29日(水)は「寒いね−!冬だね−!みんなで温まろう」の日(鍋の日)でした。調理担当者からの提案でもあったのですが、今までもやっていた鍋の日とは少し違うところがあります。今までは3,4,5歳児と職員(大人)の取り組みだったのですが、今回は1つのテーブルに0歳児の一部から5歳児、そして大人がいるようにグループ分けをして食べました。調理担当者の思いは「共食」で、意味は字の通り「みんなで一緒に食べる」です。


子ども同士が刺激を受け合って成長していくことについては、この場だけではなくいろんなところでお伝えしていることです。それは遊びの場面に限ったことではなく、食事の場面でも同じです。普段からみんなで一緒に食べているのですが、今回は0歳児からと年齢の幅がぐっと広がりました。食べながら1歳児の様子を観察していたのですが、周りの大きい子が食べる様子や楽しそうに話している様子をよーく見ていました。反対に、大きい子は小さい子の様子を気にしたりする姿もたくさん見られました。大人と一緒に食べるだけでなく、様々な発達段階の子の姿を見ながら、食べ方も食べる量も好きなモノも違う様々な子を見ながら一緒に食事をすることで得られる刺激は、非常に大きなものになっただろうと思っています。
食事の場を単なる栄養摂取の場と捉えるのはもったいない、私たちはそう考えています。どのように食を営んでいくか、どのような食文化があるのかということはもちろん、他者を理解したり社会的ルールやコミュニケーションを学ぶ大事な機会だと捉えています。乳児期の子どもも含めて、食の基本が形成される大事な時期だからこそ、いろんな発達過程が見える中での食事の場を今後も用意し、保育園全体で食事を楽しんでいきたいと思っています。ということで、今度は鍋の日は来月の26日(水)です。どんな感想が聞かれるか、是非楽しみにしていてください。
最後にお知らせを。2月15日(土)9時30分から保護者講演会が行われます。豪雨で開催できなかったため、この日に延期させてもらいました。行事の多い2月になってしまいましたが、都合のつく方はぜひご参加ください!
「子どもの権利条約」を知ってますか?これは子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約で、日本は1994年に批准しています。この条約についてとても分かりやすく書かれている『「こどもの権利条約」絵辞典』(PHP研究所)という本があります。この本に書かれていることを、少しですが紹介します。
今回取り上げるのは12条の「意見表明権」です。そこにはこのように書かれています。
『こどもは、自分と関係のあるすべてのことについて、自分流のやり方で、自分の思いや願いを「意見」として自由に「表明する」権利があります。そして、こどもにかかわる身近なおとなは、その意見にていねいに応答する義務があるのです。「意見」とは、発表会での演説や会議での素晴らしい発言、みんなが感心するような考えだけではありません。あなたが今感じている思いや願い、さらには、もやもやした気持ちなどをすべてふくみます。意見「表明」とは、お父さんやお母さんなど、世話をしてくれる身近なおとなに、あなたの思いや願い、気持ちを何らかのかたちで伝えることです。うまく言葉にできなくて泣いたり、物にあたったり、反抗したりすること、黙ってじっと下を向いていること、赤ちゃんが「ねむい」といって「おぎゃー、おぎゃー」と泣くこと。それらも立派な意見「表明」です。こどもは、今できる精一杯のやり方で、身近なおとなに「こっちを向いてよ」と呼びかけ、自分の思いを伝えようとしているのです。』
言葉だけでなくあらゆる気持ちも立派な意見。そしてそれを身近な人に何らかの形で伝えることが表明。誰もが分かる言葉で気持ちを伝えることが出来ればいいけど、子どもは別の「何らかの」形で表現することの方が多いのかもしれません。言葉で表現できない気持ちを受け止めてもらえなかったり「ないもの」にされてしまったりするとしたら、それは大人でも辛いことですよね。そのことをよく理解し、子どもの「何らかの表現」も全部ひっくるめて「意見の表明」と丁寧に受け止めてあげられるかどうか。大人のあり方次第というわけです。子どもが呼びかけることは、自分の力で人間関係を作っていくことです。それにきちんと向き合うことで、自分を肯定し、自分の存在に自信を持つことにつながっていきます。「意見表明権」はとても大切な子どもの権利です。
宮崎駿さんが「最近のアニメーターは火が描けない。」と言っておられたという話を聞きました。若いアニメーターに火を描かせるとアニメで見た炎を描くそうです。「本物の火はこんなのじゃないだろ?」と言うと「見たことないですから」と返ってくるそうで、見ていたとしてもキャンプファイヤーのときに1、2回くらい。火が動くのをずっと、まじまじと、30分でも1時間でも見るということが日常生活にない、これは現代の1つの特徴かもしれません。
この話を聞いたとき、ある男の子のことを思い出しました。保育園でたき火を始めたときですが、その子は遊びの時間になると、1時間から1時間半くらい私の横でずっと火を見ていました。「火がゆらゆら揺れてるね」「あっ、今木が崩れた」と様子をじっくり観察したり、時には「この木とあの木はどっちがよく燃えると思う?」「なんで木は燃えたら黒くなるんだろう?」と質問してきたり。その様子を見ながら、私も子供の頃はずっと火を見ていたなあと懐かしく思ったりもしました。お風呂は薪で沸かしてましたし、ドラム缶とか畑の隅でゴミを焼いたりと、火を見たり扱ったりする機会は頻繁にあった時代です。
じーっと火の様子を眺めている行為は、一見何もせずにボーっとしているだけに思えるかもしれません。でも火の性質について学ぶ大事な機会です。もっとも基本的なことは火が熱いと知ることと、火との距離感を学べること。これらは熱さを感じながら学ぶことです。そして火の性質に対しての興味も膨らむはずです。火の様子は常に変化します。最初は激しく燃え、しばらくすると安定し、火が弱くなったらまた薪を追加し…と同じ状態ではありません。煙の動きにも気をつけておかないと正面から受けてしまって大変です。火をじーっと見ることは不思議さを感じる大事な体験ですし、気持ちが落ち着く効果もあります。とっても意味のある行為だと、私はただの経験者ですが語っておきます。
別にアニメーターを生み出したい訳ではありませんが、火に触れる経験ができる場をなくしてしまってはいけないと思っています。もちろん気をつけるべきことは気をつけた上で、いかに安全に使いこなすか。それを学ぶ機会を日常の中に用意していくことも私たちの役目だと考えています。火のおかげで野菜などもおいしく食べることができる体験をしたり、寒いときに身体を温めてくれることを実感したりと、ありがたさもしっかりと感じてもらいたいですね。