園庭の隅に雨水を貯める樽を設置しました。保育所の広い屋根に集まる雨はかなりの量になります。であればこれを利用しない手はないと、雨水樽の設置をたくらんだわけです。雨水は海水が蒸発して大気中にのぼり、それが冷やされて雨になって降ってきます。言わば蒸留水と同じです。そんなきれいな雨水ですが、屋根のゴミを樽に入れてしまうとさすがに汚れてしまいます。ですからトイにはフィルターを取り付け、きれいな水だけが集まるようになっています。当然飲用ではありませんが、花壇の水やりや、ちょっとした水遊びなどで活躍しそうです。
子どもたちには、いろんな形で自然に触れる環境を用意しようと思っています。以前「もったいないデー」で水の大切さについて感じてもらう取り組みを行いました。ペットボトルの約300mlの水で1日生活する、というものです。水も限られた資源ということを体験するのが目的でしたが、その意味では雨水樽も分かりやすい体験になると思います。雨がたくさん降った次の日は樽に水はたくさんあるので蛇口から勢いよく水が出てきます。でも使っていくうちに勢いは弱まり、最後には全く出なくなってしまいます。晴れの日が続いた場合も当然水は出てきません。大人にとっては当たり前のことも、子どもには当たり前ことではありません。体験を通してひとつひとつ気づいていきます。ひとつひとつが大切な学びです。
少し話は変わりますが、ドイツには「ドイツ連邦自然保護法」というものがあります。「これからの子どもたちのためにも、生き物と共存する社会を作ろう!」ということをポイントにしたものです。生活は豊かにはなったけれど、時間のゆとりがなくなり、以前なら身近に当たり前にあった自然もない暮らしが果たして人間らしい生活といえるだろうか?という疑問が起こり、この疑問が子どもたちや親たち、教師たちへ、そして連鎖反応のようにさまざまな市民層に広がり、今までの社会とは違う社会にしようというエネルギーになって生まれた法律です。私たちの今回の取り組みは“水”だけですが、そこから“土”、そして“虫や草”と広がっていき、ドイツの取り組みのような、子どもたちが今後「自然や生き物との共生」を考えるきっかけとなるような活動をしていかなければいけないと思っています。
2009年6月26日
2009年6月19日
No.99 先を見通すことと本質を見抜くこと
こんな話を聞いたことがあります。
智者が空に輝く美しい月を指した時、愚者は月を見ないで智者の指ばかりをしげしげと見つめました。そこで智者に「君、指を見るのではなく、指のさし示す方を見るのだ。ほら、あんなに美しい月が見えるじゃないか。」と言われ、愚者はやっと気がついて、その月を見ることができたという話です。
つい私たちは、先を見ないで目の前のものを見ようとします。しかし、見なければいけないのは、その先にあるものです。保育や教育は、いま目の前にいる子どもに対して将来のあるべき姿を見通して、現在をいきいきと生きるために援助しなければなりません。
私たちは子どもたちの“今”に向き合いながら、同時に子どもたちが社会に出たときのことを考えます。子どもたちが社会に出たとき、自分の力で力強く歩いていけるように、ひとつひとつ確実に段階を踏んで育っていけるようにと常に考えています。今だけを見て無理をさせたり、あれもこれも早期に成果を求めたりせず、将来の見通しをもって、発達に応じたふさわしいタイミングや方法で、子どもたちと関わっていきたいと思っています。
また、こんな例もあります。
円柱の形を人に説明をするとき、上から見ると円に見えます。真横から見ると長方形に見えます。また、斜めに切った切り口を見ると楕円に見えます。どこをどのように見たかで形が違ってしまいます。人によって、見る角度や見える部分によって判断が違ってしまいます。自分では分かったと思っても、実はほんの一部分だけの解釈であり、全体を正しく理解することはなかなか難しいものです。しかし保育や教育は、その先にあるものを見るだけでなく、本質を見抜く力も必要になってきます。
本質を見るためには一つの側面だけで判断するのではなく、また単純にそれらを合わせて判断するのではなく、それぞれは真実であるけれど、本質は全体を見て初めて分かるものだということを、常におさえておかなければいけないと思っています。子どもの全体を見て本質を捉えていくためにも、まず「子どもの存在を丸ごと信じる」ことを大切にしていきます。
智者が空に輝く美しい月を指した時、愚者は月を見ないで智者の指ばかりをしげしげと見つめました。そこで智者に「君、指を見るのではなく、指のさし示す方を見るのだ。ほら、あんなに美しい月が見えるじゃないか。」と言われ、愚者はやっと気がついて、その月を見ることができたという話です。
つい私たちは、先を見ないで目の前のものを見ようとします。しかし、見なければいけないのは、その先にあるものです。保育や教育は、いま目の前にいる子どもに対して将来のあるべき姿を見通して、現在をいきいきと生きるために援助しなければなりません。
私たちは子どもたちの“今”に向き合いながら、同時に子どもたちが社会に出たときのことを考えます。子どもたちが社会に出たとき、自分の力で力強く歩いていけるように、ひとつひとつ確実に段階を踏んで育っていけるようにと常に考えています。今だけを見て無理をさせたり、あれもこれも早期に成果を求めたりせず、将来の見通しをもって、発達に応じたふさわしいタイミングや方法で、子どもたちと関わっていきたいと思っています。
また、こんな例もあります。
円柱の形を人に説明をするとき、上から見ると円に見えます。真横から見ると長方形に見えます。また、斜めに切った切り口を見ると楕円に見えます。どこをどのように見たかで形が違ってしまいます。人によって、見る角度や見える部分によって判断が違ってしまいます。自分では分かったと思っても、実はほんの一部分だけの解釈であり、全体を正しく理解することはなかなか難しいものです。しかし保育や教育は、その先にあるものを見るだけでなく、本質を見抜く力も必要になってきます。
本質を見るためには一つの側面だけで判断するのではなく、また単純にそれらを合わせて判断するのではなく、それぞれは真実であるけれど、本質は全体を見て初めて分かるものだということを、常におさえておかなければいけないと思っています。子どもの全体を見て本質を捉えていくためにも、まず「子どもの存在を丸ごと信じる」ことを大切にしていきます。
2009年6月12日
No.98 0,1歳児クラスの話
あさり保育所では、0,1歳児、2歳児、3,4,5歳児の3つの大きなグループに分けて保育を行っています。2歳児、3,4,5歳児については別の機会で触れるとして、今回は0,1歳児(りす、うさぎ)について書いてみます。
4月にりす・うさぎ組の保護者には次のような説明をさせてもらっています。
『座る、這う、立つ、つたい歩き、歩行、走る、跳ぶなどの運動機能が目覚しく発達する時期です。それに伴い人や物との関わりが強まるようになってきます。りす組、うさぎ組では、そういったことを踏まえ、安定した心地良い環境作りをしていきます。同じ年に生まれた子であっても成長の過程がひとりひとり違い、個人差が大きいのがこの0,1歳児の特徴でもあります。そうした個人差が遊びや生活の場面のそれぞれで増えてきます。個々にあった生活のリズムや発達を大切にしながら、遊びや生活場面に応じて同じ活動グループにしようと、0,1歳児の連携を心がけています。』
アメリカの保育園では「インファントクラス(しゃべり始めた頃)」と「トドラークラス(歩き始めた頃)」というように、成長に応じたクラス名になっています。またドイツなどは、年齢によるクラス分けはほとんどなく、0歳から6歳までの異年齢のクラス編成が主流です。年齢によってクラスを決めるのではなく、必要な体験を必要な時期にきちんと保障することを大切にしているようです。世界の保育と日本の保育、子どもが学び育つことに対しての考え方には、ずいぶん大きな違いがあることを感じます。
個人差が特に大きいこの時期に、0歳児はこっちで1歳児はこっちと分けてしまうことは難しいことです。眠ることの多い段階では落ち着いた睡眠を、ハイハイができるようになった子にはしっかりとハイハイを、歩き回れる子にはしっかりと歩き回る活動を保障してあげるために、個々の身体的発達に合わせた環境が必要です。年齢ではなく個人差への対応を大切にすることが、先の成長には重要になってきます。年齢が上がったら、年度が変わったら次のクラスで次の活動をと捉えると、子どもたちにどこか無理をさせてしまいます。そうは言っても年度が変わることでクラスが変わるという現状はありますが、そうした中でも、一人ひとりの成長を支えていくこと、そのためのりす組とうさぎ組のつながりを大切にしていきます。
4月にりす・うさぎ組の保護者には次のような説明をさせてもらっています。
『座る、這う、立つ、つたい歩き、歩行、走る、跳ぶなどの運動機能が目覚しく発達する時期です。それに伴い人や物との関わりが強まるようになってきます。りす組、うさぎ組では、そういったことを踏まえ、安定した心地良い環境作りをしていきます。同じ年に生まれた子であっても成長の過程がひとりひとり違い、個人差が大きいのがこの0,1歳児の特徴でもあります。そうした個人差が遊びや生活の場面のそれぞれで増えてきます。個々にあった生活のリズムや発達を大切にしながら、遊びや生活場面に応じて同じ活動グループにしようと、0,1歳児の連携を心がけています。』
アメリカの保育園では「インファントクラス(しゃべり始めた頃)」と「トドラークラス(歩き始めた頃)」というように、成長に応じたクラス名になっています。またドイツなどは、年齢によるクラス分けはほとんどなく、0歳から6歳までの異年齢のクラス編成が主流です。年齢によってクラスを決めるのではなく、必要な体験を必要な時期にきちんと保障することを大切にしているようです。世界の保育と日本の保育、子どもが学び育つことに対しての考え方には、ずいぶん大きな違いがあることを感じます。
個人差が特に大きいこの時期に、0歳児はこっちで1歳児はこっちと分けてしまうことは難しいことです。眠ることの多い段階では落ち着いた睡眠を、ハイハイができるようになった子にはしっかりとハイハイを、歩き回れる子にはしっかりと歩き回る活動を保障してあげるために、個々の身体的発達に合わせた環境が必要です。年齢ではなく個人差への対応を大切にすることが、先の成長には重要になってきます。年齢が上がったら、年度が変わったら次のクラスで次の活動をと捉えると、子どもたちにどこか無理をさせてしまいます。そうは言っても年度が変わることでクラスが変わるという現状はありますが、そうした中でも、一人ひとりの成長を支えていくこと、そのためのりす組とうさぎ組のつながりを大切にしていきます。
2009年6月5日
No.97 あさり保育所のヒミツ②
今回は乳児室の障子と飾りについて書きます。乳児室の窓は夕方になるとどうしても西日がきつくなり、それを防ぐためにカーテンを使っていたのですが、昨年度その窓に障子を設置しました。障子を使うことが日本では少なくなってきているようですが、外国では逆にそれがブームになっているようです。和紙も同じです。特に障子や和紙を通した光が注目されています。蛍光灯や電球のあかりや太陽の光も、障子や和紙を通すことで柔らかくなり、癒しを感じる効果があります。
また、日本の文化を見直すという意味もあります。どの国でもそうですが、長い年月をかけて、その土地の風土に合わせてつくられてきた文化があります。その文化を大切にするということは、自分がその国の、その土地の一員であることを意識することができます。その意識を所属感とも言いますが、自分は日本人で島根県に住んでいてあさり保育所の一員といったように所属感を感じることは、子どもたちの情緒の安定には欠かせないことです。自分の足元をきちんと固めることは、自発的な活動の支えになります。手ぬぐい・すだれ・反物などを環境に取り入れているのも同じ理由です。
次は飾りです。乳児室には天井からの装飾がいくつもあります。赤ちゃんが目で追えるのは風で動くくらいの速度だと言われているので、人の動きや風によってかすかに動くような装飾はこの部屋にぴったりです。そよ風、小川のせせらぎ、ろうそくの炎などの様々な自然現象の中でみられる、ランダムでも単調でもない動きのパターンは、人に快適感や癒しを与えると考えられています。人の心拍の間隔なども同じパターンだということが発見されています。このように人の気持ちに沿う速さで動く装飾は園舎全体に取り入れるようにしています。ゆったりと時が流れていくような、見ていて心が癒されるような、そんな要素を持った環境も大切にしたいと考えています。
また、日本の文化を見直すという意味もあります。どの国でもそうですが、長い年月をかけて、その土地の風土に合わせてつくられてきた文化があります。その文化を大切にするということは、自分がその国の、その土地の一員であることを意識することができます。その意識を所属感とも言いますが、自分は日本人で島根県に住んでいてあさり保育所の一員といったように所属感を感じることは、子どもたちの情緒の安定には欠かせないことです。自分の足元をきちんと固めることは、自発的な活動の支えになります。手ぬぐい・すだれ・反物などを環境に取り入れているのも同じ理由です。
次は飾りです。乳児室には天井からの装飾がいくつもあります。赤ちゃんが目で追えるのは風で動くくらいの速度だと言われているので、人の動きや風によってかすかに動くような装飾はこの部屋にぴったりです。そよ風、小川のせせらぎ、ろうそくの炎などの様々な自然現象の中でみられる、ランダムでも単調でもない動きのパターンは、人に快適感や癒しを与えると考えられています。人の心拍の間隔なども同じパターンだということが発見されています。このように人の気持ちに沿う速さで動く装飾は園舎全体に取り入れるようにしています。ゆったりと時が流れていくような、見ていて心が癒されるような、そんな要素を持った環境も大切にしたいと考えています。
2009年5月29日
No.96 子育て前支援のお知らせ
今週の月曜日の午前中は小学生8名が保育所に来てくれました(前日が玉江大会だったため、学校が休みだったようです)。全員が子どもたちとよく遊んでくれ、特に6年生たちはりす・うさぎ組のお手伝いを積極的にしてくれていました。何度も来てくれていることもあってか関わり方はとても慣れていて、オムツがえなどを積極的にやってくれ、そうした動きにはいつも感心させられます。このような関わりは、保育所の子どもたちだけでなく、小学生にも意味の大きなことだと考えています。
あさり保育所の子育て支援センターでは、今年度から高校生を対象に「子育て前支援」を行うことにしました。夏休みなどを利用して乳幼児との触れ合いやスタッフのお手伝いをしてもらおうというものです。この活動の趣旨を高校の先生方に理解していただくための案内に書いた内容をのせておきます。保護者の皆さんにもご理解いただき、活動の紹介をしていただけたらと思っています。
『近年、若年層の妊娠・出産が増え、初めての育児に悩んだり、子育てに対する想像と現実とのギャップに耐えることができず、育児放棄や虐待という悲しい事件が起こっています。・・・そこで近い将来、妊娠や出産を控えた高校生を対象に「育児」や「命」について一緒に考えたり、実際に育児体験をしてもらったりすることで、少しでも赤ちゃん(人間)を産み、育てることが容易なことではないことに気付いたり、反面小さい子どもといる幸せや(楽しさ)を実感してもらったり、自分自身が家族(両親)に愛され大切に育てられてきたことを感じたりしてもらえることを期待して、このような活動を考えました。』
<目的>
・将来の「出産」「育児」を想定し悩んだり困ったりした時に子育て支援センターまたは保育所など周囲に相談する場があることを知ってもらう。
・自分自身の理想とする父親像や母親像を考えたり、小さい子どもとふれあったりすることで父性や母性を高める。
・小さい子どもが自分より弱者であることに気付き、守るべき存在だということを実感してもらう。
・自分を含め一人ひとりが親に愛され、守られながら成長している尊い存在だということに気付き、一人ひとりの「命」の重さを感じてもらう。
あさり保育所の子育て支援センターでは、今年度から高校生を対象に「子育て前支援」を行うことにしました。夏休みなどを利用して乳幼児との触れ合いやスタッフのお手伝いをしてもらおうというものです。この活動の趣旨を高校の先生方に理解していただくための案内に書いた内容をのせておきます。保護者の皆さんにもご理解いただき、活動の紹介をしていただけたらと思っています。
『近年、若年層の妊娠・出産が増え、初めての育児に悩んだり、子育てに対する想像と現実とのギャップに耐えることができず、育児放棄や虐待という悲しい事件が起こっています。・・・そこで近い将来、妊娠や出産を控えた高校生を対象に「育児」や「命」について一緒に考えたり、実際に育児体験をしてもらったりすることで、少しでも赤ちゃん(人間)を産み、育てることが容易なことではないことに気付いたり、反面小さい子どもといる幸せや(楽しさ)を実感してもらったり、自分自身が家族(両親)に愛され大切に育てられてきたことを感じたりしてもらえることを期待して、このような活動を考えました。』
<目的>
・将来の「出産」「育児」を想定し悩んだり困ったりした時に子育て支援センターまたは保育所など周囲に相談する場があることを知ってもらう。
・自分自身の理想とする父親像や母親像を考えたり、小さい子どもとふれあったりすることで父性や母性を高める。
・小さい子どもが自分より弱者であることに気付き、守るべき存在だということを実感してもらう。
・自分を含め一人ひとりが親に愛され、守られながら成長している尊い存在だということに気付き、一人ひとりの「命」の重さを感じてもらう。
2009年5月21日
No.95 あさり保育所のヒミツ①
あさり保育所では毎日たくさんの子どもたちが、子ども同士での生活を通して様々なことを学んでいます。それを促すのが保育所の目的でもあるので、当然環境設定や様々な活動には意味や目的があります。そのことについて、職員同士で日々議論をし、必要な部分は改善してきています。でも、その意味や目的を保護者の皆さんに十分に伝えることができているかというと、まだまだ十分ではないと思っています。そんなわけで、この場でもっと環境設定や活動の意味や目的を書いていこうと思います。今回は0,1歳児の部屋にある食事用の半円のテーブルについて、です。
このテーブルは下図のように、外側に子どもが3人、内側に大人が1人座るようになっています。離乳食が始まった頃からこのテーブルで食事をするわけですが、職員はまず子どもAに食べさせます(①)。次は子どもB(②)、子どもC(③)と移り、最後に職員が食べます(④)。それを繰り返していると、子どもAは自分が食べた後は、3人が食べるまで順番が回ってきません。食べさせてもらおうと思っても、目の前で職員が常に忙しくしているのが分かっているので、待ちきれなくなって思わず自分から手づかみで食べようと手が出ます。また、常に目の前に職員がいるため、職員の食べる様子を見て、どのように食べるのかを真似することができます。
このように「子どもが自発的・意欲的に食べ物を手にして口に運ぶこと」を促すのを目的としたのが、この半円のテーブルです。ポイントは職員が忙しそうにしていること。「食べさせて欲しいけど、忙しそうにしている」ことを察して自分で食べようとするのが、子どもの持っている力のすごいところです。そして、自分である程度食べることができるようになれば、今度は食事の場所が変わり、もう少し大人の関わりも少なくなります。
このテーブルは下図のように、外側に子どもが3人、内側に大人が1人座るようになっています。離乳食が始まった頃からこのテーブルで食事をするわけですが、職員はまず子どもAに食べさせます(①)。次は子どもB(②)、子どもC(③)と移り、最後に職員が食べます(④)。それを繰り返していると、子どもAは自分が食べた後は、3人が食べるまで順番が回ってきません。食べさせてもらおうと思っても、目の前で職員が常に忙しくしているのが分かっているので、待ちきれなくなって思わず自分から手づかみで食べようと手が出ます。また、常に目の前に職員がいるため、職員の食べる様子を見て、どのように食べるのかを真似することができます。
このように「子どもが自発的・意欲的に食べ物を手にして口に運ぶこと」を促すのを目的としたのが、この半円のテーブルです。ポイントは職員が忙しそうにしていること。「食べさせて欲しいけど、忙しそうにしている」ことを察して自分で食べようとするのが、子どもの持っている力のすごいところです。そして、自分である程度食べることができるようになれば、今度は食事の場所が変わり、もう少し大人の関わりも少なくなります。
2009年5月15日
No.94 子どものころにやっていた遊び
13日(水)にはぞう・きりん・くま組の親子遠足がありました。行きのバスの中では「保護者の皆さんは子どもの頃どんな遊びをしていましたか?」という質問に答えてもらったところ、「ゴムとび」「カンけり」「リカちゃん人形」といった懐かしい遊びもいろいろ出てきて盛り上がりました。その話を聞きながら考えたことがあるので、今回は遊びについて書いてみます。
昔の遊びには工夫がいっぱいあったように思います。学校の帰りにはよく草野球をしていたのですが、あれはまさに工夫の宝庫でした。まずどこをベースにするか?ということを、人数やレベルから調整することから始まります。さらに、人数が足りない場合は「三角ベース」になったり「透明ランナー」が登場したりします(皆さん知ってますよね?)。塁上に人を立たせると打つ人がいなくなるので、そんなときは「透明ランナー2塁!」と宣言してランナーがいることとするルールです。その他にも、小さい子がメンバーにいる場合はストライク4つでアウトになるルールにしたり、ワンバウンドで取ってもアウトにするルールにしたり、状況に応じてルールを工夫していました。そうしなければゲームが成り立たないし、面白くならなかったからです。
脳科学者の茂木健一郎さんは、草野球のような遊びとテレビゲームの違いをこんな風に言っておられます。
「テレビゲームは、ゲームのルールをコンピューターが決め、人間はそれに合わせるだけ。草野球のような遊びは、ルールを自分たちで決めなければ成り立たない。ありとあらゆる工夫が必要で、それが一番大きな違い。」
また、先週土曜日の保護者講演会でお話をしてもらった藤森平司先生は、テレビゲームについてこんな風に言っておられます。
「テレビゲーム自体が子どもに良くないのではなく、それをすることで人と人とのコミュニケーションが不足することが問題なのです。」
この2つの意見はとても大事なことを言っていると思います。今後ますます求められるようになる『問題解決能力』や『コミュニケーション能力』をどうつけていくか考える上でも、非常に重要です。最近の子どもたちの遊びを、こうした観点から考えてみることも必要だと思っています。
昔の遊びには工夫がいっぱいあったように思います。学校の帰りにはよく草野球をしていたのですが、あれはまさに工夫の宝庫でした。まずどこをベースにするか?ということを、人数やレベルから調整することから始まります。さらに、人数が足りない場合は「三角ベース」になったり「透明ランナー」が登場したりします(皆さん知ってますよね?)。塁上に人を立たせると打つ人がいなくなるので、そんなときは「透明ランナー2塁!」と宣言してランナーがいることとするルールです。その他にも、小さい子がメンバーにいる場合はストライク4つでアウトになるルールにしたり、ワンバウンドで取ってもアウトにするルールにしたり、状況に応じてルールを工夫していました。そうしなければゲームが成り立たないし、面白くならなかったからです。
脳科学者の茂木健一郎さんは、草野球のような遊びとテレビゲームの違いをこんな風に言っておられます。
「テレビゲームは、ゲームのルールをコンピューターが決め、人間はそれに合わせるだけ。草野球のような遊びは、ルールを自分たちで決めなければ成り立たない。ありとあらゆる工夫が必要で、それが一番大きな違い。」
また、先週土曜日の保護者講演会でお話をしてもらった藤森平司先生は、テレビゲームについてこんな風に言っておられます。
「テレビゲーム自体が子どもに良くないのではなく、それをすることで人と人とのコミュニケーションが不足することが問題なのです。」
この2つの意見はとても大事なことを言っていると思います。今後ますます求められるようになる『問題解決能力』や『コミュニケーション能力』をどうつけていくか考える上でも、非常に重要です。最近の子どもたちの遊びを、こうした観点から考えてみることも必要だと思っています。
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