
先週の土曜日は成長展でした。今回が初めてという方ももちろんおられますが、4回目の成長展ということもあり、趣旨を理解してくれている方はずいぶん増えたように思います。子どもたちは1年間の体験を通じて様々な力をつけてきています。その成長をじっくりと感じてもらうために「健康面」「子ども同士の関わり」「周囲の環境への興味」「経験したことを言葉で表現する力」「感じたことや考えたことを表現する力」の5つの分野であえて切り取って見てもらいました。もちろんそれが全てではありませんが、子どもたちの成長を具体的に感じてもらえたんじゃないでしょうか。
今回の成長展で「自分たちの目標は、好きな遊びや子どもの描いた絵などの全ての問題を一発で当てること」といった意味のことを言っておられた方がいたと聞きました。子どものことをしっかりと理解しようという強い思いを感じましたし、その思いは子どもに間違いなく届いていると思います。そして同時に、確かに一発で当てるくらい理解していることはすごいけど、一発で当てられなかったとしても、それは決して悪いことではないよなあとも思いました。それは「こんなことに興味があるのは知らなかったなあ」とか「もっと子どもと話をしないといけないなあ」とか、子どもとの関わり方を考え直す機会と捉えてもらうことも大事だと考えているからです。
保育園に関わっておられる保護者のみなさんは日中仕事をしておられる方がほとんどで、仕事のことと子どものことの両方に100%の力を注ぐことは物理的に不可能です。例えば仕事に時間をたくさん使えば使うほど、子どもとの時間は少なくなっていきます。その中でどう両方のバランスをとっていくかを考えることが大切なことで、だからこそ今の『自分と子どものキョリ』を知ることが必要になってくるわけです。「このことについては理解できてるけど、この部分の理解はまだまだ」と子どもとのキョリを点検する姿から、その思いはきっと子どもに伝わります。無理をし過ぎることなく、楽しむことを忘れずに、仕事とのバランスを考えながら子どもと関わる。成長展をきっかけにそんなことも考えてもらいたいなあと、これを書きながら思っています。
明日から3月。卒園、そして進級といった節目の時期です。なにかとバタバタする時期ですが、だからこそ丁寧さを忘れずにいたいですね。

園庭にタイヤを埋めました。
子どもたちが「飛び越える」という運動をすることを想定して。
そしたら楽しそうにくぐって遊んでました。
子どもっておもしろい。


先週の土曜日に保護者講演会が行われました。8月に予定していたときは大変な大雨となり延期を決定したわけですが、今回は大雪のために東京からの飛行機が相次いで欠航となり、果たして無事講師をお迎えすることが出来るんだろうかと心配していました。しかし、結果的にはなんとか講演会を開催することができました。今私たちが行っていることは、関係する様々なことがたまたまうまくかみ合っているからこそできているんですよね。そのことを忘れてはいけないなあと、あらためて考えさせられた今回の保護者講演会でもありました。
今回の講師は新宿せいが保育園の藤森平司園長。講演の内容にはいくつかテーマがあったように思います。最近英語教育についての話題を耳にすることが多くなりましたが、早い段階から英語を教えていけば英語が使える子になるというわけではないという話もありました。乳幼児期にはまず好奇心を育てること。これは何だろう?とか不思議だなと感じる心が十分に育っていけば、それがその後の学習の場での意欲の高まりにつながっていくという内容です。「のどの渇いていない馬を水場に連れて行っても水を飲まない」という例え話がありますが、学習の基本はそこにあると思います。あさり保育園では好奇心をいかに高めていくかを大きなテーマとしています。もっと学びたい!という思いをもつための基礎をじっくり育てていける、そんな場でありたいと思っています。
そして、違っていることの大切さについて。男女の違いについてこんな調査結果を紹介されました。子どもを抱っこするとき、女性は10回中9回同じ抱き方をするけど男性は10回とも違っていて、時には逆さまに抱っこすることもあるそうです。私が自分の子を抱っこするときのことを考えると、まさにそんな感じです。これはどちらがいい悪いではなく、女性には女性の関わり方があり、男性には男性の関わり方があり、子どもにはそんな多様な関わりが必要だということです。男女だけではありません。いろんな年齢の子、いろんな大人と関わることで違いを知り、そこから刺激を受けることは、子どもにとって大切なことです。また平等ということばがありますが、みんなが同じになることではなく、それぞれの役割をもって共に社会を作っていくあり方が平等の意味だと思っています。保育園の生活の中で違いを認め合うことの大切さを感じ取っていき、自分の役割をもって社会に貢献していけるようになってもらいたいと思います。多くの方に参加していただきありがとうございました。

水曜日のことです。園庭に出てみると、子どもたちが1本の竹を使って築山でシーソーを作り、楽しそうに遊んでいました。もちろん築山の上に太くて長い竹を持って上がっての遊びなので、下で遊んでいる子はいないかとか、気をつけなければいけないことはあります。そんなことを踏まえた上で、これはおもしろい遊びだなあと感心してしまいました。竹を見てシーソーを作ろうと思ったのか、築山の頂上を見てこれを利用しようと思ったのか、その経緯はわかりませんが、どちらにして今手元にあるものをどんな風に活用したら楽しく遊べるか、そんな想像力を働かせたのは間違いないはずです。
これを見ながら、子どもたちの遊び、特にそこで使うおもちゃについて考えてました。あさり保育園には、必要なものが十分に揃っているかは別にして、たくさんのおもちゃがあります。様々な発達や興味関心に対応したおもちゃが、園舎内や園庭に用意してあります。でも、この時に使われていたのは「竹」です。いわゆる“おもちゃ”ではありません。でも自分たちの体力や興味関心に合わせて、実に楽しそうに使っていました。しかも、その使い方について「もっとこうしたら?」「いや、こっちの方が…」と使い方の工夫をするためのコミュニケーションもしっかりと生まれています。この時の竹は、子どもたちの発達を促す“おもちゃ”になっていたのではないか、そんなことを思いました。
その視点で考えると、子どもたちのおもちゃになり得るものはまだまだあるように思います。おもちゃのカタログに載っているものとは違う、本来は別の使い方をしているようなもの。例えばビール瓶のケース。あのケースが園庭にたくさん置いてあれば、子どもたちはどう使うでしょうか?しっかりと固定して置いておけば上り下りする台にもなるでしょうし、積み上げてくっつけたら小さな秘密基地も作れそうです。小さくはないので、おそらく友だちと協力して遊ぶことになりそうです。片付けのときも協力することが必要でしょう。ケースを楽しそうに使っている姿が浮かんできませんか?それ以外にも、大人が仕事に使っているモノ、生活の中に溶け込んでいるモノなど、利用できそうなモノはありそうです。そんなアイデアがあれば是非教えてくださいね。

あさり保育園では、年齢ではなく発達課題によって活動を選択できるようにしていますが、これには個々の発達にしっかりと対応するという目的があります。個々の発達は様々です。○歳になったから△△ができるようになる、というものではありません。なので同じ年齢の子は同じ課題に取り組むものだと決めてしまうのではなく、個々に違っている課題に対してそれぞれが取り組めるように、活動によって取り組む内容や段階を選べるようにしています。
このことは0歳児を考えてもらうと分かりやすいです。0歳児には4月生まれから3月生まれまでいて、ハイハイのできる子もいれば、つかまり立ちができる子もいます。これを「0歳児の課題は全員ハイハイ」とするのはおかしいですよね。ハイハイの出来る子には十分にハイハイが出来る環境を、つかまり立ちの出来る子にはそれがしっかりと出来る環境を、それぞれに用意することが大事です。同じ年齢だから同じ課題を与えるのではなく、その子が必要としていることを受け取ることが出来るようにするわけです。これは平等の考え方にも通じることなのですが、与える側が同じものを与えるのではなく、受け取る側が必要としているものを全員受け取れるようにすることを、私たちは平等と考えます。全員に同じ量の食事を提供するのが公平ではなく、たくさん食べる子は「いっぱい」を、小食の子は「ちょっと」を、それぞれが選べるようにすることが公平だという話です。
前置きで半分以上使ってしまいましたが、書きたかったのは、今週からぱんだ組の部屋がぞう組の部屋に変わったことです。ぞう組は先週まできりん組くま組と一緒に生活していて個々の課題によって活動を選択していましたが、これからは「4月から小学校へ行く」という共通の課題に向けた活動も行っていきます。とは言っても学校の勉強の先取りをするわけではありません。例えばしっかりと文字を書くことにつながっていく線つなぎや迷路遊びなどを行ったり、引き続き実際に体験することを重視した活動を行っていくことになります。そしてぱんだ組はきりん組くま組と一緒に生活し始め、少しずつ生活リズムや環境に慣れていってもらう予定です。新しい環境に慣れていく様子や、教える立場になった自覚が少しずつ現れてくる様子は、見ていて頼もしく感じます。この時期の特徴でもあるそうした成長の様子をみなさんと共有しながら、今年度の残り2ヶ月を過ごしたいと思います。
師のブログで紹介されていた新聞記事。2006年の記事だけど、読んでいると心が動かされます。思い出した時に読んだ方がいいかなと思ったので、ここにも載せておくことにしました。
オール1が名古屋大学に合格した宮本延春さん
中学1年の通知表が「オール1」、「九九」も言えなかったが、猛勉強の末に名古屋大学理学部に合格した宮本延春(まさはる)さん(37)(愛知県豊川市)が、数学教師として、母校の私立豊川高校の教壇に立っている。中学卒業後は大工をしていたが、ビデオで見たアインシュタインの理論に衝撃を受け、小学生の勉強からやり直した。宮本さんは、落ちこぼれだった自分を振り返りつつ、「目標を見つける手助けをしてやりたい」と、生徒たちに熱い眼差しを注いでいる。
1年生を前にした2005年4月の最初の高校の授業で、宮本さんは、黒板に教科名を書き並べた。国、社、数、理、英……。そして各教科の下に「1」という数字を書き足した。
「これが何のことか分かるか」。生徒たちに問いかけるが、反応はない。「おれが中1だった時の通知表。オール1だったんだよ」
「うっそー」「なんで先生になれたの?」。静まり返っていた教室が、にわかに活気づいた。
小学生時代。気が弱く、体も小さかった宮本さんは、格好のいじめの標的だった。筆箱や上履きが隠されるのは日常茶飯事。休み時間に後ろからけられることや、足に画びょうを刺されることも少なくなかった。
中学に進み、最初にもらったオール1の通知表に、「やっぱり、おれはバカなんだ」と自分を見放した。義務教育を終えた時の通知表も、「2」が二つで、残りはすべて「1」だった。九九を全部言うことができなかった。
中学卒業後は大工の道に進んだが、親方の指導は厳しく、すぐに手が飛んできた。理解者だった母親を16歳の時に病気で亡くし、17歳で大工をやめた。その翌年には父親も病死した。
だが、20歳を迎えたころから人生の風向きが変わり始める。地元の建設会社に就職。後に結婚することになる純子さんと出会ったのも、このころだ。純子さんから、一本のビデオを手渡されたのは23歳の時。家に帰って再生すると、「光は波か、粒か」をテーマに、アインシュタインの理論を解説したテレビ番組が録画されていた。画面に吸い込まれ、我に返った時には90分の番組が終わっていた。
「もっと知りたい」。味わったことのない気持ちでいっぱいになった。「物理学を勉強するには、大学に入らなくては」。直感的にこう思い、その一歩として定時制高校を受けようと決意した。
夢への道は、九九のマスターから始まった。小学3年用のドリルを購入。中学3年までの数学と英語を独りで学んだ。「難しい知恵の輪を簡単に解くのを見て、やればできる人なのではと思ったんです」と、純子さんは振り返る。
自宅に近い豊川高校の定時制に入学したのは24歳の春。物理学科のある名古屋大に志望を定めた。
毎朝5時に起床し、出勤時間まで勉強。帰宅後も午前0時まで机に向かった。高校3年の3学期。大学入試センター試験で8割近い点を取り、名古屋大の理学部を受験した。
合格を知った時のことは忘れられない。自宅の郵便受けに入っていたレタックスを恐る恐る開き、その中に自分の受験番号を見つけた。「不合格者の番号が掲載されてるのでは」と何度も確認した。
1996年4月、27歳で名古屋大に入学した。
学部と大学院で過ごした9年間。宇宙物理学を専攻し、素粒子などの研究に没頭した。在学中に結婚、長男も生まれた。初めは研究者になるつもりだったが、満ち足りた日々の中で別の思いが芽生えた。
「自分の経験が一番役立つ仕事は教師ではないか。落ちこぼれだったから、生徒がどこでつまずくかがわかるし、いじめられた時の悔しさもよくわかる」
母校に電話をかけ、教壇に立ちたいと願い出た。
理科と数学の教員免許を持つ宮本さんは、週14時間の授業を担当している。
「三角形の内角の和は何度だい」。授業はしばしば、中学の内容に戻る。「先生の話は分かりやすい」と生徒たちは口をそろえる。
つまずく生徒もいないわけではない。しかし、九九もできなかった自分に比べれば、間違いなく、全員がより大きな可能性を持っている。
本格的に教壇に立つようになって1年。宮本さんは「毎時間、全力投球してきたけれど、生徒一人ひとりの個性に応じた指導をするのは、予想以上に難しい。まだまだ勉強は続きます」と話す。
「子どもたちが目標を見つける手助けをしてやりたい」。23歳で初めて人生の目標をつかんだ新米教師の、それが新たな目標だ。
(2006年3月5日 読売新聞)