2012年7月26日

No.254 子どもの世界と大人の世界

大人が子どもの行動の意味を理解できないことがあるように、子どもも大人の行動の意味が理解できないことはあるはずです。子どもには子どもの、大人には大人の、それぞれの世界があって、そのことを踏まえた上でないと理解し合えないことってたくさんあるんだろうと思っています。例えば先週書いた赤ちゃんの行動「周りにあるモノを手当たり次第に掴んで口に入れてみる」とか「それを放り投げてみる」とか「大事な紙でも何でもビリビリと破ってみたりする」とか。そうした行動は大人から見たらただの困った行動にしか見えなかったりするものです。「そんなものを口に入れたら汚いからやめて!」とか「そんなに乱暴に扱ったら壊れるでしょ!」とか「仕事で使う大事に紙だったのに!」とか。

でもその困った行動というのは大人の世界から見た場合の話であって、子どもの世界から見ると全然意味が違ってきます。赤ちゃんは自分が育つために何をすればいいのか、あらかじめ遺伝子に組み込まれていて、だからこそ赤ちゃんの行動には全て意味があるというのが最近わかってきていることです。身の周りのモノを触ったり、叩いたり、破ったり、なめたりしながら、そのモノの性質を確かめることで周りの世界を知っていくことや、そのために様々に自分の体を動かすことで自分の体を知っていきますし、各部の機能を高めていきます。どれも子どもにとって大切な行動です。

でもそれをいつも黙って「よしよし、着実に成長しているな」と大らかな気持ちで眺めていることは、そんなに簡単なことではないと思います。私たちの生活の場は、子どもだけが生活している場ではなく、私たち大人も生活しています。その中でそうした赤ちゃんの行動を見ていると、その意味は理解しているとしても、つい口を出したり制止したりしてしまうのが正直なところではないでしょうか。子どもの世界と大人の世界、どちらも上手く折り合いをつけて生活していこうとすると、やはり両立(どちらも100%保障されるという意味)ではなく、調和(その都度優先順位をつけて、大人が譲る必要は大いにあると思いますが)の考えが大事なんだと思います。そこで保育園に目を向けてみると、当然のことですが子どもに必要な体験の場を用意しやすい(というか、すべき)環境です。保育園での友だちとの関わりなんかも含めた様々な体験がもっと豊かになるように、というのがスタッフ全員の思いです。

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