2017年11月24日

No.520 「依存」と「自立」を行ったり来たり

「子育てハッピーアドバイス」の著者、真生会富山病院診療内科の明橋大二氏の講演を聞く機会がありました。今子どもをめぐる問題の多くは“自己肯定感の低さ”からきていると考えておられ、では自己肯定感を高めるためにはどうすればいいかを提案されています。講演の中で、子どもの心がどのようにして育っていくかを話されたんですが、その点が特に印象に残ったので紹介させてもらいます。


子どもの心は「依存」と「自立」を行ったり来たりして成長していきます。依存とは甘えのこと、自立とは反抗のことです。まず子どもの心は親に完全に依存した状態で生まれます。そこで十分安心感をもらうと、今度は依存による不自由さを感じるようになります。依存の世界は安心ではあるけど、同時に不自由な世界です。なので、自由になりたい、自分でやりたいと思うようになります。それが意欲です。そしてその意欲によって自立の世界へ向かっていきます。自立の世界は自由な世界なので、何でも好きなようにできます。ところがそのうちに子どもの心に別の気持ち、何かに頼りたいといった不安が出てきます。この不安が深くなると、また依存し、甘えたくなります。そして甘えることことによって安心感を得ます。そこで十分安心感をもらうとまた不自由になる、といったように、行ったり来たりしながら大きくなるのが子どもの心です。

ここで大事なのは、依存と自立の行ったり来たりは子どものペースでないといけないということです。子どもが「お母さん」と寄ってきたときは助けてあげ、自分でやると言ったときは「じゃ、やってごらん」とさせてあげるといったように、子どものペースで行ったり来たりできることが大事なのです。


子どもの心の育ち方について、このように話しておられました。これを読むとほとんどの方が「うん、わかる」となるんじゃないでしょうか。でも、目の前の子どもを見ていると、行ったり来たりするものだということをつい忘れてしまい、「行く」ことだけを強く求めてしまったりするものです。私たち大人に求められているのは、こうした子どもの育ちの理解だけでなく、目の前に流れている時間とは違ったかなり長いスパンの、肌感覚でしか分からないような時間で子どもを見る姿勢だったりするんだろうと思っています。今目の前に見えている子どもの姿にとらわれすぎることなく、10年後20年後に子どもが社会へ出たときのことを考え、そのときにどんな大人になっていてほしいか、そんなことをじっくり見ていく感覚を磨くことができれば、子育てが少しは楽になるんじゃないでしょうか。そんなことを考えさせられた、明橋氏の講演でした。

2017年11月17日

No.519 互いに影響し合う関係

子育てにおいてアタッチメント(愛着)が重要なことはご存じのとおりだと思います。アタッチメントが形成されることで、子どもは「いつでも見ていてくれる、守ってくれる」と安心感を持ち、そのことが様々な環境に働きかける意欲につながり、成長へとつながっていきます。代表的なのが母子関係、親子関係において、子どもの気持ちを的確に読み取り、それに即座に応答してあげるアタッチメントです。この母子関係と同じアタッチメントが保育園の保育士の役割として今でも強調されることがありますが、様々な研究によって実はそれが必ずしも効果的ではないと分かってきています。

細かなことは省略しますが、子ども集団の規模が小さい場合、例えば家庭や2,3人の集団の中においては保育者と子どもの密な関係によってアタッチメントは安定しますが、保育園やこども園のような大きな子ども集団になると、保育者との二者間の関係によるアタッチメントの安定度の相関が小さくなってくるようです。そして子ども集団の規模が大きくなっても、保育者と子どものアタッチメントの安定性はたいして変化しないようです。分かりやすい表現にすることが出来ませんでしたが、要するに大きな子ども集団の中では、保育者との二者間の関係を強化することを考えるよりも、保育者との二者間、そして子ども同士のつながり、それらを総合的に高めていく視点を持つことが重要だということになりそうです。

先日、メトロノームの動きやろうそくの炎の揺らぎが互いに影響し合ってシンクロしてくる現象の話を聞きました。

『バラバラに動くメトロノームが徐々に同期するふしぎな現象』




『なぜ複数のロウソクの炎の揺らぎは同期するのか』


目に見えるわけではないけど、互いの力が全体の中で作用し合い、気づけば同じように動いている。こんなまとめ方では間違っているのかもしれませんが、だいたいこんな感じでもいいのかと。ここで同期の原理を細かく見ていくことはしませんが、例えばメトロノームが同期・同調していく様子を見ていると、子ども同士の関係を考える上で大事な部分でもあると感じます。

親や保育者が子どもの気持ちを的確に読み取り、それに即座に応答してあげることでアタッチメントが安定することは上で書きましたが、それは子ども同士の関係においてもあり得るというのが私の立場です。ある子が楽しそうに歌っているとします。それを周りで見ている子が、歌っている子の楽しい気持ちを感じ取り、その気持ちに影響されて同じように歌い出すとか、上手に片付けをしている子を見ていて刺激を受け、同じようにやってみたいと思って片付けに挑戦し始めるとか。そして最初に行動を起こした子が周りが動き出したことを見て、更に気持ちを高めたり行動の意欲を高めたり。そんなことも応答性だと考えていて、その応答によってアタッチメントが安定する、それが子ども集団の持っている力だと思っています。

あさりこども園において「子ども同士の関係性を大事にする」としつこく言っているのは、保育者との二者関係も子ども同士の関係も、どちらも子どもの育ちには大切で、特に子ども同士の関係は子ども1人ひとりの発達を理解したうえで意図して作ろうとしなければ生まれてきにくいと考えるからです。大人の関わりが強すぎるとどうしても大人に依存する傾向が強まり、子ども同士の関係は豊かになりにくいです。大人との関係も築きつつ、子ども同士の関係も豊かに広がっていくようにしていくことが、保育者の役割だと考えています。

2017年11月15日

2017年11月

【環境整備委員会】
今年度から環境整備委員会がスタートしています。文字通り、花の村施設周辺の環境整備を考える委員会ですが、これは昨年度までは安全委員会が担当してくれていました。ですが、安全委員会は環境整備以外の検討事項が多くあること、そして合歓の郷施設周辺以外の整備も広く検討していく必要があることなどから、独立した委員会を運営してもらうことにしました。メンバーは、居宅介護支援事業所のNさん、小規模多機能型居宅介護合歓の丘のAさん、デイサービスセンター合歓の郷のMさん、グループホームやかたのYさん、ヘルパーステーション合歓の郷のOさん、さくらこども園のFさん、あさりこども園のIさんです。

【関心を持つ人を増やす】
活動方法で変わったのは、全員が参加できるよう、動ける時間を見つけて参加できる形にしたことです。今までは16時からの1時間で集中的に作業していたため、利用者の送迎等で参加できない部署が常にありました。そうなると、整備に対する意識の差は人によって大きくなり、「草が伸びてきたな」「あそこは修繕が必要なのでは?」といった環境に対しての関心は薄くなってしまいます。もちろん一気にやる方が効率はいいのですが、効率よりも環境に対して関心を持つ人を増やす仕組み作りを優先してくれました。

【心理的な距離】
メンバーの中でも、あさりこども園のIさんに求められる役割は少し特殊です。現在の主な作業場所が合歓の郷の周囲であることから、距離の離れているあさりこども園の職員はサッと作業に加わることができません。関心を持ちにくいのも仕方のないことです。そんな中でも池村さんは花の村全体のことを考え、部署の枠を超えて協力し合うことが自分たちのためにもなると理解してくれており、職員への協力依頼を地道に行ってくれています。物理的な距離は変えられませんが、心理的な距離は必ず縮めることができます。互いに関心を持って協力し合うことこそが花の村の仕事において大事な姿勢であり、そのことを池村さんが率先して伝えてくれているのを嬉しく思っています。

【みんなで支え合う】
委員会発の作業とは別に、個々に整備作業を行ってくれている職員が以前からおられます。その方々の活動をちゃんと伝えるために、このたび「感謝」というチラシを作ってくれました。そこで取り上げられるのは…と辞退された方もおられるので、全員が載っているわけではありませんが、こうした活動にもちゃんと目を向けておきたいと思います。自分の知らないところで多くの人が動いてくれている、むしろそんな活動の方が圧倒的に多く、そのおかげで今の仕事も成り立っていると考えた方がいいかもしれません。みんなで支え合うことを花の村の“根っこ”として大切に育てていきましょう。

2017年11月10日

No.518 AIとかEVとか

AI(人工知能)の発達によって社会のあり方、仕事のあり方が大きく変わってくると言われています。以前ひとりごとでも取り上げましたが、今ある職業の中のいくつか、AIがカバーできるものについては、あと10年で消えるといった話まで出てきています。AIについては詳しくはありませんが、私たちに与える影響は小さくないと思っているので、その動きには注目しています。AIが社会の中での役割を固めてきて、その上で私たちの役割はどうなるのか。そんな時代の社会において、人はどんな力が求められるのか。そんなことを考えながら、人生の基礎づくりを行うこども園のあり方を探っていかなければいけないと思っています。

AIが社会に与えるインパクトの方が遥かに大きい事は十分に分かっていますが、それでも今の個人的な興味はEV(電気自動車)の方に強く向いています。車に頼り切った生活をしているからこその興味かもしれませんが、2030年までにガソリン車・ディーゼル車の販売を制限する方針を打ち出している国があったり、EVをメインにしていく方針を出すメーカーがあったり、家電メーカーがEV産業に入ってきたりと、大きく動き出していることは間違いありません。乗る車がEVになるという変化だけではありません。今の車は3万点以上の部品が必要なのですが、EVは部品数が半分以下になるとのこと。そうなると車の部品づくりを担ってきた会社はどうなるのか、そこの雇用はどうなるのか、自動車産業の規模の大きさを考えると、社会のあり方はかなり変わってしまうのではないか、そんなことを考えています。

スマートフォンの登場から普及までの間に起こったこともそうですが、産業の形態が変わるだけでなく、生活にも大きく影響してきます。子育ても例外ではありません。以前はテレビとのつきあい方が子育てにおいての課題の1つでしたが、今はスマートフォンとのつき合い方が課題となっています。しかも課題の中身はテレビのそれとは違ってかなり複雑です。そうした変化を体験してきただけに、EVの普及によって(もちろんAIも)、回り回って子育て環境にも変化が訪れるんじゃないかと思っています。

とにかく変化の大きな時代です。しかも変化のスピードは凄まじく速いです。その変化を頭に入れた上で、子育て環境のこと、保育環境のことを考える必要があります。社会の変化に合わせて変わらなければいけないこと、決して変えてはいけないこと、その見極めも必要です。大きく変化している社会の中で、いたずらに振り回されることなく、自分の役割を見つけ、他者と繋がりあって生活していくためにどんな力が必要なのか。自分で考えること、自分で決断すること、他者とコミュニケーションを取ること、多様さを尊重できることなどなど、大事にしたいことはたくさんあります。難しい時代ですが、同時にやりがいがある時代でもあります。

2017年11月3日

No.517 わたしたちの「ふつう」にしよう

わたしの「ふつう」と、あなたの「ふつう」はちがう。それを、わたしたちの「ふつう」にしよう。
愛知県の今年度の人権啓発ポスター

普通教育、普通選挙といわれるように、「普通」はかつて、身分による限定を外すものとして、とてもまぶしいことばだった。それがいつ頃からか、等し並みのもの、これといった特徴のない凡庸なものという意味へと裏返ってしまった。この標語は、「普通」を、一人ひとりの存在を輝かせることばとして甦(よみがえ)らせようとしている。(鷲田清一)


生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう、学校から繰り返し強要されたとして、大阪府に対し損害賠償を求める訴えを起こしたというニュースを知りました。それが自分の元々の髪の色であることを証明するために地毛証明書を提出しないといけないケースがあることも知りました。自分の生まれ持ったもの、どうにも変えることのできない部分に対して皆と同じであることを求め、変えることを求める動きは、なんだか恐ろしいものを感じます。バラバラでもいいと認めてしまうと学校運営が成り立たないんでしょうか。子どもを丸ごと信じることが、教育(保育も同じ)の原点だと思います。このニュースを知って、上の標語について書かれた文章を思い出しました。

もう一つ思い出したのが次の文章。髪の毛のことと直接関係はないのですが、私たちはこのような考え方に陥ってしまいがちだということを自覚しておく必要があるんでしょうね。

そこに所属しているという意識から、そこを自分が所有しているという意識に変わったとき、共同性は排他性へと変質する。
星野智幸

つまり「つながりを持てることが喜びだったのに、どこまでが仲間かという線引きが始まる」のだと、作家は言う。他の人たちと思いを共有しているという感覚は、自分は疎外されているという負の感情を癒やすが、同じその「物語」を共有しない人々の排斥へと容易に裏返る。「新潮」1月号に寄せた文章「一瞬の共同性を生きる」から。(鷲田清一)


あさりこども園は誰かの所有物ではなく、多くの人がつながる場であるべきだと考えて運営しています。誰かを排除したりすることなく、誰もがつながることのできる場です。当然そこにいる全ての人がそのまま尊重されることから始まります。こども園だけでなく、社会全体がそうあるべきで、その空気を子どもたちには当たり前のように受け止めてもらいたい、その大切さを生活や遊びの中でしっかりと学んでもらいたいと思っています。