2016年8月5日

No.456 多様であること

ニュースでいろんな出来事を知り、そこからいろんなことを考えます。今回はまずその考えたことについて。保育園にはいろんな人がいます。子どももいろいろ、大人もいろいろです。この多様さが集団や社会の大事なところで、何があっても守っていきたいと考えています。私たちの社会は、様々な人が個々に持っている力を使って貢献していくというシステムです。この貢献の仕方は様々で、困っている人に手を貸すといった直接的な貢献もあれば、そこに居てくれるだけでホッとするといった目には見えない間接的な貢献もあります。それら全てがあるからこそ、多少不便なことやしんどいこともあるけど、みんながそれなりにゴキゲンに暮らしていけるわけで、その状態を維持していかないといけないと思っています。「いやいや、それなりにじゃなくて、より機能的で効率的でコストパフォーマンスの高いものじゃないとダメでしょ。」と考える方もいるかもしれません。でもそれを目指すことで社会の構成員から多様さが失われる(何でもできるスーパーマンみたいな人ばかりを集めるとか)としたら、一見より良い社会に見えるかもしれないけど、そんなあり方は長続きしないのは割と簡単に想像できますよね。

(哲学研究者の内田樹さんはこんなことをツイートされていて、非常に参考になりました。)







「多様な人がいる集団を心地よく感じる」感覚が、生活や遊びを通してゆっくりしっかり育っていく、そんな保育園でありたいと思っています。

変な話を書きましたが、ここからは子どもたちの姿を少し。みなさんご存じのように、保育園の園庭にはビール瓶のケースがたくさん置かれています。ブランコなどの遊具のように目的がはっきりしていないし、そもそも遊具ではないし、なんでこんな物が?と思っている人もいるかもしれません。このケースを活用しようとしたのは、使い方の決まった遊具はもちろん楽しいけれど、試行錯誤しながら楽しい使い方を考える必要がある物も、子どもたちにとって刺激的なのではないかと考えたからです。しかもそれが身の周りにある物であり、いろんな活用法があることを知れば、他の物に対しても関心は高まるはずです。思った通り、ケースはいろんな使い方を考えて楽しく使ってくれています。写真のように道にしてみたり、並べて舞台を作ったり、高いところにある木の実を取るための台にしてみたりと、使い方は様々です。そのように自由度の高いものを楽しく活用している子どもたちを頼もしく思っています。目的のはっきりしている高機能な遊具も必要ですし、同時に思考錯誤することを求められる自由で多目的な遊具も、子どもたちの遊びには必要なんでしょうね。前半の話と後半の話に強引につないでまとめると、人や社会、そして遊具も多様であることが大切だし、その多様さを楽しむ姿勢も大切だということです。



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