2012年9月13日

No.261 冷やしぜんざいが食べたい!

水曜日の朝の出来事です。その日のおやつは「冷やしぜんざい」の予定でした。子どもたちから聞いて知っているかもしれませんが、結構人気のあるおやつです。でもその日は調理のちょっとした都合で、木曜日のおやつと入れ替えることになりました。そのことを、毎朝メニューをみんなに伝えてくれる当番さんが発表したわけですが、そこである出来事が起こりました。1人の女の子がその冷やしぜんざいを前日からとても楽しみにしていたようで、「どうしても今日食べたい」という発言をしたんです。保育士が「無くなったわけじゃなくて明日食べられるから」と説明すると、その子は「明日は早く帰ることになっているから明日だと食べられない。だから今日にしてほしい。」と更に訴えます。で、どうしたかというと、その一生懸命な訴えを受けた保育士は副園長と調理担当者と話し合い(そんなに大げさなことではないですが)、その日のおやつは冷やしぜんざいに戻すことになりました。

この話を聞いていくつか思ったことの中の1つだけを書いておきます。冷やしぜんざいに限らず、自分はこうしたいという思いを人に伝え、それが叶った体験はほんとに嬉しいことだと思います。こんなことを書くと「いやいや、ガマンすることの方が大事だ」と思われる方もいるかもしれません。でも大事なのはその先です。この嬉しい体験を積み上げ、その体験をもとに、今度は自分以外の人の思いを聞いてその思いに寄り添ってあげることができるようになってほしいのです。人間は他者の喜ぶ姿を見て、それを自分の喜びにする力を持っています。これは社会を形成して生きていく人間の大きな特徴です。そのためにも他者が自分のために何かをしてくれたことで嬉しく感じる体験を、まずはたくさん積み重ねてほしいと思っています。

その冷やしぜんざいの子(変な表現ですね)は、おやつの後に「冷やしぜんざいが美味しかった」と嬉しさをいろんな人に話してまわったようです。それを聞いた保育士はもちろん、特に調理担当者は嬉しかったと思います。その様子を見ていなかったので想像になりますが、おそらく互いにいい笑顔だったんでしょうね。冷やしぜんざいに限ったことではなく、こうした笑顔のやり取りの中で相手が嬉しく感じていることを、無意識のうちでもいいので感じてもらいたいなあと思っています。飛躍しすぎかもしれませんが、その体験が協力とか、共生とか、貢献とか、そんなことにつながっていくはずなので。

2 件のコメント:

  1. 私も一緒に冷やしぜんざいが食べたくなりました…なぜなら私も保育園のぜんざいが好きだからです(笑)
    たとえ最終的にメニューが冷やしぜんざいに変わらなかったとしても、発言に対してなにか動いてくれる大人や友達の存在って、大切ですね(^^) 女の子は誰なのか、私は勝手に想像をしていました。

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    1. yukikoさん、冷やしぜんざいは相変わらず美味しいですよ。
      今回の話、実はかなり悩みながら書きました。どう動いてたとしても悩むことになったでしょうね。そんな奥の深い話です。

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