはっきりしていないし、そもそも遊具ではないし、なんでこんな物が?と思っている人もいるかもしれません。このケースを活用しようとしたのは、使い方の決まった遊具はもちろん楽しいけれど、試行錯誤しながら楽しい使い方を考える必要がある物も、子どもたちにとって刺激的なのではないかと考えたからです。しかもそれが身の周りにある物であり、いろんな活用法があることを知れば、他の物に対しても関心は高まるはずです。思った通り、ケースはいろんな使い方を考えて楽しく使ってくれています。写真のように道にしてみたり、並べて舞台を作ったり、高いところにある木の実を取るための台にしてみたりと、使い方は様々です。そのように自由度の高いものを楽しく活用している子どもたちを頼もしく思っています。目的のはっきりしている高機能な遊具も必要ですし、同時に思考錯誤することを求められる自由で多目的な遊具も、子どもたちの遊びには必要なんでしょうね。前半の話と後半の話に強引につないでまとめると、人や社会、そして遊具も多様であることが大切だし、その多様さを楽しむ姿勢も大切だということです。