2014年12月23日

陽希さんにお会いしてきました

グレートトラバース 日本百名山ひと筆書きを見事踏破された田中陽希さんにお会いしてきました。今回の旅で感じたことや保育園の子どもたちと出会って感じたことを聞かせてもらうこと、そして保育園の子どもたち陽希さんの旅をどんな風に楽しんでいたかを伝えること。そんなことが目的でした。

以下は陽希さんとお話をした内容の一部です。





旅の途中で「あさり保育園へ来てもらえませんか?」と突然お願いしたんですが、すぐに「寄ってみよう」と思われましたか?

子どもが好きなので「寄らせてもらおう」と思いましたよ。ただ、事前に話があったわけではなく突然だったので、少し戸惑いはありましたが(笑)。





子どもたちに会って交流してもらいました。子どもたちの反応を見てどんなことを感じましたか?

子どもはすごく素直だなあと思いました。今の子どもたちはませているというか、そんなイメージを勝手に持っていたんですが(笑)。全然違ってましたね。テントを出しただけでそれをすぐに遊び道具にしてしまうし、見ていてすごくおもしろかったです。そしていろんな子がいることも分かりました。テントでずっと遊ぶ子やもいれば、すぐにやめて違うものに興味が移る子もいましたし、強く関心を持つ子がいれば、あまり関心を持たない子もいたり。本当にいろいろだと感じました。あさり保育園での様子をテレビで観たんですが、あの説明(旅の内容を伝えるシーン)では伝わらなかったなあと反省しました。伝え方って難しいですよね。伝わるところまでやりたかったなあという思いもあります。保育園にいたのは短い時間だったけど、関わることができてよかったと思っています。





「好奇心が強いから前に進むことができている」と話されていましたが、保育園に寄ってもらった後も好奇心を刺激されるものに出会いましたか?

たくさん出会いましたよ。例えば島根県では玉造温泉で。ちょうど橋を直している最中で、しかも左官アーティストが作業されていたんです。勾玉の形をした飾りが橋についていて、ジブリの作品を見ているようでした。





旅の途中から7枚、そしてゴール後に1枚、計8枚のハガキを送ってくれましたよね。1枚目のハガキが届いたときはすごく驚いたんです。そしてそれ以降、子どもたちもハガキが届くのをすごく楽しみに待ってました。「陽希さんからのハガキ、きた?」と毎日聞いてくるくらい(笑)。あのハガキを出そうと思ったきっかけは何かあったんですか?

子どもたちが自分の旅のコーナーで楽しんでくれているのを知り(『陽希さんコーナー』ができたとき、すぐに写真を送ってそのことを伝えていました。)、子どもたちにハガキでも楽しんでもらいたいと思って書き始めました。そうそう、ほんとは四国にいるときから書こうと思ったんです。でも移動の連続で書く時間がなかなかとれなくて。奈良県に渡ったときに少し時間ができたので、ようやく書くことができました。





応援事務局のハタケスタジオのスタッフの方にお願いをして、子どもたちからのゴールのお祝いメダルを届けてもらいました。そのことにはすごく感謝しています。ゴールされたときの写真を見て、陽希さんに無事届いたことがわかり、みんなで大喜びしました。

応援事務局のハタケスタジオの方がゴールを予定していた日には間に合わないことがわかっていたので、事前にノースフェイスの方に託していたようです。その方から受け取りました。メダルはとてもうれしかったです!





ゴールゲートの寄せ書きも書かせてもらいました。「いちからひゃくまでがんばったね」は子どもたちが考えた言葉なんですよ。

子どもたちの素直な言葉でとてもよかったです!子どもたちの記憶に残っていたことが何よりもうれしかったですね。





ハガキでもたくさんのメッセージを書いてもらっていましたが、改めて子どもたちに何か一言お願いできませんか?

よく笑って、よく泣いて、よく叫んで、よく遊んで、よく楽しんでほしいですね(笑)。今思ったこと、感じたことを素直に受け止めてほしいです。そして失敗してもいいから、思った通りに、感じた通りに行動してもらいたいですね。



そして「内緒の話ですよ(笑)」と教えてもらったのが、保育園で食べてもらったおにぎりのこと。その日のおやつのおにぎりは梅干しおにぎりだったんですが、実は陽希さん、梅干しがニガテだったようです。でも子どもたちが『美味しいよ』と勧めてくるし、みんなの前で好き嫌いを言うのも…と思い、食べさせてもらいました、と。





その他にも、旅の中で楽しかったことや、死を覚悟するほど大変だったことなど、たくさんのお話を聞かせてもらいました。特に興味をもったのが「歩く速さ」について。

今回の旅はいろんな事情で急がないといけない場面がたくさんあり、気の向くままに寄り道をしたりはできなかったし、夜も前に進まなければいけないこともあって、しっかり見ることができなかった土地もあったとのこと。歩くスピードでその土地に触れることで生まれる出会いや発見はあるはずで、それを十分に体験することができなかったのが残念だったと話されました。宿場町なんかも残っていて、それがだいたい20〜40kmおきにあるし、峠の前や後にもちゃんとあり、町も歩く速さや歩ける距離に会わせて出来ていたんだなあと感じました、とも。「歩く速度」も大事にしたいと、過酷な旅を体験されたからこそ強く感じておられるんだろうなあと思いました。

技術が進歩して移動なんかも速く、遠くに、楽に行けるようになって得たものは確かにたくさんありました。でもその影で失ったものもたくさんあるはずです。普段はあまり意識しないその失ったものについて、日本百名山を人力のみでつないだ今回の旅を応援することを通して、無意識のうちに考えさせられていた気もします。

陽希さんとのお話はこれ以外にもたくさんあったんですが、とても全部は書き切れないのでこれくらいにしておきます。

今回お会いするにあたって何か島根のものを届けようといろいろと考えました。そんな時に思い出したのが石州瓦。陽希さんが保育園に来られたとき、「この辺の瓦は何故赤いんですか?」と石州瓦の色に非常に興味を持っておられました。その時は答えられなかったので、「なぜ石州瓦は赤なのか?」を今回はちゃんと説明させてもらい、その石州瓦の小さいものをお渡ししてきました。「あー、これがあのとき瓦ですかー!懐かしいなあ(笑)」と喜んでもらえました。





0 件のコメント:

コメントを投稿