2016年4月15日

No.441 石見おばちゃん語訳?

ちょっと考えていることがありまして、『日本国憲法 大阪おばちゃん語訳』(谷口真由美 著)という本を読んでいます。もし大阪のおばちゃんが井戸端会議で憲法の話をしたとしたらどんな風になるのか?というコンセプトの本です。何を考えてこの本を読んでいるかは後で説明するとして、この中の一部を紹介します。例えば憲法の12条は大阪のおばちゃん語訳ではこうなります。
「この憲法が国民に保障している自由とか権利は、みんなで普段から絶え間なく努力することで持ち続けていかなアカンねんで。ほんで、私らもこれを自分のためだけにつこたらアカンねん。ひとさまにご迷惑おかけせーへんようにつかわなアカンねんで。自分だけが大事とか言うたらアカンねんで。」

原文は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。また、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためのこれを利用する責任を負う」(自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止)

そして解説にはこう書かれています。

人権っちゅうのは、無制限に認められているわけちゃいますねん。そやのに、巷では「人権人権いうたらなんでも認められる」って言うお人がいてはりますねんけど、それはウソですわ。ほら、憲法にも書いてますやろ、「濫用」したらあきまへん、「公共の福祉」のために使わなあかんでって。人間っちゅうのは、社会で暮らす生き物ですさかい、その権利にも限界がありますねん。要は、他の人の権利は無しにして、自分の権利だけがぎょうさん認められるなんてことはあり得へんってことですわ。ひとさまにご迷惑をおかけせーへん限り、人権は認められまっせってことですわ。

憲法のような条文を読むと、「大事なんだろうな」とは思いますが、「なるほど〜!」とはなかなか思えません。でも大阪おばちゃん語訳を読むと、特に解説なんかはスッとその意味が頭に入ってきます。大阪弁が読みやすいかどうかは人によるでしょうが。何が言いたいかというと、表現方法によって伝わり方はかなり違ってくるということです。そして日常の言葉で表現した方が圧倒的に分かりやすいです。保育においても同じことが言えると思っていて、憲法ほど分かりにくくはないはずですが、例えば私たちが大切にしている保育の考え方「子どもが自発的、意欲的に関われるような環境の構成と、そこにおける子どもの主体的な活動を大切にする」ということなんかも、「なんのために?」も含めて実際の様子を通して、分かりやすく具体的に発信し続けないといけないと思っています。「保育理論 石見おばちゃん語訳」があってもいいかもしれませんね。

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