大人が子どもの行動の意味を理解できないことがあるように、子どもも大人の行動の意味が理解できないことはあるはずです。子どもには子どもの、大人には大人の、それぞれの世界があって、そのことを踏まえた上でないと理解し合えないことってたくさんあるんだろうと思っています。例えば先週書いた赤ちゃんの行動「周りにあるモノを手当たり次第に掴んで口に入れてみる」とか「それを放り投げてみる」とか「大事な紙でも何でもビリビリと破ってみたりする」とか。そうした行動は大人から見たらただの困った行動にしか見えなかったりするものです。「そんなものを口に入れたら汚いからやめて!」とか「そんなに乱暴に扱ったら壊れるでしょ!」とか「仕事で使う大事に紙だったのに!」とか。
でもその困った行動というのは大人の世界から見た場合の話であって、子どもの世界から見ると全然意味が違ってきます。赤ちゃんは自分が育つために何をすればいいのか、あらかじめ遺伝子に組み込まれていて、だからこそ赤ちゃんの行動には全て意味があるというのが最近わかってきていることです。身の周りのモノを触ったり、叩いたり、破ったり、なめたりしながら、そのモノの性質を確かめることで周りの世界を知っていくことや、そのために様々に自分の体を動かすことで自分の体を知っていきますし、各部の機能を高めていきます。どれも子どもにとって大切な行動です。
でもそれをいつも黙って「よしよし、着実に成長しているな」と大らかな気持ちで眺めていることは、そんなに簡単なことではないと思います。私たちの生活の場は、子どもだけが生活している場ではなく、私たち大人も生活しています。その中でそうした赤ちゃんの行動を見ていると、その意味は理解しているとしても、つい口を出したり制止したりしてしまうのが正直なところではないでしょうか。子どもの世界と大人の世界、どちらも上手く折り合いをつけて生活していこうとすると、やはり両立(どちらも100%保障されるという意味)ではなく、調和(その都度優先順位をつけて、大人が譲る必要は大いにあると思いますが)の考えが大事なんだと思います。そこで保育園に目を向けてみると、当然のことですが子どもに必要な体験の場を用意しやすい(というか、すべき)環境です。保育園での友だちとの関わりなんかも含めた様々な体験がもっと豊かになるように、というのがスタッフ全員の思いです。
2012年7月26日
2012年7月25日
2012年7月21日
サルスベリに根元にある花壇
園庭にあるサルスベリの根元にはたくさんの植物が植えられています。
ミニトマト、センニチコウ、バジル、ホオズキ、フウセンカズラ、
ヒマワリ、メキシカンブッシュセージ、オシロイバナなどなど。
これも花壇の1つとして考えているのですが、
じーっと見ているとよくこんな花壇を思いついたなあと感心します。
この花壇は園庭環境係のスタッフが中心になって作ってくれました。
子どもたちの育ちを考えたときどんな園庭環境が必要なのか、
その環境をどのようにして作っていけばいいのか、
そんなことを考えてくれるのが園庭環境係です。
そう書いてしまえば「なーんだ、そんなことか」と
それだけのことで終わってしまうのですが、
そこに楽しさを加えていくのが難しいところです。
楽しさを盛り込むためにはまず担当者が楽しむこと。
これが大事だと思っています。
楽しんで花壇を作ってそれが何になるのか?
そう思われることもあるかもしれません。
でも、そんなことに対しても楽しんで取り組むことができるかどうかは
保育の中での楽しさや遊び心に大きく影響してくると思っています。
例えば子どものことを考えたとき、
嫌々やらされるようなことと楽しさを感じられることとでは
どちらが子どもが自分から進んで取り組める活動になるでしょうか。
子どもは自ら進んで環境に働きかけることで、
その環境との相互作用によって成長していきます。
自ら進んで活動することが成長には欠かせないということです。
なので、楽しさは保育の中でも大事な要素になるというわけです。
で、この「楽しさ」は人に伝染していくんですよね。
誰かが楽しいと感じて夢中になっている姿を見ていると
それだけでこちらも楽しい気分になってきます。
このことは誰もが数え切れないくらい経験していることだと思います。
だとすれば、大人の楽しさも子どもに伝染するのも当然のことですよね。
「サルスベリの周りを花壇にしようと思うんだけど、どう思う?」
「それおもしろそう!もっと詳しく聞かせて。」
「いかにも花壇ですって感じでももちろんいいんだけど、
そうじゃなくてもっと自然な感じで花が咲いているイメージで…。」
「うんうん」
「そこに植える花も同じ花をたくさん植えるんじゃなくて
いろんな花を少しずつ植えてみたりして…。」
「うんうん、それいいね。楽しそう!」
こんな会話があったかどうかは知りませんが、
こんな会話をしながら花壇作りを進めている大人の姿が周りにあれば
その楽しさは子どもたちにも伝わっていくはずです。
楽しさが伝われば、子どもたちの活動もより自発的に、
そしてより創造的になるんじゃないかと思っています。
そのためにも保育者には楽しさを大事にしてもらいたいと
いつも思っています。
楽しんで活動する人がいて、それに共感して一緒に楽しんでくれる人もいて。
そんな風に楽しさがつながっていく場って、それだけで気持ちがいいですよね。
ミニトマト、センニチコウ、バジル、ホオズキ、フウセンカズラ、
ヒマワリ、メキシカンブッシュセージ、オシロイバナなどなど。
これも花壇の1つとして考えているのですが、
じーっと見ているとよくこんな花壇を思いついたなあと感心します。
この花壇は園庭環境係のスタッフが中心になって作ってくれました。
子どもたちの育ちを考えたときどんな園庭環境が必要なのか、
その環境をどのようにして作っていけばいいのか、
そんなことを考えてくれるのが園庭環境係です。
そう書いてしまえば「なーんだ、そんなことか」と
それだけのことで終わってしまうのですが、
そこに楽しさを加えていくのが難しいところです。
楽しさを盛り込むためにはまず担当者が楽しむこと。
これが大事だと思っています。
楽しんで花壇を作ってそれが何になるのか?
そう思われることもあるかもしれません。
でも、そんなことに対しても楽しんで取り組むことができるかどうかは
保育の中での楽しさや遊び心に大きく影響してくると思っています。
例えば子どものことを考えたとき、
嫌々やらされるようなことと楽しさを感じられることとでは
どちらが子どもが自分から進んで取り組める活動になるでしょうか。
子どもは自ら進んで環境に働きかけることで、
その環境との相互作用によって成長していきます。
自ら進んで活動することが成長には欠かせないということです。
なので、楽しさは保育の中でも大事な要素になるというわけです。
で、この「楽しさ」は人に伝染していくんですよね。
誰かが楽しいと感じて夢中になっている姿を見ていると
それだけでこちらも楽しい気分になってきます。
このことは誰もが数え切れないくらい経験していることだと思います。
だとすれば、大人の楽しさも子どもに伝染するのも当然のことですよね。
「サルスベリの周りを花壇にしようと思うんだけど、どう思う?」
「それおもしろそう!もっと詳しく聞かせて。」
「いかにも花壇ですって感じでももちろんいいんだけど、
そうじゃなくてもっと自然な感じで花が咲いているイメージで…。」
「うんうん」
「そこに植える花も同じ花をたくさん植えるんじゃなくて
いろんな花を少しずつ植えてみたりして…。」
「うんうん、それいいね。楽しそう!」
こんな会話があったかどうかは知りませんが、
こんな会話をしながら花壇作りを進めている大人の姿が周りにあれば
その楽しさは子どもたちにも伝わっていくはずです。
楽しさが伝われば、子どもたちの活動もより自発的に、
そしてより創造的になるんじゃないかと思っています。
そのためにも保育者には楽しさを大事にしてもらいたいと
いつも思っています。
楽しんで活動する人がいて、それに共感して一緒に楽しんでくれる人もいて。
そんな風に楽しさがつながっていく場って、それだけで気持ちがいいですよね。
2012年7月20日
No.253 できることを探していきます
『できるのできないのを考えることもなしに、人々が「やったほうがいい」とか「やるべきだ」とか言いそうなことに手を出して、始末のつけようがなくなることもあります。ひとりの人間として、謙虚に、なにが「できること」なのかを探すことは、じぶんの力を正確に見通そうとすることでもあるので、けっこう楽じゃないし真剣さが必要になるのです。』毎度のことで申し訳ないのですが、これは糸井重里さんの言葉です。「できることをする」ということについて書かれたものです。
これを読んだときに、私は赤ちゃんを含めた子どもたちの姿が頭に浮かんできました。子どもたちはいつも一生懸命です。目の前のできることに対して真剣に取り組んでいます。生きるために必要な力をつけていこうと、今自分自身がすべきことに対して真剣に取り組みます。例えば赤ちゃんは自分の手をじーっと眺めてみたり、両手でもみ手をするような動作をしたりします。その動作は一見何の意味もないように見えてしまいますが、こうした動作を通して自分の体を少しずつ理解していきます。
また、自分の近くにあるモノを掴んで口に入れてみたり、それを放り投げてみたり、紙をビリビリと破ってみたりします。これらの動作も大人からすれば意味が理解できなかったり困ったイタズラにしか見えなかったりしますが、身の周りのモノの性質を確かめたり体の使い方を理解していったりと、自分の成長のために今できることを真剣に行っている大事な大事な活動です。
で、これって誰かが「やったほうがいい」とか「やるべきだ」とか言うからやってるわけではないんですよね。生きるために今の自分に必要なことを確実にこなしているわけです。では大人は、そして私はどうかとつい考えてしまいます。「なんとなく」とか「みんながやってるから」とか、そんなことだけで行動していないかなあと。今の自分の力を見極めて(把握して)、そこから「できること」を見つけて1つずつ実行できているか。子どもたちに教わる毎日です。
土曜日の夏祭りでのバザーの収益金は、今年も東北地方へ送らせてもらいます。自分たちのできるベストのこととは言いませんが、私たちが確実に「できること」かなと思っています。小さいことですが、コツコツとやっていきます。
これを読んだときに、私は赤ちゃんを含めた子どもたちの姿が頭に浮かんできました。子どもたちはいつも一生懸命です。目の前のできることに対して真剣に取り組んでいます。生きるために必要な力をつけていこうと、今自分自身がすべきことに対して真剣に取り組みます。例えば赤ちゃんは自分の手をじーっと眺めてみたり、両手でもみ手をするような動作をしたりします。その動作は一見何の意味もないように見えてしまいますが、こうした動作を通して自分の体を少しずつ理解していきます。
また、自分の近くにあるモノを掴んで口に入れてみたり、それを放り投げてみたり、紙をビリビリと破ってみたりします。これらの動作も大人からすれば意味が理解できなかったり困ったイタズラにしか見えなかったりしますが、身の周りのモノの性質を確かめたり体の使い方を理解していったりと、自分の成長のために今できることを真剣に行っている大事な大事な活動です。
で、これって誰かが「やったほうがいい」とか「やるべきだ」とか言うからやってるわけではないんですよね。生きるために今の自分に必要なことを確実にこなしているわけです。では大人は、そして私はどうかとつい考えてしまいます。「なんとなく」とか「みんながやってるから」とか、そんなことだけで行動していないかなあと。今の自分の力を見極めて(把握して)、そこから「できること」を見つけて1つずつ実行できているか。子どもたちに教わる毎日です。
土曜日の夏祭りでのバザーの収益金は、今年も東北地方へ送らせてもらいます。自分たちのできるベストのこととは言いませんが、私たちが確実に「できること」かなと思っています。小さいことですが、コツコツとやっていきます。
2012年7月13日
大人の高さと子どもの高さ
このところ急激に大きくなっている
アキグミの前に立って写真を撮ってみました。
最初は160cmの高さ。つまり大人の高さ。
次は100cmの高さ。つまり子どもの高さ。
見えている世界がこんなにも違います。
大人のわたしたちからすると
「おお、アキグミが大きくなってるなあ」くらいですが、
子どもからするとちょっとしたジャングルです。
その大人と子どもの目線の高さの違いを踏まえて、
どうアキグミを育てていくのかを考えるわけです。
大人の高さで考えるか、子どもの高さで考えるか、
それによって例えば剪定の仕方もずいぶん違ってきます。
ちょっと道のジャマになってきたから通りやすいように…
というのはどちらかというと大人目線でしょうか。
この茂みの中に小さなトンネルがあったら楽しそう…
というのは子ども目線なのかなあ。
どの高さから見るか。たったそれだけで
考えることはガラッと変わってきたりするもんです。
何でもかんでも子どもの高さがいいというわけではないですが、
子どもからはどう見えているかを知っておくことも
大事なことだと思っています。
子どもたちのための環境をどうするか悩んだとき、
いろんな高さ、いろんな角度から見てみると
思いがけない発見があったりするかもしれません。
そんな発見がおもしろいんですよね。
「あれ?園長が園庭に座り込んでボーッとしてるよ。」
「ときどき見かけるけど、何やってるんだろうね、あれ。」
「さぼってないで草抜きでもすればいいのに。」
違うんですよ。
現状で何か問題はないか、もっといいアイデアはないか、
子どもの目線の高さからそんなことを考えてるんです。
一応は。
アキグミの前に立って写真を撮ってみました。
最初は160cmの高さ。つまり大人の高さ。
次は100cmの高さ。つまり子どもの高さ。
見えている世界がこんなにも違います。
大人のわたしたちからすると
「おお、アキグミが大きくなってるなあ」くらいですが、
子どもからするとちょっとしたジャングルです。
その大人と子どもの目線の高さの違いを踏まえて、
どうアキグミを育てていくのかを考えるわけです。
大人の高さで考えるか、子どもの高さで考えるか、
それによって例えば剪定の仕方もずいぶん違ってきます。
ちょっと道のジャマになってきたから通りやすいように…
というのはどちらかというと大人目線でしょうか。
この茂みの中に小さなトンネルがあったら楽しそう…
というのは子ども目線なのかなあ。
どの高さから見るか。たったそれだけで
考えることはガラッと変わってきたりするもんです。
何でもかんでも子どもの高さがいいというわけではないですが、
子どもからはどう見えているかを知っておくことも
大事なことだと思っています。
子どもたちのための環境をどうするか悩んだとき、
いろんな高さ、いろんな角度から見てみると
思いがけない発見があったりするかもしれません。
そんな発見がおもしろいんですよね。
「あれ?園長が園庭に座り込んでボーッとしてるよ。」
「ときどき見かけるけど、何やってるんだろうね、あれ。」
「さぼってないで草抜きでもすればいいのに。」
違うんですよ。
現状で何か問題はないか、もっといいアイデアはないか、
子どもの目線の高さからそんなことを考えてるんです。
一応は。
2012年7月12日
No.252 丸太で作った遊具のはなし
先月、「園庭の役割」ということでいくつか思いを書かせてもらいました。例えば園庭のポイントとして「運動」があり、揺する、走る、バランスを保つ、よじ登る、といった基本的な運動を通して、子どもたちは様々な感覚を獲得していき、そうした遊びに熱中する中で耐久力、体力、忍耐力、反応や敏捷性、柔軟性が鍛えられていく、といったことです。また、筋力のつかない乳幼児に筋力を鍛えるようなことは必要なく、いろんな種類の運動の要素があった方がいい、そんな話でした。
今の園庭を見渡したとき、乳児の運動(もちろん遊びを通して自然にできるもの)の場がもっとあってもいいかなと思っていて、ちょうどB保育士がある遊具の製作を提案してくれたのでお願いすることにしました。まだまだ製作途中の段階で、しかも遊具と言っていいのかわかりませんが、園舎と鉄棒の間に置かれた丸太たちがソレです。
大人だったら2,3歩で渡れてしまうようなモノですが、乳児の場合はバランスをとりながら慎重に渡らないといけないですし、小さい子ほど両手をついてでないと渡れなかったりします。例えば日常ではあまりしない動きですが、両手をついて前向きに下る動きなんかは、想像以上にいろんな力が必要なんですよね。つまり、ここを日常的に渡ることで運動機能に刺激を与えようというのが、B保育士のねらいでもありました。
もちろん子どもたちは何度も何度も渡ってくれましたが、しばらくするとベンチのように座って、そこでくつろいでいる姿が見られるようになりました(ちょっとわかりにくいですが右の写真)。こちらが意図した使い方にはならないことはよくあることで、これはこれでいいと思っています。この様子を踏まえて、B保育士はこの遊具を発展させてくれるはずなので、むしろ楽しみなくらいです。こんな場はこれからも増えてくると思います。「このモノにはどんな意図が隠されているのか?」そんな疑問があればどんどん尋ねてくださいね。
今の園庭を見渡したとき、乳児の運動(もちろん遊びを通して自然にできるもの)の場がもっとあってもいいかなと思っていて、ちょうどB保育士がある遊具の製作を提案してくれたのでお願いすることにしました。まだまだ製作途中の段階で、しかも遊具と言っていいのかわかりませんが、園舎と鉄棒の間に置かれた丸太たちがソレです。
大人だったら2,3歩で渡れてしまうようなモノですが、乳児の場合はバランスをとりながら慎重に渡らないといけないですし、小さい子ほど両手をついてでないと渡れなかったりします。例えば日常ではあまりしない動きですが、両手をついて前向きに下る動きなんかは、想像以上にいろんな力が必要なんですよね。つまり、ここを日常的に渡ることで運動機能に刺激を与えようというのが、B保育士のねらいでもありました。
もちろん子どもたちは何度も何度も渡ってくれましたが、しばらくするとベンチのように座って、そこでくつろいでいる姿が見られるようになりました(ちょっとわかりにくいですが右の写真)。こちらが意図した使い方にはならないことはよくあることで、これはこれでいいと思っています。この様子を踏まえて、B保育士はこの遊具を発展させてくれるはずなので、むしろ楽しみなくらいです。こんな場はこれからも増えてくると思います。「このモノにはどんな意図が隠されているのか?」そんな疑問があればどんどん尋ねてくださいね。
2012年7月6日
No.251 ドウスレバアイチャクケイセイガ?
保育をもっともっと深めていきたいと思い日々あれこれ考えているわけですが、時々「あっ、このままじゃいけない」と思わされることがあります。その代表的なことが、専門用語のような言葉を使ってわかったようなふりをしているけど実はきちんと整理できないままに使ってしまっている、ということです。先日も「やっぱり赤ちゃんの時からの愛着形成が大事ですよね」という話を「うんうん」と頷いて聞いていたんですが、この「愛着形成」って実は簡単なことじゃないんですよね。じゃあこの愛着形成ができるためには何をどうすればいいのか、そんなところまで突っ込んだ話ができないといけないと思うのですが、その時はそのまま流してしまいました。なのでそれを反省し、ここで整理をさせてもらいます。
乳幼児教育の関係者は愛着形成という言葉をよく使います。でもどうやったら愛着形成ができるかについては、あまり深く語られることはないんですよね。また、よく愛着形成のためにとよく言われるのが「その子の思いを受け止めてあげる」という言葉。これもまだまだわかりにくいです。例えば「抱っこして〜」と言ってきた子どもの思いを受け止めてあげるためにはどうすればいいのか。抱っこしてあげればいいのか、ダメと言えばいいのか、「抱っこして欲しいんだね」と共感さえすればいいのか。どれも「どうすれば愛着形成ができるか」に対してのはっきりとした答えにはなってないように思います。
考えるヒントは「子どもが負の状態に陥ったときにどうするか」にあるんじゃないでしょうか。負の状態のときの子どもは、自分のことを見守ってくれている誰かの存在を確かに確認することができれば、次の行動に移っていくことができます。自分を見守ってくれている誰かがいる、そういった存在が自分にはあるんだと確信を持てることが、私は愛着が形成されるために必要なことだと思います。繰り返しますが、実際に抱っこするといった直接的な関わりというよりも、自分を見守ってくれている存在があると確信できることによって愛着が形成されると考えます。
本当にありがたいことに、保護者のみなさんを含め、あさり保育園に関わる人は、子どもたちにいい視線を向けてくれています。子どもたちは見守ってくれていることを感じているハズです。地域の人も含めてこの輪がもっと広がっていけば、もっと楽しい場になるハズです。そんな大きな輪を、子どもたちを真ん中において作っていきたいんですよね。
乳幼児教育の関係者は愛着形成という言葉をよく使います。でもどうやったら愛着形成ができるかについては、あまり深く語られることはないんですよね。また、よく愛着形成のためにとよく言われるのが「その子の思いを受け止めてあげる」という言葉。これもまだまだわかりにくいです。例えば「抱っこして〜」と言ってきた子どもの思いを受け止めてあげるためにはどうすればいいのか。抱っこしてあげればいいのか、ダメと言えばいいのか、「抱っこして欲しいんだね」と共感さえすればいいのか。どれも「どうすれば愛着形成ができるか」に対してのはっきりとした答えにはなってないように思います。
考えるヒントは「子どもが負の状態に陥ったときにどうするか」にあるんじゃないでしょうか。負の状態のときの子どもは、自分のことを見守ってくれている誰かの存在を確かに確認することができれば、次の行動に移っていくことができます。自分を見守ってくれている誰かがいる、そういった存在が自分にはあるんだと確信を持てることが、私は愛着が形成されるために必要なことだと思います。繰り返しますが、実際に抱っこするといった直接的な関わりというよりも、自分を見守ってくれている存在があると確信できることによって愛着が形成されると考えます。
本当にありがたいことに、保護者のみなさんを含め、あさり保育園に関わる人は、子どもたちにいい視線を向けてくれています。子どもたちは見守ってくれていることを感じているハズです。地域の人も含めてこの輪がもっと広がっていけば、もっと楽しい場になるハズです。そんな大きな輪を、子どもたちを真ん中において作っていきたいんですよね。
2012年7月3日
おとなだらけの運動会
今日は子どもたちが全員帰った後、
「おとなだらけの運動会」を行いました。
これを企画してくれたのはBさんとSさん。
楽しみながら学びを深めるにはどうすればいいか、
そのことを考えてくれる担当が、この2人です。
競技としては障害物競走とリレーのみでしたが、
それでもいろんな気づきがありました。
それ以外にも入場行進のアイデアも浮かんできたりと、
普段とは違う視点から考えることができました。
やはり実際に体を動かして考えることも大事ですね。
もう少し先のことですが、
今回出てきたアイデアが運動会で生かされそうです。
散歩をされていた方は「何をしてるんだ?」と
不思議に思われたかもしれませんね。
あさり保育園のスタッフは
こんなことにも本気で取り組みます。
本気でやったからこその楽しい時間でした。
そしていい学びの時間にもなりました。
「おとなだらけの運動会」を行いました。
これを企画してくれたのはBさんとSさん。
楽しみながら学びを深めるにはどうすればいいか、
そのことを考えてくれる担当が、この2人です。
競技としては障害物競走とリレーのみでしたが、
それでもいろんな気づきがありました。
それ以外にも入場行進のアイデアも浮かんできたりと、
普段とは違う視点から考えることができました。
やはり実際に体を動かして考えることも大事ですね。
もう少し先のことですが、
今回出てきたアイデアが運動会で生かされそうです。
散歩をされていた方は「何をしてるんだ?」と
不思議に思われたかもしれませんね。
あさり保育園のスタッフは
こんなことにも本気で取り組みます。
本気でやったからこその楽しい時間でした。
そしていい学びの時間にもなりました。
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