2017年9月29日

No.512 感情と身体の関係



腑(ふ)に落ちない
言い習わし

■鷲田さんのことば
納得できないこと、合点がいかないことを、人はこう言う。受け容(い)れることのできないことは「呑(の)めない」、感心できないことは「戴(いただ)けない」、油断がならないことは「食えない」とも言う。だから「腹を割って」話すこともできず、つい相手の「腹を探る」ことに。ごそっと、あるいはぐねぐねとうねり、うごめく内臓の波動と、魂の波長とは、どこか深く谺(こだま)しあっているらしい。(鷲田清一)


今回も鷲田清一さんの「折々のことば」から。これを読んで、人の感情は身体と深くつながっているからこそ、こうした表現が使われているんだと気づかされました。感情は頭の中だけの出来事ではなく、様々な体験とセットになっているということです。そうなると、感情を豊かにするためには身体を実際に使うことが大事だとも言えると思います。身体を使うからこそうれしいこととの出会いや悲しかったり悔しかったりする出会いがあったりして、身体を使った出会いだからこそ感情が身体に与える影響も大きくて、そんなことを通して感情が豊かに育っていくんだと思います。

先週は運動会が行われました。運動会はまさに身体を使う場で、感情が大きく磨かれる場であったと思っています。例えばぞう組のリレー。当日までに3回リレーを行い、赤組2勝、白組1勝という結果だったんですが、リレーのたびに走る順番を話し合い、作戦を立て直し、そんなことを繰り返して運動会を迎えました。当日までのリレーでも、自分が走るときに勝ててうれしい、チームが負けて悔しい、順番を決めるときにも自分は〇番目に走りたいけど他の子はどう思うだろう?などなど、リレーを行うことを通して非常に多くの感情を体験している姿がありましたが、同じように当日も様々な感情の表現が見られました。勝ってうれしかった、負けて悔しかったなので感情を抱いたこと、それを表現したことが、どれも大切な体験です。今後はその感情をどう表現するか、どうコントロールするかが課題となります。感情を抱き表現したからこその課題なので、しっかりとクリアしてくれると思います。これからの子どもたちの姿が楽しみです。



来年4月から施行される新しい保育所保育指針(あさりこども園も守らなければいけない保育の基本原則)に、幼児期の終わりまでに育ってほしい姿の1つとして『心を動かす出来事などに触れ感性を働かせる中で、様々な素材の特徴や表現の仕方などに気付き、感じたことや考えたことを自分で表現したり、友達同士で表現する過程を楽しんだりし、表現する喜びを味わい、意欲をもつようになる。』と書かれています。運動会という行事で身体を使って体験したことを通して、様々なことを感じて表現し、それを友達と十分に共有しました。この体験が次の意欲につながっていく様子を、保護者のみなさんとも共有していきたいと思います。

話題はちょっと変わりますが…
今回の運動会では今までと少し違った様子が見られました。保護者も一緒に楽しんでいる、みんなが自分の判断であちこち動き回って楽しんでいる、子どもたちの動き、他の保護者の動きにも配慮しながら楽しんでいる、そんなことを強く感じました。まあその傾向は昨年までもあったんですが、より強く感じたといったところです。以前「保育には参画という考え方が必要」といったことを書きましたが、まさにその流れが生まれ形になりつつあると思っています。他人事感が少なく、熱意と積極性があり、周りを巻き込む動きもあってと、とっても嬉しい流れです。この流れがより活発になっていくためにも、こども園としては保育に対する考え方をより明確に発信していく必要があります。保育の軸を共有することなしに豊かな参画の形はあり得ないと思っているので、発信は引き続き力を入れて行っていきます。







2017年9月22日

幸せの定義

美味(おい)しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい
燃え殻

■鷲田さんのことば
食事は独りでとるより誰かとお喋(しゃべ)りしながらするほうが旨(うま)い。幸せは、自分が満ち足りるというより、誰かと悦(よろこ)びを共有するところにある。そんな誰かが自分には居ないと感じる時、寂しさが内にしんしん沁(し)みわたる。隣の人が歓(よろこ)ばない独り占めの幸福なんてある? 会社員作家の小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』から。(鷲田清一)



いつも読ませてもらっている「折々のことば」に紹介されて、深ーく沁みました。
友達がいることでより楽しく感じられる、より幸せを感じられる、そんな関係性を園生活の中で育んでいきたいものです。

No.511 園庭とマツダスタジアムの共通点

前回は運動会のことを書いたのですが、その時に園庭には様々な要素があることに少しだけ触れました。あさりこども園の園庭がどのような思いで作られているのかについて今までも時々書いてきたのですが、思いをできるだけ細かく伝えるためにいろんな表現方法を持たなければいけないと思っています。アピールという点においては各種メディアの表現は非常に勉強になるので、こども園のこと、保育のことを伝えるためにいろんなメディアをチェックして参考にさせてもらっているところです。

先日おもしろい記事を見つけました。『なぜ誰もがマツダスタジアムに魅了されるのか?設計に隠された驚きの7原則とは』というタイトルの記事です。ご存知の通り、マツダスタジアムはセリーグ2連覇を決めた広島カープの球場の話で、行ったことのない人でも読んでもらうと魅力とその秘密が伝わってくるんじゃないでしょうか。ここに書かれている7原則は、こども環境学会代表理事も務めておられる仙田満氏の影響を受けたもので、実は園庭づくりの7原則ともつながっています。そんなわけで、この記事に書かれている7原則に沿ってあさりこども園の園庭を整理してみることにしました。若干勝手な解釈による説明も含まれますが、その辺は適当に読み流してください。



1.循環機能があること

私たちはこの“循環機能”を“回遊性”とか“反復性”と呼んでいるのですが、園庭で言うと真ん中にあるトラック上のルートを基本とした構成がそれに当たります。同じところをグルグルと巡っているだけでは飽きてしまわないだろうか?と当初心配していたのですが、記事中で「遊具の研究の中で、行き止まりがあると基本的に子どもはそちらの方向には行こうとしないそうです。ずっと先まで続いているような循環機能があると、自分の行動に制約がなくなったように感じ、人はつい動きたくなるとのことです」と書かれているように、子どもたちはグルグルを楽しんでいるのは見ていて分かります。もちろん身体のサイズや集団規模によって満足度は変わってくるでしょうが、今のところはグルグルが機能していると考えています。




2.その循環(道)が安全で変化に富んでいること

記事中には「これも遊具の研究の中で、子どもは起伏があったり危険性を感じる場所を避けて、安全に動ける循環動線を見いだし、そこを基本として動くようになるようです。もちろん、それを踏まえた上でどこかに寄り道したり、見誤って危険な経路を通ってけがをしてしまうことはありますが、そういった経験も踏まえて安全な経路を通るようになる。人間の根源的な本能でリスクを避けようとします。さらには、その循環経路が変化に富んでいることで、何度も繰り返し、通りたくなります」とあります。あさりの園庭のトラックは基本的に平らに作っています。乗り物を使って遊ぶルートでもあるため、段差のない状態です。このような場所があることで、子どもたちは安心して周囲のバラエティに富んだ遊び場に挑戦することができます。ちょっと挑戦して難しかったら戻ってくる場所がある、この安心感は大事です。そして変化という意味では、たくさん植えてある木々の存在も大きいです。特に果樹は季節によって大きく変化しますし、何よりも果実の存在は魅力的です。今はザクロがたくさんなっていてその話で盛り上がったりもしていますが、果実ができるのを楽しみに待ったり、できた実を食べる楽しさもあったりと、変化を感じる要素は満載です。






3.その中にシンボル性の高い空間、場があること

園庭の中で最もシンボル性の高い場所はどこかをいろいろ考えたのですが、いくつかある中でやはり“築山”だろうという結論に至りました。園庭のほぼ真ん中に位置し、どこからでも見ることができます。子どもの発達を考えると、登るためには様々な力を獲得していることが必要で、登ることができるようになると大きな滑り台を滑る権利を得ることになる、ある意味憧れを抱かせる存在でもあります。






4.その循環に“めまい”を体験できる部分があること

めまいについては記事中に「“めまい”というと分かりづらいですが、自分の感覚・知覚を揺るがすことで、その体験自体が遊びになるというものです。」と書かれています。感覚を揺るがす機能を持っているのは、総合遊具の揺れるネットや橋、そしてなんといっても高さのあるツリーハウスです。ここで遊ぶことによって非日常的な感覚体験ができる、つまり”めまい”体験ができるわけです。






5.近道(ショートカット)ができること

園庭にはトラックがあると書きました。基本的な遊びのゾーンはトラックを巡ることでたどり着けるように配置しているのですが、真ん中をショートカットできる道もあります。改めてこの道を眺めてみたんですが、確かにこの道のおかげで動線のバリエーションはかなり多くなっています。この道の重要性を改めて確認することができました。




6.循環に広場が取り付いていること

先にも少し書きましたが、遊びのゾーンはトラックの周囲に配置してあります。単にトラックを巡るだけでなく、巡りながら様々な遊びのゾーンへ行き、そこで満足が行くまで遊びに没頭することができます。砂場であったり、たき火の出来る場であったり、草地であったり、畑であったりと、ゆっくりじっくりと遊ぶことのできる“広場”があり、この存在も遊びの充実には欠かすことができません。








7.全体がポーラス(多孔質)な空間で構成されていること

ポーラス(多孔質)については記事中で「内外をつなぐ穴が無数に空いている構造だという意味です。」と説明されています。この視点で園庭を眺めると、園舎と園庭をつなぐルートは数多くあることに気づきます。それぞれの部屋から見える園庭は少しずつ違っていますし、当然出る場所によって最初に触れる園庭の場所は違います。同じ園庭に出るにしても、様々なアプローチがあるわけです。また、「園舎から園庭へ」の視点だけでなく、「園庭から園外へ」の視点も多様です。周りには山があり、川があり、民家があり、それらが園庭の一部のように溶け込んで見えます。町の中の一部だということを感じることのできるオープンな視界があることも、園庭の要素として大事な部分です。




7原則に沿って園庭の要素を書いてみましたが、ぜひみなさんもこのような視点で園庭を眺めてみてください。

2017年9月15日

No.510 運動会編

先日6月末で「園長のひとりごと」の配布を終了したわけですが、運動会等の行事については園と保護者のみなさんと共有しておきたい思い、私の言葉としても共有しておきたい思いがあり、久しぶりに配布することにしました。「これは言葉にしておきたい」と思うことがあれば、今後もこうして配布することがあるかもしれません。ちなみにブログではこうして7月以降も「ひとりごと」を継続しています。A4用紙1枚に収める必要がないためダラダラと書いているだけですが、時間があるときにでも覗いてみてください。

さて23日(土)に行われるあさりこども園の運動会ですが、まず全員の「走る」動きの発達を見てもらいます。運動会の大きな目的は「子どもの運動面の発達を保護者に伝える」ことで、様々ある運動面の発達の中の「走る」を取り上げたものです。内容は全員の「走る」を見てもらうのではなく、「走る」ことに関係する発達を順に見てもらうものになっています。

子どもの発達は連続しています。赤ちゃんがある日突然走り始めるのではなく、寝返り→お座り→はいはい→つかまり立ち→伝い歩き→歩くといった流れで「走る」につながっていきます。それぞれの体験を十分と行うことが後の「走る」の大事な土台となっていくため、どの段階もとても大切です。その発達の様子を見てもらえるよう、りす組からスタートし、ぞう組へとつないでいきます。「走る」ができるようになってからは、「友だちと一緒に」とか「競い合って」といった姿を見てもらうわけですが、「こうやって走れるようになっていくんだなあ」と先のことを想像したり、「あんな頃もあったなあ」と小さい頃を思いだしたりと、子どもの発達の道筋を楽しみながら見てください。

そして個人競技では、跳ぶ・越える・渡る・運ぶ・登る・バランスをとるなどの発達も見てもらいます。あさりこども園の園庭は平らなところが少なく、ぐるっと1周するだけでも様々な動きを必要とする作りになっています。日々の遊びの中で様々な動きを体験し、力をつけ、そのことによって更に遊びが楽しくなる、そんな園庭作りを保護者のみなさんの力を借りながら行っています。その園庭での遊びや生活の中でつけた力を見てもらうので、その様子を想像しながら見てもらいたいです。そして周りの子と影響し合っているところにもぜひ注目してみてください。友達と「共に」があることで、活動の楽しさが増したり、刺激を受けてより意欲的になったり、相互に作用しながら力をつけていくのが子どもたちです。直接的であったり間接的であったりと様々ですが、1人に注目したり、全体を眺めてみたりといった見方もおすすめします。

2017年9月

【縷紅草】
グループホーム合歓の郷のBさんが「縷紅草(るこうそう)」の世話をしておられたので、話を聞かせてもらいました。糸のように細くて長いものを「縷(る)」といい、糸のようなツルを持ち紅い花をつけるので「縷紅草」と呼ぶそうです。竹をドーム状に組み、そこにしっかりとツルを這わせて縷紅草のドームを作っていて、伸びたツルを摘む作業の最中でした。縷紅草のツルはほっておくとあちこちに伸びていくため、はみ出したツルを摘まなければきれいなドーム状にはならないと教えてくれました。芝生も似ていて、上へ伸びる性質があるため、こまめに刈ってやると上を諦めて仕方なく横へ広がり始め、その結果きれいに地面を覆う芝生ができます。



【行動のクセ】
私たちの仕事は、その人の意志や意欲を尊重した介護や保育、育成を行うことです。上に書いた縷紅草や芝生の育て方のように、利用者や子どもの意思とは違う方向へ意図的に操作することはちょっと馴染みません。ですが、仕事に対する行動を考えるヒントをもらうことはできます。私たちの行動には縷紅草のようにクセがあります。気が付くとそのクセに流されているのはよくあることです。○○を目標にして行動を改めよう!と決意しても、いつの間にか忘れてしまい、以前の行動パターンに戻っていたりします。自分の行動のクセから抜け出すのは簡単ではありません。

【ロールモデル】
ではどうすればいいか?縷紅草や芝の特徴を掴んで育てるのと同じで、まずは自身の行動のクセを認識すること。楽な方に流されやすい、行動に移すのをためらいがちといった、自分の傾向をまずはきちんと認識することです。そして周りの人の力を借りることも大事です。といっても、自分の行動を逐一チェックしてもらうとかではなく、この人の行動を参考にしたいといったロールモデルにさせてもらうことです。この人のように!と強く思えるロールモデルがあると、行動は変わりやすいです。いつものパターンに流されそうになったときにふと思い出せる、そんなロールモデルを見つけてください。

【おすそ分け】
縷紅草の種は、集めて地域の方に配る予定だそうです。これもいい取り組みですね。種や野菜などに限らず、私たちの持っている専門性や技術、資源は、仕事を通じてもっと地域に出していけると思います。小さくなってきている地域を活性化するには、個々の持っている力を生かし合うしかありません。花の村の資源は何か、強みは何かを考え続け、地域に貢献する行動を積極的に試してください。花の村の力を地域におすそ分けし、地域の方からいろんな面で支えてもらえる、そんな関係を丁寧に広げていきましょう。

2017年9月8日

No.509 参画

「参画」という考え方を、自分の中で整理しているところです。こども園に限らず人が活動するところには必ず必要になる考え方だと思うからです。

参画を辞書で調べてみると、「事業・政策などの計画に加わること」とあります。単なる参加、一緒に活動するだけではなく、何をするか?の計画段階から一緒に行うという意味です。英語ではparticipationとinvolvementの2つの言葉が該当するようですが、involvementの方が巻き込む、熱中する(活動に熱意と積極性を持って参加するイメージ)意味合いが強いようで、考えていきたい参画のイメージと一致します。子どもたちがこども園での活動を「させられる」のではなく、何をするか?誰とするか?どのようにするか?を考え、友達や保育者だけでなく場合によっては保護者や地域の方も巻き込みながら、それに熱中し没頭する。単に関わっていればいいのではなく、熱中して関わることがポイントになるでしょうね。今でも「あっ、これって参画だよな」と思えることもありますが、まだまだ参加で終わってしまっている部分があるのも確かです。あさりこども園の全ての活動を参画までもっていくのは簡単ではないですが、子どもたちと共に作り上げていくことを目指していきたいと思っています。

単にできることが増えることを成長と見るのであれば、参画の必要性をここまで考えなくてもいいのかもしれません。ですが、私たちは社会の一員として成長してもらいたいと考えているので、参画は欠かせません。こども園は社会の1つである以上、ここで学んだ社会でのふるまいは必ず他の社会でも生かされることになります。ということは私たち保育者も日々の活動が参画を基本としていなければいけないわけで、保育だけにとどまらず様々な活動全体のあり方を考えなければいけない話になります。とっても大きな話なのでじっくりと取り組んでいきます。



役員さんが力を発揮してくれたおかげで、園庭に渡り橋が完成しました。この活動もそうですが、役員さんが中心になり、園の考えを踏まえた上でこんなことをしてみたいと提案し実行してくれることが増えてきています。これも保護者による園への参画です。子どもの参画、保護者の参画、そして地域の方々の参画と、熱中して関わってくれる参画の輪が広がってくるとますますおもしろくなっていくはずです。楽しみですね。

2017年9月1日

No.508 我慢する力

子どもたちが自分たちで考えて行動することを大事にしていますが、そのために子どもたちにつけてもらいたい力があります。その代表的なものが「我慢する力」だと考えています。例えばブランコを使いたい自分と友達の思いがぶつかったりします。その時にお互いが納得いくような落としどころを自分で見つけないといけません。まだまだ遊びたいなーと思っても、ごはんの時間になってしまったらその遊びを自分で切り上げなければいけません。自分の思いだけを貫き通そうとするのではなく、友達のことや場の状況に合わせて「我慢する」ことも必要です。

この「我慢」ですが、一般的には「やりたいことを諦めること」と思われているかもしれませんが、子どもたちにつけてもらいたいのは「違う方法を考える」意味の我慢です。やりたいことが友達とかぶってしまったから自分は違うやりたいことを見つけるとか、友達に諦めてもらうための方法を考えるとか、遊びを切り上げないといけないからいやだなーと感じている気持ちを「今日のごはんは何だろう?」と食事に興味を移していく方法とか。今の自分の感情をコントロールし、別の選択肢を探していく「我慢」ができるようになると、大人の介入がなくても自分たちだけで充分に場を動かしていくことができます。あさりこども園の生活の中で、その力をつけていくための体験を積み重ねてほしいと思っています。

そんなことを考えているときに、興味深いツイートに出会いました。小学3年生の長女と小学1年生の次女のやりとりを紹介したものです。



















純粋にすごいなーと思いましたし、こうやって自分の思いを言葉にすることが苦手な子に対して一緒に考えてあげる存在があれば自分の思いや感情を客観視しやすくなるだろうなあとも思いました。自分を客観視することは、自分の感情をコントロールするためには欠かせないことです。客観視できるからこそ自分の思いに気づくことができ、思いに気づけるからこそ感情をコントロールでき、コントロールできるから別の選択肢を見つけることもできる、つまり我慢ができるというわけです。だとすると、自分の気持ちに気づくのが得意でない子に対しては、保育者や周りの友達がこのツイートの長女のような役割を担ったりすることで、あさりこども園での子どもの育ちはずいぶん変わってくるんだろうなあと、そんなことを思っています。もしかするとそんなことは既に当然のように行われているかもしれませんが、時々その意味の確認をするのも大事なことだと思います。