2016年11月18日

No.470 達成感と安堵感




少し前のことですが、ぞう組の和太鼓の活動を見させてもらいました。あさり保育園の伝統として受け継ぐことにした「あさり太鼓」の曲に合わせ、他の子の太鼓の音と合うように気を配りつつ、楽しそうに和太鼓を叩いていました。全ての取り組みに言えることですが、子どもたちが「やってみたい!」という気持ちを持って活動に取り組めるようにすることを、私たちは大事にしています。子どもたちは1人ひとり違っています。しかも、いつも同じ気持ちではありません。そんな子どもたちの「やってみたい!」をいかに引き出すかがなかなか難しいのですが、保育者は実践→話し合い→また実践…を繰り返しながら取り組んでくれています。

「やってみたい!」から始まることがなぜ大事なのか。このことを考えてみます。子どもたちが成長していくためには、様々な活動を通して達成感を得ることが欠かせません。達成感が次の活動への意欲を生み、それがまた次の達成感へとつながっていきます。この達成感を得るための方法として様々な考え方を耳にします。一番多いのは、辛いことや苦しいことを我慢して乗り越える方法でしょうか。でも、この方法で得られるのは達成感ではなく安堵感です。達成感は自ら挑戦しようと思い、それをやり遂げたときに得られるものです。例えば折り紙で花を折ってみたいと思い、挑戦して折ることができたら、そこでも達成感は得られます。やりたくないのに「花を折りなさい」と言われて折るとしたら、できたことでホッとはするでしょうが、達成感とは違うものです。

別の話を1つ。哲学研究者の内田樹さんがこんな話を紹介されていました。ストレス発生物質を注入するテストについてです。一方のグループは最後まで薬を注入され続け、もう一方のグループには「ストッパー」が渡されます。気分が悪くなって「もうだめ」と思ったら「ストッパー」を押せば実験終了ですと指示されて、実験はスタートします。結果は「ストッパーあり」グループは誰もストッパーを押さず、かつ誰も気分が悪くならなかったそうです。ここから分かることは、ストレスの主因は「自分の運命を制御できないこと」それ自体であり、生理的不快も自分の意思で止めることができると思うと「それほど不快に感じない」ということだった、という話です。先に書いていた話と少し意味は違いますが、何かをやるにしても止めるにしても、どちらも自分の意思が尊重される状態であることは、どうやら私たちにとってかなり重要なことのようです。発表会の取り組みも、子どもたちの「○○をやりたい!」という思いを大事にしていきます。

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