夢中になる対象はそのときそのときで変わっていいから、なんにでも首を突っこんでフラフラしてください。(益川敏英)
■鷲田さんのことば
人生にはいろんなことが待ち受けていて、どの方向に一歩踏みだすべきか、誰にもわからない。楽しく、そして惜しみなく努力を注ぎ込める何かに出会うまで、とことんさまよえばいいのだと、物理学者は言う。「フラフラする」というのは、何でもがむしゃらにやって「フラフラになる」ことでもあろう。
『「フラフラ」のすすめ』から。(鷲田清一)
身軽な人ほど成長する、という話もよく聞きます。身軽であることは、フラフラすることとと本質は近いと思っています。身軽な人は活動的で、しかも活動に飛びつく動きが速いです。積極的にチャレンジし、そこで多くの成功や失敗を経験するため、学びの機会が非常に多い=成長が促されるという流れを自ら生み出しています。
でも、人は経験を積んでいくと事前にリスクを考慮することが増え、気づいたら非常に動きが鈍くなっていきます。これは自分のことでもあるのでよくわかります。最近新しいことに挑戦していないなとか、新たなことを思いついても「失敗したらどうしよう」「もう少し様子を見てから…」と、結局何もしないことを選択していたりします。いつまでもリスクを顧みず行動するのは立場上よくないことも多いので仕方ないことでもあるんですが、自分自身としてはもうちょっと積極的に動くべきなんじゃないかと思ったりするわけです。
何につながるかわからない、でも興味があるからやってみる。するとやってみたことで視野がパッと広がったり、そこで生まれた縁から挑戦したこととは関係のない別の学びが得られたりします。挑戦すること、フラフラすることの面白さの1つには、想像を超えたものとの偶然の出会いがあると思っています。
話を子どものことに移します。子どもは行動力の塊で、フラフラすることこそ子どもの本質だと言ってもいいくらいです。どこかにおもしろいことがないかいつも探していますし、興味を持ったら即行動です。もちろん失敗することも多いですが、でもその体験こそが成長の種となっていきます。そんな成長の原点でもある子どもの「フラフラする」ことを、大人はちゃんと認めてあげないといけませんよね。
興味を持てる様々な要素を周りに用意すること。
興味を持てる場や様々な人との出会いを用意すること。
やりたい!と思うことを見つけたら、それに十分に取り組める時間を用意すること。
失敗しても、また次に進んでいけるよう、受け止める存在としてそこにいること。
フラフラすることの楽しさを伝えるために、時にはフラフラのモデルとなること。
大人の役割は例えばこんな感じでしょうか。
大事なことは《「自ら」フラフラする》こと。
あれもこれも面白いからやりなさい!と強制してしまうと意味がありません。自分の興味関心にしたがってフラフラすることがポイントです。
子どものフラフラを認めつつ、時には大人もフラフラすることを楽しむ。
子どもも大人も、失敗を恐れずフラフラすることを大事にしたいですね。
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