2015年7月3日

No.402 見ることって難しい

「見る」ということは保育において非常に重要なことなので、考える機会は多いです。あさり保育園の保育目標に“「ひとり」を大切にする保育”というものがありますが、「ひとり」を大切にするためには「ひとり」をきちんと見る必要があります。もちろん保育者は一人ひとりを見てくれているわけですが、でも定期的に「見る」を点検しなければ「見ているつもり」になってしまう可能性は常にあると思っています。それだけ「見る」ことは不安定だというのが私の考えです。

私たちの目には様々な情報が飛び込んできていますが、それらの全てを脳が「見えている」と認識しているわけではないと言われています。目の前にあるのに見落としていることってよくありますよね。カラーバス効果というものがあって、例えば「今日は赤!」と赤を強く意識していると普段はあまり意識していなかった赤い看板やポストなど、身の周りにある赤いものが目に飛び込んでくるようになります。何かを強く意識することによって、それに関する情報がたくさん集まるようになる現象です。意識しているものは見えやすいということは、反対に意識していなければ見逃してしまっている可能性が高いとも言えます。「ひとり」を見ようと意識している時はいいですが、何もしなければその意識が薄れてしまうのが人の特徴です。気をつけないといけませんね。

もう1つ、「見る」ことは先入観に大きく左右されてしまいます。例えば、どの子も年齢と共に同じことができるようになるといった年齢に関する先入観や、男の子は○○が好きといった性別に関する先入観なんかは代表的なものです。こういった先入観はまっすぐに見ることを妨げます。子ども一人ひとりを真っ直ぐに見ることができなくなってしまうことは避けたいですよね。先入観を持たずにいつもまっすぐに見ることのできる人はもちろんいますが、私なんかは常に自分をチェックしておかなければすぐに曲がった見方になってしまいます。なかなかやっかいですが、根気強くつき合っていかければいけないと思っています。

先週のことですが、愛真高校の2年生21名(ぱんだ組のIさんのクラスです)が家庭科の授業の一環で保育実習に来てくれ、その時生徒達に「見ることって難しいんですよ」という話をさせてもらいました。見えていないことが実は多いとか、先入観をもって見てしまうことの怖さとか、そんな話です。後日感想文を読ませてもらったんですが、「見る」ことについてそれぞれに考えてくれたようです。そんなことがあったので、今回は「見る」について思うところを書いてみたくなりました。

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