2011年4月28日

No.191 子どもたちに伝えたい『自由』について

あさり保育所では、子どもたちが活動する中で何度も「選択」をする場面があります。保護者のみなさんも知っていると思いますが、例えば散歩に出かけるときは2つの行き先からどちらにするか選んだりします。遊ぶときはどのゾーンで遊ぶか、何をして遊ぶかを選んでから活動に入ります。ごはんのときは、何をどのくらいの量を食べるか、誰と一緒に食べるかを選びます。午後は自分の体力や体調に合わせて、お昼寝をするか静かに本を読んで過ごすかを選びます。そんな風に、選んで活動することだらけです。

この「選択」を活動の中で大事にしているのは、年齢で活動を分けるのではなく、個々の発達段階に合わせて活動できるようにという意味もありますが、それ以外にも「責任」を学ぶという意味もあります。大人もそうですが、社会の中で生きていくためには自分の責任で行動することが大切になってきます。自分で選択した活動であれば、例えば自分がAという行き先の散歩コースを選んだとき、途中で嫌になっても「選んだのは自分」なので「自分が選んだコースでしょ?最後まで行かなきゃ。」と言うことも出来ます。そしてその経験が次に散歩コースを選ぶときに生きてきます。これが、選択肢がなく行き先が決められてしまうと、そこで自分の責任を学ぶことは出来なくなってしまいます。

そして、選択によって責任を学んでいくと、それが子どもたちの「自由」につながっていきます。「自由」というのはとても大事なことですが、間違ってとらえられることの多いものでもあります。私たちは、「自由」というのは自分の好き勝手にするということではなく、自分の責任で動くことと捉えています。そして、それを子どもたちに学んでもらいたいと考えています。自分の責任で動くことで自由に遊びを広げていき、その遊びをより楽しくしていってほしいと思います。そのためにも、日々の活動の中で選択を繰り返し、自分の責任というものを身につけていってほしいというのが私たちの思いです。

今は少し緩やかになってきましたが、それでもまだ「自粛」という言葉を見かけたりします。誰かのかけ声によってみんなが一斉に自粛をする、ということもありましたが、自粛とは自ら進んで、自らの責任で、行いや態度を慎むことのはずです。行動を通して子どもたちに大切なことを伝えていくのが大人の役目です。自由について、あらためて考えてみてもいいかもしれませんね。

2011年4月22日

No.190 コミュニケーション=対話

新年度がスタートして3週間経ちました。いろんな活動を行っていくたびに、子どもたちの個性や今年度の集団の特徴が見えてきます。今私が感じているのは、誰かが前に出て話をするときに集中して聞くことができている、ということです。これは前で話す人の問題でもあるのですが、こちらに気持ちを向けてくれているというのが伝わってくるだけで話す方は安心できます。朝夕のお集まりや集会などでの子どもたちの今後の様子も楽しみです。

「聞く」に関連することで、今子どもたちに必要とされている力「コミュニケーション能力」について書いてみます。この力の注目度は高く、あちこちでその重要性について耳にする機会が増えてきました。この「コミュニケーション能力」は私たちも大事にしているのですが、例えば上に書いたような“大人が前で話しているのをしっかりと聞く”ということとは少し違います。今の社会で必要とされているのは、コミュニケーション=対話です。ただ話をするとか語学が得意というのではなく、単に「話をする」「話を聞く」ということではなく、「話を交わす」ということです。

最近の子どもたちは、情報を収集する能力やプレゼンテーションの力は増したと言われていますが、それに対して聞き手に合わせて説明する能力に欠けてきていると言われています。その状態は話し手が言葉を発しているだけで、対話になっていないというわけです。対話には当然相手が必要です。しかも、その相手が聞こうとしなければコミュニケーションは成り立ちません。そんな状態を指して、最近の子どもたちには「コミュニケーション能力」が足りないと言われているわけです。

コミュニケーション能力をつけていくためには、子ども同士の関わりがとても重要になってきます。大人との会話の場合、子どもは特に工夫をしなくても大人は話を理解してあげることができます。でも子ども同士だと、なかなか理解してもらえないので工夫が必要ですし、何を伝えようとしているかを一生懸命聞かなければなりません。また、遊びをもっとおもしろくしようとする場合は議論も必要になります。このような経験のできる子どもと子どもの関係をいかに生み出すかを私たちは大事にしている訳ですが、他にもポイントはたくさんあります。そんな場面を見つけたら、また書いてみようと思います。

2011年4月15日

No.189 社会の一員として

来月の話になりますが、保護者のOさん夫婦が保育所にピザを作りにきてくれることになっています。4月19日にオープンするお店のシェフをされるOさんから「子どもたちにピザ作りを体験させてあげたい」というお話があり、面白い体験になりそうだったのでその提案をありがたく受けることにしました。アレルギーのある子も食べることができるように使う食材もあれこれと検討してくれていますし、焼くための釜は園庭に手作りのものを用意する計画も立ててくれています。子どもたちにいろんな体験をさせてあげたいという思いもすごく伝わってきて、ほんとうにありがたく思っています。

少し大きな話になりますが、保育を考える上で押さえておく必要があることとしてこんなことを考えています。人類は社会を形成して、その中で社会の一員として役割を分担して生きてきたという歴史があります。人は赤ちゃんの時から少しずつ社会の一員としていろいろなことを学んでいきます。それは、人との関わりの中で生まれてきます。そして、その関わりが薄くなるのが少子社会だと思います。少子社会では子ども同士の関わりだけでなく、地域との関わり、社会との関わりも希薄になり、逆に、親子の関わりが必要以上に強くなることも意味します。今は間違いなく少子社会です。そんな時だからこそ、子どもたちに社会の一員となる意識をつけ、その中で自分の役割を見つけ、自己の主体性を発揮しながらともに生きる社会をつくる基礎を培っていく必要があると考えています。

来月のピザ作りには“作る過程”を楽しむという目的もありますが、こうした料理を得意とした人がいて、そんな仕事もあることを感じてもらいたいという目的もあります。いろんな人や役割、職業に触れることは社会を知るためにとても大事なことです。こうした活動を通して、社会には様々な役割を持った様々な人がいるということを感じてもらえたらと思っています。そして、その体験を少しでも楽しくできるようにあれこれと工夫をすることが、子どもたちに関わる私たちの役割でもあるのでしょう。職員が自分の興味のあることや得意なことを子どもたちに披露しているのには、そうした理由もあります。ということで、保護者のみなさんの中で「こんな特技を子どもたちに見せてあげたい」とか「こんな仕事の様子を見せてあげたい」といったことがあれば、ぜひ教えてください。“社会のいろいろ”を体験させてあげたいですね。

2011年4月8日

No.188 あらためて『自然に生かされる保育』を考えます

3月11日からずっと震災のことを考えています。ここで書くのは控えようと思っていたのですが、やはりちょっとだけ触れることにします。震災のことを考えているといっても、そればかり考えているわけではありません。ほとんどは保育のことをしつこく考えているのですが、ふとしたときに頭に浮かんでくるんです。みなさんも同じじゃないかなぁと思っています。

直接被災地で活動している人はたくさんいます。また、その人たちを支える活動をしている人もたくさんいます。私はそのどちらにも該当しません。もどかしい気もするんですが、でも遠く離れた島根で飽きることなく保育のことを考える集団っていうのも必要だと思っています。自分の足でしっかりと立つ力をつけておくこととか、社会の中での役割をきちんと担うこととか、そんな力や役割をもった集団の出番は、長い目で見たときに必ずあると思うんです。ある思いを行動に移すにしても個々の力や役割によって行動の仕方は様々ある、そのことを大人が行動して子どもたちに示すことも大事なことなんでしょうね。

今回の出来事で「自然」というものを改めて考えています。当たり前のように周りにあるもの、上手くつき合っていくことで心を豊かにしてくれるもの、といった安易な理解は簡単に覆されてしまいました。そうなんだけど、いやそうだったからこそ子どもたちには自然に対して耳を傾けることの大切は伝えていきたいと思います。自然を無理やりコントロールしようとするのではなく、自然とうまく共生していくためにも、まずは自然に触れることの楽しさを十分に感じてもらうことからかな、と。どんな自然観を持つかというところの基礎をつくっていくこと、それも私たちの大事な役割だと思います。

B保育士とK保育士が中心になってコツコツと新しい花壇を作っています。今から少しずつ増えていくと思います。今年度中2回か3回に分けて園庭の木を増やします。大きな木、小さな木、いろいろです。野菜が育つ様子にもっと関心をもってもらえるように畑のあり方を見直しています。形や大きさも変わっていくと思います。「自然に生かされる保育」という目標を掲げていますが、そのために考えなければいけないことはいくらでもあります。「自然とは何か?」「それに生かされるとはどういうことか?」あるはずのない“正解”を探すことよりも、試行錯誤することを大切に…という姿勢でやっていきます。

2011年4月1日

No.187 新年度スタート

今週の火曜日の出来事です。園庭の倉庫横にある山桃の木の枝をたくさん折ってしまった子どもたちが事務室へやってきました。(特に決めているわけではないのですが、何かを壊してしまった場合などは「園長先生に報告に行っておいで」と職員から言われてるようです。)「木を折ってしまってごめんなさい。」と子どもたちが言うのでどんな状況か見に行ってみると、それはそれはたくさんの小枝が折られていました。

「さあ、この状況で子どもたちにどんなことを伝えようか?」と悩みました。葉っぱはほとんどついておらず、枯れてしまっていると判断したのかもしれません。でも、そうだとしても木は大事にしてもらいたいので、いろいろ考えて根っこの話をしました。小さな鉢をひっくり返して根っこが鉢いっぱいに伸びているのを見せながら、「植物っていうのは根っこのことで、動き回って栄養をとることはできない代わりに、根を目一杯張り巡らせて栄養を取り込み大きくなっているんだよ。見えないけど、地面の下にある根っこのことも考えてみてね。」そんなことを話しました。で、話しながら思ったことがあります。

植物が生きていく上では、動くことができないという制限があります。では人間はどうか。植物と違って動き回ることはできますが、だからといって自由だとは言えないんじゃないかというのが私の実感です。例えば、今すぐ南の島に行ってのんびりしたいと思っても、例えばどこか違う国の人として生まれたかったと思っても、無理な話ですよね。様々な制限があることを受け入れた上で、どんな風に自分は生きていくかということが大切なんです。その上で何を考えどう行動するかが、その人らしさを作っていくんだと思います。あさり保育所にも様々な制限があります。でもその制限の中で子どもたちのためにどんな活動や環境を用意できるか、あさり保育所らしさはそれを考えることでしか生まれてきません。とにかく考え続けてもっともっと大きく成長していきたい、もっと保育を充実させていきたいというのが職員全員の思いです。

今日から14名の新入児を迎えて平成23年度がスタートします。子ども同士の新しい関わり合いもはじまります。行事も例年と同じように計画していますが、でも中身は少しずつ変わっていきます。園庭の姿も変わっていく予定です。いろんなことが楽しみです。1年間よろしくお願いします。