(哲学研究者の内田樹さんはこんなことをツイートされていて、非常に参考になりました。)
「社会に役立たない人間は死んだ方がいい」というタイプの言説を多分ご本人たちは「リアリズム」だと思って語っているのでしょう。でも「強者だけで作られた組織」は原理的にそのつど「当該組織内の最弱者」を指名し排除することを宿命づけられているので最終的には構成員ゼロになります。
— 内田樹 (@levinassien) 2016年7月29日
病人や老人を置き去りにし、妊婦や幼児を「足手まとい」と捨てることを義務づけられた「強者だけから成る集団」というものが仮に過去に存在したとしても、その集団は一世代後には消滅していたはずです。まっすぐ自滅を目指す人たちを「リアリスト」と呼ぶことに僕は反対します。
— 内田樹 (@levinassien) 2016年7月29日
「弱者を含む集団」では生き延びるために全員が「余人を以て代え難い」異能の発見に向かいます。一方、「強者連合」では全員が同一の能力の優劣を競い、格付けをし、それによって資源を傾斜配分するようになります。構成員全員が自尊感情を持ち愉快に生きられる集団の方が危機に強いのは当然です。
— 内田樹 (@levinassien) 2016年7月29日
「多様な人がいる集団を心地よく感じる」感覚が、生活や遊びを通してゆっくりしっかり育っていく、そんな保育園でありたいと思っています。
変な話を書きましたが、ここからは子どもたちの姿を少し。みなさんご存じのように、保育園の園庭にはビール瓶のケースがたくさん置かれています。ブランコなどの遊具のように目的がはっきりしていないし、そもそも遊具ではないし、なんでこんな物が?と思っている人もいるかもしれません。このケースを活用しようとしたのは、使い方の決まった遊具はもちろん楽しいけれど、試行錯誤しながら楽しい使い方を考える必要がある物も、子どもたちにとって刺激的なのではないかと考えたからです。しかもそれが身の周りにある物であり、いろんな活用法があることを知れば、他の物に対しても関心は高まるはずです。思った通り、ケースはいろんな使い方を考えて楽しく使ってくれています。写真のように道にしてみたり、並べて舞台を作ったり、高いところにある木の実を取るための台にしてみたりと、使い方は様々です。そのように自由度の高いものを楽しく活用している子どもたちを頼もしく思っています。目的のはっきりしている高機能な遊具も必要ですし、同時に思考錯誤することを求められる自由で多目的な遊具も、子どもたちの遊びには必要なんでしょうね。前半の話と後半の話に強引につないでまとめると、人や社会、そして遊具も多様であることが大切だし、その多様さを楽しむ姿勢も大切だということです。
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