2017年11月3日

No.517 わたしたちの「ふつう」にしよう

わたしの「ふつう」と、あなたの「ふつう」はちがう。それを、わたしたちの「ふつう」にしよう。
愛知県の今年度の人権啓発ポスター

普通教育、普通選挙といわれるように、「普通」はかつて、身分による限定を外すものとして、とてもまぶしいことばだった。それがいつ頃からか、等し並みのもの、これといった特徴のない凡庸なものという意味へと裏返ってしまった。この標語は、「普通」を、一人ひとりの存在を輝かせることばとして甦(よみがえ)らせようとしている。(鷲田清一)


生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう、学校から繰り返し強要されたとして、大阪府に対し損害賠償を求める訴えを起こしたというニュースを知りました。それが自分の元々の髪の色であることを証明するために地毛証明書を提出しないといけないケースがあることも知りました。自分の生まれ持ったもの、どうにも変えることのできない部分に対して皆と同じであることを求め、変えることを求める動きは、なんだか恐ろしいものを感じます。バラバラでもいいと認めてしまうと学校運営が成り立たないんでしょうか。子どもを丸ごと信じることが、教育(保育も同じ)の原点だと思います。このニュースを知って、上の標語について書かれた文章を思い出しました。

もう一つ思い出したのが次の文章。髪の毛のことと直接関係はないのですが、私たちはこのような考え方に陥ってしまいがちだということを自覚しておく必要があるんでしょうね。

そこに所属しているという意識から、そこを自分が所有しているという意識に変わったとき、共同性は排他性へと変質する。
星野智幸

つまり「つながりを持てることが喜びだったのに、どこまでが仲間かという線引きが始まる」のだと、作家は言う。他の人たちと思いを共有しているという感覚は、自分は疎外されているという負の感情を癒やすが、同じその「物語」を共有しない人々の排斥へと容易に裏返る。「新潮」1月号に寄せた文章「一瞬の共同性を生きる」から。(鷲田清一)


あさりこども園は誰かの所有物ではなく、多くの人がつながる場であるべきだと考えて運営しています。誰かを排除したりすることなく、誰もがつながることのできる場です。当然そこにいる全ての人がそのまま尊重されることから始まります。こども園だけでなく、社会全体がそうあるべきで、その空気を子どもたちには当たり前のように受け止めてもらいたい、その大切さを生活や遊びの中でしっかりと学んでもらいたいと思っています。

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