2015年7月31日

No.406 子どもの言葉の発達のために、親が出来ることは?

この春からあるサイトに「子育ての小さなヒント」を書いています。子育て中のお母さんからの質問に対して、あさり保育園の保育の考え方や実践していることをもとに、こんな風に考えてみてはどうですか?というヒントを提示する形です。果たしてヒントになっているかどうかは分かりませんが、そこで書いたものを1つ載せておきます。

今回の質問は「子どもの言葉の発達のために、親が出来ることは?」です。まずは言葉の発達とは何か?を考えたいのですが、これを一言で語ることは難しいです。というのも「覚えている単語の数が増える」ことだけが言葉の発達ではないからです。もちろん覚えている単語の数も大事なことですが、言葉はコミュニケーションの手段です。まず相手に伝えたい思いがあり、それを伝えるために身ぶりや手ぶり、そして言葉を使うようになります。ということは、相手に伝えたいという欲求を高めてあげることは、その後の言葉の獲得の大きな力となっていきます。

例えば赤ちゃんは泣くことによって「お腹がすいた」「うんちが出た」「眠たい」といった思いを伝えようとします。では、泣くのがかわいそうだからと何でも先回りし、泣きだす前にミルクをあげたりオムツを替えてあげたりしているとどうなるでしょうか?赤ちゃんは自分で伝えようとしなくても自分の欲求をわかってもらえるので、自分から積極的に伝えようとすることをしなくなってしまいます。そしてこれはコミュニケーションのことだけではなく、自発的に周りに働きかけようとする意欲にも影響してきます。まだ言葉を話さない時期の関わりですが、泣くことも言葉や自発性の育ちに関わってくることなので丁寧に考えていきたいことです。

子どもは驚異的な学習能力をもっていることが分かっていますが、同時に情報のインプットが必要だということも分かっています。この情報のインプットが大人とのコミュニケーションです。子どもの一方的な語りかけではなく、大人からの一方的な語りかけでもない、子どもと大人の双方向のコミュニケーションが必要だということです。子どもだからと適当に話を聞いていると、それは間違いなく子どもに伝わります。「あなたの話に関心を持っているよ」と伝わるように聞いてあげることや、子どもの言葉をきちんと拾ってそれに返してあげることの積み重ねによって、子どもは自分の発している言葉に意味があることを理解していきますし、何よりコミュニケーションの楽しさを感じていきます。そして大人の会話をたくさん聞かせてあげることも大事です。子どもの言葉の発達のために親が出来ることはたくさんありますね。


2015年7月24日

No.405 続・台風を気にしながら書いています

心配していた台風11号は通り過ぎたのですが、休む間もなく今度は12号がやって来ています。南の海上で一度は消えた12号ですが、なんと復活してしまい、しかもまたこちらの方へ向かってきています。明日の夏祭りには影響はなさそうですが、週明けに直撃…なんて可能性もありそうです。気にしたところで台風をどうこうすることはできませんが、とにかく頻繁に台風情報をチェックすることにします。

さて、台風の様子をチェックしていて、グッドルーザー(good loser)という言葉を思い出しました。負けっぷりのいい人、潔く負けを認める人という意味の言葉です。クリエイティブディレクターの岡康道さんがこのことについて話しておられるのを聞いたのですが、「スポーツをするメリットにはgood loser、つまり『良き敗者』の経験ができる、ということがある。試合に負けたとき、その負けの経験はもちろん意味があるし、負けた立場から勝者がどのように見えるかとか、勝ったときは勝った側から敗者がどのように見えるかとか、そんなことを経験することでしか『良き敗者』になるためにはどうすればいいかを学ぶことができない。」という内容だったと思います。

勝手な解釈ではありますが、『良き敗者』とは「困難に出くわした時、自分なりの“次の一歩”の踏み出し方を知っていること」と言い換えてもいいのではと考えています。自分の思い通りにいかなくて困ってしまうことは頻繁に起こります。それを全て避けて進んでいくことはできないので、そんなときにどう振る舞うかが大事なのではないでしょうか。困難な出来事に出くわしたとき、そこから立ち直る力をつけておくことは、子どもたちとっても大事なことですよね。ではその力をつけるためにはどうすればいいか?私は「思っている通りにはいかない」小さな体験を、乳幼児期から積み重ねておくことだと思っています。その体験がなければ、先で大きな壁にぶつかってしまったときにどう対処していいのか分からず、立ち直ることも難しくなってしまいます。保育園での子ども同士の関わりの中には、困難や葛藤が豊富にあります。独り占めしたいおもちゃがあっても他の子の同じ思いとぶつかったり、年長児の間では思いを伝え合うことが出来ていても、赤ちゃんとは上手く意思の疎通ができなかったり。こうした葛藤の経験を通して自分なりの“次の一歩”の踏み出し方、つまり『良き敗者』の振る舞い方を少しずつ学んでいくことが大切なんですよね。

今後も台風の接近などによっていろんな予定が狂ってしまうかもしれませんが、そんなときには『良き敗者』として振る舞いたいものです。台風に試されているのかも。

2015年7月23日

大暑

二十四節気

大暑…最も暑い時期。
大暑(たいしょ)とは、一年でもっとも暑さが厳しく感じられる頃。体力を保つために鰻を食べる「土用の丑」や、各地でのお祭り、花火大会もこの期間にたくさん行われ、夏の風物詩が目白押しです。

七十二候

2015/07/23
初候 桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)
桐が花を咲かせる頃。盛夏を迎える頃には、卵形の実を結びます。桐は、伝統的に神聖な木とされ、豊臣秀吉などの天下人が好んだ花であり、現在も日本国政府の紋章として使用されています。

2015/07/28
次候 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)
熱気がまとわりつく蒸し暑い頃。私たちは、この暑さを打ち水などでしのぐことしかできませんが、木や草花は緑をますます濃くして夏を歓楽しているようです。

2015/08/02
末候 大雨時行(たいうときどきにふる)
夕立や台風などの夏の雨が激しく降る頃。きれいな青空に湧き上がる入道雲は、夕立を教えてくれます。雲の頭が坊主頭に見えることから、入道雲と呼ばれています。

「暦生活」より

2015年7月17日

No.404 台風を気にしながら書いています

これを書いているのは16日()の夜。台風11号の接近により風が強く吹いていて、明日台風はどうなっているんだろう?と心配しているところです。台風時の対応については手紙でお知らせした通りですが、今後も台風や大雨が予想されることはあると思います。基本的に、あさり保育園は保育を行うのが危険な状況でなければ開園しようと考えています。もちろんその際は活動が制限されたり、いつもとは違った安全面の配慮も必要だったり、状況によっては出勤できない職員がでてきたりと、通常通りとはいかないと思いますが。そしてそんな状況なので、仕事の都合のつく方は自宅待機等の対応をとっていただけると助かります。また、登降園時はいつもよりも事故等に注意が必要な状況になると思うので、送迎も十分に気をつけていただきたいです。自然のことなので、どのようなことが起こるかは私たちにはわかりません。だからこそ決して甘く考えることなく、でも騒ぎ過ぎることなく、丁寧に判断していこうと思います。おそらくこんな風に考えていることも保護者のみなさんには理解してもらっていると思うので、その点は安心しています。今後も同じようなことがあった際はよろしくお願いします。

さて、夏祭りまであと1週間となりました。今はどんどん準備が進んでいるわけですが、この準備も子どもたちに見せたり一緒にやったりして、夏祭りに向けての期待が高まるようにすること、夏の楽しさをより感じられるようにすることを意識しています。その中で、おもしろい取り組みがあったので紹介します。

夏祭りの「楽しいお化け屋敷」に登場するお化けを作っていて、今回は4つのグループに分かれて作ることになりました。各グループで自分たちはどんなお化けを作るか話し合い、そこで決まったものを作っていく流れだったんですが、その流れの中に「各グループがどんなお化けを作ることにしたかをみんなの前で発表する」ことを取り入れました。私たちは「互いに意見を言い合うことで自分の考えが膨らむ」ようなコミュニケーションを目指しています。例えばある花を見て「私はAと感じた」「僕はBと感じた」と会話をすることで、その花に対する互いのイメージが「AとB」の2つに増える、そんな感じです。「私はA」「僕はB」と言って譲らないコミュニケーションではちょっと寂しいです。相手の思いを聞くことで、自分の思いをより豊かにできるようになってもらいたいと思っています。今回発表し合うことで作りたいお化けのイメージがどう膨らんだかは分かりませんが、いろんな場面で考えを伝え合うことを通して、個々の思いが膨らんでいくようなやり取りを楽しめるようになっていくと思っています。私たち大人も、意見を交わすことによって考えが膨らんでいく楽しさを見せていきたいですね。

2015年7月16日

カフェのおはなし

某新聞社から「カフェをやっている保育園に話を聞いているんです」と電話がありました。あさり保育園でカフェをやっているわけではないんですが、やってみたいという思いは前からあり、課題はいろいろあるけれどまずは宣言だけでもしておこうと思い、それをHPにこっそり書き込んでいました。それを見つけて電話してこられたようです。「その後カフェ好きの職員が何度かカフェを開いてくれましたが、常設のものとして用意するところまでは至っていません。でも今後も実現に向けて考えを進めていくつもりです。」とお答えしました。

2012年に思いを書いたときと周囲の状況は変わってきていますが、思い描いていたカフェの必要性は高くなっているように思っています。

カフェを設置することが保育園にとってどんな意味があるのか?
子どもにとっての意味は?
地域の人にとっての意味は?

そんなことを改めて整理してみることにします。2012年にはできなかったことが、今ならできるようにも思いますし。当時考えていたように協力してもらえる方を探して行う方法。保育園のスタッフで運営していく方法。いろんな方法を再検討してみようと思います。

とりあえず2012年のに書いたものを載せておきます。


保育園にカフェをつくりませんか?


あさり保育園にカフェを作ってみようじゃないか
そんなことを考えました。
誰がどうやってその話を進めていくかを考えたとき、
私たちがやってしまうんじゃなくて
新しい方に関わってもらった方がいいものができるんじゃないか、
そんな風に考えました。
いろんなところからたくさんの人に来てもらいたいカフェなので
いろんな人に関わってもらった方がいいだろう
そんな単純な発想です。
ということで、カフェ作りのメンバーを募集します。
下に思いを書いておきましたので、
お茶でも飲みながらゆったりとした気持ちで読んでみてください。

今私たちはカフェ作りを計画しています。
地域の人たちが気軽に集まって談笑できる場、
子育て中の保護者が情報交換できる場、
そんな場が私たちの考えるカフェです。

cafeと言えばコーヒーとか紅茶とか
ちょっとした飲み物があることを想像しますよね。
何かつまむものもあったりするのも期待してしまいます。
でも、そんなカフェを毎日開くことは多分難しいでしょう。
それにもうけを出すためのカフェではないので
実際に運営していくのはちょっと難しさもあったりするでしょう。

だから開催は不定期でいいと思っています。
「今週は天気が良さそうだから水曜日あたりにどう?」
「美味しいコーヒーが手に入ったからみんなで飲まない?」
「畑の野菜が大きくなってるからそれを使って…」
そん感じで気軽に開催が決まってみんなが集まってくる、
そんな運営はできないだろうかと考えている訳です。

飲み物や食べ物がないときは
ただ集まって子どもたちの姿を見ながら話をするだけでも
それはそれで楽しい時間になるんじゃないかなあ。
いつでも気軽にみんなが集まれる場を園庭の一角に作りたい、
そんなことを考えながらこの文章を書いています。

その計画に一緒に関わってくれる人を今探しています。
具体的には
○場所を決めること
○必要なモノを集めること
○運営のルールを決めること
○カフェの形を作りあげること
○ときどきお茶を飲んでリラックスすること
そんなことがあります。

こんなことをボランティアでやってくださる方、いませんか?
こんなことを中心になって展開してくださる方、いませんか?
好きな時間、動きやすい時間に関わってもらえればいいです。
お子さんが一緒でもまったく問題ありません。
むしろその方がいいかも、と思っています。
どんなカフェにしようか、どんな風に運営していこうか、
そんなことを考えてもらい、保育園もそれをバックアップします。
興味をもたれた方、
あさり保育園のアイヤマまで連絡してください。

一緒にのんびりとカフェ作りをしてみませんか。

2012年4月
あさり保育園  相山慈

2015年7月10日

No.403 片づけ名人




ゲームゾーンの棚に「めざせ!かたづけめいじん!」と書かれた表が貼ってあります。子どもたちが「今日一日自分は片づけをがんばったか?」と自分に問いかけ、がんばったと思えば夕方保育者に申告し、この表の自分のマスにシールを1つ貼ります。1〜3個は初級、4〜6個は中級、7〜9個は上級となっていて、10個たまると「片づけ名人」の称号が与えられることになっています。そしてこの称号を手にした子は、今回新しく出来た「実験室」への入室が認められるというわけです。

この片づけ名人の表ですが、子どもたちの取り組み方が様々でおもしろいんです。名人になったら利用できることになる実験室がどのようなものなのか、あまりイメージが出来ていない子もいます。そんな子も実験室が盛んに使われるようになると、「実験室で遊びたい」→「片づけ名人の表に貼ってあるシールの数が気になり始める」といったことが起きてくるでしょう。そうやって片づけ表や実験室が盛り上がっていくためにも、見事名人となった子どもたちの今後の動きには注目していこうと思います。

そして先日、ぞう組のRちゃんと片づけ表の話をしていたとき、おもしろい発言を聞くことができました。

「片づけ表のシールは順調に貼れてる?」

Rちゃん「んーとね、今は1個」

「やっぱり片づけは大変?」

Rちゃん「大変ってわけじゃないんだけど、今はちゃんとできてないかな。でもこれからは片づけをがんばるよ。」

何気ない発言ですが、これってすごいことですよね。片づけをがんばったかどうかは完全な自己評価です。誰かから「よくやったね」と言われたのでシールを貼る、というものではありません。あくまでも自分が“がんばった”と思えたかどうかによります。自分を振り返るのは簡単なことではないと思っているんですが、Rちゃんはしっかりと自分を振り返り、これからの片づけへの取り組み方まで考えていました。子どもによって様々な考え方がありますね。既に名人になった子、これから自分の片づけに向き合っていく子、どの子にとっても意味のある片づけ表になっていることをうれしく思いました。

最後に実験室の話を少し。実験室はあまり広いスペースではないため、一度に使えるのは○名までと制限がつきそうです。その代わり、取り組みは幅広く行われる予定です。園庭で実験が行われたり、時には園外に出かけて…なんてこともあるかもしれませんよ。

2015年7月7日

小暑

二十四節気

小暑…暑さも本格的になる時期。
小暑(しょうしょ)とは、梅雨が明け、暑さが本格的になる頃です。蝉も鳴き始め、暑中見舞いを出すのもこの頃です。暑い夏を乗り切るために、たくさん食べ、体力をつけておきたい頃です。

七十二候

2015/07/07
初候 温風至 (あつかぜいたる)
雲の間から注ぐ陽がだんだんと強くなる頃。 温風とは湿った空気が山を越え、乾いた温かい風となって吹き降ろすフェーン現象のことを表しているとも言われています。

2015/07/13
次候 蓮始開(はすはじめてひらく)
蓮がゆっくりと蕾をほどき、花を咲かす頃。 水底から茎を伸ばし、水面に葉を浮かべ、綺麗な花を咲かせる蓮ですが、花が開いてから四日目には散ってしまいます。

2015/07/18
末候 鷹乃学習(たかすなわちわざをなす)
五・六月に孵化した雛が、巣立ちの準備をする頃。 独り立ちができるよう、飛び方を覚え、獲物の捕り方を覚え、「独り」ということを一から学びます。

「暦生活」より

2015年7月3日

No.402 見ることって難しい

「見る」ということは保育において非常に重要なことなので、考える機会は多いです。あさり保育園の保育目標に“「ひとり」を大切にする保育”というものがありますが、「ひとり」を大切にするためには「ひとり」をきちんと見る必要があります。もちろん保育者は一人ひとりを見てくれているわけですが、でも定期的に「見る」を点検しなければ「見ているつもり」になってしまう可能性は常にあると思っています。それだけ「見る」ことは不安定だというのが私の考えです。

私たちの目には様々な情報が飛び込んできていますが、それらの全てを脳が「見えている」と認識しているわけではないと言われています。目の前にあるのに見落としていることってよくありますよね。カラーバス効果というものがあって、例えば「今日は赤!」と赤を強く意識していると普段はあまり意識していなかった赤い看板やポストなど、身の周りにある赤いものが目に飛び込んでくるようになります。何かを強く意識することによって、それに関する情報がたくさん集まるようになる現象です。意識しているものは見えやすいということは、反対に意識していなければ見逃してしまっている可能性が高いとも言えます。「ひとり」を見ようと意識している時はいいですが、何もしなければその意識が薄れてしまうのが人の特徴です。気をつけないといけませんね。

もう1つ、「見る」ことは先入観に大きく左右されてしまいます。例えば、どの子も年齢と共に同じことができるようになるといった年齢に関する先入観や、男の子は○○が好きといった性別に関する先入観なんかは代表的なものです。こういった先入観はまっすぐに見ることを妨げます。子ども一人ひとりを真っ直ぐに見ることができなくなってしまうことは避けたいですよね。先入観を持たずにいつもまっすぐに見ることのできる人はもちろんいますが、私なんかは常に自分をチェックしておかなければすぐに曲がった見方になってしまいます。なかなかやっかいですが、根気強くつき合っていかければいけないと思っています。

先週のことですが、愛真高校の2年生21名(ぱんだ組のIさんのクラスです)が家庭科の授業の一環で保育実習に来てくれ、その時生徒達に「見ることって難しいんですよ」という話をさせてもらいました。見えていないことが実は多いとか、先入観をもって見てしまうことの怖さとか、そんな話です。後日感想文を読ませてもらったんですが、「見る」ことについてそれぞれに考えてくれたようです。そんなことがあったので、今回は「見る」について思うところを書いてみたくなりました。