美味(おい)しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい
燃え殻
■鷲田さんのことば
食事は独りでとるより誰かとお喋(しゃべ)りしながらするほうが旨(うま)い。幸せは、自分が満ち足りるというより、誰かと悦(よろこ)びを共有するところにある。そんな誰かが自分には居ないと感じる時、寂しさが内にしんしん沁(し)みわたる。隣の人が歓(よろこ)ばない独り占めの幸福なんてある? 会社員作家の小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』から。(鷲田清一)
いつも読ませてもらっている「折々のことば」に紹介されて、深ーく沁みました。
友達がいることでより楽しく感じられる、より幸せを感じられる、そんな関係性を園生活の中で育んでいきたいものです。
先日6月末で「園長のひとりごと」の配布を終了したわけですが、運動会等の行事については園と保護者のみなさんと共有しておきたい思い、私の言葉としても共有しておきたい思いがあり、久しぶりに配布することにしました。「これは言葉にしておきたい」と思うことがあれば、今後もこうして配布することがあるかもしれません。ちなみにブログではこうして7月以降も「ひとりごと」を継続しています。A4用紙1枚に収める必要がないためダラダラと書いているだけですが、時間があるときにでも覗いてみてください。
さて23日(土)に行われるあさりこども園の運動会ですが、まず全員の「走る」動きの発達を見てもらいます。運動会の大きな目的は「子どもの運動面の発達を保護者に伝える」ことで、様々ある運動面の発達の中の「走る」を取り上げたものです。内容は全員の「走る」を見てもらうのではなく、「走る」ことに関係する発達を順に見てもらうものになっています。
子どもの発達は連続しています。赤ちゃんがある日突然走り始めるのではなく、寝返り→お座り→はいはい→つかまり立ち→伝い歩き→歩くといった流れで「走る」につながっていきます。それぞれの体験を十分と行うことが後の「走る」の大事な土台となっていくため、どの段階もとても大切です。その発達の様子を見てもらえるよう、りす組からスタートし、ぞう組へとつないでいきます。「走る」ができるようになってからは、「友だちと一緒に」とか「競い合って」といった姿を見てもらうわけですが、「こうやって走れるようになっていくんだなあ」と先のことを想像したり、「あんな頃もあったなあ」と小さい頃を思いだしたりと、子どもの発達の道筋を楽しみながら見てください。
そして個人競技では、跳ぶ・越える・渡る・運ぶ・登る・バランスをとるなどの発達も見てもらいます。あさりこども園の園庭は平らなところが少なく、ぐるっと1周するだけでも様々な動きを必要とする作りになっています。日々の遊びの中で様々な動きを体験し、力をつけ、そのことによって更に遊びが楽しくなる、そんな園庭作りを保護者のみなさんの力を借りながら行っています。その園庭での遊びや生活の中でつけた力を見てもらうので、その様子を想像しながら見てもらいたいです。そして周りの子と影響し合っているところにもぜひ注目してみてください。友達と「共に」があることで、活動の楽しさが増したり、刺激を受けてより意欲的になったり、相互に作用しながら力をつけていくのが子どもたちです。直接的であったり間接的であったりと様々ですが、1人に注目したり、全体を眺めてみたりといった見方もおすすめします。
【縷紅草】
グループホーム合歓の郷のBさんが「縷紅草(るこうそう)」の世話をしておられたので、話を聞かせてもらいました。糸のように細くて長いものを「縷(る)」といい、糸のようなツルを持ち紅い花をつけるので「縷紅草」と呼ぶそうです。竹をドーム状に組み、そこにしっかりとツルを這わせて縷紅草のドームを作っていて、伸びたツルを摘む作業の最中でした。縷紅草のツルはほっておくとあちこちに伸びていくため、はみ出したツルを摘まなければきれいなドーム状にはならないと教えてくれました。芝生も似ていて、上へ伸びる性質があるため、こまめに刈ってやると上を諦めて仕方なく横へ広がり始め、その結果きれいに地面を覆う芝生ができます。
【行動のクセ】
私たちの仕事は、その人の意志や意欲を尊重した介護や保育、育成を行うことです。上に書いた縷紅草や芝生の育て方のように、利用者や子どもの意思とは違う方向へ意図的に操作することはちょっと馴染みません。ですが、仕事に対する行動を考えるヒントをもらうことはできます。私たちの行動には縷紅草のようにクセがあります。気が付くとそのクセに流されているのはよくあることです。○○を目標にして行動を改めよう!と決意しても、いつの間にか忘れてしまい、以前の行動パターンに戻っていたりします。自分の行動のクセから抜け出すのは簡単ではありません。
【ロールモデル】
ではどうすればいいか?縷紅草や芝の特徴を掴んで育てるのと同じで、まずは自身の行動のクセを認識すること。楽な方に流されやすい、行動に移すのをためらいがちといった、自分の傾向をまずはきちんと認識することです。そして周りの人の力を借りることも大事です。といっても、自分の行動を逐一チェックしてもらうとかではなく、この人の行動を参考にしたいといったロールモデルにさせてもらうことです。この人のように!と強く思えるロールモデルがあると、行動は変わりやすいです。いつものパターンに流されそうになったときにふと思い出せる、そんなロールモデルを見つけてください。
【おすそ分け】
縷紅草の種は、集めて地域の方に配る予定だそうです。これもいい取り組みですね。種や野菜などに限らず、私たちの持っている専門性や技術、資源は、仕事を通じてもっと地域に出していけると思います。小さくなってきている地域を活性化するには、個々の持っている力を生かし合うしかありません。花の村の資源は何か、強みは何かを考え続け、地域に貢献する行動を積極的に試してください。花の村の力を地域におすそ分けし、地域の方からいろんな面で支えてもらえる、そんな関係を丁寧に広げていきましょう。
「参画」という考え方を、自分の中で整理しているところです。こども園に限らず人が活動するところには必ず必要になる考え方だと思うからです。
参画を辞書で調べてみると、「事業・政策などの計画に加わること」とあります。単なる参加、一緒に活動するだけではなく、何をするか?の計画段階から一緒に行うという意味です。英語ではparticipationとinvolvementの2つの言葉が該当するようですが、involvementの方が巻き込む、熱中する(活動に熱意と積極性を持って参加するイメージ)意味合いが強いようで、考えていきたい参画のイメージと一致します。子どもたちがこども園での活動を「させられる」のではなく、何をするか?誰とするか?どのようにするか?を考え、友達や保育者だけでなく場合によっては保護者や地域の方も巻き込みながら、それに熱中し没頭する。単に関わっていればいいのではなく、熱中して関わることがポイントになるでしょうね。今でも「あっ、これって参画だよな」と思えることもありますが、まだまだ参加で終わってしまっている部分があるのも確かです。あさりこども園の全ての活動を参画までもっていくのは簡単ではないですが、子どもたちと共に作り上げていくことを目指していきたいと思っています。
単にできることが増えることを成長と見るのであれば、参画の必要性をここまで考えなくてもいいのかもしれません。ですが、私たちは社会の一員として成長してもらいたいと考えているので、参画は欠かせません。こども園は社会の1つである以上、ここで学んだ社会でのふるまいは必ず他の社会でも生かされることになります。ということは私たち保育者も日々の活動が参画を基本としていなければいけないわけで、保育だけにとどまらず様々な活動全体のあり方を考えなければいけない話になります。とっても大きな話なのでじっくりと取り組んでいきます。
役員さんが力を発揮してくれたおかげで、園庭に渡り橋が完成しました。この活動もそうですが、役員さんが中心になり、園の考えを踏まえた上でこんなことをしてみたいと提案し実行してくれることが増えてきています。これも保護者による園への参画です。子どもの参画、保護者の参画、そして地域の方々の参画と、熱中して関わってくれる参画の輪が広がってくるとますますおもしろくなっていくはずです。楽しみですね。
子どもたちが自分たちで考えて行動することを大事にしていますが、そのために子どもたちにつけてもらいたい力があります。その代表的なものが「我慢する力」だと考えています。例えばブランコを使いたい自分と友達の思いがぶつかったりします。その時にお互いが納得いくような落としどころを自分で見つけないといけません。まだまだ遊びたいなーと思っても、ごはんの時間になってしまったらその遊びを自分で切り上げなければいけません。自分の思いだけを貫き通そうとするのではなく、友達のことや場の状況に合わせて「我慢する」ことも必要です。
この「我慢」ですが、一般的には「やりたいことを諦めること」と思われているかもしれませんが、子どもたちにつけてもらいたいのは「違う方法を考える」意味の我慢です。やりたいことが友達とかぶってしまったから自分は違うやりたいことを見つけるとか、友達に諦めてもらうための方法を考えるとか、遊びを切り上げないといけないからいやだなーと感じている気持ちを「今日のごはんは何だろう?」と食事に興味を移していく方法とか。今の自分の感情をコントロールし、別の選択肢を探していく「我慢」ができるようになると、大人の介入がなくても自分たちだけで充分に場を動かしていくことができます。あさりこども園の生活の中で、その力をつけていくための体験を積み重ねてほしいと思っています。
そんなことを考えているときに、興味深いツイートに出会いました。小学3年生の長女と小学1年生の次女のやりとりを紹介したものです。
純粋にすごいなーと思いましたし、こうやって自分の思いを言葉にすることが苦手な子に対して一緒に考えてあげる存在があれば自分の思いや感情を客観視しやすくなるだろうなあとも思いました。自分を客観視することは、自分の感情をコントロールするためには欠かせないことです。客観視できるからこそ自分の思いに気づくことができ、思いに気づけるからこそ感情をコントロールでき、コントロールできるから別の選択肢を見つけることもできる、つまり我慢ができるというわけです。だとすると、自分の気持ちに気づくのが得意でない子に対しては、保育者や周りの友達がこのツイートの長女のような役割を担ったりすることで、あさりこども園での子どもの育ちはずいぶん変わってくるんだろうなあと、そんなことを思っています。もしかするとそんなことは既に当然のように行われているかもしれませんが、時々その意味の確認をするのも大事なことだと思います。