あさり保育所ではこの春から外遊びの遊具として自転車を取り入れています。今回はこのことを取り上げることにします。既に知っている方も多いと思いますが、あさり保育所で自転車に乗るためには免許証が必要です。免許証を手に入れるためには、ある条件をクリアしなければなりません。その条件は「自転車に乗るときの約束を園長先生に宣言する」というものです。
約束とは「乗りっぱなしにせず、きちんと片付ける」「人がたくさんいるところでは乗らない」「人にぶつからないようにする」の3つです。これらのことを伝えた上で「免許証が欲しくなったらいつでも言ってきて」と話してあり、今現在免許証を持っている子は23人です。(ちなみに、「約束が守れなかった場合は、1週間の免停」になるというルールもあります。)
自転車に乗ることについて、私は2つのことを考えています。まず1つ目は、自転車に乗れることがすごいのではないということです。みんなに自転車に乗ることを楽しんでもらいたいという思いはあります。自分の足で走るのとは違うスピード感は爽快ですし、何より、乗れるようになったときに達成感はできるだけ多くの子に体験してもらいたいと思っています。でも、それ以上に体験してもらいたいことは、ルールを守るということです。当然のことですが、道路を走る場合、守らなければいけないルールがあります。ルールに従って乗らなければ他人に迷惑をかけてしまうことになります。これは保育所という社会の中でも同じで、好き勝手に乗っていては、みんなで楽しむことはできませんし、怪我をする子も出てきてしまいます。ルールを守って乗るから自転車は楽しめるんだということを、体験を通して感じてもらいたいと思っています。
そして2つ目は、選ぶことで責任を学んでほしいということです。免許証を手に入れるかどうかは本人の自由になっています。これを無条件で全員に渡すとなると、自分の責任で約束を守ることは難しくなると思います。自由というのは好きなようにさせるということではありません。人は自分で決めたことをやらない限り、責任をとることができません。様々な活動で、自分の意志で選択する場面を多く取り入れているのは、責任を教えるためでもあります。「ボクはぞう組になったら免許証をもらいにくる」と宣言しに来てくれた子もいましたが、これもその子なりに責任を学んでいる最中だなあと、嬉しくなりました。
2010年10月29日
2010年10月22日
No.165 お昼寝前の出来事
今週火曜日の、お昼寝前の出来事です。ぞう・きりん・くま組さんはお昼寝前に紙芝居をみんなで見る時間があります。何を読むかを決めるのはぞう組さんの役目で、決まったら保育者が子どもたちに読んであげるという内容です。ところがその日は少し違っていました。紙芝居を選んでいたぞう組のYくんが、「今日はボクがみんなに読んであげたい」と言ってきたそうです。その申し出をうれしく思ったK保育士はYくんに任せることにしました。Yくんはみんなに紙芝居を読んであげながら、周りで紙芝居と関係なく騒いでいる子がいると注意したりと、見事にその役目を果たしてくれました。大人の出番は全くありませんでしたし、周りの子もYくんのその日の役割をきちんと受け入れて、集中して聞いていたのも印象的でした。
私たちが大事にしていることの1つに、子ども同士の関わりをどう生み出すか、ということがあります。子ども同士の関わりといっても、みんなが一緒に遊ぶということだけでなく、役割をもって関わり合うということが重要だと考えています。例えば今回のYくんのように、紙芝居を読める子がみんなに読んであげる役にまわることがあります。紙芝居を読んで聞かせる目的が、日本語の正しい発音を伝えることにあるような場合は大人が読むべきでしょうが、そうではない場合は、子どもたちの関わり合いの時間なることにも意味があると考えています。
これからの世界の保育の課題に、先生から子どもへのトップダウン式に教えることではなく、水平方向、つまり子ども同士の関係をどう作り出していくかということがあります。子ども同士の関係の中で、「自分のすべきことと他人にやってもらうことがわかる」「集団の中での自分の役割がわかる」といったことが大事になってきます。つまりこれは“社会”を知っていくことでもあります。子ども同士の関係の中で自分の役割を見つけていく体験を通して、「社会はいろんな人がいろんな役割をもって成り立っている」ことを感じてもらいたいと思っています。
私たちが大事にしていることの1つに、子ども同士の関わりをどう生み出すか、ということがあります。子ども同士の関わりといっても、みんなが一緒に遊ぶということだけでなく、役割をもって関わり合うということが重要だと考えています。例えば今回のYくんのように、紙芝居を読める子がみんなに読んであげる役にまわることがあります。紙芝居を読んで聞かせる目的が、日本語の正しい発音を伝えることにあるような場合は大人が読むべきでしょうが、そうではない場合は、子どもたちの関わり合いの時間なることにも意味があると考えています。
これからの世界の保育の課題に、先生から子どもへのトップダウン式に教えることではなく、水平方向、つまり子ども同士の関係をどう作り出していくかということがあります。子ども同士の関係の中で、「自分のすべきことと他人にやってもらうことがわかる」「集団の中での自分の役割がわかる」といったことが大事になってきます。つまりこれは“社会”を知っていくことでもあります。子ども同士の関係の中で自分の役割を見つけていく体験を通して、「社会はいろんな人がいろんな役割をもって成り立っている」ことを感じてもらいたいと思っています。
2010年10月15日
No.164 デンマークってどんな国だろう?
昨年初めて取り組んだ年長児が対象の「科学遊び」の活動が、今年も9月からスタートしました。第1回目は、水を入れたコップの中に油を入れるとどうなるか?そこにインクを垂らすとどう変化していくか?といった内容です。別に「油には水になじみやすい親水基がなく、水のように分極もしていないため・・・」なんてことを教えるつもりはありません。ただ、その現象を見ていて、「うわー、おもしろい!」とか「不思議だなぁ」とか「どうなってるんだろう?」などと感じてもらえればそれで十分です。私たちが大切にしたいのは、知識ではなく、「知りたい」と思う気持ち、好奇心・探求心だからです。
探求心について、こんな風に考えます。例えば、今年行われたサッカーのワールドカップで、日本はグループリーグの最終戦であるデンマークとの試合に勝利し、決勝トーナメントに進出しました。このときデンマークがどこにあるのか、どんな特徴を持った国なのか、知らない日本人が多かったようです。で、国際化社会のこの時代にそれではよくないだろうということで、「デンマークについて教える機会があってもいいのでは」という話になるのがよくあるパターンです。でも、これってちょっと違いますよね。というのも、たとえデンマークについて教えてもらう機会があって覚えたとしても、今度は決勝トーナメントで対戦したパラグアイのことがわかりません。じゃあ今度はパラグアイのことも教えなければいけない、最後には全ての国のことを教えなければいけないといった風に教えることばかり増えていき、子どもも覚えることばかり増えていきます。
教えることにも限界はありますし、覚えられる量にも限界はあります。そうではなくて、「日本が対戦するデンマークってどんな国だろう?」と興味を持ち、「ちょっと調べてみよう」と思えるようにしていかなければいけないんだと思います。そのように考えること、調べようとする行動力こそ、探求心です。8歳くらいまでは、知識を覚え込ませるのではなく、「不思議だな」「どうなってるんだろう」と感じる体験をできるだけ多くしておくことが、探求心を高めるためには重要なことで、それが後に知識をどん欲に吸収する基礎となります。世界の教育は、そのような方向にどんどん変化してきています。不思議だなと感じる心、どうなってるんだろうと知りたくなる気持ち、調べてみようとする行動力。それらの高まりを丁寧に支えていくのも、私たちの大事な役目です。
探求心について、こんな風に考えます。例えば、今年行われたサッカーのワールドカップで、日本はグループリーグの最終戦であるデンマークとの試合に勝利し、決勝トーナメントに進出しました。このときデンマークがどこにあるのか、どんな特徴を持った国なのか、知らない日本人が多かったようです。で、国際化社会のこの時代にそれではよくないだろうということで、「デンマークについて教える機会があってもいいのでは」という話になるのがよくあるパターンです。でも、これってちょっと違いますよね。というのも、たとえデンマークについて教えてもらう機会があって覚えたとしても、今度は決勝トーナメントで対戦したパラグアイのことがわかりません。じゃあ今度はパラグアイのことも教えなければいけない、最後には全ての国のことを教えなければいけないといった風に教えることばかり増えていき、子どもも覚えることばかり増えていきます。
教えることにも限界はありますし、覚えられる量にも限界はあります。そうではなくて、「日本が対戦するデンマークってどんな国だろう?」と興味を持ち、「ちょっと調べてみよう」と思えるようにしていかなければいけないんだと思います。そのように考えること、調べようとする行動力こそ、探求心です。8歳くらいまでは、知識を覚え込ませるのではなく、「不思議だな」「どうなってるんだろう」と感じる体験をできるだけ多くしておくことが、探求心を高めるためには重要なことで、それが後に知識をどん欲に吸収する基礎となります。世界の教育は、そのような方向にどんどん変化してきています。不思議だなと感じる心、どうなってるんだろうと知りたくなる気持ち、調べてみようとする行動力。それらの高まりを丁寧に支えていくのも、私たちの大事な役目です。
2010年10月5日
No.163 親子遠足で感じたこと
昨日はぱんだ・うさぎ・りす組の親子遠足があり、一緒に参加してきました。アクアスまでのバスの中では、恒例になってきた感もありますが、みなさんに子どもの名前の由来を発表してもらいました。誰が、どのような思いで、どんな状況でといった話を、そのときのみなさんの気持ちを想像しながら聞くことができました。『もうすぐ生まれるというときに助産師さんから「名前を呼んであげて!」と言われた主人が、とっさに口にした名前がこの子の名前になりました。その時初めて聞いた名前だったのでびっくりしましたが・・・。』というこちらもびっくりする話があったり、本当にみなさんの話は様々でした。どの方の話にも共通していたのは、子どもの誕生を喜ぶみなさんの様子、家族の暖かい気持ちがあふれている様子が思い描ける話だったことです。そして、アクアスで楽しそうに子どもと接しておられるみなさんの姿を見ていて、親子の愛着関係はやっぱり大事だとあらためて感じることができました。
せっかくなので愛着関係について考えてみると、こんな興味深い資料もあります。愛着関係というと乳幼児期の親子の関係をイメージする方も多いかもしれませんが、小学生になっても大事にされなければいけないということが示されている資料です。それは、戦後の昭和22年に文部省が学習指導要領の試案をつくるときのもので、1年生及び2年生における心理的特性が挙げられています。そこには「児童は非常に活動的で、自分たちでいろいろなことをするのに興味を持っている。」「さわって見たり、味わったり、においをかいだり、五感に訴えることが多い。」など、子どもの姿を的確に表していることが書かれていて、その中の1つに「両親の愛情と教師の親切がないと、感情が著しく不安定になる。」とあります。小学生でも自発的に活動して学んでいくためには親との愛着関係がまずは大切だということです。
最近の世界の教育は8歳までは乳幼児期と捉えるべきという考えが主流になってきているので、2年生くらいまでは親子の愛着関係についての重要性の意識がもっと高まってもいいようにも思います。「両親の愛情と教師の親切が・・・」ということは、子どもが主体的に活動し学びを深めていくためには、親子は愛着関係が、そして私たち保育者は「子どもの存在を丸ごと信じる」という信頼関係の形成が大切だというわけです。お互いの立場から、愛着関係と信頼関係で子どもの育ちを支えていくことを大事にしたいと感じた親子遠足でした。
せっかくなので愛着関係について考えてみると、こんな興味深い資料もあります。愛着関係というと乳幼児期の親子の関係をイメージする方も多いかもしれませんが、小学生になっても大事にされなければいけないということが示されている資料です。それは、戦後の昭和22年に文部省が学習指導要領の試案をつくるときのもので、1年生及び2年生における心理的特性が挙げられています。そこには「児童は非常に活動的で、自分たちでいろいろなことをするのに興味を持っている。」「さわって見たり、味わったり、においをかいだり、五感に訴えることが多い。」など、子どもの姿を的確に表していることが書かれていて、その中の1つに「両親の愛情と教師の親切がないと、感情が著しく不安定になる。」とあります。小学生でも自発的に活動して学んでいくためには親との愛着関係がまずは大切だということです。
最近の世界の教育は8歳までは乳幼児期と捉えるべきという考えが主流になってきているので、2年生くらいまでは親子の愛着関係についての重要性の意識がもっと高まってもいいようにも思います。「両親の愛情と教師の親切が・・・」ということは、子どもが主体的に活動し学びを深めていくためには、親子は愛着関係が、そして私たち保育者は「子どもの存在を丸ごと信じる」という信頼関係の形成が大切だというわけです。お互いの立場から、愛着関係と信頼関係で子どもの育ちを支えていくことを大事にしたいと感じた親子遠足でした。
2010年10月1日
No.162 リレーの様子を見て
子どもたちの様子を見ていると、大事なことを気づかされたり、再確認させてもらったりということがよくあります。木曜日には、「おおっ、さすが!」と思う場面にいろいろと出くわしました。例えば、散歩から帰ってきた3,4,5歳児が昼食前にしていた遊びです。誰が言い出したのかは分かりませんが、棒切れを2本用意し、2チームに分かれてリレーを始めていました。どうも最近流行っているようで、夢中になって次々に交代しながら走り続け、それを見ている子もとても楽しそうな表情でした。
当たり前のことですが、リレーは人数を揃えたり、チームを決めたり、走る順番を決めたりと、調整しなければいけないことがたくさんあります。大人がやってしまえば簡単なことですが、これを子どもたちが自分ですることには大きな意味があります。みんなと遊ぶ中で様々な工夫をすることは、問題解決能力をつけていくためにはとても大事なことです。また、そこで考えたことを他の子に伝えて調整するために必要なのは、コミュニケーション能力です。今子どもたちに求められている「問題解決能力」と「コミュニケーション能力」が、リレーという遊びを通して鍛えられていることを感じました。また、その遊びを見ている子がいるということも重要です。今はその遊びに加わらないとしても、楽しさを感じあこがれをもって見ることで「やってみたい!」という気持ちが生まれ、その遊びは子どもたちの間で伝承されていきます。様々な遊びに取り組むことも大事ですが、「見る→あこがれる→やってみる→また見る→…」というサイクルを体験することもとても大事なことです。
こうしたことは子ども集団ならではの体験です。問題解決能力もコミュニケーション能力も、様々な役割があるという社会の一員としての意識も、全て様々な人とのかかわりの中で生まれてきます。少子社会だからこそ子ども同士の関わりを大事にしなければいけないと、子どもたちの姿を見ながら再確認することができました。
23年度の保育所の入所申し込みが11月から始まります。10月18日(月)と26日(火)には、新しくあさり保育所に入所を希望される方を対象に説明会を行ないます。どれだけの方が来ていただけるか分かりませんが、あさり保育所で子どもたちが体験していること、子ども集団で体験することが子どもたちにとってどれだけ重要かといったことを、しっかりとお話しようと思っています。
当たり前のことですが、リレーは人数を揃えたり、チームを決めたり、走る順番を決めたりと、調整しなければいけないことがたくさんあります。大人がやってしまえば簡単なことですが、これを子どもたちが自分ですることには大きな意味があります。みんなと遊ぶ中で様々な工夫をすることは、問題解決能力をつけていくためにはとても大事なことです。また、そこで考えたことを他の子に伝えて調整するために必要なのは、コミュニケーション能力です。今子どもたちに求められている「問題解決能力」と「コミュニケーション能力」が、リレーという遊びを通して鍛えられていることを感じました。また、その遊びを見ている子がいるということも重要です。今はその遊びに加わらないとしても、楽しさを感じあこがれをもって見ることで「やってみたい!」という気持ちが生まれ、その遊びは子どもたちの間で伝承されていきます。様々な遊びに取り組むことも大事ですが、「見る→あこがれる→やってみる→また見る→…」というサイクルを体験することもとても大事なことです。
こうしたことは子ども集団ならではの体験です。問題解決能力もコミュニケーション能力も、様々な役割があるという社会の一員としての意識も、全て様々な人とのかかわりの中で生まれてきます。少子社会だからこそ子ども同士の関わりを大事にしなければいけないと、子どもたちの姿を見ながら再確認することができました。
23年度の保育所の入所申し込みが11月から始まります。10月18日(月)と26日(火)には、新しくあさり保育所に入所を希望される方を対象に説明会を行ないます。どれだけの方が来ていただけるか分かりませんが、あさり保育所で子どもたちが体験していること、子ども集団で体験することが子どもたちにとってどれだけ重要かといったことを、しっかりとお話しようと思っています。
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