2017年10月6日

No.513 自己肯定感のはなし

最近読んだ2人の文章から感じたことを、そのまま書いてみます。

自己肯定感について、鯨岡峻さん(発達心理学者、京都大学名誉教授)が次のようなことを書かれていました。


自己肯定感というのは、「それがある」と意識できる感覚ではありませんし、世間でいわれているような「ありのままの自分でよい」ということでもないと私は思っています。「信頼できる人」「自分を認めてくれる人」「自分を必要としてくれる人」、それらの人がいれば、その人はその生活の中で、きっと気持ちが前向きに動くに違いなく、それは一言でいえば、「生活に張りがある」感覚だといってもよいのではないでしょうか。私は、それが自己肯定感だと思っています。

お母さんが子どもから「お母さん大好き」と思われ、夫から「愛しているよ」と言葉や態度で示され、また職場の同僚や友人から「よく頑張っているね、頑張っているあなたは素敵だよ」と認めてもらえるなら、たとえ子育てや日々の生活で多忙な毎日をすごしていて、自分のための時間や、ほっとできる時間が乏しくても、前向きに生きる意欲が湧いてくるに違いありません。それは、「自己肯定感がある」状態といってよいでしょう。



今の子どもは自己肯定感が低い、日本は自己肯定感が高くない人が多いといったことをよく耳にします。子どもたちが自分の力を信じ、個性を大事にしながら成長していくためには自己肯定感を持つことが欠かせない、そういった専門家の声もよく耳にします。確かにその通りだと思うのですが、自己肯定感が目に見えて明らかに計測することができないものだけに、正直なところそのために何をすればいいのかを掴めずにいたところがあります。ですがこの文章を読んで、「なんだ、子どもを認める存在であればそれでいいんだ」と気づかせてもらいました。まあそれがなかなか難しいことではあるんですけどね。

鯨岡さんが書かれている「生活に張りがある」感覚というのは、「自分には役割があると認識している」感覚と同じ意味だと、私は解釈しています。信頼できる人がいて、自分を認めてくれる人がいると、自分の持っている力を認識することができます。そして必要としてくれる人がいるということは、そこには自分の役割が発生しているということです。自分の持っている力を生かした役割があると思えることが、どれだけ力を与えてくれることか。私たちはそのことをもっと理解しておく必要があると思っています。


美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい



『ボクたちはみんな大人になれなかった』を書かれた燃え殻さんがその著書の中に書かれていることです。最初は「これいいなあ、そうだよなあ」と感じていたくらいだったのですが、時間が経つにつれてこの言葉の意味を深く考えるようになってきています。SNSなどのつながりが広がってきている今、「いいね!」を押したりすることで簡単に共感の意を示し合う関係も含めると、共感してくれる人は以前と比べて圧倒的に増えています。でも、燃え殻さんが書いている幸せのポイントは「近くにいること」です。画面の向こう側ではなく、身近で直接的な関係のことです。その関係をどれだけ築いていくことができるかが、これからはますます重要になってくるでしょうね。

人間関係は何もしなくても自然と出来上がるようなものではありません。楽しく過ごす体験やぶつかり合う体験を繰り返す中で、自分なりの他者との距離感を掴んでいき、自分にとって心地よい関わりができる関係を少しずつ築いていくものだと思っています。子ども時代の体験も関係づくりの力をつけていくために間違いなく重要なものです。成長につれて所属集団は変化していき、数も増えていきます。価値観の違う所属集団を複数持つことも大事だと思っていますし、それぞれの集団の中で共感し合える直接的な関係を緩やかに築いていけることも大事だと思っています。そしてその関係こそが、上で書いたような自己肯定感に大きくつながってくるものであるはずです。そんな関係づくりの基礎となる力を園生活を通してつけていけるよう、私たちはこども園の場づくりについてもっともっと考えなければいけないなあと思わされました。

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