2013年2月21日

情緒の安定

Twitterを眺めていたら「養護と教育」についてのツイートが目に飛び込んできました。この「養護と教育」は今でも様々な解釈があってややこしくなってしまっている印象を受けるのですが、以前このことについてある機会をいただいてまとめたことを思い出しました。まとめたのは「養護」の方です。

保育所保育指針には「養護とは、子どもの生命の保持及び情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わりである」とはっきり書かれています。生命の保持はわかりやすいのですが、情緒の安定の方は捉え方が様々あるのが現状かもしれません。でもこれについて保育指針では4つの視点が示されています。その4つの視点は次の通りです。

1.発達過程を理解して欲求にこたえる
2.共感する
3.自発的な活動によって自信を深める
4.生活リズム


この視点から情緒の安定についてまとめたものに、私が勝手に師匠と呼んでいる藤森平司先生がコメントを書いてくださりました。2009年7月に日本教育新聞に掲載されたものですが、ここにのせておきます。



『選べるプール活動で自発性を保障』

私たちの保育園では3、4、5歳児が年齢別に別れてプールに入ることはせず、まず今日はどのグループで入るのかを、自ら「選ぶ」ことから始めます。「水遊びは大好きだけど、顔に水がかかるのは苦手」というグループ、「顔に水がかかってもいいけど、潜ったりするのは苦手」というグループ、「しっかり泳いで遊びたい」というグループの3つから。

子どもたちは自分で選ぶことによって、とても意欲的に活動に取り組みますし、意欲的に取り組むことで、活動に対して自信を持ち、次の課題への挑戦意欲へとつながっているのが見て取れます。 情緒の安定にはまず、「自発的な活動によって自信を深める」ことが大切なのです。 このように子どもたちは自分のできることや、挑戦したいことを選んでいくわけですが、興味深いのは、いつもステップアップを目指しているわけではない点です。前回は「しっかり泳ぐ」グループを選んだ子が、次は「顔に水がかかるのは苦手」グループを選んでいたりすることもあります。泳ぐのが好きな子でも、静かに入りたい時もあるようです。

年齢別のプール活動になると、こうした個々の子どもの気持ちに寄り添った対応は難しくなります。子どもが持つ力を信じ、選ぶ力も信じて、活動に選択肢を用意することは、個々の欲求を適切に満たすためにも大切であると考え、実践しているのです。

また、生活リズムを保障することも、情緒の安定に欠かせない要素です。例えば、遊びと食事のスペースを共用していると、どうしても遊びが中断されるケースが出てくるため、ランチルームを設けています。休息のスペースも同じこと。生活の流れの中で、次の活動で使用するスペースが重ならないように工夫することは、それぞれの活動のつながりを緩やかにし、一人一人が活動に集中できるようになります。

そして、子どもたち自身が、その流れに見通しを付けられることが、落ち着いて自発的に活動することにもつながります。それは、年間を通した見通しについても同様。そこで行事写真のアルバムを絵本ゾーンに置き、いつでも見ることができるようにしています。過去の行事を振り返るだけでなく、これからの行事についても見通しが持てるようにしているのです。



『環境設定は今できることの少し先を見据えて』

情緒の安定には、保育者が受容し、共感することで、信頼関係を築くことが、不可欠なのは言うまでもありません。が、もう1つのポイントが遊びの環境設定。子どもの発達段階、能力、興味などを起点に、どのような環境を設定するかも、大きくかかわっています。

例えば、子ども同士のかかわりを増やす目的でゲームを用意した時。ルールが少し複雑だったためか、あまり盛り上がらないことがありました。そこで、比較的簡単なルールでシンプルに楽しめるゲームに変えると、意外なほど盛り上がります。

大人も同じだと思いますが、難し過ぎるものに対しては、自ら意欲的に取り組むのは難しいものです。生き生きと活動できていなければ、情緒が安定しているとは言えません。

発達段階を見極め、今できることの少し先、120%のものをタイミングよく用意し、欲求に応えられるようにしたい。そんな狙いから、遊びのゾーンごとに子どもの様子を「環境日誌」に書き留め、検証を繰り返しながら、実践を重ねています。



4つの視点を見直して   コメント 藤森平司氏

よく保育園は「養護と教育」で、幼稚園は「教育」であるとか、養護は「0、1、2歳児への養育や保護」ととらえられていましたが、今回の保育所保育指針の「第3章 保育の内容」で養護についてはっきりと明言されました。「養護とは、子どもの生命の保持及び情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わりである」としています。

その中で特に、「情緒の安定」については、幼稚園教育要領の中でも「幼児は安定した情緒の下で」と書かれてあるように、どの機関の教育においても必要なことです。

その情緒の安定とはどういう状況かというと、よく子どもたちが静かにして、黙々と何かに取り組んでいる姿を思い浮かべますが、実はそういう姿だけでなく、子どもたちが生き生きと活動していたり、友達と楽しそうに過ごしていたりする姿も情緒が安定していることなのです。

今回の指針では、その情緒の安定について、4つの視点が示されています。その4つの視点をもう一度見直してみましょう。今回のあさり保育園の実践例は、情緒の安定を図る上でのポイントがきちんと押さえられています。

情緒の安定の4つの視点
1.発達過程を理解して欲求にこたえる
2.共感する
3.自発的な活動によって自信を深める
4.生活リズム

No.283 保育園は子どもだけでなく大人も…

早いものでもう少しで2月が終わり、年度末の3月がやってきます。歳を重ねるごとに毎日があっという間に過ぎていくように感じるのですが、そのことで先日おもしろい法則を知りました。「ジャネーの法則」といって『人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例する』というものです。例えば30歳の人にとって1年の長さは人生の30分の1ですが、3歳の子にとっては3分の1に相当するため、そこには10倍の差があり、つまり感覚的に30歳の人は3歳の子より10倍の早さで時間が過ぎているように感じるという話です。なんとなく分かるような気がしませんか。感受性豊かな子どもの頃の経験は、新鮮な驚きに満ちているので経験の内容が豊富で長く感じられ、大人になるにつれ新しい感動が少なく単調になり、時間が早く過ぎるように感じるからだということです。

話は変わりますが、先日保育者を対象とした研修会があり、そこで講師の方がこんなことを言われました。
「保育園は子どもだけではなく大人も真剣に生きていく場です。」
私にはこの言葉がすごく響いてきました。上で書いたように、時間の感じ方や受ける感動の濃密さは確かに違っているかもしれないけど、それでも子どもも大人も成長していくために真剣に生きている存在です。そんな子どもと大人が共に生活していく場が保育園なんだという意識は、もっと強くもった方がいいのかもしれないと考えさせられました。

保育園は子どもの生活を中心に考える場です。そのことは間違いありません。でも誤解を恐れずに言うと、そこに関わる大人は自分を抑えてでも子どもに尽くすべきだとか、そういうことではないと思うのです。大人にとっても大事な生活の場であると考えたいのです。私たち保育者だけでなく、直接的な関わりの時間は少ないとしても、保護者のみなさんや地域の人も保育園の生活者だと思っています。そして関わる全ての人たちがいつも楽しく愉快に過ごせるのが理想ではあるんでしょうが、実際はなかなか難しいと思います。しんどい時もあったり、悲しいときもあったりする、そんなものです。そんな感情を否定することなくみんなで認め合い、でも感情をコントロールしたいという気持ちもみんなで応援し合える。そして楽しいときはみんなで目一杯楽しさを共有する。そんな感情の扱い方なんかを子どもたちに見せていくことも「真剣に生きていく場」にしていくために必要なんじゃないかなあと。みんなが素直な姿でまっすぐに関わって影響し合える保育園って、いいなあと思うんですよね。

2013年2月15日

No.282 学ぶ姿勢のはなし

1月末に引っ越しが終わり、今は来年度に向けての移行期という段階に入っています。ぞう組さんはなんとなく年長児の風格が増してきた気がしますし、きりん組やくま組さんがぱんだ組さんを導いている姿もよく見られます。ぱんだ組さんは多少戸惑う姿も見られますが、それでも新しい生活の場に馴染んできたように感じます。うさぎ組さんとりす組さんは3月後半に移行が行われる予定ですが、個々の成長はちょっとした表情などからも感じられます。

もちろん個々によって程度の違いはありますが、みんな確実に変化してきています。その変化の中身は、周りの子の姿を見て真似をしてできるようになったこととか、他の子との関わりが複雑になったというか豊かになってきたこととか、そんな変化が特に目立つように思います。例えばぱんだ組さんは新しい生活の場のルールを覚えるところから始まりました。言葉で説明したり実際にその場で仮の体験をしてみたりと、いろんな方法でわかりやすく伝える工夫をしてきました。でもそのルールを自分に染み込ませていくためには、ルールの中に身を置いて実際に行動することが必要だと思っています。そのためにも見本となる上の子の存在は重要です。聞けばいろいろ教えてくれる子はいますが、聞いていないのに事細かに教えてくれる子はいません。だから自分が参考にすべき上の子を見つけ、自分で見て学ばなければいけないわけです。

この「見て学ぶ」行為を別の角度から考えてみると、これはすごく自発的な行為です。自分のために教えてくれているわけではない他の子どもの行動を見て、そこから自分に必要なことをつかみ取っていくわけですから。大人の学びにも同じようなことがあると思います。例えばラジオを聞いていて、決して自分だけに向けて言っているわけではない言葉が、何故か悩みや課題を抱えている今の自分に向けて言ってくれているように聞こえてきて、その言葉を深く受け止めて自分の行動を見直すことにつながったりとか。そんなことってありませんか?これは「自分に向けて言ってくれている」と勘違いしているわけですが、でもこんな積極的な勘違いができる姿勢って、すごく大事なんじゃないかと思っています。学ぶ姿勢ってこういうことじゃないかなあと。周りの人の様々な行動や言葉を積極的に、そして丁寧に受け止める姿勢を大人が子どもに行動で示すことができれば、子どもの「見て学ぶ」行為はもっともっと促されるんじゃないかと。わかりにくい話ですね。でも学ぶ姿勢は大事にしたいです。

2013年2月13日

2013くにびきマラソン

2月11日、くにびきマラソンのハーフを走ってきました。
初めて大会で走ったのが昨年のこの大会。
その時はどんなペースで走ればいいのかも分からずとにかく必死でしたが
今回はペース配分なんかを考える余裕も持ちながらゴールできました。
1年間走ってきてよかった!と思えた瞬間でした。




目標は1時間40分以内と定めていて、結果は1時間38分53秒。
上を見ればまだまだ速い人はたくさんいるけど
自分の描いているステップはそこそこ順調にクリアしながら進めています。
5kmごとに23分17秒、23分14秒、23分08秒、23分42秒と
だいたい思っていたペースで走れてました。
でもこれ以上のペースは多分無理でしょうね。
というか目指そうとはあんまり思ってませんし。

次に目指すのは100km、ウルトラマラソンです。
自分の足でどこまで走れるものなのか、単純に興味があるんですよね。
12時間くらい走ることになると思うのでどうなることやらですが、
怖さよりも、ゴール後に何を感じるか楽しみという思いの方が強いです。
ということで、6月にはウルトラマラソンに挑戦です。

そしてそれを無事に終えることができたら、また次のステップへ進みます。
そしていろんな条件を1つずつクリアして、
45歳までに大きな大きなあのレースに、
そして更に大きな大きなあのレースにも挑戦してみたいと思っています。

それにしてもこんなに走ることにのめり込むとは思ってもいませんでした。
ワラーチに出会ったことも、走ることを楽しめている要因ですね。
走ることはほんとに奥が深くておもしろいです。



2013年2月8日

No.281 コミュニケーションはバランスが大事

みなさんは「イジョウジ」と聞いてどんな漢字を思い浮かべるでしょうか?例えば保育園では「以上児」という漢字が多いのですが、この言葉、どれだけの人が知っているんでしょうか?先日O保育士がこんな話をしていました。「私は以上児って当たり前のように言ってるけど、旦那はそれを異常児だと思ってたみたいなんです。」以上児がどういう意味かというと、その年度の4月1日時点で3歳、4歳、5歳の子(くま・きりん・ぞう組)のことを「3歳以上児」といい、それを略して以上児と呼んだりします。反対は3歳未満児、未満児と呼んでいます。これは保育園関係だけの言葉かもしれませんね。私も「保育園の人が異常児ってよく言ってるけど、そんな言葉があるの?」って聞かれたことは何度もありますし。

今回は言葉について。言葉はコミュニケーションには欠かせないものと言われています。それは確かにそうなんですが、でも例えば上に書いた「イジョウジ」という言葉が会話の中に出てきた場合、「以上児」と聞くか「異常児」と聞くかで話の内容は全く違ったものとして受けとられてしまいます。正しく言葉を使っていたとしても、どう受け取るかによって「キミの言ってることは全然分からないぞ!」とすれ違ってしまう可能性だってあるわけです。要するに、言葉は正しく使えばそれでコミュニケーションは成立するというわけではなく、どう受けとるかも同時に重要だということです。となると、文脈から言葉の意味を想像するとか、表情や間のとり方、声のトーンなどからも伝えたいことを読み取るとか、そんな力もコミュニケーションには必要になるということです。単に言葉を知っていればいいわけではないのが難しいところなんですよね。

ここで子どものことを考えてみますが、子どもは言葉を学んでいる真っ最中で、まだ十分には使えません。特に赤ちゃんは言語ではなく非言語のコミュニケーションを行う存在です。そんな子どもと関わる私たちは、非言語によるコミュニケーション、つまりしぐさや表情、抑揚などから伝えたい内容を想像することが特に求められていると思っています。専門用語では「対人知性(他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力)」とも言うそうで、今注目されている力です。このような力は人と人との生のやり取りの中で、失敗も経験しながら身につけるものだと思います。コミュニケーションは言語と非言語のバランスが大事なんだと再確認しました、という話でした。